AIDでは精子提供者は匿名が原則とされてきました。今、その子どもたちから「私の母親に精子を提供した人は誰なのか?」という声が上がっています。
みずからの遺伝情報やルーツを知る権利のことを「出自を知る権利」といいますが、具体的にはどんな権利なのか?詳しく解説します。
(第1制作センター(福祉) ディレクター 福田 紗友里)
▼クローズアップ現代 6月14日までNHKプラスで配信中
Q、「出自を知る権利」いつごろから?
1989年に国連総会で採択された子どもの権利条約に「父母を知る権利」、いわゆる「出自を知る権利」が記されました。日本も1994年に批准しています。養子縁組や親の再婚などによって家族や親子関係が多様な広がりを持ってきた中で、子どもにとって重要な権利のひとつだと考えられるようになりました。近年は、第三者からの精子提供や卵子提供、代理懐胎などの生殖補助医療によって生まれた子にも認められる権利だとされ、特にヨーロッパの国々では法整備が進んでいます。
▼「出自を知る権利」を保障している国
スウェーデン、オーストリア、スイス、ノルウェー、オランダ、ニュージーランド、イギリス、フィンランド、アイルランド、オーストラリア(ビクトリア州、西オーストラリア州、ニューサウス・ウェールズ州、南オーストラリア州)アルゼンチン、クロアチア、ドイツ、フランス、アメリカ(ワシントン州、コロラド州)、ウルグアイ、ポルトガルなど
出典:お茶の水女子大学ジェンダー研究所 仙波由加里さんの資料より
Q、なぜ「出自」を知りたい?
生みの親と育ての親とが同じ場合には、出自についてあまり真剣に考える機会は少ないかもしれません。しかし第三者の精子提供や卵子提供で生まれた子どもたちにとっては、切実な思いです。また知りたいと思う理由も人それぞれです。
▼自分がなぜ、今ここにいるのか。自分の命が生まれてきたヒストリーを知りたい。
▼精子提供者(ドナー)の性格や趣味など人となりを知り、自分の命が生み出された過程に“医療技術”だけでなく“人”が関わっている手触りを感じたい。
▼遺伝性の病気を防ぐためにも、事前に精子提供者がどんな病気にかかりやすいか知っておきたい。
▼ひとりの精子提供から複数の子どもが生まれている可能性がある。精子提供者だけでなく、異母兄弟、異父兄弟を知り、近親婚を避けたい。
Q、「知りたい」=「会いたい」?
「出自を知る」とは、必ずしも「提供者に会う」ことを意味するわけではありません。
「出自を知る権利」を保障している国では、基本的に子どもに情報を提供することに同意した人のみ、精子や卵子を提供することができます。子どもから情報の請求があった場合は、子どもが知りたい情報を提供します。
イギリスを例にとると、以下のように子どもに伝える情報は幅広くあります。
(性別、身長、体重、目・髪・肌の色、子の有無、病歴、結婚の有無、宗教、職業、趣味、特技、提供理由など)
一方で次のような理由から、直接会ってみたいと考える子どももいます。
▼自分の命の誕生に、精子という“モノ”ではなく人が関わっているという実感を得たい
▼人柄を知りたいけど文字情報だけではわからないから一度会ってみたい
Q、「出自を知る権利」日本では今?
