新型コロナとマイノリティーの3年 振り返り編

NHK
2023年5月19日 午後11:00 公開

2020年。新型コロナが変えた私たちの暮らし、さまざまな行動が制限され、街から人がいなくなった。感染拡大から3年が経ち、日常を取り戻しつつある一方、マイノリティーがコロナで直面した問題は、今も積み残されたまま。そこで今回は、コロナが浮き彫りにした、社会の課題。マイノリティーの目線から、考える。

<番組の内容>

▶︎マイノリティーと新型コロナ積み残された課題

▶︎みんなのコロナ年表

▶︎有事 、命の危機に直面したマイノリティー

▶︎マイノリティーの命はおきざり?

▶︎家族の限界孤立は防げなかった?

<出演者>

ハリー杉山さん(タレント)

奥田友志さん(ホームレス支援NPO代表)

中野まこさん(進行性の難病 自立生活12年 

加藤さくらさん(知的・身体障害がある娘を育てる)

北田徹さん(知的障害者の介護施設職員)

レモンさん(番組MC)

玉木幸則(番組ご意見番)

あずみん(番組コメンテーター)

マイノリティーと新型コロナ 積み残された課題

<VTR>

2020年。新型コロナが変えた私たちの暮らし、さまざまな行動が制限され、街から人がいなくなった。あれから3年。みんな、日常を取り戻しつつあるようだ。

男女3人組「これからライブです! もう全然声出しOKです」

女性2人組「(コロナは)“ちょっと前にあったな”って懐かしい感じのことかもしれない」

しかし! マイノリティーがコロナで直面した問題は、今も積み残されたまま。

コロナ感染を経験した筋ジストロフィーの女性「普通に生命を維持するための助け、というところも制限を受けるのはどうしてだろう」

自閉症の子どもを育てる母親「支援も受けられない 家庭内でどうにかしなければならないって分かったときに絶望感というか どうしたらいいんだろうという感じで孤独でした」

コロナが浮き彫りにした、社会の課題。マイノリティーの目線から考える。

みんなのコロナ年表

<スタジオ>

レモン:今日のテーマは、コロナとマイノリティーの3年。2週にわたって考えていきたいと思います。でもね、今回の話、コロナだけの問題じゃないんですよね、玉木さん。

玉木:さまざまな災害とか事件とか起きた時に、通じる話。みんなが大変な状況に直面するなかでやっぱしマイノリティーが置き去りになってきていたんじゃないかなって。そこをちょっと考えていきたいなって思うけどな。

レモン:今回のゲストはタレントのハリー杉山ちゃん!

ハリー杉山:ハローハロー! ハリーちゃん! よろしくお願いいたします。なんかフランクにね、思うことを、楽しくポジティブに、話すことができたらうれしいですね。

スタジオには、「コロナの経験、話したい!」というみんなが集まってくれた。

進行性の難病で介助が必要な中、コロナ感染を経験した中野まこさん。知的障害者の介護施設で働く、北田徹さん。

障害がある子どもを育てる母親、加藤さくらさん。そして、北九州でホームレス支援を行う、奥田知志さん。

レモン:まずはこの3年間にどんなことが起こってきたのか年表をね、作ってみました。見に行ってみましょう、どうぞ。

レモン:これはね、国内の新規感染者数の推移を示したグラフなんですが、3年前、一番最初やね。国内で初めての感染者が確認され、緊急事態宣言が出ました。なんと東京オリンピック・パラリンピックが延期されたりしましたよね。玉木さんも感染しました。あずみんも2回、濃厚接触者になったんです。

あずみん:そうなんですよ。2回なりましたね。

レモン:みんながいつ当事者になってもおかしくない、ここなんですよ。さくらさんは、どんなことが印象に残ってますか?

さくら:初期の、“全国一斉臨時休校”なんですけど急にやってきたんですよ。特別支援学校がお休みになり、福祉サービスも一斉にストップになって、どうしよう、仕事も、子どもの介護も、みたいな感じで。

レモン:さぁ、ゲストのハリーちゃんこれどうですか?どんな印象残ってますか?

