福島をずっと見ているTV
番組のロゴ、オープニングCGを制作したのは?
OHRYS BIRD
昨年度までの放送は?
【2011年度】 東日本大震災から3か月―福島県郡山市出身のクリエイティブディレクター箭内道彦さんとの出会いがきっかけで、「青春リアル」(2013.3月放送終了)の特別シリーズとして、月に1度の放送がスタートしました…。 vol.1「故郷の“広告”、はじめます。」from箭内道彦 <2011.6.3放送> 特別シリーズ1回目は、福島県出身の箭内道彦さんが、矢口真里さんに「福島を見続けたい理由」を語る。箭内さんが居酒屋で偶然会って話を聞いた学校の先生、田植えをしなければならないけど、作っても福島の米を買ってくれるのか悩む農家など、福島の人の声を聞いて、矢口さんが感じたこととは? ロックバンド・BRAHMANのTOSHI-LOWさんも、福島の人へ熱いメッセージを送る。「予定~福島へ帰ったら」のライブも。 vol.2「放射線と生きる」 <2011.7.1放送> 福島で、放射線対策として1000本ものペットボトルを集めた学校の先生たちの思いや、“汚染された米になる”可能性があると分かっていても田植えをすることを決断した農家の人たちの心意気、しかし本当に売れるのかというジレンマ…。箭内道彦さん登場の特別シリーズの2回目は、放射線と、いやおうなく向き合わざるを得ない福島の人たちの思いを描く。前回好評だったホルモン屋さんでの“ほろ酔い”トーク! 今回も本音全開でお届けする。 vol.3「秋にできる私たちの米。国が「安全だ」と言った場合、みなさんはどうしますか?」 <2011.8.12放送> 特別シリーズ「福島をずっと見ているTV」の第3回のテーマは、福島の農業。原発問題に揺れる農家が主人公。「心を込めて植えた田んぼの苗。しかし育ったとしても、放射性物質に汚染されていれば食べてもらえない…」。この不安に、あなたならどう答えるか?現役の農林水産省の官僚もスタジオトークに参戦! vol.4「今福島で生きる意味、一緒に考えてください」 <2011.9.2放送> 「福島をずっと見ているTV」第4弾。今回は、故郷のために何かやりたいが何をやればいいのかが分からないというセキネさん(33)たちに密着。箭内道彦さんたちの歌『I love you & I need you ふくしま』に励まされ、故郷のために何かしたいと考え、話し合いを始めるが、何をするかで意見は分かれる。企業を訪ねても、すぐに援助はもらえない。迷いのなかで、セキネさんたちは、ある1つの答えにたどり着く…。 vol.5「今、福島から伝えたいこと。福島に伝えたいこと。」 <2011.10.14放送> 青春リアル・特別シリーズ「福島をずっと見ているTV」第5弾。東日本大震災から半年たった9月に行われた「LIVE福島」には、さまざまな思いをもった福島の人たちが集まった。震災で挙式できなかったカップル。その2人の結婚式をライブ会場で行おうと、vol.4に登場したセキネさんたちは奔走する。震災で収入が7割減ったという自営業者。自分の無力さを感じていた団体職員、新しい夢が見つかったという小学生…。名曲にのせ、それぞれの思いに耳を傾ける。 vol.6「高校生たちが記録した“福島”」 <2011.11.4放送> “福島”を忘れないために続ける青春リアル・特別シリーズ「福島をずっと見ているTV」第6弾。今回は、高校生が記録した福島を見る。震災直後の同級生の姿を記録したドキュメンタリーが、NHK杯全国高校放送コンテストで優勝した。制作した高校の放送委員会は、続編を制作中である。高校を訪ねた矢口真里は、同級生だからこそ撮れる素直な言葉や表情に感動。記録を続けたいという委員会のメンバーたちの思いを描く。 vol.7「番組から“避難”をキーワードに、質問です」 <2011.12.9放送> 最近、福島を語る言葉の一部が、激しく、きつくなってきている気がしませんか? 原発からおよそ25km離れた南相馬に住む母親たちも、そんな“心ない言葉”に傷ついていた。「子どものことを考えないのか!」。揺れる心、避難したくてもできない事情…将来、子どもの健康に何かあればきっと後悔すると思いながらも、福島に留まる母親たち。放射線の影響を心配しながらも暮らし続けるのはなぜなのか、切実な声に耳を傾ける。 vol.8「福島を離れてみたものの…」 <2012.1.6放送> 2011年12月の国会で、涙ながらに訴えた人がいた。福島から自主的に避難し、今は北海道で暮らすシシドさんだ。放射線が心配で福島から避難したものの、新たに生まれてくるな不安やつらさ…。シシドさんのほか福島からの避難を選択した人たちが揺れる胸の内を語る。収録中にゲストのモリさんが、取材を受けたことがよかったのかどうか迷い始めた。その理由は? そして、不安でも“避難してよかった”と思える希望の種とは? vol.9「今、“船”がないなら、一緒に作ろう」 <2012.2.3放送> 放射線の不安があっても福島から避難しない・避難できない人(vol.7で紹介)。避難したものの「自分だけ安全でいいのか」に葛藤する人たち(vol.8で紹介)。同じ福島県民なのにお互いが気を遣いあい、気持ちがバラバラな状況に、視聴者から多くの反響が届いた。「途方に暮れたままの姿で放送を終了せず、福島県民が前を向ける提案を!」。その声に応えるプロジェクトを提案したいと、箭内道彦が模索を始める。 vol.10「“素敵な明日”は、見え始めていますか?」(前・後編) <2012.3.2&9放送> 2011年9月の“LIVE福島”の会場で何回も大合唱され、同年末には紅白出場を果たした猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」。震災から1年がたとうとしている今も歌われているのか? 会場で先の見えない不安や怒りを語った“福島の人たち”は今、何を感じ、どんな「明日」を見つめているのか? 箭内道彦と矢口真里が、震災から1年を振り返り、「福島のこれから」について考える。
【2012年度】 東日本大震災から2年目―「“福島”を忘れない」を合言葉に見続けてきました…。 vol.11「箭内さん、これが私たちの答えです」 <2012.4.5放送> 月に1度の特別シリーズ「福島をずっと見ているTV」。2012年4月からも箭内道彦と矢口真里が“福島”を見続けていく。新年度最初の主人公は、2011年に番組から生まれた「福島リアル」代表のセキネさん。セキネさんの呼びかけに多くの若者たちが共感し、音楽ライブやネット配信などさまざまな活動をスタートさせた。活動が広がり、うれしいはずなのにセキネさんの顔には悲しみの涙が。「助けて欲しい」と話すわけとは? vol.12「町の人をつなげたい!小さなラジオ局の物語」 <2012.5.3放送> 特別シリーズ「福島をずっと見ているTV」の12回目。今回の舞台は、小さなラジオ局。警戒区域内にある福島県富岡町が、全国に避難している町の人たちを“声”でつなぎたいと作ったものだ。毎日が生放送のため、ハプニングの連続! ひとつひとつ乗り越えていくことで生まれるスタッフとリスナーのつながりを描く。箭内道彦と矢口真里も感動の涙と笑い。町の人が大切に思うあの桜並木も満開に! vol.13「活気あふれる街は取り戻せますか?」 <2012.6.7放送> 13回目の舞台は、福島県南相馬市。人口の4割が避難したままの街では、震災前より若者の姿が減り、今も若者たちが集うような店の多くが休業中のまま。 「街に活気がない…」と嘆く若者たちが、市長の桜井勝延さんにホンネをぶつけ、“若者と活気を取り戻す方法”を語り合う。果たして“妙案”は生まれるのか!? 【特別編】 明日へ―支えあおう―「私たちが1年かけて、決めたこと~福島在住・若者たちの日々~」 <2012.6.10放送> 「不安なこと話し合いませんか?」。2011年6月、福島県郡山市の4人の若者の呼びかけから始まった“迷える若者たち”の集まり「福島リアル」。この1年で人数も、活動内容も広がっている。震災で式を挙げられなかったカップルのための結婚式に奔走する人、福島の語り部になりたいと毎晩のようにネット配信を始めた人。原発事故後の混乱と戸惑いの中から“ふるさとで生きていく”意味を考える若者たちの日々を見つめる。 vol.14「福島第一原発で働く人の思いに耳を傾けました」 <2012.7.5放送> 14回目は、福島第一原子力発電所内で収束作業に従事している人たちの“声”に耳を傾ける。震災後、脱サラして原発作業員を撮り続けている写真家の小原一真さんの“思い”とは? 実際に作業に従事した元作業員・小川篤さんが語る“収束作業の実態”と、切なる“願い”。 vol.15「ロックバンド・怒髪天の想いと、歌に励まされた福島の人たち」 <2012.8.2放送> 15回目の今回は、今年で結成28年目を迎えるベテランロックバンド“怒髪天”の増子直純さんをゲストに迎える。6月に福島県郡山市で行われたLIVEのもようを紹介しながら、箭内道彦も涙した熱い“思い”を語る。また福島で“怒髪天”の歌に元気づけられながら、自分たちの手で除染を進めるオヤジたちの活動を紹介する。 vol.16「あなたの中で、福島のことは風化し始めていますか?」 <2012.9.6放送> 16回目は、震災から1年半、福島への関心を風化させたくないと“福島の今を知ってもらう”ツアーを企画した大学生たちの奮闘物語。協力してくれるのは地 元の漁師たち。今も漁は自粛中だが、毎週、放射線量の測定のために沖合いに船を出す。「安全な魚を食卓に届けられる」日に向けて…。そんな福島の現状を伝えるツアーだが、応募は5人だけ。一体どうなる!? vol.17「“フクシマ”と書かれてもしかたないのでしょうか?」 <2012.10.4放送> 17回目は、毎週金曜に首相官邸前で行われている“デモ”の現場が舞台。