ウクライナ侵攻が変える世界(3)国際政治学者 イアン・ブレマーに聞く

NHK
2022年5月9日 午後1:29 公開

世界を大きく変えたロシアによるウクライナへの軍事侵攻。いま、私たちは何を目撃しているのでしょうか。一体なぜ、このような事態が引き起こされたのでしょうか。アメリカの国際政治学者のイアン・ブレマーさんは、今回の侵攻を決断したプーチン大統領は罪を免れる余地はないと強調する一方で、西側諸国も数十年にわたって積み重ねてきた過ちについて理解すべきだと話します。ブレマーさんの話から、過去の失敗を紐解き、未来を見通す手がかりを探ります。

(聞き手:道傳愛子キャスター/3月22日収録)

 

冷戦は終わっていなかった

戦争や経済危機など、世界のリスクを分析してきたアメリカの国際政治学者イアン・ブレマーさん。21世紀は世界を主導するリーダーが不在の「Gゼロの時代」であると提唱。連帯なき世界が抱える問題点を指摘してきました。

 

イアン・ブレマーさん

イアン・ブレマーさん

 

ブレマーさんは政治リスクを専門とするコンサルティング会社を経営し、世界に影響を与えるリスクについてアドバイスしています。そして今年、「プーチンがアメリカ主導の西側諸国から譲歩を得られない場合、彼は行動する可能性が高い」と言及していました。

ブレマーさんが運営する会社のホームページ

ブレマーさんが運営する会社のホームページ

 

――冷戦が終わったとき、世界は高揚感に包まれました。しかし、実際にはまだ終わっていなかったのでしょうか?

 

ブレマー:何が起きたかというと、冷戦が終わったあと、ロシアは屈辱を味わったのだと思います。彼らは自分たちの帝国を失ったのです。東欧諸国はEUやNATOに加盟して政治的安定、経済成長、社会的調和を得た一方で、ロシアはのけ者にされたのです。「G7+1」を覚えていますか?「プラス1」ってなんだ?という話です。「プラス1」とは、次の食事のときには別の誰かが誘われる、その程度の相手です。妻でも夫でもない相手、ロシアはその「プラス1」です。ロシアは歓迎されることがなかった。そのことに怒っているのです。侮辱されたと感じ、怒りを爆発させているのです。たしかに冷戦は終わりましたが、ロシアは漂流したままだったのです。ロシアの統治はきわめて貧弱で不安定です。結末がどうなるかについてですが、今後はプーチンが軍事侵攻を決断する前より、はるかに不安定な状態となるでしょう。世界のリーダーでも管理は難しい。アメリカでもヨーロッパでも、アジアでもです。

プーチンはコロナの状況下、2年間にわたり孤立していました。世界を旅して、ほかのリーダーたちの声を聞く機会はありませんでした。ロシアの人たちとばかり交流して、自分が聞きたい情報だけを得ていたのです。そして軍部指導者たちは、軍の能力について間違ったアドバイスをしていたようです。もしプーチンがこの2年の間にもっと世界を旅していたら、人の話に耳を傾けて気づくことができたはずです。これは自分が思っているほどトントン拍子でいかないだろうと。

 

――あなたの博士論文は、ソ連崩壊後のウクライナについてでした。分析の背景には、専門にしてきた旧ソビエトの研究がありますか?

 

イアン・ブレマーさんの論文「民族の政治 新ウクライナにおけるロシア人」1994年

イアン・ブレマーさんの論文「民族の政治 新ウクライナにおけるロシア人」1994年

 

ブレマー:私が博士課程に進んだのは1989年のことでした。ベルリンの壁が崩壊した年です。私の最大の関心事は、差し迫っていたソ連の崩壊でした。そしてウクライナに焦点を当てたのは、同じソ連の中でも国民性が似ていたからです。例えばウクライナの南東部やクリミア半島では、ロシア人と同じ正教を信仰しています。言語もお互いに理解しあえる似通ったもので、文化的にも近いところがあります。ロシア人にはキャベツスープがあり、ビーツを使ったウクライナのボルシチにもキャベツが入っています。似ていますよね!

しかしながら私が調査したところ、ロシア国民は根本的に意識が違う。歴史について、背景について、そして未来について、ウクライナ人と違う考えを持っている。ですから、クリミア半島やウクライナの南東部では、ソ連が崩壊してウクライナが独立したからといって、課題は解決しないわけです。イスラム教徒とキリスト教徒の対立や、文明の衝突という種類のものではないのです。部外者からすれば「あなたたちは兄弟でしょう。仲良くすべきでしょう」と言われる人たちです。

 

――しかし、ウクライナの悲劇は自然災害とは違い、一夜にして起こったことではありません。西側諸国は、こうした20世紀型の野蛮な戦争を防げなかったことを認めざるを得ないのでしょうか?

