#ふつうアップデート俳優編SP 「神戸浩の40年(前編)」

NHK
2022年5月13日 午後11:00 公開

障害のある俳優のパイオニアであり、「バリバラ」ナレーター・神戸浩さん。その40年の俳優史を本人とともに振り返り、多くの監督、そして俳優に一目おかれるその理由を密着取材から解き明かす!

<番組の内容>

▶第1章 0〜19歳 誕生!俳優・神戸浩

▶︎“障害者へのステレオタイプ”な見方が変わる…

▶︎第2章 21~33歳 快進撃!映像の世界へ進出

▶︎名匠・山田洋次監督との再会

<出演者>

神戸浩さん(俳優)

秋元才加さん(俳優)

レモンさん(番組MC)

玉木幸則(番組ご意見番)

あずみん(番組コメンテーター)

<VTR>

先生「プッシュ!…」

生徒「うおー!」

先生「歌ってみろ!」

今年、アメリカ、アカデミー賞・作品賞に輝いた「コーダ あいのうた」。両親と兄の4人家族の中で、1人だけ耳が聞こえる高校生が主人公。家族の役は、実際のろう者である俳優たちが演じている。父親役のトロイ・コッツァーさんは、この作品で助演男優賞を受賞!「俳優になれるのは心身ともに健康な人」という、業界の“ふつう”を見事にアップデートした!

神戸「頑張ってみます」

実は、日本にも第一線で活躍を続ける“障害のある俳優”がいる。

神戸「放送はEテレ、金曜よる10時半!」。

バリバラのナレーターでお馴染み、神戸浩(かんべひろし)さん。生まれつき脳性まひがある。

神戸「いいですか?」

今年で芸歴40年。数々の映画・ドラマに出演してきた名バイプレーヤー!1997年には日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞した障害のある俳優のパイオニアだ!

その独特のキャラクターや演技は多くの監督、そして俳優たちから一目置かれている。

髙嶋「すごい感銘を受けましたね。こういう演技ってどうやったらできるんだろうって」

神戸「神戸塾、はじめまーす!」

さらに去年、俳優になりたい障害者を発掘・育成するプロジェクト「神戸塾」を旗揚げ!

神戸「考えないで、自分の中のものを出して頂ければいいかなと思います」

塾長として、業界で活躍できる後輩を送り出そうと模索している。神戸さんは「俳優になれるのは心身ともに健康な人」という“ふつう”をどうアップデートして、第一線で活躍してきたのか? その秘密を探るため、番組は初めて神戸さんに密着! 知られざる事実が、次々と明らかに。

山田「君がいなきゃ、できなかった映画だぜ」

神戸「涙が出て…。カメラが回ってるのに。なんだ」

「ふつうアップデート」俳優編。光と影が交錯する神戸浩の40年を2週に渡ってお届けします!

<スタジオ>

レモン「いやー今日はすごいぞー! 神戸浩さんが、どうして“障害のある俳優のパイオニア”になれたのか? 2週にわたってその秘密を探ります。よろしくお願いします」

あずみん「かわいい。今回のゲストは、俳優の秋元才加さん」

レモン「俳優、神戸さん、どういう人か知ってました?」

秋元「俳優の大先輩としてもやっぱり、素晴らしいそうそうたる作品に出てらっしゃいますし」

レモン「うん」

秋元「最近個人的にもやっぱり障害を、こう持った方々が俳優として、映画とかドラマに出演する機会が増えてるけど」

レモン「うん」

秋元「日本ってどうなのかなって考える機会が最近すごく多かったから」

レモン「今回ね、『ちょっと神戸浩の40年やろうよ』って神戸さんから言うてるんでしょ?」

神戸「そうだよ。なんで私は40年いたの?この業界」

レモン「自分がわからんから振り返りたいみたいな感じですね」

神戸「そうだよ」

秋元「そういうこと?」

あずみん「なるほど」

第1章0〜19歳 誕生!俳優・神戸浩

<VTR>

神戸さんが暮らすのは、愛知県・名古屋市。

神戸「こんにちは」

ここは、自宅の一部を改装して作った稽古場。これまで出演してきた映画やドラマの台本、ポスターなどが残っている。稽古の合間には、お気に入りのジャズを聴いて、リフレッシュするんだそう。

神戸「右手が不自由なもんで使えんのだわ」

神戸さんが生まれたのは、1963年。生まれつき手足のまひと発話に障害があり、幼少期から独特の声や体の動きをからかわれた。

神戸「みんなと動きもしゃべりも違うんだから、いじめはあるけど」

小学校から高校まで、普通学校に通った神戸さん。高校3年の時、進路の壁にぶつかった。

神戸「他の人は大学行く、合格する、社会人になる。それができなかったもんで」

大学進学を目指すも、結果は不合格。そこで、子どもの頃から憧れていた俳優の道を目指すことに!

