障害のある俳優のパイオニアであり、「バリバラ」ナレーター・神戸浩さん。その40年の俳優史を本人とともに振り返り、多くの監督、そして俳優に一目置かれるその理由を密着取材から解き明かす! 後編
<番組の内容>
▶第3章 34〜39歳 挫折…そしてアップデート
▶︎俳優・神戸浩の“居場所”
▶︎最終章 40〜58歳 確立! 名バイプレーヤーに
▶︎“ふつう”を求めた父へ…
<出演者>
神戸浩さん(俳優)
秋元才加さん(俳優)
レモンさん(番組MC)
玉木幸則(番組ご意見番)
あずみん(番組コメンテーター)
第3章 34〜39歳 挫折…そしてアップデート
<VTR>
「ふつうアップデート」。バリバラのナレーターでおなじみ、神戸浩さんの俳優人生を振り返るシリーズ、後編!今年、芸歴40年。数々の映画・ドラマに出演してきた障害のある俳優のパイオニア! 脳性まひ特有の声や動きによる唯一無二の演技は、日本を代表する映画監督や俳優たちから高い評価を受けている!
山田「面白い役者だなって思ってね。テンポが気持ち良くなるっていうかな」
髙嶋「お芝居がスッポンポンって感じですよね。どうやったらできるんだろう?」
さらに去年、俳優になりたい障害者を発掘・育成するプロジェクト「神戸塾」を旗揚げ!
自分に続く後輩を送り出そうと模索している!
神戸さんは、「俳優になれるのは心身ともに健康な人」、という“ふつう”をどうアップデートしてきたのか? 幼少期から30代前半までを振り返った前回…。始まりは1980年代前半、地元・名古屋の北村想さんの劇団で、舞台俳優としてデビュー。
小林「あんさん、口きけへんの?」
神戸「うん」
その原点は…。
神戸「高卒では立派じゃない。四大出ろ。落ちたから、もうハネちゃった」
レモン「ということは、見返してやりたい。一番最初は両親ですか?」
神戸「そうだな、オヤジだ」
声や動きをからかった周りの人、そして、「ふつうに大学へ進学して就職してほしい」と望んだ父親を有名になって見返したい! そんな野心を胸に神戸さんは、80年代後半以降、映画・ドラマ・CMなどで大活躍! 業界注目の存在となり、収入もうなぎ登り! 華やかな芸能界の交友関係や、夢だった高級車を手に入れた!
神戸「車を買わな、あかん。服を買わな、あかん。お金はあったもんね」
さらに1996年、名匠・山田洋次監督の映画「学校Ⅱ」のメインキャストに大抜てき! この作品で、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞!順風満帆な俳優人生に思えた…。しかし、この後、最大の危機が…! 「ふつうアップデート俳優編・神戸浩の40年」後編スタート! 第3章は90年代後半、神戸さんが味わった挫折とアップデートに迫る! 映画「学校Ⅱ」出演後、これまで経験したことのないある変化が…。
神戸「他の演技者にもあることなんだけど、飽きられるっていうことがあるんだな。二時間映画に出てるんだから、そりゃ飽きられる」
20代から途切れることがなかった映画やドラマの出演オファー。それが30代半ばで激減した。俳優の仕事は年2、3本ほどに。声がかかるのは役名のない端役ばかり…。華やかな芸能界から遠ざかり。収入も大幅ダウン。夢だった自慢の高級車も手放した。時間をもてあますようになり、こんなことを考えるようになった。
神戸「そのあとは生活基盤を作るようにしたよな。車、高いやつじゃなくて、年相応の車を乗るとか。親を大切にするとか、役者以外のことを考えてた感じがします」
神戸さん、毎日の暮らしをイチから見つめ直した!
神戸「これはいくらですか? イワシいくら?」
女性「350円です」
これまで外食ばかりで、朝まで飲み明かすことも多かった食生活を身の丈に合わせ、自炊中心の生活に!
神戸「ありがとうございました」
そして、20代から始めていたホテルの仕事を増やし、毎月安定した収入を確保! 俳優業で稼げなくても、ふつうに生活が送れるよう、現実的な形へアップデート! 演技にもイチから向き合うように。基礎から鍛え直そうと、借金をして、自宅に稽古場を設けた!