今回、ひとりの福島の青年が初めて訪れた。彼が戸惑い、ショックを受けた訳とは? スタジオでは、15人の福島在住の人たちが、デモに参加している人たちに分かってほしいことを率直に語り合う。デモの可能性を考えたい人、共感の輪を広げたい人、必見! vol.18「全部調べるから、信じてほしい。」 <2012.11.1放送> 「福島をずっと見ているTV」第18弾。ことし、東日本大震災から2度目の“収穫の秋”を迎える福島県では、収穫した米全ての放射線量を検査することに決めた。消費者に安心を届けるための史上初の試みに、奔走する役場の職員や、検査結果に緊張を隠せない農家を追い、信頼できる米作りへの思いを聞く。 vol.19「立場や意見の違いが、気持ちの分断を生まないためにできること」 <2012.12.6放送> 「福島をずっと見ているTV」の19回目。10月4日に放送した“首相官邸前デモ”についての番組には、ネット上でたくさんの反響があった。デモ主催者の一人は「直接、話せる機会があれば…」と書き込んだ。そこで今回、デモ主催者と福島の人たちが直接対談することに!番組MC箭内道彦さんの進行で、お互いの思いやホンネを語り合った。そこから見えてきたこととは? vol.20「産みたいを、支えたいけど…。」 <2013.1.10放送> 20回目は、福島県南相馬市にある産婦人科病院に密着。この産院は、深刻な看護スタッフ不足の中、地元の妊婦さんたちの“産みたい”を支えたいと、お産の再開を決めた。しかし、次々と難題が起こってしまう。震災前からの看護師は2人。あとは再開を機に新たに雇った新人スタッフだ。急造のチームは力をあわせて乗り切ろうとするが…。 vol.21「離れていても、いっしょだよ ~歌で届ける2年目の思い~」 <2012.2.7放送> 「福島をずっと見ているTV」の21回目。福島県・こむこむ館に、MC箭内道彦さんと矢口真里さんが登場! 福島ゆかりのミュージシャン渡辺俊美さんと藤井敬之さんが演奏する「Two Shot」に会場のみなさんが歌詞を付けて歌う。震災で離れてしまった大切な人へ思いを込めた歌詞の数々。家族の大切さ、避難した友人への思い、息子に宛てた本音…最後は、それぞれの思いを込めて完成した歌を大合唱! vol.22「小さな背中を押すアイデア」 <2013.3.7放送> 22回目は、福島県いわき市が舞台。震災から2年、避難者が多く集まる同市では「仮設住宅の車が壊される」「避難者を傷つける落書きが書かれる」などの事件が相次いだ。このままでは、誰かの心ない行為がもとで、住民と避難者との間に“溝”ができてしまう。危機感を持った警察官の試み。
【2013年度】 この年は、東京電力で働く人たちを取材。原発にも入りました。 vol.23「ふるさとを離れて暮らして~3年目の春に思うこと~」 <2013.4.7放送> 福島を離れ、県外で避難生活を送る人は5万7千人(当時)。3年目の暮らしを、宮古島と神戸で取材させていただきました。“福島に帰りたいけど帰れない”わけとは? vol.24「“桜の町”に、3度目の春が来て」 <2013.5.5放送> 福島県富岡町。今年は、満開の桜の下に、人々の姿がありました。震災以降、町全体が立入禁止区域に指定されていたのですが、今年3月、警戒区域が見直され、一部地域の立ち入りが許されるようになったからです。2年ぶりに見る“夜の森の桜”に、昔を懐かしむ人、これからの決意を新たにする人…。桜の元で行われたちょっと変わった、でも大切な研修を紹介。よさこいも躍動します。ふるさとの桜に思いを寄せる人々の物語です。 vol.25「“福島”を伝える言葉を探したい」 <2013.6.2放送> 震災の年の「LIVE福島」は、箭内さんが“福島”を元気づけたいと企画したものでした。今年は「CARAVAN日本」となづけ、“ありがとう”を伝えるために全国へ!熱いライブだけでなく、福島の人も交えた爆笑ステージトークもお届け。箭内さんもゲストの高橋優さんも「あったかい!」と語るLIVEをいろんな角度からお伝えします。沖縄・長崎・神戸・広島などをまわって、地元の人と語りあい箭内さんが感じたことは? 【特別編】 明日へ―支えあおう―「福島に戻っても 戻らなくても…~県外避難・3年目の暮らし~」 <2013.6.23放送> 「CARAVAN日本」で全国をまわる箭内さんが、沖縄、神戸、札幌などで出会った福島から避難している人たち。避難先の人たちに支えられながらも、故郷への思いに揺れながら暮らしていました。「故郷に残る、残らない・・・どんな選択をしても応援したい」と、箭内さんは新しい歌をライブで披露することに。 その歌とは!? vol.26「“がれき”のこれから…」 <2013.7.7放送> 福島県内では、津波によるがれきや除染した土などは、今もあちこちに山積みになったままです。中間貯蔵施設については建設場所すら合意できていません。さらに、日常生活から出るゴミも、線量的には埋め立て可能なのですが、住民の合意が得られず保管されたままになっています。限界を迎えようとしている保管場所。答えが見いだせない“がれき問題”に、箭内道彦さんも思わず言葉を失ってしまいます。 vol.27「福島の子どもたちが歌う“希望の歌”」 <2013.8.4放送> 阪神淡路大震災の時に神戸で生まれた歌「しあわせ運べるように」を合唱コンクールで歌いたいと練習に励む福島の小学校があります。歌詞の“傷ついた神戸をもとの姿にもどそう”を“傷ついたふるさとを”と歌っているのですが、合唱部を率いる先生には迷いがありました。福島には放射線の問題があり、「もとの姿にもどそう」とまだまだ歌えない現実があるからです。今回は、子どもたちの合唱に込める思いを見ながら、箭内道彦さんが、作詞作曲した臼井真先生とともに“福島の明日”を歌う歌について考えます。 vol.28「東京に届け 私たちの夏」 <2013.9.8放送> 福島県会津地方にある県立大沼高校演劇部が、演劇の聖地とも言われる東京・下北沢でオリジナルの劇を上演しました。被災してきた転校生の実話をもとに顧問の先生が脚本を書いた劇です。しかし、主人公を演じるのは被災経験をしていない女子高生。「経験のない自分が被災者を演じていいのか」「被災を売り物にしているだけではないのか」など葛藤しながらの練習が続きます。果たして生徒たちは被災者を演じきり、東京の観客に思いを伝えることができるのでしょうか? vol.29「アートが町にやってきた!」 <2013.10.6放送> 福島の温泉街の若者たちが「芸術祭」を企画しました。趣旨に賛同して集まってくれたアーティストは32組。温泉街の風景を見て気づいたことを絵にしたり、地元の人と語り合いながら町の未来の姿を描こうとしたり…。福島への思いを込めて創作する熱心な姿に触れて温泉街の人たちも変化が訪れます。スタジオでは箭内道彦さんと芸術祭の総合ディレクターがアートの持つ可能性について語り合います。 vol.30「お金ではできない“賠償”も~東電社員・模索の日々~」 <2013.11.3放送> 「加害者としての企業責任を、お金だけでなく“行動”で果たしていきたい」と語る、東京電力・復興推進室の永井さんと深野さん。被災者からの要望を受け、震災以降手つかずになっている住居の片付けや草刈りなどを行っているものの、依頼した人たちの思いは複雑です。「感謝はするが、そもそも事故さえなければ…」と言葉を濁す人もいれば、思いの丈や怒りをぶつけてくる人もいる。埋まることのない深い溝を感じながら模索する日々に密着しました。 vol.31「箭内さんがLIVEのバトンを渡した訳」 <2013.12.15放送> 全国ツアー「LIVE福島CARAVAN日本」の最終日は、福島県猪苗代湖会場。そこでオープニングアクトを飾ったのが、“ひとりぼっち秀吉BAND”でした。全国的にはまだ無名の若者たちに、大役を任せた訳とは? 秀吉BANDをゲストに迎え、福島の復興と、「LIVE福島」のこれからについて語り合います。 vol.32「箭内さん、原発へ行く~前編~」 <2014.1.12放送> 早朝、まず箭内さんが向かったのは、原発で作業する人々の拠点Jビレッジ。そこで思わず涙がでてしまう光景に出会います。その時撮った写真を公開。そして水野倫之解説委員が語る汚染水ギリギリの状況とは!さらに原発内の過酷な労働条件を、食事や休憩場所の現実をもとに報告。箭内道彦渾身!「福島をずっと見ているTV」ならではの切り口で送る、ひと味違う原発リポートです。 vol.33「作業員が語ってくれたこと 箭内さん、原発へ行く~後編~」 <2014.2.2放送> 前回の続編。原発で働く下請け、孫請けの作業員さんにお話をうかがいました。 原発に2時間ほど入っただけでは想像できなかった、現場で働く人にしかわからないエピソードや思い。たとえば防護服を身にまといながらの作業はトイレもままならない。そんな状況で思わずとった苦肉の策とは!?今、福島第一原発の現場には何が足りないのか?改善するためにはどうすればよいのか? 作業員のみなさんと一緒に考えていきます。 vol.34「震災3年 不安や迷いは消えましたか?」 <2014.3.2放送> 震災の年のロケ終わりによく通っていたホルモン焼きのお店。飲みながら、食べながら、そこでたまたま出会った人たちといろんな話をしました。 震災3年、なつかしいそのお店にもう一度行ってみました。農家の男性も、グループで来ていた女性たちも「新しいことを始めた」といいます。お店での本音トークに、追加取材のVTRでつづっていく震災3年の福島の人の思い。ふりかえって「友だちが増えた」と思う訳、「楽しいことをしたい」と心から願うようになった訳とは? 女性のひとりが主催するライブイベントは大雪の日だった。スタッフは中止と思ったのだが…。ちょっとした出会いのハプニングもお届け!