神戸「こんチクショウっていうやつに、テレビに出れば有名に、見返してやれるって

思ったかもしれないね」

地元劇団のオーディション情報を探し、問い合わせたところ、こんな返事が。オーディションを受けなくてもそのしゃべり方では舞台に立てないよ…。情けなくて涙が出た。諦めきれない神戸さん、別の劇団を訪ね、直接売り込む作戦に!

神戸「七ツ寺共同スタジオ! 若い頃育った劇場です」

神戸「申し上げます、申し上げます!私、クマという旅芸人でございます。私がここに来たの…、覚えてるもんだね」

この小さな劇場で、運命を変える人と出会った!

障害者へのステレオタイプ”な見方が変わる…

神戸「想さん来た、やった!」

演出家で劇作家の北村想さん。神戸さんの芝居の師匠! 劇団の先輩だった小林正和さんと、妻のキャ呂さんも来てくれた! 話してくれたのは、高校3年の神戸さんが参加した演劇ワークショップでの出来事。

北村「質疑応答みたいなのがあったんだよな。それであなたが手を挙げて、演劇はリズムだって言われましたけど、僕はリズム全然ダメですって言って、言った時のしゃべり方がおかしなしゃべり方だったから」

神戸さんは“心身ともに健康な”参加者と北村さんの前で、「どうしても俳優になりたい!」と訴えた!

北村「だからどういうふうに見てもらえばいいんだって、僕は体で人を笑わせたいんですって言ったんだよな?」

神戸「言いました」

北村「それぐらいの覚悟というかね」

北村「ちょっと来いよって言って、そこから始めたんだよね」

神戸「そうですね」

「僕は体で人を笑わせたい」。強い覚悟を買われ、劇団に入った神戸さん。ところが先輩たちは、どう接していいか戸惑っていたそう。そこで北村さんは、神戸さんに慣れてもらおうと、全員参加のジェスチャーゲームを企画した!

北村「普通の人ならボールを投げるところを、彼ならこうやって…。なんだこれは。今、何をしてるんだ、こいつはって感じになるからさ」

キャ呂「おもしろいよ。私、面白いと思って。神戸に会うまでは、そういう人に会ったことないわけだから、頭の中で親切にしなくちゃなとかさ、手を貸してあげなきゃなとか、色々頭の中で考えていたんだけど、神戸にあったら、体で神戸を感じるわけじゃん。みんな一緒じゃんって思ったことある」

神戸「そうか」

神戸さんも片道1時間以上かけ毎日稽古場へ。積極的に先輩たちの輪に入っていった! そして、入団からおよそ1年、念願の初舞台を迎えた。北村さんのオリジナル戯曲「寿歌(ほぎうた)Ⅱ」。荒野をさすらう旅人たちの物語。

男性「誰や?出て来んか?」

神戸さんが演じたのは、話すことができない商人。

会場から惜しみない拍手が!

小林「神戸浩」

神戸「ありがとうございました」

この日、俳優・神戸浩が誕生した!

北村「神戸のような非常に特権的な身体というか、そういう人たちにも、舞台に出る市民権が生じてきたという。それはパイオニアといえばパイオニアだよね」

<スタジオ>

レモン「秋元ちゃんどうでしたか」

秋元「私たちって子どもの頃から、色んな作品見て、『こういう俳優さんになりたいな』とか、『演劇やってみたいな』っていう、その中で、どのタイミングで神戸さんは、こういう演劇やってみたいとか、こう、演劇にひかれた理由ってなんなのかなぁって思ったんですけど」

レモン「なんですか、神戸さん」

神戸「なんだろう」

レモン「ほら、こうやってすぐごまかす!」

秋元「えー教えてくださいよ!」

神戸「秋元さんは有名になりたいと思ったでしょ?業界」

秋元「私は正直、子どもの頃、母親がフィリピン人で、ミックスでちょっといじめられたりもしてたので、芸能界に入ったら、見返せるし、いじめた人たちを見返せるし、お金もたくさん稼げて大きな家に住めるって思って、憧れてたみたいなのはあります」