神戸「役者は(稽古場が)ないといけないようなものかなと思って」
この先、出演オファーがなくても、稽古だけは続ける」
覚悟を決め、毎日欠かさず発声練習に励んだ。さらにこの頃神戸さんは、地元・名古屋で初めての自主公演を開催。挑んだのは、声だけで演じる朗読劇。友人で俳優の髙嶋政伸さんも共演者として駆けつけてくれた!
神戸「演技者としての原点はしゃべりだと思うんですよ…。画が見えずにどうやって声だけで勝負するか。すごく今、悩んでいるんですけど、それをどうしてもやりたかった」
演技を原点から見直し、芝居と向き合う姿勢もアップデート! すると、あの監督から再び出演オファーが舞い込んだ!声がかかったのは、山田洋次監督が十年の構想を経て挑んだ映画「たそがれ清兵衛」。神戸さんの役は主人公の武士の家に住み込み、雑務をこなす中間・直太。この作品のプロデューサー・山本一郎さんは、事前に山田監督から配役について聞いていたそう。
山本「『この脚本、直太は神戸さんだよ』と山田さんから聞いていましたね。原作にはないと思うんです、直太っていうのは。あれは映画『たそがれ清兵衛』のために、あった直太って役ですよね」
原作には登場しない中間・直太。この役は、山田監督の強いこだわりによって生み出された。
山田「この時代の一番根底にあった、不合理な身分制度みたいなものの上に成り立ってるドラマだからね。その身分制度を表現するのはやっぱり中間っていう役なんだ。中間・直太を演じるのは、神戸しかいない」
監督の期待に、神戸さんは芝居で応えた!
山田「それこそ必要なときに必要な芝居をする。必要じゃないときは目立たない。そういう
難しい演技力を要求されたんだけど、このときは、ちゃんと君はそういうのを見事にできてたんじゃないかな」
神戸「お稽古だいぶしました。お芝居したいもんで ちゃんと発声練習でなおして、しっかりしゃべろう、しっかり歩こうとか気を付けて」
山田「なるほど。やっぱりしっかりしゃべろうとしてるということなんだな。 君の語り方のある種の説得性はな」
神戸「朝起きて仕事がないときは、ちゃんと発声練習。『あめんぼ あかいな あいうえお』とか自分の稽古場、自分で作っちゃいましたね」
山田「よく僕が俳優に言うんだよ。『自分がどんな声でしゃべってるかを自分でいつも聞いてなきゃダメだよ』って。だから、同じように自分がどんなふうに今動いてるか、どんな動作をしてるか、常に意識してなきゃいけないとかな。君なんかずっとそれ努力してるわけだよな。それをな」
神戸「そうですね」
山田「それが自然の証しなんだな」
大きな挫折を乗り越えて生まれたアップデート。神戸さんは、俳優として新たなステージに登った!
<スタジオ>
レモン「さあ!『俳優になれるのは心身ともに健康の人』という普通をアップデートするシリーズの特別編でーす。ゲストは前回に続いて、俳優の秋元才加ちゃん、お願いしまーす」
秋元「よろしくお願いしまーす。我こそは、源義仲が一の家人、巴なり」
ゲストは、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、強く気高き女武者・巴御前を演じる秋元才加さん。
レモン「秋元ちゃんいかがだったですか?」
秋元「素敵なVTRでしたけども。努力をしてるのが自然の証しなんだなっていう言葉が、自分の中でかみ砕いて…。お芝居自体が元々不自然なことを自然にやるっていうことだから、すごく深い言葉だなぁって」
<俳優・神戸浩の“居場所”>
レモン「玉木さん、どうなんですか? 神戸さんのアップデート」
玉木「一つ聞きたいのは、ホテルっていつから勤めてたんですか」
神戸「21」
玉木「21。じゃあそれだけ関係性がある中で、仕事が減っていってもホテルで働くことができたっていうことかな」
神戸「がんばりました」
秋元「21歳からなんですね」
神戸「厚生年金っていうものがありまして。ちゃんと25年30年、よく覚えてないんだけど、年金をもらえる資格も取ったんだな」
レモン「どやったかね? あずみん」
神戸「何」
あずみん「はい。実はですね。当時神戸さんと同じホテルでね、働いていた、同僚の髙栁正則さん」
レモン「覚えてますか?」
神戸「髙栁、変なこと言うなよ」
実は神戸さんにナイショで、当時の同僚・髙栁正則さんに、手紙を書いてもらった!
