バリバラご意見番の玉木幸則がマイノリティの現場を訪ねる「玉木幸則のマイノリティーワンダーランド」。今回は、京都市内の朝鮮学校を訪問。ヘイトスピーチなどを体験した若者たちと出会う。2015年に国連で採択され、2030年までのSDGs実現を掲げた『2030アジェンダ』で述べられた「人種、民族及び文家庭多様性に対して尊重がなされる世界」をどうすれば実現できるのか考える。
<番組の内容>
▶︎玉木の朝鮮学校探訪
▶︎保健室から考える「在日コリアンの子どもたち」
▶︎民族教育と朝鮮学校の歴史
▶ヘイトスピーチの衝撃
▶︎卒業生座談会 「多様性社会に必要なこと」
<出演者>
文峯秀さん(京都朝鮮初級学校 学校長)
曺元実さん(京都朝鮮初級学校 養護教員)
ちいんさん(朝鮮学校卒業生)
りょんさん(朝鮮学校卒業生)
よんりんさん(朝鮮学校卒業生)
玉木幸則(バリバラご意見番)
いろいろな人たちが暮らすこの社会。でも「みんな違ってみんないい」とはなっていないのが現実。「違いを認め合えるって、どんな社会?」ヒントを求め、バリバラご意見番の玉木幸則が向かったのは朝鮮学校!
全国に60以上ある最も規模の大きな外国人学校であり、民族の言葉や文化を伝える民族教育の場。しかし、それは常に危機にさらされ続けてきた。
玉木幸則のマイノリティーワンダーランド、今回は朝鮮学校から多様性社会を考える!
<玉木の朝鮮学校探訪>
玉木さんが訪ねたのは、京都市にある京都朝鮮初級学校。日本の小学校にあたる。9年前にできた新しい校舎で、朝鮮半島にルーツを持つ72人の生徒が学んでいる。韓国籍、朝鮮籍のほか、日本国籍の子どもも1割を占めている。
文校長「学校長のムンです。朝鮮学校へようこそ」
玉木さんを迎えてくれたのは学校長の文峯秀(ムン・ボンス)さん。今日は文校長の案内で学校を見学させてもらう!まず見学したのは1年生の「国語」、朝鮮語の授業だ。
先生「口の形の練習からハゲッソヨ(やりましょう)」
生徒「あ、や、お、よ、お、よ、う、ゆ、う、い」
朝鮮学校の最大の特徴は、朝鮮語の習得に力を入れていること。特に低学年は、年間300コマが国語(朝鮮語)の学習に当てられている。
1年担任「あい、おい、う、ゆ」
1年生たち「あい、おい、う、ゆ、あい、おい、う、ゆ、あい、おい、う、ゆ」
文校長「基本この10個の形をしっかり押さえて、そこからいわゆる応用編に進む形です」
玉木「難しいね」
休み時間の1年生に話を聞いてみた。
ディレクター「家では朝鮮語使うの?」
1年生たち「家ではほとんど話さない」「ウリマル(朝鮮語)はほとんど使わない。ごはん食べるときだけ」
1年担任「結構大変だと思いますね、朝鮮語しか聞こえてこないわけですから。結構ストレスだと思いますよ。何言ってるかわかんない、みたいな感じはあると思います。でも2学期3学期になると一気にしゃべるようになります」
ふだんは日本語で生活している子どもたち。でも学校では、日本語の授業以外は、原則としてすべて朝鮮語なんだって。
廊下に出た玉木さんを見つけた生徒たちが集まってきた。
文校長「玉木さん、この子、何か玉木さんに聞きたいことあるみたい」
女生徒「どういう障害があるんですか?」
玉木「お、難しいこと聞くやん。脳性マヒって聞いたことある?」
女生徒「うん、見たことある。YouTubeで見た。身体が動かなくなったりとかやろ」
生徒は玉木さんに見てもらいたいものがあるという。
玉木「手話? 手話ってこうやるやつ?」
女生徒「私の名前はアラン」
文校長「え、すごい!」
玉木「どこで覚えたん?」
女生徒「YouTubeとTikTok」
文校長「いま何でもYouTubeで覚えられる!?」
玉木「みんな元気やなあ」
朝鮮学校の子どもたちにとっても、インターネットは生活に密着したものになっているみたい。
6年生の教室では、古代から現代に至る朝鮮半島の歴史について学んでいた。この日は高句麗と新羅、百済が並び立った三国(さんごく)時代の勉強。
先生「・・・・コグリョ(高句麗)」
文校長「三国で滅亡する順番を予想してみようという」
玉木「なるほど」
1年生から学ぶ朝鮮語や音楽とともに、高学年で習い始める朝鮮の歴史や地理などは、いわゆる「民族科目」と呼ばれている。こうした科目を学ぶのも朝鮮学校の特徴だ。カリキュラムについて文校長に聞いてみた!