ハリー杉山:そうですねこれ、2020年の3月4月ぐらいに、父親と会えなくなったんですよ僕。

認知症やパーキンソン病と向き合っていたハリーさんのお父さん。2016年から介護施設で暮らしていた。コロナ禍になってからは、ある悩みがあったそう。

ハリー杉山:うちの親父は、2022年の4月に亡くなるんですけれども、この間、2年以上の時期なんですけども、ほんと会えても10分とか。面会が制限されてしまってまあ悔しい気持ちもいっぱいあるし。いきなり来たんで、まさか会えないとは思ってなかったんで。バラバラになっちゃいましたよね。

レモン:こういう声が日本中にあったんでしょうね。今日来ていただいた方の中に、人知れずですね、命の危機を経験した方もいます。中野まこちゃんですよ。

まこ:そうなんです。私の経験をご覧ください。

有事 、命の危機に直面したマイノリティー

<VTR>

愛知県に暮らす、中野まこさん。難病、筋ジストロフィーの影響で全身に力が入りにくい。毎日、ヘルパーの訪問介護をうけながら、ひとり暮らしをしている

まこ「今日は、タマネギとサーモンのマリネを作ろうかなって思うんで」

ヘルパー「はーい」

まこ「これ多いので3分の1を今から使ってあとはラップに分けておいてもらって冷凍で3つに分けるってことですね。了解です」

食事や入浴など、生活のあらゆる場面でサポートが欠かせない

まこ「おいしいです。良い焼き具合ですよ、岡田さん」

ヘルパー「いつもそんな焦げないのに」

まこ「ヘルパーさんがいるからきちんと自分がしたい生活ができているしご飯を食べるとかも当たり前のことですよね。みなさんがやってることができるし。本当になくてはならない存在ということですよね。」

日中の介助に加え、夜間にも命に関わる大切なことがある。寝る前に、必ず付けるのが人工呼吸器。肺の機能が低下しているため、呼吸を楽にする。さらに、寝ている間に行うのが

まこ「寝返りお願いします」

片方の肺に負担をかけないように、体の向きを変える。ヘルパーのサポートは、24時間、止まらない。

ヘルパー「夜間になにか訴えがあったり、体調悪くなったりしたときとかに、それに対応できるように少し離れたところでまこさんの様子が伺えるところで待機しているという感じです」

そんなまこさんが去年、新型コロナに感染。当時、まこさんが暮らす愛知県では、感染者数が過去最多を記録。1日4000人を超えていた。

まこ「まさか自分がなる?って思ったんですよ。これからどんな生活になるんだろうって思って」

まこさんは、感染が分かってすぐに、保健所に相談し、入院を希望した。しかし、医療逼迫を理由に断られ、自宅待機を余儀なくされた。そこに追い打ちをかけたのが、ヘルパーによる介助の縮小。

通常、まこさんの24時間介助は、4人ほどのヘルパーが分担して行っている。しかし、感染時は、介助に訪れたヘルパーは1人だけ。他のヘルパーに感染を広げないため、やむを得ない対応だった。時間は、朝8時から夜10時の間に限定。しかも、2時間おきに15分以内の制限付き。当時、まこさんの介助にあたったヘルパーは・・・。

ヘルパー「いつもと同じようなケアはできないというもどかしさを感じながらも、とにかく自分がやらないといけないことをやろうという感じでしたね」

夜を1人で過ごすことになったまこさん。自立生活12年の中で、初めての出来事だった。

ただでさえ心細い中、体調はみるみる悪化。

体温は39度まで上昇。

車イスに座ったまま死の恐怖と向き合いながら、夜を明かした。

まこ「じゃあどうすればいいの?っていうぶつけようのない感情というか。ヘルパー事業所も悪いわけでもないし。かかった自分が悪いわけでもないから、どこにも責任をぶつけられなくて。感情、不安だったり、焦りをどこにもぶつけられなくて、もうどうしたらいい?という感じでした」

マイノリティーの命はおきざり?

<スタジオ>

レモン:いやありえへんねんけど、その後どうなったん?

まこ:その後はもう、3日ぐらい経って、呼吸もしんどくなったりとか。まだ入院できないなってしまったので、もう自分で救急車を呼んで、そのまま搬送されて。

レモン:死の恐怖と隣り合わせになったってことでしょ?

まこ:そうですね。ほんと怒りたかったし、「なんでこうなるの?」みたいな。「私の命なにも考えてくれないのかな」とか、被害妄想じゃないけど、悪循環で。「私とかどうでもいいのかな」とか、思ってしまいますよね。

あずみん:めっちゃ共感するし、怖いよね。

まこ:普段あるものがなくなる。

あずみん:そう。私も濃厚接触者に2回なって、やっぱり、普段受けていた介助っていうのが100%は受けられなくなって普段通りの生活ができないってすごいストレスでした。

ハリー杉山:ちょっとまこさんに伺いたいなと思ったのが、ヘルパーさんに自分の想い、今具体的に何を感じてるのかとか、助けてほしいとか、そういう意思はちゃんと伝えられた?

