「リアルから始まり、想像の世界へ」 藤子不二雄Aさんが瀬戸内寂聴さんに語ったこと

NHK
2022年4月12日 午後5:07 公開

今月亡くなった漫画家の藤子不二雄Aさん。

3年前、出版社の企画で対談したのが、去年亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんでした。

長年にわたり第一線で活躍を続けた、二人の貴重な対話。

そこで藤子さんが語っていたのは、

幼い頃に経験した戦争、漫画家としての壁、そして「老い」と「死」についてでした。

(対談は2019年10月に行われました)

 

※藤子不二雄Aさんの「A」は、○の中にAです。


 

関連番組(クローズアップ現代 2022/4/12放送)

 

「僕は人と争うことが大嫌い」

藤子不二雄Aさんと瀬戸内寂聴さん

 


藤子不二雄Aさん(本名・安孫子素雄さん)は1934年、富山県氷見市で生まれました。父は700年続く寺の49代目の住職。幼い頃は、母や3人のきょうだいとともに寺で暮らしていました。


 

藤子不二雄Aさん:

僕は本当はお坊さんになるはずが、漫画家というまったく別のところへ来て、それが面白いなと思うんです。

寺に生まれたことで、僕は人と争うことが大嫌いなんですよ。何かまずいことがあると、ケンカしないで自分から逃げることを覚えて。今も朝は必ず仏壇に手を合わせてね、ちょっとお経のまね事みたいなのは唱えているんですけど、そうすると何か心が…

 

瀬戸内寂聴さん:

落ち着く。

 

藤子さん:

すごく安まりますよね。

 

瀬戸内さん:

小さい時はかわいらしかったでしょうね。

 

藤子さん:

いやいや、とにかくチビでね。小学校ではもう一番前のチビで。級長がね、「起立」と言って、僕は当然立つ。ところが先生が「安孫子、お前何で立たないんだ」と言うわけです。「いや、僕立ってます」と言うと、みんな「わーっ」と笑う。先生が僕で笑いを取ろうとするのが、もう腹立ってね。だからね、いじめられっ子でございますよ。

今なら完全に登校拒否になってたんですけど、当時は学校に行かないということは許されなくてね。漫画家になって『笑ゥせぇるすまん』とか人間の暗い面を描くようになったのは、少年時代のそういう思い出が、後になって出たと思うんです。

 

 

漫画に目覚めた戦後

藤子・F・不二雄さんと藤子不二雄Aさん

 


10歳の頃に父を亡くし、引っ越した先の富山県高岡市の小学校で、後の藤子・F・不二雄(本名:藤本弘)さんと出会います。当時は太平洋戦争の最中でした。


 

藤子さん:

鉢巻きをして、竹槍持ってね、何十回も「米英撃滅」ってやらないと学校に入れないんですよ。何というばかばかしいことをやるのかと思ったぐらいでね。

富山は空襲を受けたんですけど、たまたま僕らのところは助かった。終戦の時、天皇陛下の言葉でみんな泣いているわけですよ。日本が負けたと。僕はね、「あ、よかった、これから生きられるんだ」と思ってね、ものすごくうれしかった記憶がありますけどね。

それからゼロから新しく再建する時に、初めて手塚(治虫)先生の漫画を読んで、それでもうびっくり仰天して。昭和24年、戦後4年しかたってないのにね、『新宝島』という漫画の単行本があったんです。表紙にローマ字で『新宝島』と書いてる。買って公園で読んで、何かもう大感激しちゃったんですよ。それで「漫画へいこう」と藤本君とね、決めたというか。

 

 

「このまま書いていたらダメになる」

藤子不二雄Aさん 

 


人気作を次々に生み出していった藤子不二雄Aさんですが、実は漫画家として、大きな悩みを抱えていた時期がありました。


 

藤子さん:

初めは、『忍者ハットリくん』とか『怪物くん』とか、わりとまともなギャグ漫画を描いてたんです。藤本君は天才ですから、20歳、30歳、40歳になっても『ドラえもん』を描けたけど、僕はわりといろんな遊びをしてたから、だんだん子ども漫画を描くのが苦痛になってきてね。

相棒の藤本君は初めから空想なんですよ。『ドラえもん』というのは初めから自分の空想から始まって、最後まで空想。藤本君は人と会ったり、酒飲んだり、ゴルフやったり、遊びをしない。1人で完結してる人だから、いくつになっても『ドラえもん』を描けていた。

「俺、このまま描いてたらだめになるし、藤本のマネージャーになるしかないかな」と思ってね、悩んだんですよ。

出版社から青年コミックが出るときに、編集長から「何か描いてくれ」と言われて描いたのが、『黒いせぇるすまん』という『笑ゥせぇるすまん』の前身で。

それでやっと「これなら描ける」と思って、それから子ども漫画をやめてそっちの方向へ行ったんですよね。

 

 

リアルから入り、想像を広げる

  

藤子さん:

新宿に事務所があるんですけど、僕は月曜日から金曜日まで完全なサラリーマンで、会社へ電車で行くんですよ。電車に乗ると、時間帯によって満員電車の時もあるし、空いてる時もある。で、僕は必ず乗客の顔を描いて観察するんですよ。「あ、この人はどういう家庭持って、どういう仕事をして」ということを想像する。

