中国“100均の里” 今昔物語

NHK
2022年4月13日 午後0:48 公開

「中国の内陸に“100均の里”と呼ばれる町がある。そこに行けば、様々な商品を格安で仕入れられる」

そんな発言が飛び出したのは、100円ショップに商品を卸す、西日本のあるメーカーの社長に話を聞いた時でした。その社長はかれこれ30年ほど前から、その町に通い詰めてきたといいます。しかし業界の詳しい裏話は控えたいと、それ以上の取材はNGでした。

一体、“100均の里”とはどんな町なのか。なぜ商品を格安で売ることができるのか。そしてコロナ禍で、その町はどうなっているのか。私たちは中国国内のクルーを派遣し、貴重な今を取材することができました。

そこで突きつけられたのは、日本にとって衝撃的な言葉の数々。これは、私たちの100円ショップを陰で支えてきた町の、知られざる今昔物語です。

(クローズアップ現代ディレクター 寺島工人)

100円ショップの現状 さらに詳しく知りたい方は・・・

👉クローズアップ現代「“100円均一“もう限界!?実は大ピンチのワケ」2022年4月13日放送(※4月20日まで見逃し配信)

“100均の里”誕生の秘密

“100均の里”と呼ばれるその町の名は「浙江省義烏(ぎう)市」。上海から南西へ300キロに位置し、戸籍人口はおよそ85万人(2020年末現在)。一体、どんな街なのか?

まず、義烏について、大手100円ショップの幹部に話を聞いてみました。しかしその存在は知っていたもの、あまり内情には詳しくない様子。どうやら義烏に通うのは100円ショップのバイヤーというより、メーカー関係者が多いようです。

そこで私たちは、100円商品を手がける国内メーカーに手当たりしだいに取材交渉。すると「義烏のことを話してもよい」という人物に出会えました。

滋賀県彦根市で、和雑貨や手芸用品の輸入製造を手がけるメーカー「ボンテン」の社長、若林矢寿子さん。100円ショップには主に手芸用品を卸しており、その大半を中国で作っています。義烏を頼るようになったのは23年前、1999年のこと。「世界で最も安く部材を手に入れられる」と聞き、義烏に工場を設け、商品を日本に輸入することにしたのです。

100円玉を持つ若林さん

(100円玉を持つ若林さん)

安さの秘密はどこにあるのか。若林さんによると、1982年頃に義烏に大規模な卸売市場ができたのが、全てのきっかけだったと言います。それ以前の義烏はただの貧しい農村でしたが、農閑期に人々が日用雑貨品を作り、生活の足しにする習慣がありました。そのため1978年に始まった改革開放で市場経済に移行すると、義烏の人々は競って店を出し、市場が発展したのです。

それを下支えしたのが、周辺地域の、安く豊富な労働力でした。若林さん自身も現地工場で従業員を募集したのですが、多いときで200人ほどがすぐに集まりました。その大半が貧しい出稼ぎ労働者で、中には読み書きができない人や、戸籍のない人すらいたと言います。義烏の発展ぶりを聞きつけて労働者が次々と流れ着き、義烏は「市場」と「工場」の両機能を兼ね備えた一大生産拠点へと変貌を遂げていきました。

1990年代の義烏の卸売市場

(1990年代の義烏の卸売市場)

そんな義烏の「低価格」の噂が、90年代に入ると日本の100円ショップ関係者の耳に届き、大量の商品を注文するようになりました。義烏と100円ショップはウィンウィンの協力関係を築き、ともに成長してきたのです。若林さんもその一人で、以前はほぼ毎月のように義烏に飛び、商談をしていました。ただしコロナ禍が始まってからは、久しく行けていないと言います。

「義烏の今を取材したい」。そう相談すると、ありがたいことに若林さんは、義烏の取引先工場を紹介してくれました。私たちは中国国内のクルーに要請し、いよいよ“100均の里”に向かったのです。

コロナ禍の“100均の里”で見た意外な光景

取材に訪れたのは、北京パラリンピックが終わった直後の3月16日。まずは、義烏の「市場」機能の中枢である「国際商貿城」に向かいました。約7万店が入居するという、世界最大級の日用雑貨卸売市場です。

きっと驚きの格安商品がずらりと並んでいるのだろう…と思いきや、リボンを扱うある店を訪ねた時のこと。日本の100円ショップ関連の取材だと伝えると、女性スタッフが怪訝そうな顔をしました。

「私の店舗はハイエンド向けで、価格の安いものはないですよ」

卸価格を聞くと、日本円で数百円以上のものばかり。他にもいくつかの店で単価を尋ねましたが、意外にも100円を超える商品が数多く見つかりました。

リボン店と女性スタッフ

(リボン店と女性スタッフ)

予想を裏切る光景は、他にもありました。市内を歩くと高層マンションや巨大なショッピングモールが立ち並び、高級外車が数多く走っていたのです。横断歩道を歩く人々もどこかゆとりが感じられ、若林さんから聞いていた“貧しい農村”のおもかげはありません。

巨大ショッピングモール

(巨大ショッピングモール)

