石井光太が見た、現代の少年更生の現場(後編)

NHK
2021年5月12日 午後5:54 公開

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石井光太が見た、現代の少年更生の現場(前編)

出院後の、生きづらい社会の中で

山浦D ようやく心の安定を得られた上で、いざ社会に出たときのギャップはとても大きいですよね。

石井 そうですね。少年院を出たばっかりなのに、いきなり働けと言われるようなものですよね。いや、ちょっと待ってくださいって、傷がまだ全然癒えてませんよと。傷口は縫ってもらったかもしれないけど、動けば血が出るんです。あるいは骨と骨はつないでもらったかもしれないけど、骨が折れてからまだ1日しか経ってないんです。どうやって歩けっていうんですか、というような問題なんです。そして、社会には弱い人を搾取してしまう構造がどうしてもあるわけです。

 少年院に行っていたということは言えない仕事場のほうが圧倒的に多いわけですし、言えば当然そこからはじき出されてしまう。なんとか職を見つけられても、多くは非正規労働で労働条件が悪いところというのが大半です。もともと生きづらさを抱えている彼らが、そうした環境で耐え続けるのは至難の業でしょう。十代の彼らが、そんな人生の中でもちょっとでも幸せを勝ち得たい、チャンスをつかみたいと思えば“夜の街”と呼ばれるようなところに行かざるを得ない。でもそこには、たくさんの落とし穴があるわけです。またその中でうまくいかなくなって、また少年院に入る前の段階に戻ってしまうわけです。パニックになって、傷ついて、血だらけになってという状態。それが再非行につながる。だから社会の中に、その子たちの更生につながるような道を作らないとどうしようもないじゃないのかなというふうに思います。

山浦D 少年院を出たというと、よし、じゃあ頑張って再スタートだ、という感じで背中を押す。それで、出た後の少年たちが皆一様に話していたのが、自分の出自を明かせない、誰にも相談もできないと。

石井 そうですね。その少年たちが置かれている状況、抱えている問題、そして少年院の役割を、社会が正しく理解してないからですよね。やっぱり昔ながらの、いわゆる不良、手の付けられないワルが「箔づけ」のためにヤンチャをしたというようなイメージでしか見ていない。家庭や社会での被害者という側面は認識されていない。子どもたちが理解してもらえないし、それを彼ら自身もわかっているので、不安だというふうになると思うんです。実際に、きちんとそれを啓発する人も少ないし、人々もそこに耳も傾けていない。それがゆえに、彼らが生きづらい出院後の社会が出来上がってしまっているんじゃないのかなあと思っています。

山浦D 社会で再び孤立を深めて、最初に罪を犯したときと同じ状況に戻ってしまう。どうすれば救えるものなのでしょうか。

石井 僕たちだって、昔は皆そうだったと思うんですけども、初めから友だちとうまくいく子なんていないじゃないですか。幼稚園、保育園のときはお母さんに手をつないでもらって、問題解決を幼稚園の先生にしてもらったり、親に言って話し合ってもらったり、誰かに間に入ってもらったりしながら、人間関係を築いていくわけです。小学校に入ってくると、今度は学校の先生とかいろんな仲間たちとの中で、少しずつうまくできるようになっていって、会社でも研修や先輩の指導があって、なんとか一人前に育っていく。だからこそ、誰にも助けてもらわないで、まったく知らない僕と山浦ディレクターが話し合って番組を作っていけるようになるわけです。つまり、学んだからいきなりそうできるわけじゃなくて、初めは誰もがいろんな形で手をつないでもらって、安心できて戻れる場所があって、何年と繰り返し時間をかけて力が付くものですよね。少年院を出たときに、まだまだ手をつなぐ段階なのに、その時点でもう手をつなぐ人がいなくなってしまえば、当然、何もできないわけです。そうすると、必ずしも多数ではなくてもいいのかもしれないけれども、彼らの手を取って、生きる力を得られるようになるまで、ある程度手をつないであげる人間、側にいてあげる人間がどうしても社会の中に必要になってくると思うんです。人によって、それが更生保護施設になるのかもしれないし、あるいは、出会った大人が、例えば職親プロジェクト(注:企業が少年院や刑務所を出た人を雇用し、社会復帰につなげる官民連携の取り組み)の中で、まともな企業の社長さんと出会って、その人のもとで少年院を出たことを理解してもらいながら働けるようになるとか。