まこ:そうですね、私はできなかったですね。何かあった時には、自分は人の手を借りて生きているから、「人に迷惑をかけて生きるな」みたいな、圧をすごく感じながら生きてきたので来てもらうのも申し訳ないなって思ったり、障害がある自分が悪いのかなとか。

レモン:なぜ、まこちゃんはこんな経験をすることになったのか、当時ヘルパーを派遣する事業所も大変だったと思うんですけども。

国の支援は、どうなっていたのか。厚生労働省は、障害福祉サービス事業所を管轄する都道府県に通知を出していた。十分な感染防止対策を前提として、必要なサービスが継続的に提供されることが重要とされていた。

そして、感染者に対応する事業所には、衛生用品の供給や、人材確保のための費用の補助といった支援策が提示されていた。でも、支援策を活用するのが難しい現場もあった。知的障害者の生活を支えとている北田さんの介護施設も、そのひとつだった。

北田:うちの施設では、強度行動障害と言われる重度の知的障害を持たれた方が多く通所されてますので、慣れた支援者でないとなかなか支援が難しい部分があるのではないかと。人材確保の支援があったとしても、実際に使うまでには至らなかったですね。

レモン:これではっきり見えてきたよ。もう当事者も苦しい、ヘルパーさんとか周りの人も苦しい、両者とも苦しい、でもマイノリティーの命を守らなあかん。どうしたらええねや?っていうことです。ハリーちゃんどう思いますか?

ハリー杉山:社会をそもそも支えているヘルパーの皆さんとか職員の方々とかそういった人たちを支えることができなければ、社会自体が崩れ落ちてしまうじゃないですか。

奥田:そもそも論ですよね。これは人の配慮とかやさしさとかそんなところに転化される問題ではなくって。私の世界でいうと、困窮とか貧困の世界だけど、経済の格差がものすごく問題になってきて、それは今はもう常態化している。それは「しかたがない」とか「我慢しろ」では済まないことであって、そもそも社会とは何かっていう話が問われているわけで。

玉木:大変な状況も当然わかるんやけど、日常から当事者も事業所もみんなが参画して、(福祉)がちゃんと機能していくように、していけたらいいかなって思うねんな。

レモン:ここまで、マイノリティーへの支援策について考えてきました。まこちゃんのケースでは、なんとか支援の手が得られていましたが、一方誰の支援も得られず孤立してしまったケースもあるんです。

家族の限界 孤立は防げなかった?

<VTR>

広島県に暮らす、新藤さん(仮名)一家。6歳から10歳まで、3人の子どもを育てている。

ゆみこ「たっくん バナナは?バ!」

たっくん「バ!」

次男のたっくんは、重度の自閉症。

たっくん「ふりかけやろっか」

こだわりが強く、決まったルーティーンがある。

ゆみこ「たっくんにはいろんなこだわりがありまして、いつもこのさけフレークを振ってからふりかけを振るんですけど、ここで順番を変えてふりかけを振ろうとすると、「違う違う」ということで。もうルーティーンが決まってまして

ルーティーンを崩されるとかんしゃくの元となってしまう。

スタッフ「怒っちゃうんですか?」

ゆみこ「そうですね、怒りますね」

晩ご飯は、いつもふりかけおにぎり。

ゆみこ「あぶない! こっちおいでこっち」

じっとしているのが苦手なたっくん。体を動かすのも特性のひとつ。

休日は、家族でスーパーに出かけることが何よりの楽しみ。お気に入りのお菓子をみつけると・・

ゆみこ「1個でいい。いいって1個で。こんなにいっぱいはいらん」

ついつい手が止まらなくなってしまう。これもたっくんのこだわり。

ゆみこ「これ大好きでいつもいっぱい買いたいって言って戦うんですよここで」

番組スタッフ「こうやってお母さんが戻すんですね」

ゆみこ「そうですね、こんなにいっぱいいらない。買えないので」

片時も、目が離せないたっくん。家族でケアを抱え込まないように、外部の支援が欠かせない。

平日は、特別支援学校に登校。放課後や休日は、デイサービスなどの通所施設を利用している。支援の手を借りながら、たっくんが落ち着いて過ごせる生活スタイルを模索してきた。しかし、去年1月。

一家を揺るがす、ある出来事が起きた。

たっくんが通うデイサービスで、コロナの陽性者が発生。たっくんも感染が疑われたため、自宅待機をすることに。さらに、きょうだい2人にも感染している可能性があったため、小学校や幼稚園を休まざるを得なかった。突然、自宅で過ごすことになった、母と3人のきょうだい。

いつもと違う状況に不安を感じたたっくんは、ある行動を始めた。

ゆみこ「この部屋にたっくんが私ときょうだいを連れてきて、ひとつの布団の中に入ろうっていって、押し込める」

寝室で、兄と妹を布団に閉じ込めてしまった。

さらに、叩いたり引っ掻いたりしてしまうことも。突然の自宅待機でルーティーンが乱れ、パニックを起こしていた。家庭内での解決に限界を感じた、母のゆみこさん。2人のきょうだいとたっくんが、別々に過ごせないかと考えた。そこで、ゆみこさんが頼りにしたのが地元の市役所だった。1時間近く相談を続けるも・・・。

