「60歳は普通なら定年。でも、僕はまだ成長できる」
日本を代表する映画監督・是枝裕和さんが新たな挑戦を続けている。今月公開の新作映画では、言葉の壁がある韓国に単身で入り、韓国人の俳優、韓国人のスタッフと共に、オール韓国撮影で作品を作り上げた。
『誰も知らない』、『そして父になる』、『万引き家族』などの作品で、国際的な評価を得て、映画界での地位を揺るぎないものにしてきた是枝監督が、いまもなぜ挑戦をやめないのかー
日韓での密着取材とクローズアップ現代の桑子キャスターによるロングインタビューで飽くなき挑戦の真意に迫る。
(クローズアップ現代 取材班)
是枝裕和さん(60) 映画監督
ドキュメンタリーの世界で活躍後、95年『幻の光』で映画監督としてデビュー。『誰も知らない』(04年)主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞、『そして父になる』(13年)で審査員賞、『万引き家族』(18年)で最高賞のパルムドールを受賞。
今回、新作の映画「ベイビー・ブローカー」(22年)では、主演男優賞とエキュメニカル賞の2冠を達成した。社会の片隅にある問題に目を向け、“家族のかたち”や“命の意味”を問い続けてきた。
新作映画 で描いたのは「赤ちゃんポスト」
6月公開の最新作は、「赤ちゃんポスト」に子どもを置いた母親と、その子を金のために売りさばこうとする“ブローカー”の男たちとが、一緒に養父母探しの旅に出るロードムービー。ブローカーを追う刑事も絡み合い、様々な事情を抱えた大人たちが「小さな命」をめぐって揺れ動いていく。
――「赤ちゃんポスト」をテーマにしようと思われたのは、どうしてですか。
是枝監督:
さかのぼると『そして父になる』をつくっていたときに、日本の養子縁組制度や里親制度を調べていて、その流れで熊本の慈恵病院の取り組みを知って関心をもったのがスタート、2013年くらいです。その後、2017年に「赤ちゃんポスト」をテーマにしたクローズアップ現代に呼んでいただく流れもあって、ずっと継続的に自分のなかで種として、引っかかってというか…。いろいろ賛否両論あるので、それも含めて継続して自分の中に残っていたものがありました。膨らんでいったのは、韓国にも赤ちゃんポストと同様のものがあって、しかも日本より圧倒的に預けられる赤ちゃんの数が多いと知ったとき、日本よりはトピックとしては生々しい部分があって、じゃあ韓国でやろうと思っている映画の題材として選んでみようかなという。
2017年6月8日放送 クローズアップ現代+
「僕の生みの親はどこに? 10年後の赤ちゃんポスト」
熊本県慈恵病院にある「こうのとりのゆりかご」、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられた子どもたちのその後の姿などを記録した番組。
ゲストとして出演した是枝監督は、「130人の命が救われたというのはすごく意味があるということだと思っている。身勝手だと批判されてもしょうがないという側面もあると思うが、母親だけの責任を問うことで、解決するような状況ではないと僕は思っている。地域からも家族の共同体からも孤立している母親をどういう形で支えていくのかというのは、母親にしっかりしろというだけでは解決しない」とコメント。
――構想はいつからですか。
是枝監督:
6年前ですね。2016年に「ゆりかご」というタイトルで、短いプロットを書いて、もうそこにはブローカー役でソン・ガンホさんとカン・ドンウォンさんの名前を書いていて、ペ・ドゥナさんの名前もあって、それを日本に仕事で来ていたペ・ドゥナさんに読んでもらって、表参道でお茶して感想を聞いてというのが最初です。そこが具体的なスタートです。
――「赤ちゃんポスト」をどのように描きたかったのでしょうか。
是枝監督:
日本の取り組みもそうですし、韓国の取り組みも母体になっているのは病院か教会かは違いますが、「命」というものをどう考えるかということに関していえば、僕はもちろん肯定的なのですが、そうではない意見があることもわかっています。なので、なるべく登場人物たちに、「ベビーボックス」というものを評価する、もしくは否定する声をいろんな角度から当てて、それをディスカッションドラマではもちろんないですが、それを見た人たちが、自分はどのスタンスで、この物語、この旅に同行するかをフィードバックしながら、その目線を、どのくらい変えられるか、2時間かけて、そういうのを考えていました。