 あるいは、たまたま付き合った恋人が非常に理解のある人で、その人と手をつないで一歩一歩進んでいくとか。人によってやり方は違いますが、でももし彼らが再犯しないように生きていく、という意味で言うと、必ず手をつないでもらえるような人間の存在は、どうしても必要になるのかなと思っています。

山浦D でも、現実的には一部の支援者や一部の人としかつながれない状況ってありますよね。

石井 本当にそう思います。社会自体が、子どもたちが抱えている問題とか、少年院を出たときの状況を知らないので、当然手をつなごうという意識も生まれないし、何でこんな悪いやつと手をつなぐんだ、としかならない。そんな志向や空気が社会にあれば、手をつないであげたいなと思っている少数の人間でさえ、周りの目が気になって、ためらい、やれなくなってしまう。そうすると、周りから何を言われようと、よっぽど信念があって、俺はこの子たちの味方になり、一生をかけて守り続けるんだというような人間じゃないと、彼らと手をつなぐような相手にはなりにくいわけです。社会全体が白い目でその子たちを見る中で、支援する人たち自身も白い目で見られるリスクは非常に高いわけですから、信念がある人間でないとなかなか支援はできないというのが現状でしょう。

山浦D 少年院を出た少年が、支援者とつながる際のミスマッチもあるのでは?

石井 そうですね。その子のタイプに合わせて誰につないでいくのか、どういう道筋を作っていくのかということも、なかなかうまくできない。そこも一つの問題だと思います。具体的に言えば、医療少年院に行った人であれば、福祉にそのままつなぐ、病院とかグループホームへもつないでいくわけです。でもそれ以外に、昨年話題になった『ケーキを切れない非行少年たち』にもあるように、障害としては認められないけど、同じぐらい、あるいは、それ以上にいろいろ困難を抱えてしまっている人たちが、たくさんいるはずなんですが、彼らは障害者として認められないがゆえに福祉にはつながらない。一般の人と同じように見なされて、はい、外へ出ていきましょうと言われるわけです。なので、その人を総合的に見た上で、どのような道筋につなげてあげればいいのかということを考えて、その受け皿を作っていかないと、出院した10年後、20年後に納税者として社会で生きていけるようになるのは難しいんじゃないかなと思いますよね。

子どもたちが、必死に生きる大人とつながれる社会を

山浦D 私たち一人一人が、知らないことが排除につながってしまうと思うのですが、私たちにできることは何でしょうか。

石井 家庭に問題を抱えていたり、社会の中でマイノリティとして存在するような子どもたちに対して、たとえば地元住民としてつながる機会、近所の人間、同級生としてつながるケースがあれば、彼らに対してきちんと声掛けしてあげるような方法は当然ある。それをもうちょっと大きなスパン、社会全体で見たときに、彼らがなぜそうなってしまったのかという社会構造を理解して、彼らが抱えている問題を考える。その上でどうしていくか、きちんと話し合って、考え合って理解を深めていかなければ、彼らをどんどん孤立させてしまうだけですよね。

 結局これは、少年犯罪だけの問題じゃないと僕は思うんです。問題を抱えている子は、実はもっとたくさんいて、その子たちがどういう行動に出るのかは、その子のタイプとかタイミングによるわけです。例えば、同じ問題を抱えている子でも、家出をして悪い大人に売春や詐欺に利用されて少年院に入る子がいる一方で、家出をせずに引きこもりやニートとなって、鬱憤を家庭内暴力という形で吐き出す子もいる。あるいは、警察に捕まる前に十代で妊娠、出産し、その子の未熟さが夫婦間のDVや、赤ちゃんへの虐待として表出することもあるでしょう。お金欲しさに親や祖父母を利用しようとすれば、経済的虐待、あるいは高齢者虐待ということにつながってくる。つまり、社会にはいろんな問題がありますが、多くの場合、根本にある問題は基本的には同じで、それが、いつどのタイミングで、どのような形で現れるが違うだけなんです。こういう話をすると、「いや、非行少年とか犯罪をした人間を理解するなんてできるわけがないでしょう」という意見はたくさんあるわけですよ。でも、子どもたちが抱えている問題は、少年犯罪として現れるだけじゃないんです。むしろ、少年犯罪として表出するのはごく一部で、それ以外のほうが圧倒的に多い。そう考えたときに、僕たちは何をしなきゃいけないのかというと、少年犯罪から見えてくる子どもたちの状況に対して光を当てたときに、日本が抱えているいろんな問題が浮き彫りになってくる。では、どういう社会があるべきなのかがわかってくる。社会全体のいろんな歪みを見つめるという意味で、少年犯罪とか非行を知るということは必要だと思います。