【2014年度】 この年は、箭内さんと合原アナとともに福島を訪ね、様々な思いに耳を傾けました。 vol.35「“つぶやき”を聞いて、書いて、わかったこと」 <2014.4.6放送> 震災から4年目。新MCの合原明子アナウンサーを迎え、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんとともに“福島”を見つめていきます。今回は、福島大学の学生たちが震災以降続けている“足湯ボランティア”。仮設住宅をまわり、そこに住む人たちと会話を楽しむ活動。同時に彼らはその会話を“つぶやきカード”に記録し続けていました。その数1000枚以上。3年間の生の声の記録を振り返ります。 vol.36「故郷に戻ったけれど…~南相馬市・老老介護の日々~」 <2014.5.4放送> 福島第一原発事故の後、避難していた人のうち65歳以上の高齢者は9割が南相馬に戻ってきましたが、65歳未満の人は6割。一気に高齢化が進んだこの町では、高齢者が高齢者の介護をする“老老介護”が深刻な問題となっています。今回、夫の介護に奔走する2組の夫婦に密着すると、ヘルパー不足で奥さんの負担は大きく、医者も奥さんの体調を心配する事態でした。「それでもふるさとで生きる」と決めた人たちの思いを見つめます。 vol.37「僕の仕事は、ふるさとの除染」 <2014.6.8放送> 今年4月、南相馬市役所の除染対策課に一人の新人職員が入りました。「ふるさと南相馬に若者が帰ってきてほしい」。その思いを胸に、あえて“除染”という仕事を希望したそうです。大学時代は「さっさと進めればいいのに…」と思っていた除染でしたが、実際に担当してみると大違い。なぜ難しいか、なぜ進まないのか、収録では素直に語ってくれました。ふだんはあまり聞くことがない、除染担当者の胸の内です。 スペシャル「東北が僕らの故郷です」 <2014.6.15放送> 今回秋田県出身の高橋さんが“東北をつなげていきたい”と、被災地のライブハウスを巡るツアーにも密着。その様子を紹介するとともに、福島県のいわき明星大学で行われた1日限りのライブ&トークをたっぷりお届けします。会場にいるはずの番組MC箭内道彦さんはなぜか山形へ。そのわけは…?高橋さんが震災後につくった歌“卒業”、その歌詞に込めた思いとは!?高橋さん、箭内さんそれぞれが、ふるさと東北への思いを語ります。 vol.38「ふるさと福島でずっと歌いたい」 <2014.7.13放送> 地元福島のファンから「福島の希望の光」と呼ばれる“ひとりぼっち秀吉BAND”と、今年の4月からいわき市を中心に活動を始めた“Chano”が登場!震災の悲しみや不安を歌う2組だが、あの震災への感じ方は対照的。震災を肌で感じた秀吉は、今もぬぐえない不安を吹き飛ばそうと歌い続け、震災のとき東京にいたChanoは、震災を歌うことに負い目を感じているという。2組のライブとともに歌に込めた故郷への思いを聞く。 vol.39「ふるさととの“つながり”を届けたい」 <2014.8.3放送> すべての町民が県内外で散り散りに避難生活を余儀なくされている大熊町。町は住民どうしをつなげるためにタブレットを配布し、大熊町関連のイベント情報や、仮設住宅を取材した動画を配信している。情報配信を担当する“復興支援員”のひとり、大熊町出身の10代女性は、慣れない機材に悪戦苦闘しながらも「住民たちの笑顔を連鎖させたい」と仕事に取り組む。彼女の姿をとおして、故郷と人のつながりについて箭内道彦と考える。 vol.40「対談!箭内道彦×大友良英~ふるさと福島への思い~」 <2014.9.7放送> 東日本大震災が起きた2011年夏、音楽家・大友良英さんは「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げ音楽イベントを開いた。一方、同じ年の9月、箭内さんは「LIVE福島」と題して福島県内を6日間かけて横断する大規模な野外ライブを決行。当時は、まだ放射線への不安もあり、野外での開催に賛否が渦巻いていた…。あれから3年半、別々に復興イベントを行ってきた二人が、これまでを振り返り、これからを熱く語る。 vol.41「これが、私たちの物語」 <2014.10.5放送> 福島で静かな感動を呼んでいる「紙芝居」。この活動は広島在住のボランティアが発案。響いたのは大熊町や浪江町など原発にほど近い地域に暮らしていた人たちだった。ふるさとに帰れない人たちが、その町の民話、震災前の穏やかな町、震災後の苦難の体験を記録し、紙芝居という手作り感のある手段で語り伝えようとする姿を伝える。 vol.42「南相馬で見つけた僕らの夢~「夢たびと」に集う若者たちの日々」 <2014.11.2放送> 今回、箭内さんと合原アナウンサーが訪ねたのは、鹿島地区にある「夢たびとBASE」。東京出身の佐藤孝一さん(24)ら、県外出身の4人の若者たちが立ち上げた施設。南相馬を訪れる若者たちに、町を案内したり、ボランティア活動や農業体験をさせたり「南相馬の良さを知って欲しい」と地域の人たちとの交流の場を手弁当で作っています。彼らはなぜ南相馬に移住を決め、どんな思いで活動しているのか?話を聞きました。 vol.43「終わっていないから、やり続ける」 <2014.12.7放送> 箭内道彦さんと合原アナウンサーが訪れたのは福島県いわき市。この日、福島県の高校演劇県大会が行われていた。震災から3年半、被災した人たちが今どんなキモチでいるのかを描いた大沼高校演劇部の舞台を鑑賞するためだ。現在の部員たちの中に被災経験を持つ者はいない。それでも佐藤先生は、生徒たちに仮設住宅を訪問させ被災者の気持ちを脚本や演技に反映させていった。「終わっていないから…」その言葉に込められた思いとは? スペシャル「福島と神戸 つながる若者たち」 <2015.1.11放送> 12/13に神戸市御影公会堂で行われたイベント「SING神戸THINK福島」の模様を中心に、「しあわせ運べるように」の歌や震災を描いた演劇で交流を図る神戸と福島の小学生たちの姿、阪神・淡路大震災の教訓を伝え続ける神戸の大学生と、震災を描いたドキュメンタリーを制作してきた福島出身の大学生との交流をとおして、MC箭内道彦さんとともに、震災の記憶と教訓を語り継いでいくヒントを探っていく45分の拡大版。 vol.44「それでもずっと 生かし続けたい」 <2015.2.8放送> 強制避難によってやむをえず置き去りにされたペットや家畜たち。震災直後から、その動物たちにカメラを向け続けてきた写真家・太田康介さん。写真を撮り続ける中で、取り残された動物たちを保護し、育て続けている方々に出会ってきました。彼らはなぜ動物たちを生かし続けているのか?震災から4年がたとうとしている今語られる、これまでの苦悩と葛藤、そして“これから”のこと…。太田さんと箭内道彦さんとともに耳を傾けます。 vol.45「これからも、福島と…」 <2015.3.8放送> 2/19に東京・豊洲で行われた福島県主催のイベントで実現した対談の模様を送る。震災前から副知事を8年勤め、昨秋県知事に当選した内堀知事。震災前から福島を見続けてきた彼の目に、今の福島はどう映り、これからの福島をどうしていくのか…?知事と箭内さんの対談だけではなく、これから“新しい福島”を発信していこうと奮闘する若者たちも取材。震災から丸4年、福島の“これから”について、みなさんも考えてみませんか?