養護施設で育った青年との出会い
――実際に養護施設で育った子どもたちにもお会いされたということですが、彼らに会って、どのようなことを感じましたか。
是枝監督:
施設出身の青年だったけれども、自分が生まれてきてよかったのかどうか、自分を産んだことで母親が不幸になっていないかを考えている子がいて、そういう「生」に対する肯定感みたいなものを持たずに大人になっていくことに接したとき、なにかしら、そのことに対する答えに、この映画がならなければいけないというのは強く感じました。
彼にそのように思わせているのは、決してそこに預けた母親の責任ではなくて、社会の責任だと僕は思うので、その一員である自分が、どういうふうにその声に応えるかということは考えました。
ーー映画の中では、赤ちゃんに対して生まれてくれたことに感謝を伝えるシーンが出てきます。これまでの是枝監督の作品と異なり、「ストレート」に命について表現したという声もあります。そのシーンにどんな思いを込めたのでしょうか。
是枝監督:
脚本にはなかったんですよね、キャスティングが終わってイ・ジウンさん(赤ちゃんポストに子を預ける母親役)の声を聞いてから書いているシーンなんだよな。
自分で脚本を書くんですけど、今回は日本語ですが、彼女の声で書くんです。彼らの声で。声だけが際立つシーンにしようと思って、とてもいい声なので、彼女は。ストレートに表現したのは、あの青年に聞いてほしいなと思って書きました。
“生きるに値しない命というものがあるのか”
――着想の段階から撮影、完成に至るまで世界の状況はどんどん変わっていったと思います。そのなかで是枝さんがこの映画をつくっていくにあたって、「命との向き合い方」など変化する部分はありましたか。
< 神奈川県相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」。2016年、入所者など45人が次々に刃物で刺される事件が起こった>
是枝監督:
この数年の話ではないと思いますが、相模原の事件とかがあって。紹介していただいて、被告に会いに行っているんです。そこでお話をしたりしたことも大きかったかなと思うんですけど、「生きるに値しない命というものがあるのか」ということが、やはり、何かすごく前提が崩れている気がしているんだよね。「自己責任」という言葉が声高に言われるようになって以降だと僕は思いますが、いろんなものが本人の責任だと、それを社会の責任だとは考えない人たちの声のほうが大きくなってきた。
いろんなものが効率で考えられるようになって、文学部の予算が削られるみたいなことも同じだと思いますけども、役に立つか立たないかが、すごく命の基準に関しても適用され始めている気がしていて、そのことにあらがいたいという気持ちがあります。それを象徴するような事件が相模原の事件だったと思いますが、今回のものは、そういう社会性とはちょっと違うと思いますが、命をどう肯定できるかということを考えながらつくりました。
オール韓国ロケで作られた映画「ベイビー・ブローカー」
是枝監督が、この物語の舞台に選んだのは韓国。
監督以外は、ほぼ韓国人の俳優とスタッフとで作品を作り上げた。
ーー言葉も映画製作の方法も異なる不自由な環境に、あえて身を置いたのはどんな理由があったのでしょうか。
是枝監督:
もちろん日本に慣れ親しんだチームがあって、そこで作っていくこともとても大切ですけども、それだけやってるとなかなか自分から新しいものが出てこないなという実感もあるので、一度こういう形で「武者修行」っていう意味あいも無くはないですけども、無茶をしてるわけじゃないです。無理をしてるわけでもないです。
よくも悪くも慣れ親しんでいるチームの中だと、あえて言語化しないでも済んでしまう事ってあるじゃないですか。
役者もスタッフもそうですけど。もちろん、それもとても大切な貴重な財産なんですけども、もう一度こういうふうにきちんと言葉にして伝えないといけないっていう環境を経験するのは、演出家としてはいい訓練だなとは思います。
撮影では“自分の考えをいつもより多く言葉に”
ーー初めて組む出演者やスタッフに対してどのように向き合ったのでしょうか?