神戸「なにか近い感じ」

秋元「形は違えど、見返してやりたいみたいのがエネルギーで、今に至るところはあります」

神戸「あるんだねぇ」

神戸さんが見返してやりたいと思った人たち。その中には、家族も含まれていたんだそう。

神戸「『勉強しろ、勉強しろ』なんて、勉強して大学行っても、なぁ。高卒では立派じゃない。四大出ろ。そういう教育者だったですね」

レモン「四大出ろと」

神戸「はい。大学出れば、ちゃんとした企業に入れる。そんな感じ? で、落ちたから、もうハネちゃった」

レモン「あ、ということは、見返してやりたい一番最初は両親ですか?」

神戸「そうだな、オヤジだ」

“ふつう”に大学へ行き、“ふつう”に就職して欲しいと願った父への反発。そんな神戸さんの少年時代に、番組のご意見番・玉木さんは…。

玉木「うちは父も母も厳しい、厳しい家やったから、例えば、しゃべり方もゆっくり丁寧にしゃべろとか、字を書くときもきっちりと読めるように書けとか、そうやって、ずっと言われてきて。もっと自分も頑張れば普通になれるとか、神戸さんってその、小学校中学校高校時代に、自分の障害のことをどう思ってたんかな」

神戸「軽かったもんだから、真似されても軽かったもんだから、歩けたし、しゃべれたし、字は下手だけど書けたし、頑張れば社会に出れると思ってたな」

玉木「結局は障害のない人に近づけようとする力が強かったんかなって思うんやけども」

神戸「普通の親だと思う。そういうことおもうんじゃねぇか? 今、大人になって考えると、子供は普通に育って欲しいよな。演劇やらずに」

秋元「そういう考え方のご両親だと、演劇とかだと、安定してないから不安とか、演劇ばっかりやって、とかって…」

神戸「演劇を知らないオヤジ、オフクロだったから、その世界がわかんないのね」

秋元「理解はしてくださったんですか?」

神戸「理解はしてないのかしてるのか聞いたことはないけど…」

レモン「聞いたことない」

神戸「うん」

第2章は、舞台から映像の世界へ!神戸さんの“快進撃”が始まる!

第2章 21~33歳 快進撃!映像の世界へ進出

<VTR>

1980年代、北村想さんの劇団は、演劇界で注目を集める存在に! 神戸さんも、必要不可欠な俳優として順調に成長していった。

そんな中、あるオファーが。それは、CMの声優の仕事。独特の声が、関係者の目に留まった! 23歳で、映画「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」に出演。商業映画デビューも果たした。さらに…。1991年公開の映画「無能の人」。竹中直人さん主演・監督の作品で、神戸さんは物語の重要な役に抜てき! この映画で初めて賞を受賞した! 唯一無二の演技は、プロの俳優たちにも衝撃を与えた!

髙嶋「失礼します。髙嶋政伸でございます」

30年来の友人、髙嶋政伸さんもその一人。

髙嶋「独特の表現でしたよね。どうしてこういう表現になるんだろうっていう。思いは伝わってくるし、そこはかとない笑いが入ってるし」

髙嶋「もうだからお芝居がスッポンポンっていう感じですよね。全然服をまとってないっていうか。それがやっぱりできちゃうってすごいですよね。でも人ってそれを見たいんですよ。その人の素っ裸の姿を」

業界注目の的となった神戸さん。テレビドラマや、バラエティー番組など次々と出演! 収入もうなぎのぼり! 小さい頃からの夢だった高級車を稼いだお金で購入! さらに、ミュージシャンやタレントなど、芸能界の交友関係も生まれ、華やかな生活を送った。

神戸「すごい早かった。月日が経つのが。やってやって『あ、もう給料日』、やってやって『あ、またギャラ支給日』。そんな青春時代だった」

神戸「『飲みに行かな、あかん』『車を買わな、あかん』『服を買わな、あかん』。お金はあったもんね」

名匠・山田洋次監督との再会

「有名になって、周りを見返したい」という野望を実現した神戸さん。30歳を迎え、あの映画監督から出演オファーが! 山田洋次監督。日本映画史に刻まれる名作を数多く手がけている巨匠。神戸さんは、映画「学校」を皮切りに「男はつらいよ」シリーズなど、ヒット作に起用された。

神戸「お邪魔します」

この日、4年ぶりに山田監督と会うことに。

山田「こんちは」

神戸「こんにちは。ご無沙汰しております。ここのビルの監督のお部屋」

山田「初めて? そうだっけ?」   

神戸「監督、嬉しいですありがとうございます」

山田監督は、映画「無能の人」を見て、神戸さんの起用を決めたんだそう。

山田「不思議な役者がいるなと思ってね」「どういうふうな不思議かっていうと、しゃべり方だったな。なんだかゆっくりしてるんだよな」

山田「テンポ、そういうのが気持ち良くなるっていうかな。っていうことは、日常俺たちはずいぶんせかせかせかせかした生き方をしてるんだなっていうことを思わせるっていうかな」