 

ブレマー:そうですね。というより、もっとひどいと言えるでしょう。ロシアのあらゆる行動を目撃しながら、西側諸国は概して消極的な態度を取りました。私が論文を書き終えた1994年と同じ年に、ウクライナは核兵器を放棄しました。核兵器放棄の見返りに、「ブダペスト覚書」が結ばれました。アメリカ、イギリス、ロシアは、核を放棄したウクライナの領土保全を約束したのです。しかし、わずか20年後の2014年に、ロシアはウクライナに侵攻しました。覚書はどうなったのか? ロシアは署名したんですよ。そしてアメリカやイギリスはどう行動したか? ウクライナはNATO加盟国でないから、兵を送るつもりもない。経済制裁はしても、大した規模ではないわけです。

数十年にわたって西側諸国は、ロシアの裏庭の地域での法の支配などどうでもいいという姿勢でした。アメリカや他の国々が超えてはならないとするレッドラインは、ロシアの裏庭ではほとんど意味をなさないという姿勢です。ですから、アメリカは関心がないのだとプーチンには信じる理由があり、独立国であるウクライナへの侵略という、今回の致命的な決断を下したのだと思います。とはいえ、はっきりしておきたいのですが、今回の侵攻の責任はすべてロシア大統領にあります。彼はこの4週間、毎日のように戦争犯罪を犯してきました。ですからいま起きている侵略に対して、プーチンが責任や罪を免れる余地はありません。しかし、西側諸国の数十年にわたる過ちの積み重ねについても理解すべきです。それらがプーチンを行動させたのです。

 

世界大戦は防げるのか?

 

――私たちはまた世界大戦に突入するのでしょうか?

 

ブレマー:そうでないことを願います。そして、あまりあり得ることとは思いません。しかし我々は、“キューバ危機2.0”の可能性がある世界にいると言わざるを得ません。我々は時間をかけ、この事態を何とかしなければなりません。外交においても、戦争を拡大させるかどうかの判断においても、このことを念頭に置く必要があります。どんな政治的決断においても、今後は核の対立の可能性を考慮しなければなりません。この30年にはなかったことです。

 

では、世界大戦は可能性があるのか? はい、可能性があります。21世紀にこんなことを言わなくてはならないとは、本当に弱ってしまいます。これはポストモダンでなければ、グローバリゼーションでもありません。想像しうる最悪の兵器で戦い、地球上の人類を恐怖に陥れることです。地球という、宇宙の中の小さな岩の上の80億人を人質にとる行為です。

 

――あなたは「キューバ危機から60年たって我々は何も学んでいない」とSNSにツイートしています。アメリカが学べていないことは何ですか?

 

ブレマー:まず、6000発の核弾頭という、存亡に関わる脅威を削減する方法を見出していません。これらは、アメリカにもロシアにも一発たりとも使用させてはならないものです。この30年間、世界は核の危機が再び起きることは基本的にはないだろうと考えてきました。ずっと、そうふるまってきました。しかし、いまやそんな時代ではありません。その可能性はあるのです。ロシアによる黒海からのミサイルが、1000キロ離れたポーランド国境に近いリビウを直撃しました。ロシアのミサイルがNATO加盟国を攻撃しないと、いくらなら賭けますか? そんな賭けはできないはずです。つまり、このような恐ろしい核兵器がある環境に、私たちは存在しているのです。

核兵器が民間人に悪意をもって投下されたのは2回だけ。いずれも日本に対してです。もう二度とあのようなことを起こしてはならないと、みんなが理解しているはずです。しかし、二度と起きないようにするために、私たちはこの60年間(キューバ危機以来)何もしてこなかったのです。私たちは軍備縮小に真剣に取り組んできませんでした。最悪の状況を回避するための軍縮の合意は、ソ連が崩壊した時よりも数が減っています。そして、こう受け止める国があると思うのです。「核兵器は役に立つ」と。「ウクライナも、核があればロシアによる侵攻を防げたはず」「我々にも核兵器が必要だよね」と。「この状況において核兵器はさらに有益になった」と。しかし、そんな会話はしてはならない。恐ろしく危険です。

 

ウクライナの悲劇から学ぶべき教訓

 

――多くの命が犠牲となっている今回の悲劇から、私たちが教訓とすべきことはなんでしょうか?