山浦D 取材者の私も1人の父親として、子どもを育てることを考えたときに、問題の大きさに打ちひしがれるとともに、メディアで働く1人としても一体自分は何ができるんだろうという無力さも感じるんですね。

石井 いや、僕たちが無力感に打ちひしがれる必要は一切ないと思っていますね。むしろ、そこのところを突き抜けて、必死にその重要性を訴えている人間がいたり、必死にその子に対して目を向けようという大人がいたり、その姿を世の中に示すことのほうが、僕は圧倒的に必要なのかなと思うんです。僕たちが、すぐに法律や少年院の仕組みを変えることができるのかと言えば、当然できないし、NHKでいくら特集を組んでもできないと思うんです。でも、逆に言うと、子どもたちがそもそもそんなことを求めているのか、法律が変わったらすぐうまくいくかと言うと、そうじゃないんですよね。その子たちが何気なくつけたテレビの中で、熱心にその子たちに寄り添っている人が映ったり、あるいは、こういった部分をぼかしちゃいけないんだと、ぼくみたいな禿げオヤジが熱く言っていたり。あるいは、そういった番組を、視聴率を取れないんだろうと思いながら、でも懸命に作っているディレクターがいたりね。そういった大人がいるんだ、ということを子どもや当事者が知ることだけで、ものすごく大きな希望、力になったりする。それは、もしかしたら法律が変わることよりも、少年院のあり方が変わることよりも大きいかもしれないですよね。実際、人間の出会いとか人間が変わるときって、本当にそういう瞬間で、そういうものなんですよ。その子たちが、そうした大人を見たときどう思うかというと、やっぱり世の中って捨てたもんじゃない、世の中っていうのは頑張る意味がある。俺は1人じゃない。1人なんだけど1人じゃないというふうに思う。だから、頑張ってみようと思うわけですね。大人の仕事や役割は、社会に対して大人が必死になって生きることによって、子どもたちが、生きる価値があるというふうに思ってもらえることだと思うんです。

 もちろん、世の中ってものすごい厳しいし、辛いし、大変なんだけども、その中で、大人がどれだけ真っ直ぐ生きているかということなんですよ。彼らは、そういう大人に出会ったことがないんですよね。ひたすら自分を搾取しようとする人間か、金だけのために生きている、あるいは自分の欲望だけに生きている人間にしか会ったことがないわけなんです。やっぱり必死に向き合う人間と出会うことによって、人生ってものすごく大きく変わるんですよね。だから、僕自身は無力感に打ちひしがれる必要なんて一切ないと思うし、むしろそんな時間があるのであれば、必死になってその子たちと向き合って、そして、その姿を何かしらの形で外に表出していくことが重要だと思っているんです。

 僕や山浦ディレクターは、メディアの仕事を通してそういうことができるわけなんだけど、それ以外だって学校の先生なら生徒たちとこの問題を考える、企業の経営者ならCSR(企業の社会的責任)や雇用で取り組んでみる、親なら子供と施設のイベントに参加してみる、若い人なら困っている仲間に声掛けしてみるといった形で何かをやることは可能なんです。無力感に打ちひしがれていても何にもならない。それより、一人ひとりが自分の立場でできることをやるということが重要なんだと思います。

山浦D やっぱり、そういう応援団が1人でもいることを子どもたちに知らせることが大切、ということですね。

石井 逆の立場なら、何が嬉しいかと考えれば、答えは明らかですよね。

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