“牛乳ショック”なぜ起きた 3人の専門家に問う“食の未来は”

NHK
2023年1月25日 午後10:27 公開

過去最悪レベルとも言われる酪農危機が日本を襲っている。円安やロシアによるウクライナ侵攻で大部分を輸入に依存するエサが高騰。さらに、新型コロナウイルスの影響で生乳の需要が落ち込み続け、生乳の廃棄や牛の処分を求められる事態にまで発展。“もはや経営は維持できない”と離農する人も後を絶たない。“牛乳ショック”はなぜ引き起こされ、食の未来を守るために何が必要なのか、3人の専門家の見解と提言をまとめた。

(関連記事)「朝一杯の牛乳が消える!? 酪農危機の知られざる実態」

キヤノングローバル戦略研究所 山下一仁 研究主幹

元農水官僚 欧州連合日本政府代表部参事官、農村振興局次長などを歴任。

日本の農政・食料戦略に関する調査・執筆活動を行う。

▼ポイント

👉自国でエサを賄わず大規模化 “輸入飼料漬け”に

👉山地酪農など“循環型酪農”への転換が必要

👉余剰生乳は中国輸出で解消を

輸入依存はリスクと背中合わせの経営だ

この60年間で国内の酪農家戸数は30分の1に減少している一方、生乳の生産量は4倍弱に増えている。一戸あたりの生産量は120倍近くに増えた。大規模化が進む過程で、安易に輸入飼料依存型の酪農ができてしまった。本来、大規模化するならエサを国内で生産する飼料基盤も拡充しないといけなかったが、1961年に農業基本法を作って畜産振興を始めた際に、手っ取り早く安い海外産のトウモロコシを輸入すれば畜産農家の所得も上がると思って進めた結果、日本の畜産は輸入飼料漬けになった。輸入飼料依存型の酪農を続けてきたことは食料安全保障上も問題がある。

価格が変動する輸入飼料に依存する経営を選択するなら、価格が上がれば経営が苦しくなり、安くなれば経営が良くなることを前提にして経営しなければならない。2014年から2020年まではトウモロコシ価格は低位で安定し、酪農家の平均所得は1000万円を超えていた。しかし、穀物価格が上昇した今、厳しくなるのは当然の話で、2007年、2008年に穀物価格が高騰した時も、酪農家の所得は大きく減った。

だからこそ、単に飼料価格が上がったから政府が補てんして価格を下げるとか、加工原料乳の補給金を上げるなどの対処療法ではなく、もっと根本的なことを考えていくべきではないか。

 “循環型酪農への転換”を

例えば、山間地で放牧する「山地酪農」では、草だけを飼料として肥育していて、飼料高騰の影響を受けない。牛のふん尿も大地に還元し、草の肥料となる。草(野シバ)が根を張るので、山崩れも防止できる。本来草を食べてきた反芻動物である牛に、トウモロコシを主体とする配合飼料を牛に食べさせるのが本当の酪農なのかと、考え直さなければいけないのではないか。

酪農大国ニュージーランドは、ほとんど草だけで牛を飼っている。ほ場を何区画かにわけてローテーションで回しているから、牛のふんが肥料になって、草がまた生える。そして区画を1周した後には、再び草が青々と生え、また牛が草を食べるという循環をしている。日本の酪農もこうした循環型の酪農を真剣に考えていくべきだ。

余剰生乳は中国輸出で解消

日本の農政や農業団体は守る一方で、いかにして輸入を止めるかしか考えておらず、輸出をまったく考えていないと私は思う。中国では地理的に遠く離れたヨーロッパからのLL牛乳(飲用のロングライフ牛乳=長期保存できる牛乳)の輸入量が爆発的に増えている。日本国内でも北海道の釧路港から茨城県の日立港に大量に生乳を送っている。それができるなら、九州から少し西に行くだけで、上海に生乳や牛乳の輸出ができる。風味が良く鮮度の高い日本の牛乳の方がヨーロッパ産よりも売れるはずだ。日本は巨大な中国市場に近いという恵まれた立地条件にある。北海道で高いコストをかけてバターなどの乳製品を作るのではなく、北海道の生乳を飲用牛乳用としてさらに本州に輸送すればよい。そして、本州で余った牛乳を九州から中国に輸出してはどうか。生産者にとっても、バターなどの乳製品向けよりも高い乳価で売れる可能性がある。