【2015年度】 箭内さんと合原アナとともに震災5年目の福島を見つめました。 スペシャル「5度目の春に思うこと…」 <2015.4.5放送> 3/7にNHKふれあいホールで行われた東京で初めての公開収録。郡山の農家・藤田浩志さんと、いわきのかまぼこメーカー(広報)・小松理虔さんをゲストに、福島の農業と漁業について、震災以降の苦悩と、丸4年がたとうとしている今、感じていることについてお話を聞きました。お二人の「新しい福島の魅力を発見・伝えていく」思いにぜひ耳を傾けてください。後半は福島出身のミュージシャン2組によるトーク&ライブ。福島への思いを語りながら、今、ぜひ聞いてもらいたい名曲を披露します! vol.46「“桜の町”の記憶をつなぐ」 <2015.5.3放送> 震災から5度目の春、今年も富岡町自慢の桜が満開に。「涙が出ちゃう」と桜並木を見つめ続ける地元の人々。いまだ故郷に戻れない人たちが今、自分たちの体験を語り始めた。 今も全域で避難を余儀なくされている富岡町。今、故郷に戻れない人たちの中で「震災前の富岡のこと、震災のこと、避難している中で感じること」を語り継いでいこうという動きが広がっている。自分たちの体験を自分たちの言葉で伝える人々は、語り人(かたりべ)と呼ばれ、国内外とわず活動中だ。今回は「富岡町3・11を語る会」代表の青木さんを招き、箭内道彦さんと合原アナウンサーとともに“語り”にかけた思いに耳を傾ける。 明日へ―支えあおう―「ボクらの夢は、終わらない~福島・南相馬に集う若者たち~」 <2015.5.17放送> 南相馬市の津波跡地にポツンと建つ“夢たびとBASE”。全国から集まるボランティアの若者たちが、ここを拠点に“復興”への願いを胸に、地元の人たちとつながってきた。農作業の手伝いや町のイベント企画から地元PRビデオの制作まで…。ようやく地元の人たちにも活動が認められ始めてきた矢先、建物を撤去しなければならないことに…。彼らの“夢”はついえてしまうのか!?南相馬の復興に向けて“夢”を追う若者たちの物語。 vol.47「今、ラジオから届けたいこと」 <2015.6.7放送> 東日本大震災で東北各地に開局した臨時災害放送局は、災害時に避難住民向けの情報を流すための一時的な放送局ということもあり、今は役目を終え多くの放送局が廃止になりました。その中で、郡山市の仮設住宅から富岡町民に向け放送し続けている“おだがいさまFM”。単に情報を流すだけでなく、全国に散り散りになった町民の“つながり”を保つために様々な工夫をしています。ラジオに関わる様々な人たちの思いに耳を傾けます。 vol.48「MY FUTURE 南相馬」 <2015.7.5放送> テレビ番組のタイトル映像やミュージックビデオを手がける映像作家・くろやなぎてっぺいさん。震災から4年たった今、自分にできることは何かを考え南相馬のプロモーションビデオを制作することに。“町の未来”をテーマに「みなみそうま」の6文字であいうえお作文をつくってもらいラップ調で歌いあげてもらう。参加した南相馬の人たちが、言葉に込めた思いとは?箭内道彦さんと合原アナとともに、南相馬の人々の思いを見つめる。 vol.49「知りたい!伝えたい!富岡のこと~小学生たちのラジオ番組~」 <2015.8.9放送> 今も全町避難が続く富岡町。避難先の小学校で5年生7人がラジオ番組づくりに初挑戦!「ふるさとのことが知りたい」と、富岡出身の大人たちにインタビューをしていくと… 真剣なまなざしでマイクを向ける子どもたちを前に、富岡出身の大人たちは、震災前の思い出や、今取り組んでいることを、一つ一つ言葉を選びながら語り出す。そして最後に、子どもたちへメッセージを送る…。今回は、富岡の小学生たちが初挑戦したラジオ番組づくりに密着。制作に関わった富岡出身のミュージシャン渡辺俊美さんをゲストに、子どもたちと大人たちが語り合う姿をとおして“ふるさととは何か?”について考えていく。 vol.50「ずっとつながれるように~飯舘村・おやじプロジェクト~」 <2015.9.6放送> 福島県川俣町にある飯舘村の仮設小学校に、福島市や伊達市などの避難先から1時間かけてクールバスで通う子どもたちには、放課後、ゆっくり友だちと遊ぶ時間がありません… そこで、「夏休みの1日くらいは学校でゆっくり友だち同士で遊ばせてやりたい!」と、おやじたちが立ち上がった。仮設校舎で学ぶ飯樋小・草野小・臼石小のPTA会長3人が初めて力を合わせて企画したのが「夏祭り」。子どもたちが楽しんでもらえるように、射的やわたあめ、ヨーヨーつりなど出店を用意。中でも一番気合いが入っていたのが…!?今回は、東京の箭内さんと仮設校舎をネット中継し、おやじたちの思いに耳を傾ける。 vol.51「まだ、先が見えない中で…~浪江町 5度目の夏~」 <2015.10.4放送> 震災から4年半たった今も全町避難が続く浪江町。相馬市大野台の仮設住宅に住む浪江町の人たちは今、何を感じ、どんな思いで日々の生活を送っているのだろうか? 今年7月に除染が終わった知らせを受け、毎日、相馬市の仮設住宅から浪江町に通う男性がいる。「いつでも米作りができるように」と、かつて水田だった場所の雑草をひたすら刈り、土を耕し続けるのだが…。一方、仮設住宅では夏祭りの準備が進められていた。そこに手伝いにきていたのは東京電力の社員たち。震災以降、東電に対して複雑な感情が入り交じっていた住民たちだが…。5度目の夏、浪江町の人たちの今の思いに耳を傾ける。 vol.52「復興イベントからつながる場へ」 <2015.11.8放送> 箭内さんが毎年9月に福島で開催している音楽イベント「風とロック芋煮会」。今年も白河市と猪苗代町で開かれた。これまで様々な試みをしてきた箭内さんの新企画とは…!? 今年の「風とロック芋煮会」では初企画「アコワングランプリ」を開催。福島県内各地のライブハウスで予選会を開き、48名がギター一本で思いを歌にこめ戦ってきました。優勝者は「風とロック芋煮会」のステージでライブができるというこの企画。参加者はどんな思いで挑戦したのか?震災から5度目を迎えた「風とロック芋煮会」、変化しているのは企画だけでありません。お客さんの参加の仕方にも変化が現れ始めています。それは… vol.53「刻み続けられていく“時”」 <2015.12.6放送> 2時46分をさして止まったままの時計、廊下に散乱する教科書、机の上の飲みかけのジュース…。この学校の校舎は、震災から4年半たった今も手つかずのままになっている。 福島第一原発から約10㎞。福島県富岡町唯一の高校、県立富岡高等学校。全町民が今も避難を余儀なくされ、2011年3月11日以降、先生や子どもたちのにぎやかな声が聞こえなくなっていたこの校舎に、この夏、卒業生たちが戻ってきた。来年度いっぱいでサテライト校を含め富岡高校の休校が決まったため、学校側が「私物をとりにきませんか?」と呼びかけたのだ。4年半ぶりに訪れた校舎で卒業生たちは何を持ち帰るのだろうか? vol.54「楢葉町・みんなでつくる町の未来」 <2016.1.10放送> 9月に避難指示が解除された福島県楢葉町。本格的な町づくりが始まる中、京都の女子大生が新人スタッフとしてやってきた。住民と一緒につくろうとしている町の未来とは? 東京出身で京都の大学に通う西崎芽衣さん。2015年4月から、大学を休学して楢葉町のスタッフとして“町づくり”に関わることに。町の“今”を感じてもらうバスツアーを企画したり大忙しの彼女が特に力を入れているのが「なにかし隊」。町に戻った人も戻っていない人も一緒に楢葉町のことを考え、ふるさとでいつでもつながれる企画を行う。県外からきた若者と楢葉町の住民たちが力をあわせてつくろうとしている町の未来とは…? vol.55「町の“明かり”になりたい~南相馬・小高病院~」 <2016.2.7放送> 避難指示解除目前の町にある南相馬市立小高病院。常勤の医師はおらず、診療は週4日の外来のみで再開している。患者は一時帰宅した人や除染作業員が1日6、7人訪れる程度。ここで診療にあたるのは、復興の力になりたいと神奈川県から通う中尾誠利さんや元々地元で開業していた今野明さんら応援に駆けつけた医師たちだ。医師自ら病院が開いていることを町の人々に伝えて回り、時間をかけて患者とふれあう中で見つけたものとは? スペシャル「私たちの“いま”を見てほしい~福島・高校生たちの祭典~」 <2016.3.6放送> 福島県内の高校生たちが集合!復興に向けての活動成果を発表しあう「福島をずっと見ているTVフェス2016」ひとりぼっち秀吉BANDは高校生たちに新曲をプレゼント! 家庭科の課外授業で老人ホームなどを回りフラダンスを披露しているのは「いわき総合高校アロヒ・ミノアカ」双葉町や飯舘村から譲り受けた太鼓に復興への思いをつなげている「塙工業高校和太鼓部」自分たちの研究成果を土湯温泉の町おこしに活かそうとしている「福島高校スーパーサイエンス部」高校生ならではの視点で農家を取材し食材と情報誌を全国に届ける「高校生が伝えるふくしま食べる通信」それぞれのアツイ想いよ、届け!!