是枝監督:
意思を伝えるとか、演出の意図を伝えるとか、先のディテールのニュアンス、撮影のディテールとか、その辺は逆に言葉が通じないからこそ、言葉にしなければいけないというのがあって、そこはいつもよりは細かく手紙を書いたり、登場人物のプロフィールをつくったり。
この人がどう生まれてどう育ってというのは、実は普段はあまりしないのですが、あっても役者には渡さないのですが、今回はけっこう細かく書いて、台本に現れていない部分も含めて渡したほうがいいと思ったので、そこは言葉にして渡しました。
<是枝監督がスタッフに渡した絵コンテ>
――お手紙も書かれたということですが、それは毎回されているんですよね。
是枝監督:
はい、手紙は書きます。手紙に対して直接、ここはこうですかという質問をしてくるということは、そんなにないですけど、ペ・ドゥナさんのお芝居とかを見ると明らかに自分が渡した手紙とかプロフィールとかを飲み込んだうえでお芝居をしているなというのが、見ているとわかるので無駄じゃなかったなという感じがしました。
映画の“意味”を教えてくれた ソン・ガンホ
今回、「ベイビー・ブローカー」でカンヌ映画祭の主演男優賞を受賞した、韓国の国民的俳優、ソン・ガンホさん。
二人の出会いは15年前。釜山国際映画祭の会場を移動中、エレベーターで遭遇したのが初対面だった。その後一緒に食事などを重ねながら、「いつか一緒に仕事がしたい」と願い続けてきたという。
――ソン・ガンホさんと一緒にお仕事していかがでしたか。
是枝監督:
軽やか。とにかく軽やかで。1番の持ち味ですね。彼のね。
あと、全テイク違うんですよね。飽きっぽいわけではないと思いますけども、同じことをやりたくないという以上に、全テイクが初めてのように演じられるっていうんですか。普通、初めての感じというのは失われていくものだと思いますけども、彼は重ねても重ねてもワンテイク目に見えるんですよね。それがすごいなと思いますね。決して自分の芝居に慣れないんですよね。相手の芝居にも慣れないっていう。そこじゃないですかね。1番驚いたのはそこでした。
撮影が始まる前にポン・ジュノ監督と一度ごはんを食べに行った時に言われたのは、「これからクランクインで色々心配があると思うけれども、多分、いま監督が感じてる心配は、全てソン・ガンホさんが登場したら良い意味で嵐のように全部払拭(ふっしょく)されるので何の心配もいらないと思う」って言われてその通りでした。
普段から、テーマを限定して映画を作ることはないという是枝監督。コミュニケーションを重ねる中で、新作映画のテーマについて、気づかせてくれたのもソン・ガンホさんだったといいます。
是枝監督:
今回は疑似家族の話ではないなと思ったんです。そのもう少し先へ行かなければという気持ちはありましたね。今、作り終わって整理してしゃべっているほど、最初から自分のなかで、あったわけではない。インタビューのなかで、ソン・ガンホさんが今回の映画は命の話だと言っていて、あ、そうか、命の話だったんだなと思った記憶があるので、むしろ出ていらっしゃった役者の側のほうが的確にこの映画をつかんでいたのかもしれないと思ったのは正直なところ、「あ、命なのか」っていうことが発見されたときが、一番この映画が自分のものになるときで、それがなかなか見つからないときもありますが、見つかってもつまらないときもあるし、え、そんなことだったかなということもあるんですけど、でもそのプロセスが一番面白い。今回は、そうだと思います。
働き方改革が進む韓国映画界 そこで見えた日本の課題は
韓国の撮影現場では、日本と異なる点も多かった。それは是枝監督にとっては、自らの仕事のやり方を見つめなおすきっかけになったという。
――撮影で韓国と日本、大きく違うなと思われた点はありますか。
是枝監督:
韓国のこの規模の映画だと普通だと思いますけど、一日のスケジュールを見るとやっぱりスタッフが100人を超えています。日本だとせいぜいこのぐらいの映画だと、5、60人じゃないかなっていうふうに思いますからね。倍かな。感覚としては。
そうすると、やっぱり準備が速いってことですね。やっぱり5人で準備するよりは10人で準備した方が時間は短いから、すぐ本番に行けるので楽なんですよ。先乗りして準備をすることにスタッフの人数をかけられるので、圧倒的に準備が速いんですよね。