酪農学園大学 吉野宣彦教授

北海道の最大700農場の経営情報をデータベース化。経営分析して改善のための課題を提案している。農村人口を減らさないための酪農経営のモデルを研究。

▼ポイント

👉“収益性を上げるには大規模化するしかない”は誤り

👉小さくても“収益性の高い酪農”を新たなモデルに

👉酪農家どうしが経営データ公開し切磋琢磨を

大規模化=収益性の向上ではない

酪農危機が深刻化した理由の1つは、国が大規模化などで増産を推進してきたことで、資材を海外に依存する体質が強まったことだ。農水省のデータを分析すると、大規模化して増産すれば、収益性が上がるわけではないことが分かる。大規模化すると所得は増加するが、現状の世界情勢などに直面すると、飼料などのコストはもっと増加し、結果的に収益性は下がってしまう。収益性の高い酪農を実現するには、収入を上げるのではなく、支出を下げることが重要だ。実際に、北海道で平均的な乳牛80頭程度を飼育する牧場を例にとっても、農業所得が高い人と低い人の間で最大8倍の差がある。同規模の経営者の間で生じる格差の理由は、支出の中で大きな割合を占めるエサ代。つまりエサの外国依存をいかに減らすかということが重要だと思う。

小さくても収益性の高い酪農を目指す

これからは“規模をどこまで小さくできるのか”ということを考える時代だと思う。どこまで規模を小さくしても生活が成り立ち、いかに農村人口を維持できるのかを考えることが重要だ。そのためには、頭数規模ごとに高い所得をあげている地域のモデルとなる経営者を見つけだし、その経験や工夫を参考にしながら質的な向上をはかっていくべきだ。

北海道内で規模が小さくても高い所得を上げている経営者に話を聞くと、しばしば、「牧草地1ヘクタールに対して牛1頭に制限している」との声があがる。この規模ならエサの高騰の影響は小さくて済むし、エサを自給しつつ、ふん尿も草地に還元することができる。かつては、こうした酪農が主流だったが、1980年代後半に円高で輸入飼料が安くなったことで、輸入に依存するようになった。外部依存ができなかった伝統的なやり方や、地域に根差したやり方に立ち返ることが大切な時代になっているのではないか。

農業者同士で情報公開し 切磋琢磨を

規模が小さくても所得が高い酪農を地域で育てて行くには、経営情報の共有が重要になる。北海道内でも一部の酪農家たちが自分たちの経営データを公開し、毎月のように集まってディスカッションしながら切磋琢磨する交流会を1990年代から行っている。

一般に多くの酪農家では「乳量をいかに上げるか」は議論しているが、「いかに所得率(収益性)を高めるか」は議論していないように私は思う。プライバシーに関わる難しい取り組みだが、同じ頭数でも大きな所得格差があり、増産が難しい今の状況では、経営を改善する近道と言える。農林水産省の統計や農協などが持つ多くのデータを活用し、地域ごとにデータベース化することで経営改善を図ることができるかもしれない。

東京大学大学院 鈴木宣弘教授

農業経済学が専門   食料・農業・農村政策審議会委員「食料安全保障推進財団」理事長を務めるなど国の食料政策・酪農・畜産問題について数多くの執筆や提言を行う。

▼ポイント

👉増産⇒抑制 国の“場当たり的な政策”に酪農家が翻弄されている

👉国内で生産抑制や廃棄が行われる中で、生乳換算で4割輸入は“大きな矛盾”