そこで郊外に向かってみると、道路脇に大きな貨物ターミナル駅が見えてきました。ここは、義烏で作られた商品が鉄路で運ばれていく始発駅。ところがその行先の多くは日本ではなく、何とヨーロッパだと言います。習近平政権が推し進める巨大経済圏「一帯一路」に8年前から義烏も組み込まれ、近年はヨーロッパ行きの貨物列車が増えているというのです。

取材中も、そのうちの一本が目の前を過ぎていきました。貨車の数はゆうに20両以上。かつては日本の100円ショップに向かっていた義烏の商品が、あらゆる意味で真逆の方向に向かい始めていました。取引が始まった90年代から30年の時を経て、義烏はめざましい経済発展を遂げていたのです。

貨物ターミナル駅

(貨物ターミナル駅)

より安い労働力に頼らざるを得ない現実

私たちは若林さんに紹介してもらった、100円商品を長年作ってきた工場を訪ねることにしました。衣料品のファスナーを作る「领航拉链有限公司」は、かつて農民たちが寄り集まって10人程度で創業したという工場。まさに“100均の里”を象徴するような存在です。

しかし副社長の向飛燕さんは開口一番、最近はヨーロッパへの輸出に力を入れていると明かしました。その理由は利益率の差。100円ショップに輸出すると利益がほとんどない商品でも、ヨーロッパはより高値で買ってくれるため、3倍以上の利益が確保できるというのです。

工場の労働者たち

(工場の労働者たち)

利益にシビアになる背景には、原材料費や輸送費など生産コストの上昇があります。特に近年、義烏では労働者の人件費が高騰。この工場でも15年前と比べ、従業員の賃金は2倍から4倍にまで跳ね上がりました。しかしそれでも相場として高いとは言えず、労働者の確保に苦労しています。そのため近年は機械化を進めており、工場で働く従業員およそ100人のうち、義烏出身者はほとんどがアルバイト雇用。現場を支えるメインスタッフは、今も貧しい出稼ぎ労働者たちが中心を占めています。ただしその出身地は、以前よりさらに遠方の、中国の経済発展の恩恵が届きづらい内陸部へと広がっていました。

その一人、丁世華さんは、今年入ったばかりの52歳の男性。義烏から西へなんと600キロ以上も離れた湖北省の町から、子どもを残して出稼ぎに来ました。年収は日本円で200万円ほどですが、仕送りには十分な金額だと言います。 “100均の里”は今や、義烏から遠く離れた中国奥地の出稼ぎ労働者たちを雇用することで、かろうじて安さを維持していたのです。

部屋で洗濯する丁世華さん

(部屋で洗濯する丁世華さん)

創業以来、重要な取引先であった日本の100円ショップには感謝しているという、副社長の向さん。しかしいつまでも利幅の薄い100円商品を作ってはいられず、最近は日本からの受注を減らしているとも打ち明けました。「私たちはもう、ハイエンド向けの商品を作る最先端企業に発展したいのです」。そう語る表情には、かつてはよいパートナーだった日本の100円ショップに対する、複雑な思いがにじんでいました。

“100均の里”から日本への願い

他にもいくつか工場を回りましたが、いずれも、日本の100円ショップとの取引に後ろ向きな声が聞かれました。新たな輸出先はヨーロッパのみでなく、アメリカや東南アジア、オーストラリアなど。さらにコロナ以降、中国政府が打ち出した「内循環(国内市場の循環)」のスローガンのもと、中国国内向けのネットショップで利益を稼ぐ工場もありました。日本の100円ショップはもはや、主要な取引先ではなくなっていたのです。

ファスナー工場のネットショップサイト

(ファスナー工場のネットショップサイト)

そこで私たちは、共通してある質問をぶつけました。「日本の100円ショップや消費者は、今後どうすればよいパートナーであり続けられるか」。先ほどのファスナー工場の向さん、そして多くの工場のみなさんが、こう答えました。

「100円という安さだけにこだわらず、品質や価値に見合った価格を受け入れてほしいです。そうすれば私たちの工場は、これからも満足できる商品を届けられると思います」

“100均の里”を訪ねて聞くことができた、日本への切実な願い。そしてそれは、もはや義烏に頼れなくなった日本の100円商品のメーカーも例外ではありません。

滋賀県の雑貨メーカー社長の若林さんは、円安の影響もあり、数年前に義烏から工場を撤退。しかも最近は100円商品の生産委託条件が折り合わず、いくら売っても利益が出せない商品まで出始めていました。ウクライナ危機の影響なども予想される中で、売り上げの大きな柱である100円ショップ市場からの撤退も、覚悟せざるを得ない状況に追い込まれています。今回若林さんは、こうした100円商品に携わるメーカーの苦労や葛藤を知ってほしいと、取材に協力してくれました。

商品を見つめる若林さん

(商品を見つめる若林さん)

およそ30年ほど前に始まった、100円を巡る日中の絆。その後、日本は長く停滞が続いて低価格がもてはやされる一方で、義烏は着実に経済発展し、今や日本に「脱100円」を願う立場になっています。私たちはこのメッセージを、受け止めることができるのか。グローバル経済が激動する中、先進国で唯一、物価も賃金も上がらない日本に突きつけられた、待ったなしの課題です。

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