珠玉の俳句をもう一度 「戦禍の中のHAIKU」ウクライナ(1)

NHK
2022年12月31日 午後2:00 公開

世界のHAIKU/ウクライナとロシアのХайку

 日本で生まれた俳句が、いま世界の「HAIKU」になっているのをご存じでしょうか。    

 明治以降、芭蕉や一茶の俳句が主に英語に翻訳されてきましたが、戦後日本文化が欧米でブームになる中で、英語の俳句が普及していきました。翻訳されたHAIKUは、日本語とは異なり、母音と子音を組み合わせた「音節」で5-7-5を数えます。合計17の音節を基本とする三行無韻の短い詩が、やがてHAIKUとして定着するようになりました。韻を踏まなくていい、短い言葉の組み合わせで深い意味を表すことができる、必ずしも5-7-5に縛られない自由さと手軽さがある、等々。HAIKUの魅力は、世界中の人々を惹き付けていきました。やがて英語以外の母語で俳句を詠む人たちが増え、さまざまな言語で俳句が作られるようになったのです。

ウクライナ語の俳句を原文のキリル文字で画面に3行に分けて表示

  ウクライナ語の俳句 ハルキウ在住 ブラジスラワさん作(2022)
直訳「何ていう素晴らしい空!/でも結局そこから私たちに/ロケットが飛んでくる」

 ソビエト連邦では「奥の細道」のロシア語訳が1935年に出版されています。戦後日ソの国交が回復し文化交流が盛んになる中で、日本文学の研究や学校教育を通じて俳句は一般の人にも知られるようになりました。ソビエト崩壊後、インターネットの普及などで俳句を詠む人たちが手軽に交流できるようになり、ロシア語をベースにしてロシア、ウクライナなどで俳句ブームが起きました。ウクライナ語もロシア語も同じキリル文字を使いますが、二つは別の言語です。それでも外来語の俳句はどちらの言語でも同じ「Хайку」(発音もHAIKU)と表記します。俳句=Хайкуを愛し、日本文化をリスペクトする二つの国の俳人たちは、俳句を通じて心を通じ合う仲間となりました。2022年2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻するあの日の前までは…。

戦禍の中でХайку(俳句)を詠み続ける俳人たち

 私たちは、戦禍の中で日々これほどたくさんの俳句が詠まれているとは思ってもいませんでした。俳人たちは、毎日の出来事の中で感じたこと、目撃したことを俳句に詠みます。しかしロシア軍によるウクライナ侵攻という異常な事態の中で、はたして俳句を詠み続けている人がいるだろうか。俳人たちは何を考え、何を感じているのだろうか。戦争という非日常のために、発表する場所や手段は制限されています。手探りの取材が始まりました。

 そこで出会ったのが、長年にわたり「日露俳句コンテスト」を主催してきた秋田国際俳句・川柳・短歌ネットワーク事務局長の蛭田秀法さんでした。蛭田さんの協力を得て、ウクライナやロシアの俳人たちにコンタクトをとることができました。現地のリサーチャーの力も借りました。そしてこの番組ができたのです。(2022年11月29日放送) 

ETV特集「戦禍の中の俳句Хайку」 番組タイトル

 俳人たちには、戦争が始まってから作った句をメールで送ってもらい、オンラインでインタビューを収録しました。どんな状況で詠み、どんな意味を込めたのか、作者に一つ一つ確認しながら日本語に翻訳していきました。

 数か月かけて集めた俳句とインタビュー。それを厳選し26のХайку(俳句)を番組で紹介しました。ここでは、その一部をもう一度みなさんに味わっていただこうと思います。まずはウクライナから。

ハルキウ在住 ブラジスラワさん

ブラジスラワさんの俳句「うつくしき 空より飛来 ロケット我らに」原文と日本語で俳句を画面に表示。背景の写真はブラジスラワさん。

 この俳句を詠んだのは、ウクライナ東部のハルキウ市に暮らす23歳の学生、ブラジスラワさんです。

インターネットでつながったパソコン画面のブラジスラワさん

 ブラジスラワさんは、14歳のとき学校の授業で俳句に出会いました。2018年には蛭田さんたちが主催する秋田の国際俳句大会で受賞したこともある若き俳人です。

インタビューに答えるブラジスラワさん

 ブラジスラワさんが住むハルキウ市は、ロシアとの国境に近い東部の要衝です。そのためロシア軍の侵攻がはじまった2月24日の早朝から、空爆や激しい砲撃を受け続けました。まさに戦禍の真っ只中で、ブラジスラワさんは俳句を詠み続けていました。

ブラジスラワさんの俳句「掌(てのひら)に ミサイルかけら 痛い」

ブラジスラワさんの俳句「砲撃後 看板なしで 通り分からず」

 何のために俳句を詠むのか、という私たちの問いに、ブラジスラワさんはとても印象深い答えを聞かせてくれました。

インタビューに答えるブラジスラワさん「感情があふれ出るとき 人はどうにかして それを表現しようとするものです」

ブラジスラワさん

私が俳句を作るのは、目撃した「瞬間」を記録するためです。感情があふれ出るとき、人はどうにかしてそれを表現しようとするものです。俳句にそれを注ぎ込むことで自分のためにも、他の人のためにも残しておくことができるのです。

写真を撮るように俳句を詠む

 写真を撮るのが好きだというブラジスラワさん。俳句と共に、ハルキウで撮影した写真を送ってくれました。

ブラジスラワさんが撮影した防空壕の写真

 この写真は、侵攻の翌日から両親と3か月間過ごした防空壕を、あとから撮影したものだそうです。ここで見たある光景をブラジスラワさんは俳句に詠みました。

ブラジスラワさんの俳句「子ら遊ぶ 紙飛行機で 防空壕」

ブラジスラワさん

防空壕には300人は確実にいました。自分の声すら聞こえない鉄道駅にいるような騒音の中で、昼も夜も明かりが点いたままでした。さまざまな年齢の子どもたち、赤ちゃんもいました。子どもはどこにいても子どもですが、上空を飛行機が飛んで爆弾を落としていたのです。衝撃を受けました。

 次の俳句もまた実際の体験がもとになっています。腕を失った若い兵士を公園で見かけたとき、強い印象を受けたのだと言います。

ブラジスラワさんの俳句「公園に兵士 幾度も触れる 空の袖」

ブラジスラワさん

 彼はひとりで座っていました。子どもたちやカップルが散歩する様子や花の咲いた花壇などをただ見ていました。戦争が夢ではなく、本当にあったのだと納得しようとしているようでした。

俳句は人と人とをつなぐもの

 俳句を詠むのは「他の人たちと体験を共有するため」とブラジスラワさんは言います。ブラジスラワさんにとって、俳句は、とても大事なコミュニケーションの手段になっていると感じました。どんな境遇に置かれていても、俳句を詠むことで人は人とつながることができる。そんな願いが込められているように、私には思われました。

ブラジスラワさんが眠っている写真。そこに原文と翻訳で俳句を重ねた。「星の光。 街の灯(ひ) 空に去ったよう」

次回は、ロシアの俳人の句をご紹介します。(ディレクター山口智也)

 

  **番組は2023年1月4日(水)深夜24時

【1/5 (木) 午前0時】Eテレで再放送します。**