👉危機は“安さの追求”がもたらした 消費者も“自分ごと”と認識し国産選択を

“場当たり的な政策”で酪農家にしわ寄せ 新たに早期淘汰も

(廃棄される生乳

問題の発端は、2014年にバター不足が問題になり、国が増産を求めたことにある。増産を促すためにクラスター事業を打ち出して補助金を出して増産体制を組み、その成果が出たときに新型コロナウイルスによる生乳需要の緩和が起きた。今度は“供給が増えすぎたから生乳を搾るな”となり、生乳の廃棄も行われて酪農家に大きくしわ寄せが行っている。

酪農家の責任ではなくて、政策的に誘導してきた政府が対応すべきで大きな問題だ。

さらに、国は需給のバランスをとるため、乳量が少ない牛を早めに淘汰する事業に助成金を交付する政策を決めた。一方、牛が種付けして牛乳が搾れるようになるまでには3年近くかかるので、またバターが足りないという事態になりかねない。

数年後に今度は「生乳が足りない、足りない」の大騒ぎになる可能性が高い。過剰と不足の繰り返しで、今度はまた足りなくなって「増産だ」と言われても、すぐには対応できない。目先の付焼刃的な政策ではなく、長期的に持続できるような政策を考えなければならない。

国内で減産求める一方で 4割輸入の現状は“大きな矛盾”

(在庫として積み上がる脱脂粉乳)

国内の生乳生産量は令和3年度で765万トンだが、その一方で生乳換算で469万トンを輸入していて、全体の4割が輸入品になっている。また、生乳換算で13万7000トンのバターや脱脂粉乳を輸入し続けるカレントアクセスに対する政府の説明にも大きな矛盾があると私は考える。カレントアクセスは、「その部分は低い関税を適用すべき輸入枠」ということで決めているので、必ずしもそれを全量輸入しないといけないという国際約束ではない。

国内では“乳を搾るな、牛を殺せ”と言いつつ、大量の乳製品を輸入するのは大きな矛盾だと私は思う。

危機の本質は“安さの追求”  消費者は国産選択を

これまで安いエサが輸入できることを前提としてきたが「お金を出して買えばいい」「輸入すればいい」と安さを追求した結果が、「いざというときに食料を確保して命を守ることができるのか」というコストを度外視してしまった。食料の重要性の位置づけができていなかったと思う。普段は安く手に入ることを前提にしていても、それが滞ってしまうときのコストを考えていないと経営は破綻する。

このまま酪農家の赤字の累積を放置すると、牛乳の生産が相当減る可能性が高く、消費者も「牛乳が飲めない」「子供に牛乳を飲ませられない」という事態が現実味を帯びてくることを意識しなければならない。「酪農家さん大変だよね」ではすまない、「自分たちの命と健康にかかわる問題なんだ」ということを認識してもらいたい。

もっと消費者が国産の乳製品を食べるようにすれば、酪農家を支えることができる。酪農を守ることは、自分たちの命、健康を守ることにつながると考えてもらいたい。

取材後記 帯広局記者 米澤直樹

いずれの専門家も、国産自給飼料を前提とした持続可能な酪農経営を目指していく必要があるという見解は一致していた。これまで日本の酪農は安い輸入飼料を前提として効率化、大規模化を進めてきたが、今回の“牛乳ショック”は産業の構造基盤を考え直す機会を提示しているのかもしれない。一方、放牧などを主体にした経営では一戸あたりの搾乳量は限られ、大規模な牧場が安定した生産量を保つことで、全体の生産量を下支えしていることは見過ごせない。自給飼料を増やしつつ規模や効率も追い求めるには、どうやってバランスをとればいいのか、今後も取材を続けていきたい。

また、今回の取材を通じて、私たちの食料がどのようなプロセスを経てスーパーに並び、食卓に届いているのか、その経過があまりにも消費者から遠くなってしまっていると感じた。私たちの体を作る食料にもっと関心を寄せ、生産者と一緒になって食料のあり方を考えるきっかけになってほしいと思う。

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