山田「面白い役者だなって思ってね。それは最初だよ」

神戸「ありがとうございます。竹中さんに感謝ですね。監督が初めて見てくれた」

1996年公開の映画「学校Ⅱ」。北海道の高等養護学校を舞台にしたヒューマンドラマ。神戸さんは、西田敏行さんなど大物俳優たちと並ぶメインキャストに大抜擢! この作品で、日本アカデミー賞、優秀助演男優賞を受賞。障害のある俳優が、権威ある賞に輝いた! ところが・・・。

神戸「25年ぐらい前の映画なんですけど見られない映画です」

山田「やっぱそうか。大きい役だから君も相当緊張して演じなきゃいけないと思ってたんだな」

神戸「まだ25年経った今でも見られない映画ですね」

実は、リハーサルでNGを連発。撮影スケジュールを大幅に遅らせてしまうという苦い過去が…。

山田「『学校Ⅱ』は知的障害者の子どもたちの学校だからね。だから君もいっそう緊張したところがあるんじゃないかな」

神戸「はい、緊張しました。台本の役の名前が寮のベッドにも久保佑矢くんっていう人が

いたもんで」

山田「そう。本当に佑矢くんがいたんだな」

神戸さんが演じた役にはモデルがいた。知的障害のある久保佑矢さん。実は撮影前、本人と会って話をしていた。

神戸「この人をまねしなきゃいけない。失礼で久保さん、ごめんなさい。そんなことを考えてたんですね」

山田「まねはよくなかったな。なろうとしても、佑矢は重い障害持ってるからさ。とても近づけないよ。そりゃ。わからない世界に彼、生きてるんだもんな」

神戸「はい」

山田「たぶん、それがきっとね。1人、こう、芝居してるっていうかな」

神戸「そうですね」

山田「それはね。だから、納得いかなくて、しつこくやるよね。NG出したかもしれないね」

神戸「僕ができなかったのが、ほんとにつらかったです」

山田「あなたが普段のあなたであってほしいっていうところがあるわけだな。それは、宮沢りえであれ、木村拓哉であれ、それは渥美清であれ、高倉健であれ。あなたはあなたっていう人間なんですと。神戸浩は神戸っていう人間なんだ。それが大事なんだよな。それ以上でも、それ以下でも何でもないし」

神戸「ありがとうございます。僕みたいな障害のある人がいないもんで、使われて嬉しかったです」

山田「僕のほうだって、君という役者がいるからとても助かってるわけでさ。君がいなきゃできなかった映画だぜ」

神戸「はい」

山田「これだってそうだよな」

神戸「涙が出て…。いかんな。なんでだろ? カメラが回ってるのに。なんでだ?」

<スタジオ>

レモン「神戸さん」

神戸「なに?」

レモン「どうしたんですか、感情が急に溢れ出てるじゃないですか」

神戸「『学校Ⅱ』久保佑矢くんは、神戸しかいない。嬉しかったです」

レモン「対談してるときに行ったディレクターから直接聞いてますけど」

神戸「おう」

レモン「山田洋次監督は、『俺は障害者を使ったつもりはない』って言ったんすよ」

神戸「言ったよな」

レモン「神戸ちゃんっていうのを使った」

神戸「役者をなぁ〜、もう役者になってたんだよな、10何年」

レモン「あれってどう響きました?」

玉木「神戸さんが泣く前に僕が」

レモン「泣いてる」

玉木「泣いとって、重たすぎて。僕ようコメントできんわ」

レモン「どう刺さったんですか?」

玉木「神戸さんは障害のある神戸浩では生きてはきてなかったんかなって思ってて、決して神戸さんが脳性まひやから使ったわけじゃないって言うのは、あのコメントでごっついわかったね」

レモン「そろそろ、見よっかな〜みたいな。ないっすか?」

神戸「一人では見れねぇな」

レモン「一人では」

玉木「じゃあ一緒に見たら」

レモン「一緒に見に行こう」

障害のある俳優のパイオニア、神戸浩の原動力は、父親など周りの人たちを見返したいという強い願望だった! 出発点は舞台。独特の声や身体表現が業界の注目を集め、90年代、商業映画やテレビドラマに進出し大活躍!しかし、この後、神戸さんに俳優人生最大のピンチが…!

後編に続く

※この記事は2022年5月13日放送「ふつうアップデート俳優編SP 神戸浩の40年(前編)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。