【2016年度】 震災6年目。熊本で大きな地震が起きてしまいました。熊本と“つながっていこう” とする福島の人々と、各地の避難指示解除に対する思いを見つめました。 vol.56「中小企業ドリーム~おじさんたちの“がんばっぺ1号”」 <2016.4.25放送> 郡山出身のクリエイティブディレクター箭内道彦さんと福島の“今”を見つめ“未来”について考える。今回はロボットづくりに挑戦する地元中小企業のおじさんたちの“夢”。 いわき市を中心に「地元中小企業の技術を結集してロボットを作ろう」と2014年に結成された“いわきロボット研究会”。まず取り組んでいるのは山火事のときに消火ホースを運ぶ“がんばっぺ1号”。悪路や山道を進む技術が、がれきの多い原発構内での廃炉作業でも役立つのでは?と開発を進めている。とはいえ、誰もロボットなど作ったことがない。おじさんたちが試行錯誤しながらのロボットづくり、果たして無事完成するのか?! vol.57「つなげたい!相馬の“宝”」 <2016.5.30放送> 福島県相馬市の漁師・菊地基文さんは多彩な顔を持つ。ある時は地元料理の売り込み隊長、ある時はネット動画で町のPR、ある時は雑誌の編集長…超多忙な彼の思いに迫る。 菊地さんが今最も力を入れているのが雑誌「そうま食べる通信」の発行。年に4回、相馬の食材とともに生産者の思いを届ける。取材も文章も写真撮影もレイアウトも全て手作り。震災から6年目を迎えても本格的な漁ができない中、海への愛着を忘れないようにと後輩漁師たちを巻き込み活動している。「相馬のファンを増やしたい」新商品の開発や直接消費者とつながる新企画など次々と奇策を打ち続ける菊地さんには、ある理想がありました… vol.58「福島の“今”を正しく知ってほしい」 <2016.6.27放送> 5/22福島県郡山市・奥羽大学で行った公開収録の模様をお届け!特別ゲスト高橋みなみさんと会場のみなさんと一緒に、福島の“今”と、これからできることを考えました。 今年2月に福島県がWEB公開したドキュメンタリーアニメ「みらいへの手紙~この道の途中から」。番組MC箭内道彦さんがプロデュース、福島ガイナックスが制作した10本の短編アニメです。震災後の福島で起こった出来事や実在の人物をモデルにした物語。アニメを上映した後、クリエーターやモデルとなった福島の人たちをゲストに、震災から5年が経過した今、福島のことをどう伝え、どう向き合っていけばよいかを考えました。 vol.59「フラやっぺ!」 <2016.7.25放送> 原発事故から5年が過ぎた今も全町民が避難を余儀なくされている福島県富岡町。そこに暮らしていた人たちがフラチームを結成。ふるさとへの思いを胸に踊り続けています…。 郡山市を拠点に活動するフラチーム『ワロハ』。メンバーの多くは、今も富岡から郡山に避難しています。彼女たちの代名詞とも言えるオリジナルのフラが、『桜舞う町で』という富岡の四季を描いた曲に、フラの振りをつけたもの。町自慢の桜並木を表現しています。メンバーたちはどんな思いを胸にこの曲を踊っているのか…じっくり話を聞きました。また、フラを通じて芽生えた、神奈川県の人たちとの心の交流の様子も描きます。 vol.60「ひとりじゃないよ~福島から熊本へのメッセージ~」 <2016.8.29放送> 福島から熊本へ―「5年前の恩返しがしたい」と熊本でラジオの公開収録を行うことにした箭内さんと、「何かできることをしたい」と動き始めた福島の人たちを追いました。 4月の地震で大きな被害を受けた熊本に向けて、番組MCの箭内道彦さんが作ったチャリティーソング「ひとりじゃないよ」。この歌のヴォーカルの一人で、熊本への支援活動も行っているBRAHMANのTOSHI-LOWさんを特別ゲストに、福島の人たちが熊本のためにできることについて考えていきます。また、箭内さんが益城町で行ったラジオの公開収録では、地元の方から“ある宿題”をもらいました。その“宿題”とは…?! vol.61「支えあって生きていく~南相馬・避難指示解除から2か月~」 <2016.9.26放送> 今年7月、避難指示が解除された南相馬市小高区。住民の帰還が始まる中、家族と別れ一人自宅に戻った老人や唯一の福祉作業所を再開させるため奔走する女性に出会いました。 南相馬にある障害者のための福祉作業所「ほっと悠」。理事長の村田さんは、避難指示解除とともに、震災直後から閉鎖を余儀なくされた小高区唯一の福祉作業所「ほっと悠・あゆみ」の再開を決めた。自宅に戻る障害者のための居場所が必要と再開を急ぐ村田さん。施設のリフォームを行う中で、新しいアイデアを思いつく。それは、家族と離ればなれになっても小高の自宅に戻ることを決意したある老人との出会いがきっかけだった…。 vol.62「よーいスタート!~広野中学1年生の映画づくり~」 <2016.10.31放送> 広野中学1年生たちが、町の“復興”をテーマに映画づくりに励む。町に住む復興関係者たちを直撃インタビュー!と思いきや思わぬ壁が…。果たしてどんな映画ができるのか? 福島第一原発から30km圏内にある広野町。震災後、いち早く避難していた住民が戻り始めた町です。現在暮らしている人は震災前から少し増えたものの、半分が元住民、半分は県内外からの復興関係者という状況。そんな中、広野中学1年生たちが、復興に携わる大人たちに話を聞こうとインタビュー構成の映画をつくることに…。映画づくりをとおして中学生たちが見た“復興”の現状と“町の未来”とは?映画のラストシーンにも注目!! vol.63「ひとりじゃないよ(続編)~福島から熊本へのメッセージ~」 <2016.11.28放送> 震災から5年たった福島から今年4月に被災した熊本へメッセージを届ける企画を立ち上げた渡部さんと舟部さん。仲間たちと一緒にメッセージを集める二人の軌跡を追いました。 9月、福島県白河市で開催された「風とロック芋煮会」の会場の一角に「福島から熊本へのメッセージ」を集めるブースがありました。「東日本大震災の経験を熊本の人たちに伝えてほしい」と声をかける渡部さんと舟部さん。福島だからこそできる支援の形として始めた企画だったが、震災当時のことを思い出させることがいいのか悩み続けていました。しかし、集まった181枚のメッセージと向き合ってみると、ある大切なことに気づいていきます…。 vol.64「“忘れない”を引き継ぐ」 <2016.12.26放送> 福島県の会津地方にある、県立大沼高校演劇部は、東日本大震災以降、毎年震災・原発事故を扱った芝居を作り続けています。「震災を忘れない」を合言葉に、毎年新作を発表。県内各地で上演しています。この秋、そんな大沼高校の芝居を、先の地震で被害を受けた熊本県の中学生が演じることになりました。演劇を通じて福島から熊本へ受け継がれる思いを取材。さらに、新作を引っ提げ、演劇コンクールに臨む大沼高校の奮闘にも密着! vol.65「浪江町“帰還元年”の年明け」 <2017.1.30放送> 今も全町避難が続き2万人が全国に散らばる福島県浪江町。今年3月に一部の地域で避難指示が解除される方針が示されました。町では去年10月末に役場敷地内に飲食店やコインランドリーなど10店舗が集まる仮設商店街もオープン。ところが、住民意向調査によると帰還したいと考える人は全体の2割にも満たないのです。ふるさとに戻る人、戻らない人、戻れない人…浪江の人たちの帰還元年(予定)となるお正月に密着。人々はどんな思いで新年を迎えたのか? 様々に揺れる心のうちを描きました。 vol.66「あれから6年、今の福島を知っていますか?」 <2017.2.27放送> 震災からまもなく6年。なかなか消し去ることができない福島に対する負のイメージを、どうしたらなくしていけるのか考えます。「福島 農家」と検索すると、そこには心ない言葉の羅列が…。福島産の桃をPRしているときに起きた、ある事件…。震災から6年になろうとしている今も、福島に対する誤解や、悪質なデマ、ひぼう中傷が後を絶ちません。なぜなのか…? 今回は、震災後の福島の課題を研究し続けている福島県いわき市出身の社会学者・開沼博さんと、絵本作家・松本春野さんともに、福島に対する負のイメージをどうしたらなくしていけるのか考えていきます。 vol.67「富岡とともに…。」 <2017.3.27放送> 4/1に帰還困難区域以外の避難指示が解除される富岡町。ふるさとに思いを寄せつつ、前を向いていこうとしている富岡の人たちの姿を追った。そこから見えてきたものは…? 今年3月末で休校が決まっている福島県立富岡高等学校。震災の時のまま時間が止まった校舎に毎月、歌声が響き渡る。卒業生や職員たちが月に一度集まって校歌を歌っているのです。そこで出会ったある人は、休校を前に記念イベントを開こうとしていました…。 また、いわき市の仮設住宅に住む富岡の人たちは、今年1月に熊本を訪れ、同じように仮設住宅に住む人たちと交流を深めます…。様々な富岡の人たちの活動から見えてきたこととは…?
