ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い
わずか4日違いで生まれたチャップリンとヒトラー。ふたりは、長きにわたり壮絶な闘いを繰り広げた。
しかし、多くの共通点があった。
小柄でチョビひげ、映像を駆使して大衆を熱狂させるプロパガンダ術。チャップリンは民主主義を、ヒトラーはファシズムを訴えた。チャップリンは語る。
「ひとつ間違えば、私たちは逆になっていたかもしれない」。
独裁者と喜劇王、因縁のふたりの終わりなき闘いの物語。
ヒトラーは、チャップリンをユダヤ人と誤解し、ナチ政権下のドイツで、映画の上映を禁止した。なかでも、ヒトラーを風刺して世界的大ヒットを記録した喜劇『独裁者』(1940)に、最悪の扇動映画というレッテルをはる。
ところでヒトラー本人は、『独裁者』を観たのだろうか、観て何を思ったのだろうか。
『映像の世紀』シリーズで、最多登場する悪名高きヒトラー。
その極めて人間的な側面にも光を当てた。
(ディレクターI)
砂漠の英雄と百年の悲劇
今なお中東パレスチナで続くアラブ人ユダヤ人の衝突。
その始まりに目を向けると、第1次世界大戦中、自国の権益拡大を狙うイギリスがアラブ人に行った裏切り、そしてその裏切りに加担せざるを得なかった砂漠の英雄ロレンスの苦悩が見えてきます。
果たしてロレンスはその裏切りが現在に至る悲劇を生むと想像できたでしょうか。
今回の番組では、世界中に残された貴重な映像を手がかりに、100年続く悲劇を紐解こうと試みました。
映像に記録されていたのは、暴力によって居場所を奪われた両民族の痛々しい姿、虐げられてきた人々が一転して新たな被害者を生み出す加害者となる悲しみの連鎖、そして遠く離れた日本もまた、悲劇を深める一因となっていた事実でした。
100年続く悲劇は、同時代に生きる人々が影響しあって歴史が紡がれるのだと改めて気付かせてくれます。
今を生きる私たちは、なおも続く争いにどんな影響を与えるのでしょうか。
(ディレクターW)
キューバ危機 世界が最も核戦争に近づいた日
この番組の主人公のひとりだったソビエト連邦のスパイ、ペンコフスキー。
ソ連参謀本部の大佐でありながら母国の独裁体制に疑問を感じ、密かに西側に機密を流し続けた人物です。彼がいたからこそ、米ソは“世界が核戦争に最も近づいた13日間”キューバ危機を乗り越えることができたと言われています。
彼の行動原理は決して「反ソ・親米」という政治的イデオロギーではなく、「戦争への反対」と「平和の希求」というひとりの人間としての普遍的な願いでした。
祖国と同胞を愛していたからこそ、核戦争に突き進もうとする体制に命を懸けて立ち向かったのです。
ソ連から見れば裏切り者でしたが、人類のためには正しく行動したと言える彼は、まさしくアメリカがつけたコードネームのように「ヒーロー」でした。
国家が道を誤りかけたとき、一人ひとりの願いと行動が積み重なれば、その進路は正されうるのではないかー。そんな希望を感じさせてくれる番組だと思います。
(ディレクターG)
RBG 最強と呼ばれた女性判事 女性たち 百年のリレー
約100年前、世界が注目する競馬のレースでカメラがとらえたのは、疾走する馬に飛び込む女性の姿。
その手には「女性に参政権を」と書かれたスカーフが握られていました。
この回の見所は、名もなき人々が、自身そして未来を生きる人々の自由と平等を求めて、迷い悩み、行動し、それが新たな種となって思いが継がれていく姿です。
「RBG」ことルース・ベイダー・ギンズバーグ米最高裁判事も、少女時代にそのバトンを受け取り、全力疾走し、次世代に託した一人でした。
番組では、100年というスパンで女性たちの奮闘を見つめました。登場人物たちの思想や行動、結果には、共通したところもあれば、変化しているところもあります。
時に追い風が吹き、時に高い壁に阻まれ、同じようなことを繰り返しているようでも、実はらせん階段のように、少しずつ上に登っている。
歴史を俯瞰することで、そのような希望を見いだすことができるのではないでしょうか。
(ディレクターU)
太平洋戦争 “言葉”で戦った男たち
太平洋戦争の勝敗に大きな影響を及ぼしたのが、米軍が急いで養成した日本語情報士官だった。
暗号読解や捕虜の尋問に当たった彼らは、戦後の日本復興にも大きな役割を果たす。
戦時下のテニアン島で日本人のための小学校を作ったテルファー・ムック、昭和天皇の戦後巡幸を進言したオーテス・ケーリ、川端康成のノーベル文学賞受賞に貢献したサイデンステッカー。
言葉によって日本と戦い、そして日本との懸け橋となった男たちの物語。
(ディレクターC)
難民 命を救う闘い
近頃ニュースなどで「難民」という言葉を聞く機会が多くなりました。
しかし、難民問題は今に始まったことではなく、百年以上も前から続く人類の課題です。
これはその百年、難民のために立ち上がってきた人々の物語です。
初の難民高等弁務官となり、難民の声を国際社会に訴え続けたフリチョフ・ナンセンの精神は、後に日本人初の難民高等弁務官になった緒方貞子さんや、現在ウクライナで支援を行う人々にも受け継がれていきました。
そんなナンセンは、実は探検家としても世界的に有名です。
さらには海洋学においても当時の第一線を行く研究者でした。政治家、探検家、学者…この3つでも十分すごいのですが、レスリングの選手としても活躍していたらしく、なんと60歳近くになってもオリンピック選手をも打ち負かすほどの実力だったそうです。
何事をも突き詰めるバイタリティーを持ち続けることが大事なのだと、ナンセンから教えてもらいました。
(ディレクターU)
中国 女たちの愛と野望
激動の中国近代史の影には、常に女性たちの姿がありました。
男性社会の中で最高権力を持ち、清朝の衰亡をもたらした西太后、肉親と決別をしてまで、自身の信じた道を曲げなかった孫文の妻・宋慶齢、その妹で、英語堪能なファーストレディとして第二次大戦中、中国の存在感を高めた蔣介石の妻・宋美齢、文化大革命で中国全土を恐怖と混乱に陥れた毛沢東の妻・江青…。
そして21世紀、中国との間に緊張が高まる台湾で初の女性リーダーが誕生しました。
巨大国家・中国のもう一つの権力をめぐる攻防の物語。
「悪女」であれ「女傑」であれ、彼女たちのパワフルな生き様には脱帽です。
(ディレクターR)
東京 破壊と創造 関東大震災と東京大空襲
1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲。
東京を焦土と化した二つの災禍は、いくつもの糸で繋がっています。
関東大震災の後、東京を火災に強い都市にする計画は中途半端に終わり、22年後の東京大空襲で10万人の死者を出す結果を招いたのはその一例です。
番組では建築家アントニン・レーモンドに注目しました。
帝国ホテル改築のためにフランク・ロイド・ライトの助手として来日。帝国ホテルの完成後も日本に残り、震災復興に尽力します。
やがて日米は戦争へ。アメリカに帰国したレーモンドは空襲実験用の日本家屋を建設せよと命じられ、”戦争が早く終わるのであれば“と引き受けます。
ここでの実験を重ねて誕生したのが焼夷弾「M69」。
東京大空襲で一面火の海にした爆弾でした。
関東大震災という未曾有の天災が、いかにして東京大空襲という未曽有の人災に繋がったのか。その知られざる連鎖の物語です。
(ディレクターS)