日本は、効率よく最少人数でといえば聞こえはいいですけども、予算が足りないっていうのが一番じゃないですかね。予算が足りないので、一人の人がたくさん働かなくちゃいけないっていうのが現実だと思いますよ。今自分が撮ってる映画で人数が少ないのは予算の問題です。
ーー休日もしっかり取る撮影体制だったそうですね。
韓国は、完全に働き方改革が進んでいて、労働時間は週52時間が上限なので、一日の労働時間は、ややフレキシブルなので12時間を超えるのはなくはないですが、そうすると翌日は半分休みだったりという調整が完全にできあがっていますし、基本、週休二日です。
日本の場合は撮影優先で、どこに休みが入るかは直前にならないとわからないですし、休み自体も少ないですし、働く場所としての整備はまったく違いますね。
そこは反省点、僕なんかは、もともとこの仕事を、仕事だと思っていないところがあるものですから、趣味の延長だったりするじゃないですか。そうすると、自分は16時間でも大丈夫みたいなことをやってしまうと、僕が16時間働いているということは、スタッフは18時間働かなければいけなくなるので。
それを考えると、まだできるぞというときに、やめないといけないですね、当たり前ですが。
自分のなかでもスタッフの重労働に甘えて、やりがい搾取というのをたぶんしてきてしまっているのは本当に痛感して、そこを日本で撮るときにも考えていかなければならないと思います。
ただこれ持ち帰って、それだけ休日があるってことはスタッフの拘束が延びる、キャストの拘束が延びていきますから、それだけのギャランティーを払える状況を整えなきゃいけない。それも僕だけの問題ではないので。お金出す側の問題もありますから。それが本当にできるのかってことですよね。今の日本の国内マーケットだけで。
韓国で“経験”として掴みとったものとはー
――韓国での撮影のプロセスの中で気づきや演出家としての新しい一面が引き出されたということはありましたか。
是枝監督:
演出家としては、言葉がわからないお芝居を見るのは、そんなので演出できるの? とたぶんみんな思うと思いますし、僕もそう思いますが、それでも見えるものがあるんですよね。
それは、言語のわからない字幕のついていない映画を見たときに逆に、お芝居の良し悪しは、ストレートにわかったりする。
字幕を追わない分の情報を、全部そっちに自分の集中力を使えるから、編集のリズムとか、意外とわかるものです、言葉の意味はわからなくても。
そこに全集中力を注ぎながら現場にいるんです。
ひたすら見ていくと、意外とわかるし、そこで自分の下したジャッジと、演じた役者とかスタッフのジャッジが、だんだんずれないようになってくるんだよね、やっていくと。
映画のお芝居を見ていくときの基準というものが、必ずしも言葉の意味だけではない部分を、どう見ていくかということは、だいぶ鍛えられて戻ってきたので、日本で日本の役者を演出しているとき、いつもよりも解像度が上がっている感じはします。
前だったら見過ごしているものが、ちゃんと見えるようになったという感覚は、戻ってきてしばらく続いているので、消えないといいなと思います。
確実にこの歳でも成長するもんだなというのが正直なうれしい感想でした。
是枝裕和監督 60歳からの映画作りは…
――60歳になって、これからどのような人間になっていきたいですか。
是枝監督:
もっと面白いものが撮りたいと思っています。満足は、全然していないです。
自分が撮りたいものが、撮りたいように撮らせてもらってきたなと思いますが、実現できていない企画もたくさんありますし、これからたぶん撮りたくなる。
日本のなかでも撮りたいと思っているトピックはいくつかありますし、この時代をやってみたいという時代もありますし、また海外で別の国でというアイデアもありますし、その辺は、これを全部やると、あと10年かかるなと感じたので。
――止まってはいられないということですか。
是枝監督:
止まると、たぶん死んじゃうと思います。止まらないように、今自転車をずっとこいでいる感じです。この20年くらい、30年。
あわせて読みたい
【全文掲載】最新作「ベイビー・ブローカー」で描く“家族と命”(おはよう日本で7月13日放送)
関連番組
2022年6月29日放送 クローズアップ現代
僕はまだ成長できる〜映画監督・是枝裕和の挑戦〜