【2017年度】 震災から7年目。44分サイズの特集番組としてリニューアルし、放送時期も3か月に一度に…。地域や立場によって異なる様々な思いに耳を傾けました。 vol.68「いつでも帰ってこられる場所を…」 <2017.5.20放送> 震災直後の2011年6月から放送開始の「福島をずっと見ているTV」。7年目となる今年度からは放送時間を44分に拡大し年5本放送予定。ゲストはカンニング竹山さん。 番組リニューアルの初回は、避難指示解除後の様子を見つめる。一つ目は解除後3年がたった田村市都路地区。この4月、区内の二つの小学校が統合されスタートした都路小学校では、番組MCで福島出身の箭内道彦さんが作詞作曲した校歌を初披露。歌詞には児童たちの思いが込められた。二つ目は南相馬市小高区。去年7月に避難指示が解除されたが、今も「市民の手」で、作物や土壌などに含まれる放射線量を測定する日々が続いている。 vol.69「あれからの日々」 <2017.6.29放送> かつて番組に出演してくれた人たちの“あれからの日々”と“今”に焦点を当てる。6年間「福島をずっと見ている」と、それぞれにあらたな心境の変化が起きていました・・・ 2012年、富岡町社会福祉協議会の吉田恵子さんらが避難先の郡山で立ち上げた「おだがいさまFM」は、今も富岡町民の交流の場。吉田さんは震災のプラス遺産だと胸を張る。また、震災をテーマに演劇に取り組んできた大沼高校では、顧問の佐藤雅通先生が異動で離れることに。番組は最後の日に密着。その他2011年以来の取材映像を振り返りながら、出演者たちの今を見つめる。 合原アナの新コーナー「ゴー!バル」もスタート。 vol.70「“復興”ってなんだろう?」 <2017.9.28放送> 福島県白河市で行われた「風とロック芋煮会2017」。会場に訪れた福島県内外の人たちに、震災から6年半たった“今”のキモチと、伝えたいことを聞きました。すると… 「目に見える形での“復興”は進んでいるかもしれないが、目に見えないところではどうだろう?」そんな声も聞こえてきました。“復興”ってなんだろう?箭内さんと渡辺俊美さんと一緒に改めて考えてみます。 いまだ試験操業が続く福島の漁業ですが、セリが復活したり、釣り人が増えるなど少しずつ変化が…。一方、避難指示解除が進み、仮設住宅から新築の復興住宅へと引っ越す人の中には新たな課題も…。 これから必要なこととは…? vol.71「徹底討論!“福島を伝えること”」 <2017.12.14放送> 震災から丸7年がたとうとしている“今の福島”。少しずつ変化してきた様子をどのように伝えていけばよいのか。これまで“福島”を発信し続けてきたゲストを招いて徹底討論 討論に参加してくれたのは、大手新聞社勤務時代から福島を取材し続けている新興ネットメディア記者の石戸諭さん。東電福島第一原発で作業員として働いた実態を漫画「いちえふ」に著した竜田一人さん。 子どもたちに合唱団活動を通じて福島を語り継いでいる佐藤敬子さん。地元ラジオ局のパーソナリティも勤める元ミス・ピーチの上石美咲さん。福島の農業や風評被害のこと、放射線のこと、メディアの伝え方等、議論は多岐に渡った。 vol.72「それぞれの3月11日。8年目への思い。」 <2018.3.22放送> 東日本大震災から7回目を迎えた3月11日。福島の人々はどんな気持ちで迎えたのか…。合原明子アナが当日の空気を肌で感じながら現地リポート。番組MC箭内道彦さんは… 去年3月に一部を除いて避難指示が解除された浪江町。帰還した住民は1割にも満たないが、3月11日には慰霊祭などのために一時帰郷する人々が少なくない。合原アナは、瓦礫の中から見つかった個人所有物15000点を展示している施設を訪問。さらに、町に賑わいをとり戻そうと支援活動に励む大学生たちにも出会う。箭内さんは例年通り、実家で家族や友人たち、そしてネットでつながる福島の人たちと穏やかにその日を迎える…
【2018年度】 震災から8年目。福島の“今”、そして“未来”を見つめます。 vol.73「楢葉町の未来。どんな町にしたいですか?」 <2018.6.24放送> 全町避難した自治体では、最初に避難指示が解除された楢葉町。復興のモデルケースとして注目されている。この町と関わる移住者、大学生、そして地元中学生が描く未来とは? 2015年9月に避難指示が解除された楢葉町。去年4月には小中学校が再開、生活インフラを一カ所に集めたコンパクトタウンの商業施設もまもなくオープンする。現在町の人口は、震災前の4割ほど。除染作業などに携わる人や農業関係者など県外からの移住者も増えているという。この町とつながる人々が描く未来の話を聞きながら、番組MC箭内道彦さんとゲストの松田晋二さん(塙町出身のミュージシャン)は、何を思うのか・・・ vol.74「復興からその先へ~川内村の夏~」 <2018.9.23放送> 震災からわずか1年で全村避難していた住民に「帰村宣言」を出した川内村。それから6年。村が1年で一番盛り上がるお盆の3日間に密着。若者たちが描く村の未来とは…? 帰還率が約73%(震災前:約3000人/現在:約2200人)と周辺自治体に比べて突出している川内村。しかし、帰村者の9割が50才以上で、子どもはわずかしかいない。そんな村が一年で一番盛り上がるのがお盆。恒例行事の「盆野球」と「盆ダンス」、そして「成人式」も開かれ、村出身の若者たちが多く帰って来る。この夏、村に暮らす人、村外から通いで働く人、お盆だけ帰省する人、それぞれが思い描く村の未来を見つめる。 vol.75「南相馬・新たな挑戦の先に・・・」 <2018.12.9放送> 南相馬市小高区。帰還した人たちの多くを占める高齢者たちに寄り添い、地域のニーズに合わせた医療体制に挑戦する小高病院を見つめる。 避難指示が解除される直前の2016年に番組で取り上げた南相馬市立小高病院のその後…。高齢者が多い町だからこそ始めた医師たちの新たな挑戦と今でもぬぐえない様々な苦悩を見つめる。合原アナウンサーは相馬農業高校を訪問。地元愛あふれる高校生たちは未来につながるさまざまな研究に挑戦していた!今回は、箭内道彦さんと合原アナウンサーとともに小高病院を見続けてきたディレクターも出演。 vol.76「ふるさと只見で育まれる夢」 <2019.3.24放送> 新潟との県境にある只見町。この町で夢を実現しようとする若者、町を出て夢を叶えようとする高校生、ふるさとの新たな魅力をつくろうと奮闘する大人たち。それぞれの夢… 震災と同じ年「新潟・福島豪雨」で町の大部分が浸水し、いまも爪痕が残る只見町。若者たちの大部分は高校を卒業すると町を離れることに。そんな中、新しくできた焼酎の蒸留所では、一度町を離れた若者が働き始め、夢を実現させようと動き出す。雪祭りのステージで歌う高校生は、この春、プロのシンガーソングライターになるために上京する。若者たちの故郷への思いを育むためにできることは何なのか?俳優の六角精児さんと語る。
