毎月お送りしている「映画で見つめる世界のいま」では、千葉大学特任教授の藤原帰一さんに注目の映画とその背景にある“世界のいま”をお話いただいています。
今回ご紹介する映画は、北アイルランドの小学校のドキュメンタリーです。
(「キャッチ!世界のトップニュース」で5月31日に放送した内容です)
・“違う考え方がある”ということを、生徒が自分で発見するために
藤原さん:いま映画館では『TAR/ター』や『aftersun/アフターサン』など、とてもいい映画がたくさん公開されているのですが、そのなかで私がいちばん感動したのがこの『ぼくたちの哲学教室』でした。
暴力が暴力を生み出す世界のなかにあって、暴力の連鎖を断ち切るためになにができるのか、現場での模索を伝えているからです。
藤原さん:映画の舞台は、北アイルランドのベルファスト。プロテスタント系の住民とカトリック系の住民との間で暴力の応酬が繰り返されたところです。1960年代終わりから70年代にかけて内戦状態になり、3,600人余りの方が亡くなったと伝えられています。ケネス・ブラナー監督の『ベルファスト』を始めとして映画にも描かれてきました。
映画のホーリークロス小学校があるのは、ベルファストの町なか。決して豊かな地域ではなく、違法薬物やドラッグも使われ、子どもたちの間でもけんかやいじめが絶えません。そのなかで校長のケヴィン先生は、哲学によりどころを求めながら、生徒が自分の頭で考えるように工夫した授業を展開しています。
~あらすじ~
ケヴィン校長「ようこそ諸君!新学期最初の哲学の授業だ。さあ中へ。“コンセプトマップ”係を誰かにやってもらう」
北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。
この学校では哲学が主要科目になっています。
哲学の授業を行うのはケヴィン校長。
生徒たちに自らの思考を整理し言葉にしていく術を伝えます。
ケヴィン校長「議論の中でよかった点と、“どうすれば次はよくなるか”を教えてくれ。では問いだ。『他人に怒りをぶつけてもよいか?』。オシーン、まず君からだ」
生徒「例えば、何も悪いことをしてない相手に怒りをぶつけちゃいけない。でも、ちょっかいを出してきたなら、こっちにも怒りをぶつける権利がある」
別の生徒「僕は反対意見です。自分の怒りを誰かにぶつけたとして…」
白板を読み上げる生徒「“相手が何もしていないのに怒りをぶつけるのはよくない” “殴らずに相手と仲直りする” “怒りはパンチバッグにぶつける”」
ケヴィン校長「ありがとう」
暴力につながる感情をコントロールして新たな憎しみの連鎖を生み出さない。
ケヴィン校長が過去から導き出した答えでした。
1960年代からカトリック系住民とプロテスタント系住民との衝突が続いた北アイルランド。1998年に和平合意されましたが、対立が完全になくなったわけではありません。
生徒「ふたつは全く違う人種だ。カトリックはアイルランド人で、プロテスタントは英国人」
街には「平和の壁」と呼ばれる両派の居住区を隔てる壁。
暴力の記憶は、いまも人々の心に影を落とします。
ケヴィン校長「どうした?まっすぐ座って」生徒「鞄を置いてたら、彼が来て僕のいすを奪った。だからやった」
日々ささいなことで、けんかが絶えない学校生活。
問題を起こした生徒と対話することもケヴィン校長の務めです。
ケヴィン校長「カッとなってとっさに動いた?ふざけてただけ?」
生徒「違う」
ケヴィン校長「“叩きそうになった”? “彼の頭を”つづりは“H-I-T” これで全部?“起きたことを先生に話す” これが正しい対処法だね」
どのような感情が引き起こしたのか?
相手に何をすべきか?
生徒に寄り添いながら自問自答を促すケヴィン校長。
ケヴィン校長「次にいこう。“このあと何をする?” 書いて」
生徒「“謝る”」
ケヴィン校長「“相手に謝った"。"人にやさしく"。"仲よく遊ぶ"。”ちゃんと反省する"」
ケヴィン校長「今日は一緒に考えてよく答えてくれた。今朝の謝る態度もとてもよかったと思う。ちゃんと反省しているのが伝わってきた。もうしないね?」
生徒「はい」
ケヴィン校長「よろしい」
中川キャスター:こういう答えが正しいとかダメとか押しつけるのではなく、とにかく寄り添って子どもたちの声を聞いて、どんな意見も否定せずに受け入れてくれる。
子どもたちも自分をさらけだすことができるし、こんな先生いてほしいと思いました。
藤原さん:いい先生ですよね。“教え込む”のではないんですね。哲学というから、昔の哲学者が言ったことを生徒に詰め込むということを全くしない。生徒がいろんなことを答える、先生の問いに生徒が答えていく、その答えをひとつひとつ書き込んでいくのですが、正しい答えを出さないんですね。
教員と生徒のやりとりによる教育の方法を「ソクラテス・メソッド」といいますが、正しい答えを出さない「ソクラテス・メソッド」。言葉のやり取りを続ける中で、生徒が何か自分でつかみ、考えはじめることが目的だからなんです。究極の「ソクラテス・メソッド」だと思いました。
望月キャスター:校長先生が「どんな意見も価値がある」と言っていましたが、子どもたちが「自分と違う考えがあることが当たり前」という姿勢で相手の意見を聞く姿が印象的でした。
藤原さん:どの考え方にも耳を傾けるということがまさにおっしゃった通りで、違う考え方があるということを生徒が発見する、そういうやり方なんですね。
「殴られたら殴り返すことがいけない」と教え込むのではなく、それのどこがいけないのかを自分で考えなくてはならない。子どもの親のなかには、殴られたら殴り返せと子どもに教える人もいる。その中でのことなんです。
藤原さん:ケヴィン先生自身、「昔は衝動を抑えず感情のままに生きていた。お酒を飲んだときは特にひどかった」と自分のことを振り返っています。自分のことが頭にあるからこそ、「先生が言うのはきれいごとだ、現実の世界は力が支配しているんだ」という考え方が小学校のころから身につくことを、彼はよく知っている。それを乗り越えなくてはならない。
少し大きな話になりますが、「社会の安定をつくるのは力だ、力で押さえつけることで何とかなるんだ」という考え方は、非常に広く見られるものです。また、「力じゃなくてカネだ、人間はお金に従って行動するんだ」という考えもあるでしょう。でも、世界は力とお金以外にも“言葉”というものがあります。相手の立場を知り、言葉によって相手との関係をつくりだしていく、本来の哲学の意味はそこにあるわけです。それによって初めて、暴力の連鎖を断ち切ることができるのです。
この学校は大変荒れたところで、カトリック側の学校なのですが、地域の間に壁が作られているので、分断は非常に現実的な問題です。ケヴィン先生は生徒ひとりひとりを受け止め、生徒ひとりひとりを名前で呼びます。校長先生なのに、立派だと思います。名前だけではなく、どんな生徒なのかを先生が知っていて、ひとりひとりを大事にしている。生徒からすると、「自分が大事にされている」という気持ちがあって、そこで違う考え方につながる可能性がある。
鉄条網と壁で仕切られたベルファストの現場における、平和の実践ではないかと思います。
今回ご紹介した『ぼくたちの哲学教室』は現在、渋谷と横須賀の劇場で上映中のほか、全国でも公開予定です。
「映画で見つめる世界のいま」、次回の放送予定は6月28日です。
(「キャッチ!世界のトップニュース」で5月31日に放送した内容です)
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放送[総合]毎週月曜~金曜 午前10時5分
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