玉木「教科書いろいろありますけど、これは日本全国の朝鮮学校で統一されているんですか?」
文校長「あ、はい。教科書は朝鮮学校で統一されています。日本の学校で学習指導要領が変わると、全国にある朝鮮学校の先生たちの中で、科目ごとにその科目を得意とされている先生方が集まって教科書の編さんに入るんです」
どんな教科書を使っているのか見せてもらった。4年生の社会では、日本の地理を勉強する。地図の見方から、日本の気候風土や産業など、日本の教科書とそう変わらない。
5年生では教科書の3分の2が日本の歴史だ。かつて朝鮮学校では、日本の地理や歴史はほとんど教えていなかった。しかし2000年代以降、教科書の内容は大きく変わってきたのだという。
文校長「この朝鮮学校の教科書に「大韓民国」っていう表現が入ってるんですね、ここに」
玉木「本当やね」
文校長「本当に一昔前までは、朝鮮学校では、基本は『北』のことを教えて、『南』のことは教えない、ほとんど触れなかったんですけれども。例えば大韓民国から来られたニューカマーの方が入学してきたりとか、保護者の方のニーズだったりとか、そういったことを考えたときに、朝鮮半島は、もともと一つの国であって、『北』も『南』もどちらも我々としては、これから祖国として考えていきたいというふうな思いは持っていますので。もちろん、学校としての立場であったりとか、朝鮮と朝鮮学校の関係は歴史的に深いものがもちろんあるんですけども、本当にこれからを考えたときに、『北』も『南』も両方を知れる立場にいるっていうのが、逆に我々在日朝鮮人の強みだと思っているんですね」
玉木「なるほど」
<保健室から考える「在日コリアンの子どもたち」>
玉木さん、廊下の先に何か見つけたみたい・・・
玉木「あ、ここ保健室だ。こんにちは。よろしくお願いします」
曺さん「こんにちは。よろしくお願いします」
玉木「よろしくお願いします。玉木です」
曺元実(チョ・ウォンシル)さん。去年4月から、養護教員として勤めている。「朝鮮学校には子どもたちが安心できる場所、SOSを出せる場所が必要」だと考えているチョさん。それは名古屋の朝鮮学校に通っていた中学高校時代の経験からだという。
曺さん「やっぱりチマチョゴリ(の制服)を着て電車に乗ると、同じ車両に乗っている人たちから、じろじろ見られるっていうのは、珍しいことではないですね。あとは電車に乗りながら、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で何か「ちょっと気持ち悪いよね」とかって言われたことも。歩いていたら、横を通り過ぎたトラックの運転手さんが、「死ね」って私たちに叫んできたりしたこともありました。
でも大学生になったときに、私服で初めて電車に乗ったら、当たり前なんですけど、誰も私のことを見なくて」
玉木「これまで何やったやろうなって感じ」
曺さん「そのときに、私どんなにしんどい思いして、毎日学校に行っていたんだろうって。そう思えば、私、学校に着く頃にはヘトヘトだったなっていうのに初めて気づきました」
日常的に緊張を強いられることが少なくない在日コリアンの子どもたち。だからこそ、辛いとき、傷ついたときに、思いをはき出せる、保健室のような場所が大切なのだとチョさんは言う。