【2019年度】 震災から9年目。福島の“今”、そして“未来”を見つめます。 vol.77「HOME~密着・富岡町民劇~」 <2019.6. 22 放送> 今年1月。富岡町民が富岡町民に向けて演じる<町民劇>の公演がおこなわれた。芝居に挑む人々の舞台裏に密着。それぞれの思いを描きながら、富岡町の“いま”を見つめる。 町民劇のタイトルは『ホーム』。避難指示が一部解除された富岡町に1人帰還したおばあちゃんを主人公に、家族三世代が改めて自分とふるさととの関係を見つめなおす姿を温かく描く物語だ。芝居に挑んだ人たちは、避難指示が解除され町に戻った人、避難先で生活を続ける人、原発関連作業で町外から住んでいる人…。震災から丸8年。それぞれの思いに寄り添いながら、ゲストの城島茂さんと共に考えていくHOME=ふるさととは? vol.78「東北と世界をつなぐ~2020その先へ~」 <2019.9.28 放送> 番組MC箭内道彦さんが「東京2020NIPPONフェスティバル」のディレクターに就任。オリンピックを東北の復興につなげようと奮闘する箭内さんの日々に密着する。 箭内さんが企画したイベントとは、復興の象徴として体長10mの巨大操り人形を作成。それが東北の被災地を練り歩くというもの。操り人形の名前は、宮藤官九郎さんが考案、世界観は又吉直樹さんが物語にまとめた。箭内さんは東北の子どもたちが参加するワークショップを開催、操り人形のビジュアルを作り上げようとしている。いったいどのような人形が出来上がるのか?被災地を飛び回る箭内さんに密着、その思いを描いていく。 vol.79「福島のみんなと歌いたいんだ!」 <2019.12.21放送> 番組MC箭内道彦さん、山口隆さん(サンボマスター)ら、福島出身の4人で結成したバンド「猪苗代湖ズ」。震災後の福島を歌で元気付けてきた彼らのふるさとへの思いとは? 猪苗代湖ズが結成されたのは、東日本大震災の前年。その後ふるさとを震災が襲い、歌で人々を励ます中で、メンバー4人のふるさとに対する思いも変わっていったという。今年、福島は豪雨災害に見舞われた。いま、彼らはどんなことを考えているのだろうか。今回、4人がスタジオに集まり、深く語り合った。過去のインタビューやライブ映像もあわせ、猪苗代湖ズのこれまでとこれからを描く。新曲「俺たち」のスタジオライブも必見! vol.80「震災から9年 それぞれの場所でできること」 <2020.3.28放送> 東日本大震災から9年となった今年3月11日。日本列島は新型コロナウイルス感染拡大で揺れていた。そんな中で、福島の人たちはどんな「3.11」を迎えたのか取材した。 番組MCの箭内道彦さんは、毎年3月11日に福島の人に向けたネット中継を行う。いまでも「震災当日はテレビをつけたくない」という福島の人は多い。そんな人たちに箭内さんは今年は何を語るのか。また、福島の漁師の娘として生まれ、全漁連に就職、福島の漁業の復興を応援し続ける女性や、福島県富岡町から避難したいわき市で焼き鳥屋さんを開業した男性など、それぞれの場所でがんばる福島の人たちの思いを聞く。
【2020年度】 (81)「さよなら代行バス」 2020/4/25 今年度は毎月放送!福島の今を見つめていく。今回は、JR常磐線の全線再開ニュースの裏で、ひっそりと役割を終えた代行バスの添乗員が見つめた福島の今をお届けする。 東京の日暮里から宮城県を結ぶJR常磐線。原発事故の影響で途切れた区間をつないできたのが、JR代行バスだ。その第1便から添乗員として乗務してきたのが福島県いわき市出身の野木美智子さん。運行開始当初は、県外からのお客さんも多く、福島の現状を伝えたるためにアナウンスも試行錯誤してきた。それから5年。今では「常連さん」も増えた野木さんの最後の1か月に密着。代行バスの車窓ごしに見つめてきた福島の復興とは? (82)「ありがとう“おだがいさま”」 2020/5/30 毎月1回放送の「福島をずっと見ているTV」。今回は、3月に閉鎖となった郡山市にある富岡町民の交流施設『おだがいさまセンター』に集う人たちの思いに耳を傾ける。 福島第一原発事故の影響で全町避難を余儀なくされた富岡町の人たちの“生きがい作り”を支援してきた『おだがいさまセンター』。開所当時からスタッフを務める吉田晶子さんは、施設が役割を終えることは復興が進んだ証、と前向きに考える一方で、住民たちの拠り所がなくなってしまうのではと不安も感じている。おだがいさまセンターに集る富岡町の人たちの思いとは?そして彼らの声を聞いて番組MC箭内道彦さんが感じたこととは? (83)「コロナの時代に生かせ“震災の経験”」 2020/6/27 新型コロナウイルスが広がる中、震災の経験を生かそうとがんばる人たちがいる。今回は箭内道彦さんがリモートインタビューで、コロナ時代を前向きに生きる人たちに聞く。 福島で地域のスーパーマーケットを営む関根孝子さんは、コロナの不安が広がる今の状況を、震災直後の福島と重ね合わせている。いま福島の人たちの中でも中国の人を差別するような言葉が聞かれるという。関根さんは、震災のときあれほど福島が差別され悲しい思いをしたのを忘れたのか、と憤る。震災を経験したからこそ、わかること、伝えたいことがある。そうした市井の人たちの言葉に、箭内道彦さんがじっくり耳を傾ける。 (84)「馬とともに、仲間とともに」 2020/7/25 福島・南相馬の伝統行事「相馬野馬追」。毎年7月おわり、大勢の鎧武者たちが馬を駆って、歴史絵巻さながらの神事を繰り広げる。その祭りにすっかり魅せられた医師の物語。 小鷹昌明医師は、かつて大学病院に勤務し順調に出世の階段を上っていた。しかし、出世するほど患者から遠ざかっていると感じ、もう一度自分が目指す医療を追い求めたいと、大学病院に辞表を提出。震災翌年、南相馬へと移り住んだ。被災地の医療は大学病院とは違い、医師自ら患者の元へ出向き、患者の信頼を得なければならない。「もっと地域に受け入れられなければ」そこで出会ったのが地域の祭りである「相馬野馬追」だった。 (85)「居場所をつくり、守りたい」 2020/8/29 福島県二本松市の福祉事業所「コーヒータイム」。ここは病気や障害のことを気にせずに、誰もが安心して過ごすことができる場所。障害者支援に人生を捧げる女性の思いとは? 福島県二本松市で福祉事業所「コーヒータイム」を運営する橋本由利子さん。精神障害者が自立した生活を送るため、20年以上支援を続けています。橋本さんが大切にしていることは、障害者が安心して過ごせる“居場所”づくり。この春、近所で新型コロナウイルスクラスターが発生したときも再開のために奮闘し続けてきました。いま橋本さんは、浪江町にもうひとつの「コーヒータイム」をつくろうとしています。その思いとは…? (86)「故郷とのつながりを求めて〜福島物産館のお盆〜」 2020/9/19 今回の舞台は東京にある福島の物産館「MIDETTE(ミデッテ)」。今年のお盆、ここは新型コロナウイルスの影響で、いつもとは違う様相を呈していた…。いったい何が? 東京にある福島の物産館「MIDETTE(ミデッテ)」。今年のお盆、ここはいつもの夏とはちょっと違う様相を呈していた。新型コロナウイルスの影響で福島を行くのを控えた人々が少しでも福島を感じたいと、この場所に集まっていたのだ。店員の石塚さんは東日本大震災を機に福島とのつながりが深まり、他業種から転職したほどの福島愛の持ち主。自身も福島の友人たちに会うのを控えるこの夏、石塚さんが自らに課した役割とは? スペシャル (87)「福島と交わした“約束”」 2020/9/24 44分のスペシャル版!番組MC箭内道彦さんの今に密着。新型コロナウイルスの影響で故郷・福島に行きづらい中、どう福島を発信していくのか。「約束」に込めた思いとは? 感染予防の制限を受けながらも、西田敏行さんやTOKIOと、福島の今を発信し続ける箭内さん。東京にいながら応援するメッセージを模索していた。しかし、どうしようもないことも。毎年福島で主催してきた音楽イベントは中止が決定。先が見えない状況は、東日本大震災直後を思い起こさせるものだった。そんな中、箭内さんがとったのは、新たな「約束」をすること。それは、福島を愛する人々に向けた希望のメッセージだった。 (88)「僕がBarを始めた理由〜浪江町 22歳の挑戦〜」 2020/10/31 震災で大きく人口が減った福島県浪江町で、22歳の若者がBarをオープン!でも、やっぱりお客さんは来ない…。若者は、なぜこんな挑戦を?原点は、小学校の思い出? 浪江町出身の山本幸輝さん(22)が、Barを開いたのは今年5月。バーテンダーとして、修行を重ねる日々だ。でもなぜ、そもそも若者が少ない町に店を出したのか?そこには、多感な10代で震災に遭い、仲間と離れ離れになった経験がある。「若者が集える場を作り、同級生らが戻りたくなる町にしたい」。しかし現実は難しく、お客さんは来ない。そこで、山本さんはあるイベントを実行!その後、もらした「悔しい」の意味は? (89)「未来を拓(ひら)くお米」 2020/11/28 今秋、福島県が発表した高級米「福、笑い」。震災後に落ち込んだ福島の米のイメージを回復させ、農業の未来を切り開こうと奮闘する農家の願いと子どもの本音を見つめる。 今秋、福島県が発表した独自開発の高級米「福、笑い」。粒が大きく柔らかな触感で強い香りと甘みがあり、夏の暑さにも強いという。