あずみん「神戸さんには、ホテルの館内修理の助手として働いてもらっていました。ロビーの天井の照明を交換するときは、高所作業車を運転し、ハンドルを回してリフトを上げたり、移動したりしたりと頑張ってもらいました」
あずみん「また、女性と食事に行った写真や、芸能人とのツーショット写真を見せてもらったことも覚えています」
神戸「おい!」
レモン「女性との写真とかを、見せびらかしてたと」
神戸「そんなことありましたね。髙栁正則、コンチクショー! こんなメールを!」
玉木「聞いてて思ったんが、神戸さんの場合は若い時代からそこに働いてたから、働く場所っていうのも、元々あるから、安心して戻って行けたんかなって思うんやけど、そこはどう思います?」
神戸「そうです。戻れました。自分はね、居場所を作るんだな。作ったんだな。色々あったけど、楽しかったんだな。だから勤めちゃったっていうふうです」
あずみん「神戸さんにとって、俳優もすごい責任持ってやってたし、ホテルでの仕事も責任を持ってやってた。同じくらい大事にしてたってことですか?」
神戸「そうだと思うよ」
ここで、秋元さんから俳優の先輩・神戸さんに聞いてみたいことが。
秋元「あれだけ30代前半、賞とったりいろんな作品たくさん出て、悔しいなって思いだったり、自分のプライドが許さないみたいななんか葛藤はあったりしたんですか?」
神戸「おー、テレビ映画の世界が神戸を求めてないんだから」
レモン「そういう感覚だったんだすね」
神戸「悔しいから、コンチクショウだな。18とか19の時みたいに。何かやっとかなあかんかなっていうのかな、ない?」
レモン「準備?いつ呼ばれても行けるように」
神戸「肉体訓練、ジム行ってるじゃん。行ってる?」
秋元「はい」
神戸「そんなことをやってるんですよ。そういうことやんないといけないような」
最終章 40〜58歳 確立! 名バイプレーヤーに
<VTR>
いよいよ最終章! 名バイプレーヤーとしてポジションを確立!そして、現在へ…。
神戸「今から映画観に行くよ」
神戸さんは40代になると、安定して、映画やドラマの出演オファーが届くように。
2010年には、「NHK、連続テレビ小説」にレギュラー出演!その後も一つ一つ実績と信頼を積み上げ、今や映画やドラマに欠かせない名バイプレーヤーに!
神戸「お金だけの役だったらやんないな。ほんとで必要であれば玉木さんみたいにバリバラ出るけど、自分も必要であればお芝居やるかな。そういうふうに考えて考えてやっていかないと、ダメになるような気がします」
一方で、今年59歳。脳性まひの二次障害による「体の衰え」を年々感じている。
神戸「腰と足、弱ってくるんだよね。健常者も障害者もいろんな病気にもなる歳なんだけど、健常者も二次障害って言わねえもんな」
障害のある俳優のパイオニアとして、40年。今も第一線を走り続ける神戸さん。去年から、ある挑戦を始めた!
神戸「神戸塾、はじめまーす!」
俳優になりたい障害のある人を発掘・育成するプロジェクト「神戸塾」を旗揚げ!
神戸「考えないで…自分の中のものを出していただければ、ええかなと思います」
自分に続く後輩を業界へ送り出そうと、日々模索している!