曺さん「私はいま保健室の先生として、この学校の子どもたちには『強くなりなさい』っていうのと、『頑張れ』っていう言葉はかけないようにしているんです。『助けて』とか『怖い』って言えないっていうのは、すごい怖いことだと思うんですよね。差別とか周りからの反応に対して、殻に閉じ籠もって、鎧(よろい)だけ、どんどん分厚くしていくのは、やっぱり強いとは言えないと思うんです。在日朝鮮人って、いろんな人もそうですけれど、プラスの面で肯定されて作られるアイデンティティーと、否定されて否定されて作られるマイナスのアイデンティティーって、二面性を持っていると思っていて。朝鮮学校はプラスの部分で一生懸命アイデンティティーを育もうとしてくれてるし、実際、私もそういう部分は朝鮮学校から学んできたんですけれど、通学路で差別の言葉を受けることで『私は日本人ではない、在日朝鮮人なんだ』って自覚したりとか。そういうふうに、排除されていって作られるアイデンティティーってすごく良くないと思っているので。それが、在日朝鮮人にはあり得る危機なのかなっていうのは、すごく思うんですよね」
学校の一室に女性たちが集まっていた。生徒の「お母さん=オモニ」たちだ。この日は、バザーに出す調味料をつくっていた。公的補助の少ない朝鮮学校では、人件費など運営費の6割以上を寄付金に頼っているのが現実なのだ。
オモニ「オモニ会活動はすごい昔、学校ができた頃からあるんで。なかなかこのオモニたちのパワーが無いと学校も大変なので、いろいろ財源を集めたり、そういうことをさせてもらっています」
先生・生徒・保護者・卒業生、・・・。朝鮮学校を支えているのは「私たちの学校=ウリハッキョ」という意識だ。
<民族教育と朝鮮学校の歴史>
朝鮮学校の歴史は日本の植民地支配が終わった1945年にさかのぼる。当時の在日コリアンは約200万人。長く朝鮮語を学ぶ場が失われたため、朝鮮語を話せない子どもたちが少なくなかった。そこで帰国しても困らないよう朝鮮語を学ぶ、「寺子屋的な」学校が全国各地で生まれていったのだ。これが朝鮮学校のはじまり。
ところが東西冷戦が激しくなった1948年から50年にかけ、全国の朝鮮学校はGHQと日本政府によって強制的に閉鎖。朝鮮人の児童・生徒は日本の学校に分散して編入されることになった。当時の在日コリアンはまだ日本国籍を持っており、義務教育を受けなければならないとされたのだ。それでも民族教育を求める声は強く、公立学校に設置された朝鮮人学級や課外授業での民族学級などが生まれたり、あるいは民家などで自主的に教育を続けた学校も少なくなかった。
1952年サンフランシスコ講和条約が発効、在日コリアンは強制的に日本国籍を剥奪され、朝鮮籍とされた。一方で、徐々に各種学校としての認可を受ける学校も生まれてきた。
1959年、日本と北朝鮮の赤十字社による人道事業として、帰還事業(帰国事業)が始まる。北朝鮮から多額の教育援助費が届き、授業料が安くなったこともあり、朝鮮学校への入学を希望する人たちも増えていく。この時代には新しい校舎も次々と建設された。朝鮮学校は、帰国も見すえた場所だったのだ。
やがて帰国する人は減り、在日コリアン社会が朝鮮学校に求める役割も変わってきた。今では「朝鮮人としての自覚」を持ちながら日本社会で生きていく。そのための教育の場となっている。
<ヘイトスピーチの衝撃>
京都の朝鮮第一初級学校。13年前、平日の昼間、授業中にも関わらず、拡声器をもった男たちが押しかけてきた。
「何が子どもじゃ、われ」
「スパイの子どもやないか」
男たちは1時間近くにわたり、正門前で差別的な発言や暴言、ヘイトスピーチをくり返した。
「北朝鮮に帰ってくださいということなんですよ」
「帰れ、帰れ」
当時、教員として対応した金志成(キム・チソン)さん。誰もヘイトスピーチを止められなかったことに大きなショックを受けたという。
金さん「一応警察の方に対応してもらおうというような形の段取りをしていたんですよね。
ただ警察が来たあとも。彼らのそのヘイトスピーチが止まらなかったので、こちらも動揺しましたし、子ども達に聞かせたくない言葉を一時間ずっと言われた状態を防げなかったった。日本の社会ではこういうのが止められないのかなって、不安っていうか恐怖心はありました」