小説の場合は描写でやりますけど、漫画のキャラクターは実際に顔を出さなきゃいけないから、ネタになる顔とそうでもない顔とあるんでね、そういうのをインプットして。それで会社行ってからその顔を描いて、「あ、これならこういう生活をして…」って。

初めはリアルから始まるんですけど、途中からは想像の世界へ入っていくのがね、すごくやっぱりわくわくする。自分の人生とかいろんな遊びを、「自分がこうやって、朝起きてこうやって飲んだ」を漫画に入れる。それだけじゃ漫画にならないんで、そこから発展していろんなバージョンを考えていく。

いろいろな体験を漫画で描くことによって、自分が疑似体験というんでしょうかね、そういうのがね、何か面白いというんでしょうかね。

 

 

マンガは仕事だと思いたくない

瀬戸内寂聴さん

 

藤子さん:

今はそうでもないんですけど、昔は旅館に泊まったりすると職業欄ってあるじゃないですか。1回も漫画家って書いたことないんですよ。画家と書くんですよ。漫画家を職業として自分としては認めたくないんですね。ええ。

 

瀬戸内さん:

なるほど。

 

藤子さん:

非常にぜいたくな言い方だけど、趣味の延長みたいで、仕事とは思いたくないんですよね。

僕は漫画描いて苦しいと思ったことは一度もない。ただ締め切りにね。

 

瀬戸内さん:

私と同じで書くことはいやじゃないのね、別に。

 

藤子さん:

描くことは楽しくて描いてる。

 

瀬戸内さん:

ただ締め切りが…。

 

藤子さん:

締め切りがやっぱり、ね。編集がぎゃーぎゃー言うと、「やるか」と。ははは。

 

瀬戸内さん:

たくさん描いていらっしゃるからね。

やっぱり、自分で作るでしょ。それは自分の頭と血と肉を使ってますからね。それは自分のものなのよね。全部責任を持ちますね。本気で書くからくたびれますよ、それは。

 

 

1人で食事するのは幸せか――

 

藤子さん:

銀座でね、毎週何か編集5、6人と行って、1軒で飲んでるじゃないですか。僕は1軒にね、40分以上いないんですよ。「出るぞー」と言って出て、角を曲がったら誰もついてこない。「ああ、みんな逃げたな」と思ったら追っかけてきて、「先生にはとてもついてけません」と言ってね。大体5、6軒は行くんですよ。かけずり回ってるから、非常に足だけが強くて。

 

創作の合間に飲みに行くことが好きだったという藤子さん 

 

 

藤子さん:

まじめに働いてきたサラリーマンが70で定年になる。そういう人ほど、酒飲んだり、ゴルフやったり、今まで全部仕事の付き合いじゃないですか。ところが定年になったら誰も付き合えなくなる。

公園に行って朝から晩までじっとしていて、悲しい。一生懸命働いた人ほど、そういう運命になるのは非常に残酷だと思うんですよ。

僕の行く中華料理店は目の前が駅なんですよ。夜の7時ぐらいだと、新宿から行くのは満員、反対方向はガラガラ。そういうのを見ながら、1人で食事してると、何とか幸せに…

 

瀬戸内さん:

あら、私、わびしいと言うのかと思った。ははは。

 

藤子さん:

わびしくないんですよ、これがね。何とも言えないいい気持ちになってね。“1人宴会”と呼んでるんですけど。そういうことが楽しくなっちゃって。

  

瀬戸内さん:

私も夜1人なんですよ。みんな帰って行っちゃうでしょ。それがね、何ともなかったけどね、この頃ちょっと、急に死ぬ時どうしたらいいかなと…

 

藤子さん:

最近お考えになった、ちょっと遅いな。はははは。97歳で。

 

瀬戸内さん:

ははは。

 

藤子さん:

いやいや、すごい。だから寂聴さんとお会いするとね、すごく気持ちが安心するというか、ほっとしてね、僕まだあと寂聴さんまでに10年はあるから、まだ3、4年は大丈夫かなと思ってね。

 

瀬戸内さん:

まだ何かね、死にそうもないんですよねー。

 

 

「死ぬこと」について

 

瀬戸内さん:

あのね、こういうことがあったんですよ。私の知り合いがね、もう死にかけていたのね。呼ばれて行ったら、お仏壇の前で布団敷いて、もうまさに死のうとしてるの。もう身内が全員集まってみんな泣いてるんですよ、年寄りから子供までね。

それで私が「あなた幸せね。こんなにたくさんの人が、あなたの死を見送ってくれるために集まってくれて、これだけ愛されて幸せね」と言ったんですよ。そしたら死にかけていたのにばっと目を開いて、「だから死にたくないんだ」って。ははは。

 

藤子さん:

ははは、すごい。

 

瀬戸内さん:

「こんなに私を愛してる人がいるのに、何で私1人が死ななきゃならないんだ」と文句を言うの、死にかけてる人が。だから本当にみんな死にたくないんですよ。死にたくないの。

  

藤子さん:

僕は寺に生まれて子供の頃から死を毎日目前にしてたから、人間死ぬのは当たり前で、早かれ遅かれ人間はみんな死ぬんだから、死を恐がってもしようがないなというふうになってきてね。

人間は「どうやって生きるか」ということは自分でできるけど、「どうやって死ぬか」はそういうふうにいかないわけですから。どうせいずれ死ぬんだから、自然に逝くわけだから、なるべく簡単にぽーんといきたいなというふうに思ってるんですけどね。

 

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