「感染の可能性がある子どもを受け入れられる場所がない」と、支援は得られなかった。

精神的に追い詰められていたゆみこさん。ほかの支援先を思い浮かべる余裕すらなかったという。

ゆみこ「みんな大変な状況なんだから、家庭内でどうにかしてくださいって言われているような気持ちになりまして。でもどうにもならない現状を打破できないし、とにかくどうしたらいいんだろうって孤独でした」    

その後も続いた、たっくんのパニック。コロナの陰性がわかるまでの2日間、収まらなかった。感染拡大の陰で孤立した一家。家族だけでの対応に、限界を感じたという。

ゆみこ「自分は親ですから、できる限りのことはしたいし、やりたいと思っているんですけど、やっぱり背負いきれない部分があるので、そこはどうにか外部の手を借りて、サポートしてもらいたいなと思います」

<スタジオ>

レモン:1番辛かったのは、たっくん本人だと思うんですけど、お母さんの愛情も伝わってくるからVTR見て、さくらさんどうご覧になりました?

さくら:わかりすぎて。本当にお母さんの気持ちが。うちの子は、いつもだったら学校行ってデイサービス行ってとか景色が変わるから本人もストレスが分散されていた。ところが、ステイホームってなった途端、環境が変化することに弱い子どもってたくさんいるんですけどうちの子も例に漏れずで。

筋ジストロフィーの娘、真心さん(13)を育てるさくらさん。

コロナ禍で、特別支援学校の休校や、福祉サービスの休止が相次ぎ、娘の介助を家族だけで行う日々に感じたことがあった。

さくら:今までは若干、社会の中で生きられている感覚はあったんですよ。ただ、急に遮断されたときに、私たち(家族)で見なきゃいけないんだっていうことで、障害があることが本当に家族でどうにかしなければならないことっていうのが浮き彫りになったときにすごく孤独を感じてしまってすごく落ち込みましたね。

コロナ禍に、どんな支援が必要だったのか。

障害のある子どもを育てる家庭に、国や行政への要望を尋ねた調査によると・・・「障害児専用の相談窓口や支援の充実」を求める声が1番多かった。

レモン:奥田さんどう思われます?

奥田:これはもう日頃が問題なんですよね。「助けて」っていう言葉自体を私はもうちょっと安売りしていいんじゃないかな、と。あんまり意味を込めないで、深刻な場面で使わないで「助けて」ってことば自体のインフレを起こすっていうようなことから変えていかないと、「いざとなったら相談しなさい」っていうのは無理ですね。

ここまで、みんなのコロナの経験をたくさん聞くことができた。最後に、それぞれの立場から感じたことを語ってもらった。

まこ:私みたいに、ほぼ全介助の人がいろいろな福祉のサービス使いながら、いろんな人に少しずつ依存しながら、「地域で生活しているよ」っていうことをみんなに知ってもらうためにも、私はこれからも自立生活、地域生活を続けていかなきゃいけないなと思いました。

北田:どんなことがあっても、その当事者の生活支援を止めることがないように、平時からの準備っていうのが必要かな、という風に思っています。

奥田:今まで普通に流れてたところに、コロナっていう大きな石がボーンと打ち込まれて、やっぱりある意味、乱の状態。ぐちゃぐちゃになったと思うんですね。なんか我々は新しいものを見ようとしてるんではないかなっていう気持ちもしています

レモン:さあ、玉木さんいかがだったですか。

玉木:やっぱし具体的な声かけがあってはじめてどんな支援が必要なんか考えることができるし、普段から声をかける時に、僕もそうや。「玉木さん大丈夫?」って漠然と言われたら、「大丈夫」って言うねんな、僕もな。でも、本当に声かけるときは、「ご飯食べてるか」とか、「着替えどうしてんの」とか、具体的な事象を出して聞いていく。具体的に聞いてもらえることで、「あ、わかってくれてるんや」っていう安心にも繋がるん違うかな。ついつい良かれと思ってやさしいふりして、「大丈夫ですか」って言っちゃってる。そこに、やっぱ僕らは気づいて、僕らの日常をアップデートしていくということが大事なんかなって思ったけどな。

ハリー杉山:この3年間。圧倒的に、柔軟性がなさすぎな、現代社会が見えてきたと思います。じゃあどういうふうに今後変えていくかっていうと、もうほんとにシンプルに日常の一瞬からスタートしてもいいと思うんですよ。人に声がけするときにはね、シンプルにもうちょっと足を踏み込んで聞いてみようかなって思いました。

レモン:次回もやりますからね。それじゃあ次回も一緒に考えていきましょう。じゃあ今日はありがとうございました〜。ありがとう〜。

※この記事は2023年5月19日放送「新型コロナとマイノリティーの3年 振り返り編」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。