その後も2度に渡ってヘイトデモがくり返され、その様子はインターネット上に公開された。「誰も守ってくれない恐怖」保護者や子どもたちは不安な日々を送った。
金さん「電車に乗るのが怖いから保護者の方にお迎えを頼むような子どももいましたし、やはり通学の間に何かあったらどうしようって思う期間がとても長く続きました」
事件の半年後、学校側は学校前で街宣を行った団体と個人を相手に、学校への街宣行動の禁止と損害賠償を求めて民事裁判を起こした。判決は学校側の全面勝利。一連の行動は、学校の業務を妨害し、名誉を損なう不法行為。同時に人種差別撤廃条約で禁じられた「人種差別」に当たると指摘、判決内容にも反映された。高裁では「民族教育を実施する場」であると全国の朝鮮学校の存在意義を認定、最高裁で確定した。この事件を一つのきっかけにヘイトスピーチへの関心が高まり、2016年には「ヘイトスピーチ解消法」が制定された。
<卒業生座談会 「多様性社会に必要なこと」>
事件当時、学校にはおよそ150人の生徒がいた。当時小学生で、その場に居合わせた3人に話を聞いた。
ちいんさん、朝鮮中学を卒業後、日本の高校・大学に進学。現在は金融機関に勤めている。
りょんさん、朝鮮高校卒業後、日本の大学に進学、韓国留学を経て、現在は高校の教員をしている。
よんりんさん、朝鮮高校卒業後、プロの総合格闘家を目指す。現在は韓国で練習に励んでいる。
よんりん「あの日、先生たちがカーテンを閉めていて、だから怖いってよりかは何が起きてるか分からんっていう感じでしたね」
玉木「うん。じゃ、音もほんまに何も聞こえにくい…」
よんりん「あ、聞こえたんですけど・・・、何か理解追いつかへんというか、頭が。けど、先生たちが何かしゃべってるし、何が起きてるか分からんってなりました」
りょん「同じくもうカーテンを閉められて、もう声が、校舎の造り的にも一番遠いところにいたので家帰ってからあのとき変な人たち来てたらしいっていう、それぐらいのニュアンスだったんです」
事件当時、学校では、教職員たちが教室のカーテンを閉め、音楽の音を大きくするなど、子どもたちに罵声が届かないよう必死だった。インターネットにアップされた動画を見て、初めて事件を知った生徒も多い。
ちいん「何か、意味が分からない。あそこまでキレられると、やっぱり全然こっちに非がないと思ってても、何かやっぱり委縮するし、あんなにワーワー言ってたら」
りょん「音の怖さもあるんですけど、その動画投稿サイトのコメント欄に書かれていたコメントを当時見たとき、どこの人らがこんな何か賛同するようなことを書いてるんやろうってなって、そこは何か『怖っ』ていうふうにはなりましたね。そうですね。もう相手が分からないので、本当にコメントは」
日常的にインターネットに触れる世代。傷つく場面はたくさんある。
ちいん「中学とかネット触れ始めて、掲示板サイトを見るのが好きで、よく『まとめ』とか見てたんですけど、それでリンク飛んだら、まあまあ大体、韓国、朝鮮たたかれてるんで、中学生っていう時期に、多感な時期に・・・そうですね、あれは嫌な」
りょん「私、2ちゃんのあれとか、周りに在日いない状況で1人で見たら、多分立ち直れへんよ。中学の時に。」
ちいん「うん」
りょん「自分個人を攻撃されたわけではないんですけど、自分を否定されたっていうことになると思うので。今初めて想像してみたら、ちょっとぞっとしますね」
ちいん「朝鮮学校に通ってたから、意外と軽く済んだかもしれないし・・・。だから民族学校がとんとんにしてくれた」
朝鮮学校の仲間が心の支えになったというちいんさんたち。いま、朝鮮学校に通ったことの意味をどう考えているの?
