アカデミー賞作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』、世界90カ国以上で大ブームとなったドラマ『イカゲーム』。今年5月のカンヌ映画祭では、韓国人が監督賞と主演男優賞の2冠を達成。
韓国発の映像コンテンツが、世界で評価される背景には何があるのか?
日本を代表する映画監督・是枝裕和さん。新作の映画「ベイビー・ブローカー」の撮影を韓国で行いました。
映画の制作の合間を縫って、韓国映画の強さの秘密を探る2日間の旅に出た是枝監督に密着しました。
(ソウル支局 長野圭吾)
世界を席巻する韓国映画 その秘密とは?
去年12月21日。是枝裕和監督は、ソウル発の高速鉄道「KTX」に乗っていた。目的地は釜山(プサン)。この町は、釜山国際映画祭や新作映画の撮影などで、何度も通った縁の深い場所だ。実は釜山には、韓国政府の方針で、映画振興に関わる様々な公的機関が集められている。その一つに、数多くの実力ある映画監督を輩出してきた映画学校がある。是枝監督は、そこを訪ねたいと考えたのだ。
若者たちのあこがれ 「韓国映画アカデミー」(KAFA)
「韓国映画アカデミー」、通称KAFA(Korean Academy of Film Arts)。
1984年に国内映画産業の専門人材育成のために設立された、国立の映画学校だ。釜山の高台にある4階建ての建物に、映画監督、プロデューサー、カメラマン、アニメーション監督を目指す若者50名が、少数精鋭での教育を受けている。映画監督を目指すコースへの入学は、なんと競争率が20倍以上。合格すれば学費や寮の支援を受けながら、映画作りに集中できる環境が与えられる。古くから映画界にあった「徒弟制度」とは違う形で、優秀な映画監督を養成することが目的だ。
あの『パラサイト 半地下の家族』でアジア初のアカデミー賞作品賞を受賞した、ポン・ジュノ監督もここの卒業生だ。
学校によると、これまでに韓国で活躍する700人あまりの映画人を輩出したという。
是枝監督が訪れたこの日、映画監督を目指す学生たちが、短編映画の制作を行っていた。
是枝監督:
ちょっと聞いていい?どんな話の映画なの?
学生:
今作っているものはビニールハウスに住んでいるお婆さんが集団暴行事件を目撃してしまい、加害者たちからビニールハウスに火をつけると脅迫を受けて悩んでいるというものです。
是枝監督:
社会的に重たい話だね。どういう監督が好きなの?
学生:
私はミヒャエル・ハネケ。韓国ではパク・チャヌク監督です。
是枝監督:
これ終わったらどうするの?
学生:
私は短編映画コースの学生ですが、来年は長編映画のシナリオを書く課程に進む予定です。
「韓国映画アカデミー」では、最大3年間学ぶことができる。短編映画で基礎を学ぶコースに1年。長編映画のシナリオを開発するコースに1年。そして「長編課程」と呼ばれるコースは、1本4000万円もの予算が与えられ、一般の劇場公開作品や国際映画祭に出品するチャンスをつかむ学生も多い。それぞれに試験があり、厳しく競争にさらされる。
厳しく実践的な教育
「韓国映画アカデミー」の授業は、実践的でかつ厳しいと言われる。
翌日に行われる授業のため、緊張した様子で短編作品を仕上げをする学生がいた。ソウル出身のチェ・フンさん(崔勳)(26)。
「オレオレ詐欺」を疑う銀行員と高齢者の騒動を描いた作品を作った。長回しのショットやスローモーションなど、チェさんの発想がふんだんに盛り込まれていた。
「クリティック」と呼ばれる授業。2日間に分けて、映画監督志望の10人の学生が自身の短編作品を上映する。それを学校の教授や、現役の映画関係者ら11名が、批評を加えていくというものだ。
「韓国映画アカデミー」の教授たち:
「お前は楽しかったかもしれないが、私は苦しかったよ。どうしたらこの映画を楽しめるんだよ?」