<スタジオ>
神戸「神戸の後がなんで出ないのかっていうのをバリバラでやってほしいですね」
玉木「今回なんで四十年も神戸さんが俳優をやり続けてるんか。根拠にお稽古っていうのはあるんかなって思うんやね」
神戸「稽古、稽古、稽古だな。動く、動くで。声も稽古、稽古、稽古だと思うんだけどな。小学校の学生の頃、学習すれすれってみんながオヤジオフクロが、言ったけど、嫌だったけど、お芝居は稽古、稽古ってやんなきゃいけないもかなと僕は思います」
“ふつう”を求めた父へ…
神戸さんが俳優を40年続けられた理由を知った玉木さん。でも、まだ気になることが…。
神戸「高卒では立派じゃない。四大出ろで、落ちたから、もうハネちゃった」
レモン「あ、ということは、見返してやりたい一番最初は両親ですか?」
神戸「そうだな、オヤジだ」
それは、「ふつうの進学・就職」を望んだ父親との確執について…。
玉木「大人になって苦労しながらでも神戸さんが活躍してる姿を見た時に、お父さん、お母さんはなんか言われてましたか」
神戸「大企業に勤めてた父親は、舞台は一回も見にきてない。映画も一回も見てない」
神戸さんの父親は8年前、この世を去った。生前、今でも忘れられないこんな出来事が。
神戸「息子の映画『無能の人』にワンカット出てるんだわ。
秋元「え?父親…、ご両親がですか?」
神戸「父親だけね。竹中さんと風吹さんが入ってる風呂をのぞいてるのがオヤジで」
出世作となった映画「無能の人」。この作品になんと、神戸さんの父親も出演していた!
神戸「企業を退職して遊んでたもんで、父親を連れてったら、竹中さんが『神戸、お父さん
出そか』って。そんなことがありましたね」
玉木「ほなその時のお父さんは『いやいや』とか言わんかったの?」
神戸「出る出るって言って」
秋元「じゃあ嬉しかったんじゃないですか」
神戸「嬉しかったんかな」
玉木「いや、そうでしょう」
レモン「ほんとは、神戸さんみたいに生きたかったんちゃうかくらい思います僕は」
神戸「ほんと? けど、できなかったのかな。昭和のオヤジっていうのはな」
玉木「今の神戸さんの姿を見たときに、どう思ってはるんやろかなって」
神戸「自分も『無能の人』は見れるんで見てるけど、父親の姿を見て、見たら思ってるけど、答えは出ねえね。なんで出たんかなと。答えはね出ねえんだ」
神戸「たまちゃんが、オヤジ、オフクロのこと産んでくれてありがとうって本が出てたけど、なんで玉ちゃんは産んでくれてありがとうって思ったん?」
玉木「ええ、僕ですか? やっぱし今自分があるってことはお父さん、お母さんがおらんかったら今がない訳やから。1960年70年80年代の環境のなかで、産まれてこない子もいっぱいおったなかで」
神戸「おったね」
玉木「ちゃんと僕らは産まれてきたし、今があるからやっぱそこは感謝せなあかんなって思ったんですよ」
神戸「神戸もこの場を借りて…、産んでくれてありがとう。ごめんなさい」
玉木「ほんとは生きてはる時に言いたかったん違うかな」
神戸「そうだな」
障害のある俳優のパイオニア「神戸浩の40年」まとめ
<VTR>
出発点は舞台。独特の表現が注目され、20代で映像の世界へ! その後、名だたる映画やドラマで大活躍! 権威ある賞にも輝いた! ところが30代半ば、俳優の仕事が激減。毎日の暮らしと、演技をイチから見直し、自らをアップデート! 大きな挫折を乗り越えた! そして、40代以降、名バイプレーヤーとして唯一無二の地位を確立! 現在は、俳優になりたい障害のある人を発掘・育成する神戸塾の塾長として挑戦を続けている。そんな神戸さんの俳優人生を見つめる人が…。神戸塾の塾生だ! 後輩たちに、先輩の姿はどう映ったか、聞いてみた!
関岡「俳優の仕事をしてない時でも、生活ができるように基盤っていうのは、作っておかないとだめだなってことが改めて感じました」
前田「自ら動いていくことが頑張ればできるのかなと思ったので、自分ができることを探すことができるのかな」
太田「私は勇気が一歩踏み出せないことが多くて、神戸さんも初めての時は、自分から劇団に売り来んだって言っていたので、自分から行動していく必要があるのかなってとても思いました」
「偉大な先輩の後に、自分たちも続きたい!」決意を新たにする塾生たち。ところが~!?
※この記事は2022年5月20日放送「#ふつうアップデート俳優編SP・神戸浩の40年(後編)」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。