日本で初めて公的な場で議論が進んだのは、1998年に当時の厚生省で生殖補助医療技術に関する専門委員会が設置されたことがきっかけです。
それから5年かけて、生命倫理を専門とする大学教授、医師や児童福祉士などが集まり、「出自を知る権利」について議論が重ねられました。
(厚生科学審議会生殖補助医療部会/2003年)
その結果、2003年に「精子・卵子・胚の提供などによる生殖補助医療制度の整備に関する報告書」がまとめられ、そこでは以下の声明が出されました。
▼生まれてくる子の福祉を優先する
▼人を専ら生殖の手段として扱ってはならない
▼安全性に十分配慮する
▼優生思想を排除する
▼商業主義を排除する
▼人間の尊厳を守る
しかし、この報告書が直ちに具体的な法整備に結びつくことにはなりませんでした。
報告書が出されてから17年後の2020年、生殖補助医療の在り方を考える議員連盟が、精子提供で生まれた子と父親の親子関係などを定めた民法の特例法(生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律)を提出し国会で成立しました。
この特例法では、「生殖補助医療のルールや“出自を知る権利”に関してはおおむね2年をめどに検討するべき」とされましたが、2023年6月7日現在も「出自を知る権利」などについてまとめた生殖補助医療についての法案は提出されていません。
Q、法整備を進めていく上でのポイントは?
出自を知りたいと願うAIDで生まれた子どもたちが、どんな法律や制度があれば、安心して情報を得られるのか。世界の国々での「出自を知る権利」をめぐる法整備や仕組み作りに詳しいお茶の水女子大学・研究員の仙波ゆかりさんにポイントをうかがいました。
(お茶の水女子大学・研究員 仙波ゆかりさん)
▼精子や卵子の提供者と子どもへの丁寧なカウンセリング
▼精子提供や卵子提供などで生まれた事実を親が子どもに伝える“告知”のサポート
▼法律が施行される前の生まれた子どもの「出自を知る権利」の保障
子どもが情報請求をしたときに、提供者が安心して情報を開示できる仕組みが必要です。そのためにも子どもと提供者の間に立つ第三者の存在が大切になります。海外では心理士やカウンセラー、ソーシャルワーカーなどがその役割を担います。その際、子どもにもどんなことを知りたいか、なぜ知りたいか丁寧にカウンセリングすることが、提供者とのよりよいコミュニケーションを目指す上で重要だと仙波さんは語ります。
仙波さん
「人によって知りたいと思う情報は違います。それは、知りたいと思うきっかけや時期によって変わってきます。例えば、自分が何か体に対して不安に思うことがあったときに情報を請求する人もいれば、AIDで生まれた子どもが赤ちゃんを産んだ後に、自分の命の誕生について関わっている人を知りたくなることもあります。子どもそれぞれ知りたいことは異なりますので、提供者に丁寧に説明することが大切です。また、そういったカウンセリングの力がある人を育てる必要があると思います」
▼精子提供や卵子提供などで生まれた事実を親が子どもに伝える“告知”のサポート
国で「出自を知る権利」が保障されたとしても、親が子どもにAIDで生まれた事実を知らせないと、権利を行使することができません。仙波さんは、DNA検査などが発達し、いくら隠そうとしても子どもが気づいてしまう時代になったからこそ、親の告知をサポートすることが大切だと語ります。
仙波さん
「『出自を知る権利』について先進的な取り組みをしているオーストラリア・ビクトリア州では、親が子どもに告知をすることをサポートする取り組みをしています。“Time to tell(今こそ、伝えるとき)”というセミナーでは、どのように告知したらよいか、やり方について教える場をつくったり、経験者が体験談を話す場を持ったりしました。子どもが安心して出自を知る権利を行使できるためにも親の告知をサポートする支援も必要です」
▼法律が施行される前に生まれた子どもの「出自を知る権利」の保障
今、日本が議論している法整備は、法律が施行された後に生まれてくる子どもが対象です。そのため、今まで生まれた子どもは「匿名が原則」とされていたため情報を知ることができません。仙波さんはそういった子どもたちのためにも、新たな法整備や仕組みづくりが必要だといいます。
仙波さん
「海外では、さかのぼって匿名だったドナーの情報を開示することを認める法律もあります。また、元々は匿名で精子を提供した人と情報開示を求める子が任意に情報登録をし、両者をつなげようという取り組みも始まっています。法律が施行される前に生まれた子どもたちの“知りたい”に応える仕組みづくりも必要です」
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