「作家の視線がよくわからない。まるで”オレオレ詐欺防止の“広報映像に出てくるような人物づくりだった」
「長回しのショットの話が出たので話すけど、その長さに十分耐えられる感情や情報、見どころがないと観客はその時間に耐えられない」
“発想の面白さは認めるが、独りよがりになるな”
演出やシナリオ、スタッフワークなどについて、1時間以上にわたり批評が続いた。学校は、こうした授業を通して、映画監督に必要な演出力やスタッフワークなど、映画業界で生きていく力を身につけさせようとしています。
チェ・フンさん:
本当に勉強になっています。プロの先生たちの話が聞けるのはすごく幸運だと思います。 世界が驚くような映画を作りたいです。そして僕だけが作れる映画を作りたいし、映画を通じてもう少し良い世の中を作れることが、私の目標であり、覚悟です。
人材育成を重視する韓国
是枝監督は、「韓国映画アカデミー」の運営を支える、ある独特の仕組みにも関心を持っていた。学校の年間予算は、今年85億ウォン(約9億円)。その資金はすべて「映画発展基金」という公的な基金から拠出されている。
この基金は、主に劇場の入場券収入の3%を劇場と配給会社から拠出し保たれている。つまり映画産業自体が、若い映画人の育成のために、売上を還元している形になっているのだ。
是枝監督は、その仕組みについて「韓国映画アカデミー」のチョ・グンシク(趙根植)院長に聞いた。
是枝監督:
韓国映画の躍進の中で、「KOFIC」(韓国映画振興委員会・映画発展基金を管理運用)と「韓国映画アカデミー」が果たした役割というのは、隣の国で見ていると、すごく大きいなと思っています。興行収入をプールして、人材育成に充てるシステムは、ある種の循環ですよね。
「韓国映画アカデミー」チョ・グンシク院長:
「韓国映画アカデミー」を卒業した学生たちがすぐ映画産業に入って、立派な監督になって映画産業にもっと活気を吹き込み、新しいものを作り出すことで、好循環が生まれる。そのことを映画産業も十分に理解しているので、出資は当然のことだと思っています。(そのお金で)韓国映画アカデミーがNETFLIXとかCJ(韓国大手映画配給会社)など、巨大資本が選ばない作品や人材が花を咲かせられるよう、チャンスを作ってあげる。アカデミーの学生たちが韓国映画界において新しい潮流を作り出せるよう支えていくことが大切だと思っています。
突き付けられた日本映画界の“課題”
「韓国映画アカデミー」のすぐそばに、もう一つ映画学校がある。釜山市が運営する「釜山アジア映画学校」だ。そこで 、日本映画界の現状を考えさせられる出会いがあった。
この学校の支援を受けて、短編映画の制作をしている東京都出身の中西舞さん。中西さんは、日本の映画会社をやめ、3年前、自らも映画監督を目指す決断をした。日本を拠点に活動することも考えたが、新人監督を支援する仕組みが見つからず、韓国に来る決断をした。
是枝監督:
そもそも釜山にきたきっかけは何ですか。
中西さん:
きっかけは、2016年釜山国際映画祭のフィルムアカデミーに参加して、そこで韓国という国がいかにアジアの制作者の方にチャンスを与えて人材育成をしていくということにすごく感銘を受けたんですね。日本でそういったプログラムっていうのを全く知らず、じゃあ、また韓国に戻りたくなるじゃないですか。
中西さんはその後、「釜山アジア映画学校」に入学。1年間、授業料も寮の費用も支援を受け、映画作りの基礎を学ぶことができた。さらにここで出会った、世界各地の映画人とチームを組み、2本の短編映画を制作。アメリカやヨーロッパ、韓国の国際映画祭に出品し、優秀作品賞などを受賞した。
是枝監督:
10年後ってどんなイメージですか。自分のイメージ。
中西さん:
今年台湾で短編を一本撮ったんですけど、それも実は映画学校で知り合ったプロデューサーと一緒に組んで作った作品で、台湾の映画コミッションの助成金をもらって撮ったんです。もし日本が今後も、映画製作者に対して助成金ファンディングを広げていないのであれば、私はたぶん10年後も、他の国の製作者と組んで映画を作っているんじゃないかなっていう風に思います。
日本の映画製作の環境に見切りをつけて、映画人が海外に流出していた現実。日本の映画界に厳しい問いを投げかけているように感じた。
大切にしてきた 釜山との絆
初日の夜、是枝監督は映画祭を通じて慣れ親しんだ釜山の街を歩いていた。
是枝監督:
だいぶ変わりましたよね、この20年で。最初映画祭で来たときは、田舎の港町という間だったんですけど、洗練されてきた感じだよね。
この日の夕食は、タコとホルモンとエビが入った「ナッコプセ」という釜山の名物料理。
「韓国の映画人に教えてもらった店に、はずれはない」という。
独立のために戦った釜山国際映画祭
2日目。
是枝監督は、釜山国際映画祭の事務局を訪れた。釜山国際映画祭は、是枝監督が映画デビューした翌年の1996年に誕生。以来、是映監督と釜山国際映画祭は、20年以上、歩調を合わせるように映画界で大きな存在となっていった。
この日訪れたのは、映画祭の執行委員長のホ・ムニョさんと会うためだ。数年前から東京国際映画祭の企画にも関わるようになった是枝監督。映画と政治の関係についてその経験を聞いてみたいと考えていた。
是枝監督:
僕、いま東京国際映画祭で、「アジア交流ラウンジ」という映画のセレクションとは直接関係ないんですけども。自分が東京国際映画祭に関わり始めて、難しい問題だなと思っているのが、国とか東京都との関わりをどうしていくかというのが悩ましいところなんです。釜山国際映画祭も、セウォル号の事件を追ったドキュメンタリーの上映を巡って、韓国政府とも釜山市とも関係が悪化した時期がありましたよね。その当時はどういう風にその状況をご覧になられていましたか?
2014年。釜山国際映画祭は、セウォル号沈没事故への政府の対応を批判したドキュメンタリー映画の上映を巡って揺れていた。釜山市が政治的中立を損ねるとして、映画祭での上演中止を要請。映画祭側は、中止する正当な理由はないとして、上映を決行。その後、釜山市は映画祭の執行部人事などに介入し混乱。映画祭の継続が危ぶまれる状況に陥った。
是枝監督:
国とか市とか、映画祭を支えてくれる側との関係をどう築いていくかというのはすごく大事だと思っている。ただそこから映画祭自体が、独立しているということがとても大事だと思うんですね。権力を持っている側も、映画祭を運営している側も、観客も、みながこうきちんとこう共有できるというのが、成熟した文化の環境だと思うんですけども。
ホ・ムニョン 釜山国際映画祭 執行委員長:
当時の政府は釜山国際映画祭を無力化させたかったのだと思います。しかし抑圧したり、文化を制限したりしても、良い効果はないということを私たちは学びました。もう同じことが発生することはないと思います。制度的にもわれわれは改めました。以前はプサン国際映画祭の組織委員長は、釜山市長でした。でもセウォル号のドキュメンタリーの騒動以降は、完全に民間の体制に変えました。いまは釜山市と釜山国際映画祭が作った内部規則にも、映画祭のプログラムと内容は映画祭が自ら自由に決めるということが明示されています。
危機を乗り越えた釜山国際映画祭は、今年で27回目を迎える。映像配信の拡大などで、映画を取り巻く環境が大きく変わる中でも、さらに進化を目指すという。
ホ・ムニョン 釜山国際映画祭 執行委員長:
今年、初めてオンスクリーンというセクションを作って、NETFLIXやディズニープラスなどOTTプラットフォームが作るドラマシリーズを使い始めました。釜山国際映画祭は、たくさんの作品を開放的に観客に会わせる。映画の概念を今より広げていきたいと思います。今まで映画祭でやって来た役割である素晴らしい映画と映画人をお招きして観客との出会いの場を設ける役割も更に強化していきます。それと並行して、釜山国際映画祭が開かれる期間にアジアのいろんな都市で同時に、釜山国際映画祭で上映される映画をオンラインで見れる水平的な拡大の試みを来年から本格的に試みようと思っています。
是枝監督 未来の映画人との対話
旅の間、こんな場面もあった。是枝監督と「韓国映画アカデミー」の学生たちとが、映画について語り合う場が持たれた。韓国でも愛される是枝監督の作品。学生からは、是枝監督のノウハウを少しでも学ぼうと、2時間以上に渡り質問が続いた。
学生(映画 プロデューサー志望):
いま世界中が韓国映画に関心を持っており、注目しているので、やはり私たちも映画を作る時に、世界中の人々が共感できる素材を考慮しなければならないんじゃないかと悩む時があります。
是枝監督:
全世界のことは考えなくてもいいんじゃないの?自分の経験からいうと、グローバルとかインターナショナルとか考え始めた時点で、作り手はね何か間違うよ。だったら自分の手の届く、目に見える世界の中で、自分にとって一番切実な題材を深く掘るという作業の方が、たぶん届くこと思うけど。地球の裏側に。
学生(映画監督志望):
監督は、社会的な問題を取り扱う映画を撮ってきたが、ご自身が直接経験できないことなのに、どう登場人物の感情を想像し映画を作るのですか?
是枝監督:
何か映画の題材になるような社会的なイシューを探しながら、毎日生きているわけではないです。ほとんどのことは「ひどいよね」って通り過ぎていくけど、時々自分の琴線に触れる、通り過ぎない事件があるんだよ。いろんな理由で。『万引き家族』の場合ね、家族ぐるみで万引きを繰り返して暮らしていて、逮捕されて裁判になっていますって、本当に小さい記事が出てたんだけど。盗んだものは、全部転売して現金に換えていたの。なんで逮捕されたのかっていうと、盗んだ釣り竿だけは転売せずに家に残していたの。で、その釣り竿からばれたの。盗みが。それで気になったのはさ、なんで釣り竿だけ売らなかったんだろう…っていう。これも聞いたわけじゃないから分からないけどさ、これ多分釣り好きだったんだろうなって。気に入ったんだろうな、その釣り竿。万引きを繰り返している親子が釣りをしている、という絵がまず浮かんで、そこに至るまでの話を書いてみようかなと思ったの。あとは全部フィクション。
これからの日本の映画のために
2日間の釜山での取材旅行が終わった。韓国で出会った、映画に情熱を燃やす数多くの若者たち。是枝監督は、映画の市場や制度は違うものの、ここで見たものを日本にも持ち帰らなければならないと語った。
是枝監督:
実際に来てみるとこういう背景があって今の韓国映画の隆盛があるという感じがすごくしますよね。やっぱきちんとした映画祭をもって、映画を産業と文化の面からきちんと視野を広くもって10年、20年先どうするかってことを考えられているなっていうのが一番うらやまですし。日本でもやっぱり映画文化、映画館を中心としたもしくは映画館を含んだ映画文化というものを何とかいい形で次の世代へ渡そうと思った時にやっぱり足りないものがたくさんあるなという感じはしてます。個別にやることはやってるつもりなんですけど、もう少し業界全体が次の世代へと認識をちゃんと共有できないとね。たぶん今僕らが育ってきた豊かな映画環境みたいなものを手渡せなくなる次の世代に。
是枝監督は6月、他の映画監督とともに、映画人材の育成や映画界の労働環境の改善を行うための組織が必要だと訴え、団体を立ち上げた。
是枝裕和監督は、動き続けている。
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