 

ブレマー:ひとつは、敵であっても侮辱しないことです。もうひとつは教訓から学んで、より効果的に国々を統合すること。ソビエト連邦が崩壊したとき、ロシアのための復興支援計画はありませんでした。いわばショック療法だけで、経済の立て直しや、新たな政治システムを作る支援はしなかったのです。東欧諸国のようには支援しなかった。それは失敗でした。やっても無駄だったかもしれません。でも、そもそもやろうともしなかったのです。そのことは、プーチンの現在の姿を見ると、いかに大きな間違いだったか分かります。

また、ならず者の国家が容認しがたいふるまいをしたとき、それがたとえGゼロの世界だったとしても国際社会は対応し、自分たちの基準を示すべきです。でも、これまではやってきませんでした。その点はGゼロに責任があります。アメリカは世界の警察官にはなりたくない。グローバルな貿易をリードしたくない。グローバルな価値観を広めたくない。アメリカが重要視していない国で、ロシアが行動を起こしても見逃されるのです。数十年にわたって、このGゼロ問題は深刻化しています。そして、ロシアはこのぜい弱さを悪用しているのです。これも大きな失敗です。

 

――最近あなたはニュースレターで、ウクライナ人のツイートを引用していました。「あなたがウクライナのニュースを読み、拡散しているなら、あなたはレジスタンスに参加している」という内容でした。あなたの伝えたかったメッセージは何ですか?

 

 

ブレマー:伝えたかったのは、普通の市民にも責任があるということ。自分ごととして関わり、世界で起きていることを理解するという責任です。そして声をあげるべきです。あまりにも長い間、もう何十年も市民の多くが受け身でありすぎました。私には関係ない、ここでは起きない、私にはどうでもいいことだと。その結果、国際的なのけ者、悪党、殺し屋が人類を破滅させる余地を増やしたのです。

私は人生をかけて、世界がどこへ向かっているのかを人々が理解できるよう取り組んできました。このような危機の時代、あなたに発信する場があるなら、声をあげる義務があります。地球をよくするためにです。もっと多くの人がこのことを理解する必要があります。

 

――今回インタビューを受けたのも、その思いからですか?

 

ブレマー:そうですね。私は政治学者ですから、人々が地球のことを理解するための手助けをすることを大事に思っています。私がGゼロについて書いたのは10年前のことです。いま、それが本当でなければよかったのにと思います。でも、私は自分が心地よいことだけを書けばいいという、贅沢な立場にはないのです。いま、私たちの立ち位置は? これから何が起きるか? 人々に伝える義務があると思っています。

いま、私の顧客は、ビジネスに必要な知見だけでなく、自分の子どもにどう説明すべきかを聞きに来るんですよ。友人や家族にどう話せばいいのか心配なのです。世界はいま、金儲けよりもっと深い不安の中にあるのです。それは自分が暮らすこの地球についての不安です。持続可能なのか、どこへ向かっているのか。この4週間の間に起きたことを見て、「問題ない。これからも大丈夫だ」と言える人はいません。

※この記事はETV特集 2022年4月2日(土曜)放送「ウクライナ侵攻が変える世界 私たちは何を目撃しているのか 海外の知性に聞く」を基に作成しました。情報は放送時点でのものです。

 

 

取材を終えて

今回話を聞いたのは、ノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさん、思想家のジャック・アタリさん、そして国際政治学者のイアン・ブレマーさん。

3人へのインタビューからは、ソビエト連邦崩壊後、ロシアでは復讐心がまるで熾火のようにくすぶっていたこと、そして西側諸国は冷戦終結で高揚する間に、ロシアとの距離感を見誤っていったことが浮き彫りになりました。

国際政治や大国の思惑という糸が絡まり、今、多くの市民が命の危険にさらされているという現実を前に、私たちには何ができるのでしょうか。3人は、声を上げ、行動することの大切さを話し、こうした小さなレジスタンスの積み重ねがなければ、民主主義は足元から浸食され、私たちが思い描く未来はないことを語りました。その意味で、今ウクライナで起きていることは、世界の遠いどこかで起きていることではないのです。

 

道傳愛子

「ニュース9」「海外ネットワーク」など番組キャスター、バンコク特派員、解説委員を経て現在、NHK国際放送局シニア・ディレクター。コロンビア大学大学院に留学、国際政治学修士。