玉木「みんなは何で朝鮮学校に行ったんやろか」
ちいん「民族学校に通うのは義務教育まで、っていうのも親の希望ですし、高校から日本の学校っていうのも親の決めたことやったんですけど、もし自分に子どもができたら、やっぱ民族学校へ入れたいなとは思いますし」
玉木「それは何で思うの? 自分の子どもを民族学校にって」
ちいん「日本の学校ずっと通って、でも自分が在日っていうのを知ってて、葛藤した経験のある人にまあまあ結構出会ったことがあるんですけど、朝鮮学校通ってても葛藤とかあるんですけど。そうですね、絶対(存在を)否定されないですし、そんな環境ですし」
よんりん「僕が在日として生きれているとか、ここでこうしゃべれていることって、やっぱり朝鮮学校に通ったからやと思うんですよ・・・。日本に生まれて、『日本人だったらよかった』って思ったこともあったんですけど、小学校のときとかは思ってましたね。ちょっとですけど、でも、『何で俺、普通じゃないんやろ』みたいな。柔道もやってたんですけど、そういうところで感じましたね。ゼッケンとかにも「安」って書いてるんで、恥ずかしいとか。今は『違う』っていうことが強みなんですけど、そういうウリハッキョ、朝鮮学校に通って、朝鮮人としての芯を与えてもらったっていう感覚がすごい大きくて、自分が在日であることを強みにしてくれるとこが朝鮮学校」
「在日コリアンであること」それはどんな意味を持っているのだろうか?
ちいん「例えば人種とか国籍とか、そういう区分はなくなればいいとは思うんですけど、今は、こだわるべきというか、何か解決されてない、今、制度的な部分でも」
りょん「そもそも在日っていう存在が全然知られていない。知られていない状況で主張をなくすって、それはもうただ消えるっていう、存在自体がもうなくなるっていうことになるので、今の状態では。逆にむしろ積極的に知ってほしいっていうのがあって」
ちいん「例えば『自分は在日朝鮮人です』って言ったときに、何となく向こうが気遣ってくれて、『でも日本で生まれて日本語使ってるし、まあ日本人みたいなもんやん』とか言われることが結構ありますよね」
よんりん「あるある」
ちいん「普通にこういう存在が、在日朝鮮人っていうのがおるっていう状態で知ってほしいっていうか、そのまま受け入れてくれってことですかね」
りょん「「結局日本人やん」って言われると、いや、違うっていう」
ちいん「違う、全然違う」
りょん「日本人ではないって。在日であって、日本人ではないっていうところ」
玉木「多様性って言いながら全然日本では多様性になってないね、僕なんかも思うんだよね。いろんな人がおるんやねっていうことを多分知ってもらうという機会がないから。何か違ったらあかんみたいな見方をされるのはしんどいなって思うし、僕も緊張して生きていってるから、やっぱり緊張せんと生きていけたらいいねって思いました」
多くの在日コリアンが日常生活の中で緊張を強いられている現代の日本。誰もが安心して自分らしく生きられる社会に変えていくこと。それが多様性社会の実現には欠かせない。玉木幸則のマイノリティー・ワンダーランド
今日はここまで!
※この記事は2022年7月22日放送「朝鮮学校から多様性を考える」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。