震災後、福島の米は全量全袋検査が行われてきたが、今年になってサンプリング検査のみで出荷が可能となり、大きな節目を迎えた。「福、笑い。」には高級米で福島の農業の未来を切り開こうとする農家たちの願いがこめられているのだ。この米の生産を行う斎藤寛さんの「農業への思い」に耳を澄ませる。 (90)「僕がいま撮りたい“福島”は?」 2020/12/26 震災の年に出会った鈴木友和さんは福島の魅力を写真で伝え続けている。壮大な雲海、豊かな紅葉、常磐線再開に歓喜する人…福島の“いま”を撮る中で彼がつかんだものとは? 震災の年に出会った鈴木友和さんに密着。当時21歳だった鈴木さんは「県外の人を福島に呼び込みたい」と音楽イベントの開催に尽力、実現させた。あれから9年。彼はそのイベントを機に始めた写真で福島の魅力を伝え続けている。その活動の原動力となっているのは県外へ避難している人からの思いがけないポジティブな反応だ。壮大な雲海、豊かな紅葉、常磐線再開に歓喜する人々…いま現在の福島の魅力を求める中でつかんだものは? 2021-01-30 (91)「震災10年 カメラに支えられた日々」 原発事故で故郷を離れるしかなかった「カメラおばあちゃん」に密着。心折れそうな日々をカメラに支えられてきたこの10年。美しい風景や仲間を記録し続けるその思いとは? 福島県南相馬市の復興公営住宅に住む丹伊田幸子さん(89)は、興味を持ったものにはすかさずカメラを向ける“カメラおばあちゃん”。原発事故でふるさとの浪江町を離れてからの心折れそうな日々を、カメラと共に生きてきた。あるときは息をのむような美しい風景を、あるときは避難先で支えあう仲間たちの表情を記録しながら、ふるさととは何かを自問し続けてきた。そんな丹伊田さんの、写真とともに生きる日々を見つめていく。 2021-02-27 (92)「漁師として生きる、相馬で。」 震災後、試験操業の日々と向き合いながら、魚の魅力をマガジンで発信し、イベントやレストランを仕掛けるなど多彩に活動してきた、福島県相馬市の4代目漁師の思いに迫る。 相馬市の漁師・菊地基文さんは震災後、長引く試験操業の日々と向き合いながら、数々のユニークな活動を通して相馬の漁業を盛り上げようと奮闘してきた。魚の魅力をマガジンで発信したり、イベントを仕掛けたり、業種を超えた仲間とレストランを開いたり…。多彩な活動は徐々に実を結び、独自のネットワークから魚の注文が直接入るようになってきたという。人とのつながりを大切にしながら、できることを淡々と重ねていく姿に密着。 2021-03-25 (93)「震災10年、積み重ねてきた日々。」 震災10年。当番組スタートから約10年。福島の人々はこの10年をどう過ごし、今何を思うのか。継続取材の貴重な記録をもとに箭内さんとTOKIO国分太一さんが語る! 震災後の2011年6月に始まった当番組もまもなく10年。これまでの取材を通じて福島に思いを寄せる人々とのたくさんの出会いがあった。福島の人々はこれまで何を考え、いま何を思うのか。番組では、震災から半年後に行われた結婚式の様子を取材した夫婦、一時避難したものの早々に故郷に戻った家族、それぞれの「10年の軌跡」をみつめる。その変遷を浮き彫りにしながら語り合うのは箭内さんと初登場TOKIO国分太一さん! 2021-03-27 (94)「私の“ふるさと”は...」 原発事故で散り散りになった浪江町の人々のつながりを取り戻そうとしてきた時計店店主がいる。苦難の時を経て新たにたどり着いた“ふるさと”は?10年の軌跡を見つめる。 浪江町で長く時計店を営んできた原田雄一さんは、原発事故で避難を余儀なくされ、今は二本松市の復興公営住宅のそばで店を営む。散り散りになったお得意先を回るたび、つながりを失い孤独に暮らす人びとの姿を目にして胸を痛めてきた。福島市に浪江の人たちが共に暮らせる場所を作ろうと奔走したこともあったが、あえなく挫折。苦難の時を経て、原田さんは“ふるさと”について新たな考えにたどり着いた。その軌跡をみつめていく。
【2021年度】 (95)「私はこうして 生きてゆく」 初回放送日: 2021年6月30日 東日本大震災と原発事故から10年を迎えた今年3月、福島で上演された朗読劇「生きている 生きてゆく」。演じたのは、福島第一原発から20キロ圏内にある、福島県富岡町にゆかりのある人たち。朗読されたのは、原発事故により着の身着のままで避難を余儀なくされた住民たちが、避難所で発した言葉の数々だ。あのときどんな思いで避難し、その後何に悩み、選択しながら暮らしを立て直していったのか。朗読劇をベースに見つめる。 (96)「つながり人形“モッコ”が見たもの」初回放送日: 2021年9月1日 身長10メートルの巨大人形「モッコ」。番組MCの箭内さんが4年前から取り組んできた東京オリンピックパラリンピック公式文化プログラムのために作られたものだ。「東北復興」をテーマに、被災した岩手・宮城・福島を巡り人々の思いを世界へ発信するはずだったのだが…。コロナ禍で箭内さんのプロジェクトの前に立ちはだかった予想外の困難。先の見えないモッコとの日々を箭内さんはどのように受け止めたのか。又吉直樹さんも! (97)「ともに生きる〜フリーアナウンサー大和田新〜」初回放送日: 2022年1月9日 福島県の民放ラジオ局で人気レギュラー番組を持つフリーアナウンサーの大和田新さん。まもなく震災から11年となる今も周囲を驚かせるほどの熱量で現場に出向く。被災者の声に耳を傾け、受け止めた言葉をラジオで人々に伝えていく…。それはまさにライフワークだ。本当の意味で人々に寄り添うため大切にすべきことは何なのか。大和田さんは震災直後から今日に至るまで、そのことを自らに問い続けてきた。大和田さんの答えとは? (98)「あの時小さかった私が いま伝えたいこと」初回放送日: 2022年3月23日 福島県二本松市の「福島しあわせ運べるように合唱団」の子どもたちは、阪神淡路大震災のあと神戸で作られた歌「しあわせ運べるように」を福島で歌い継ぐ活動で知られている。その多くが高校卒業の節目を迎えるこの3月、活動の中で得たものを踏まえ「自分の夢」をめざし歩みを進めようとしていた…。出会った時は小学4年だった部長の萩原千尋さんと仲間たちの8年に渡る軌跡を見つめていく。King&Prince永瀬廉さんも!
【2022年度】 (99)「ここで生きていくことが、“復興”」 初回放送日:2022年7月27日 福島県川内村。原発事故で一時は全村民が避難したが、いち早く帰村を推し進めた結果、もといた住民の8割が戻ったことでも知られている場所だ。いまここで、古民家を利用し、新たな交流拠点を作ろうと奮闘しているのが、志賀風夏さん(川内村出身)。年齢も性別も関係なくみんなが集まれる場所を作りたいという志賀さんは「在りし日の“村の良さ”を取り戻したい」と語る。真の復興とは何なのか、風夏さんの姿を通じて考えていく。 (100)「希望の物語を描く」 初回放送日:12月28日(水) 南相馬市の医師・小鷹昌明さんは東日本大震災後に福島に移住、被災地医療に従事してきた。10年に渡るその活動を通じて、小鷹さんは今何を思うのか。長期取材で見つめる。福島県南相馬市の医師・小鷹昌明さんは東日本大震災後に福島に移住、被災地医療に従事してきた。それまでは大学病院に勤め、医学部准教授として後進の指導にもあたっていた小鷹さん。福島への移住は「現場で奮闘する医師として生きる」という希望を実現するためのものでもあった。あれから10年…。傷ついた地域を支えるためにどんな挑戦をし、何を学んだのか。長期継続取材の成果を踏まえながら小鷹医師の10年を見つめていく。 (101)「あの日の“約束”を忘れない」 初回放送日:3月11日(土) 今から12年前に起きた東日本大震災、そして東電福島第一原発事故。以来、番組MCの箭内さんは故郷・福島のために何ができるかを考え、「福島を広告」し続けてきた。次第に強くなっていった福島の人々との結びつき。そして互いに影響を受け合い過ごしたこれまでの日々。一人ひとりにとって、「あの経験」は今どんな意味を持つのか…。箭内さんと合原アナが、これまでの12年間を振り返りつつ、未来を見据えて語り合う44分間。