「世紀の一戦」からおよそ15時間。彼は傷だらけの顔で、カメラの前に現れた。
プロボクサー、村田諒太36歳。
4月9日、長年尊敬してきた“最強のチャンピオン”、ゲンナジー・ゴロフキン選手との王座統一戦に臨み、そして敗れた。実は試合の1か月半ほど前、村田選手は取材班に「勝っても負けても引退するかもしれない」と語っていた。
試合を終えたいま何を思うのか、その胸の内を聞いた。
(聞き手 桑子真帆キャスター)
4/11放送 クローズアップ現代「村田諒太 “世紀の一戦”の果てに」▼
「負けたんだ、君は」と自分に言い聞かせた
― きょうはよろしくお願いいたします。昨夜は眠れましたか?
村田:
4時間ぐらい寝ましたね。普段よりは短いほうですけど、よく寝られたなと。試合で勝ったあとは興奮で眠れないことが結構あるんですけど、負けたから寝られたのかもしれないですね。
― 目が覚めた時の景色は、それまでと違いましたか?
村田:
不思議なもので、ゾッとしましたね。
―ゾッとした?
村田:
試合が終わった感覚がまだないんです。起きた瞬間は、まだ試合があると思ったんですよ。現実が何かわからないような朝でした。それで「負けたんだ、君は」と自分に言い聞かせて、試合がないことにホッとするんです。
昨日の究極的にしんどいイメージが沸き上がってきて、それからはもう解放されたんだと。なんか酸っぱいものと甘いもの一緒に食わされたみたいな感じです(笑)。そんな朝は今回が初めてでした。
やはり大きな試合でしたし、ずっと目標にしていた選手と試合ができたことが大きいんじゃないですかね。
▼NHKニュース「村田諒太 王座統一戦でTKO負け」
「引退はいま考えなくてもいい」
― ゴロフキン選手との戦いを終えて、いま何を感じていますか?
村田:
うーん、引退とかは別に今、考えなくてもいいのかな。
例えばロンドンオリンピックの時だって、「オリンピック終わったら引退します」と言っていたけど続けちゃっているわけで。昨日の今日で答えを出す必要はなくて、ゆっくり考えていけばいいのかなとは思っています。
本当にボクシングからいろいろなものをもらったんですよ。ボクシングがあったからいろいろな方々と出会わせてもらって、勉強させてもらった。だから次は、いただいた“ベネフィット”、恩恵を誰かに返していかなきゃいけない立場になると思ってるので、それができればいいですよね。
― 事前の取材では「負けたら引退、勝っても続ける選択肢がない」と話していました。相当の覚悟を持ってこの試合に臨んでいると感じました。
村田:
そう言ったかどうか、覚えてないんです…。でも僕はもう36歳ですからね。やっぱりこの競技自体、あまり長く続けるものではないですから。
ゴロフキンは名実ともに最強のチャンピオンだと思っているので、その選手に対してぶつかっていければ、思い残すところがないという気持ちはありました。準備においてできる限りのことはやった。自分の中では今までやってきたベストを尽くした。そういう気持ちもあって、「次は無いんじゃないですか」ということを言ったのかな。
勝負事には「ほどほど」ってものがある。確かにもっとやりたい、もっと強くなれる、だけどそこは冷静な判断をしていかなきゃいけない。だからこの期間にしっかりその判断を下せるようにしなきゃいけない。
可能性としては…、というか今の僕としては、このあたりがいい「やめ時」なんだろうとは思ってます。ただ、まだ答えは出せない。そんな感じですかね。
「自分を律することができた」
―改めて振り返るとどんな試合でしたか?
村田:
まだ映像を見ていないのでわからないんですよね。ただ記事とかメールとかを見ていると「面白かった」「熱くなった」「ありがとう」というメールをいっぱい頂いたので、まあそういう試合だったのかなと。それに慰めをもらっているみたいで、やっぱり「自分」というものは大してないんだなと思いました。
― そうなんですか?
村田:
「自分」なんて、他人がどう言うかで変わるじゃないですか。「自分を律してここまでやった」「自分に逃げなかった」と、自分を自分で評価してあげることは自律的なものですよね。
一方で周りの声とか、お金とか名誉とか、そういった他律的なものも存在する。でもやっぱり他律的な部分がすごく大きいんだなと。
逆に言うと「つまんねえ試合だった」とか「雑魚」とか言われたらすごく傷つく。だから自分なんて、半分は他人が作っているものなんだなと改めて思いました。
― 昨日の試合は「雑魚」なんて言うのはあり得ないほど、すごかったですよ。
村田:
まあ例え話ですけどね、さすがに昨日の今日で雑魚なんて言われたたら僕もね(笑)。
― その意味では、昨日の試合は「自分を律することができた」と考えていますか。
村田:
そこに対してはすごく満足しています。試合中に、こんなに色々な感情が沸き上がったことも初めてでした。
自分に負けなかったし、ちゃんと自分を律することができたので、自己評価をしてあげられる。それは結果ではなくて、過程で評価してあげられる内容だったと思っています。
結果がついてくれば最高なんですけど、結果はそれこそ他律的なものじゃないですか。自分でコントロールできるものじゃないし、相手が強ければ昨日のように負けてしまうわけですか。
「情けない自分を乗り越える」
― 試合の中盤以降はリング際に追い詰められるところもありましたが、村田さんからは「いくら打たれても前に出てやる」という気概が伝わってきました。
村田:
試合前から、「これは自分へのチャレンジだ」と言い続けてきたので、その気持ちが少しは働いてくれたのかなと思います。
高校3年生の時、初めて全日本選手権の決勝までいって、普通にやればいい勝負ができる相手だったのに、相手の評判にビビッて1ラウンドで負けました。
もうひとつ、北京オリンピック予選の時、外国人には勝てない、ミドル級じゃ世界には通用しないという心理が働いていて、勝負できなかった。相手じゃなくて自分に負けてしまった。だから僕は強くなりたいとずっと思ってきました。
じゃあ強いとは何か。相手に勝つとか負けるとか、それはもう神様が決めるところ。だから自分を認めてあげれるかどうかだと。
自分が逃げない。同じ過ちを繰り返さない。あの時の悔しい、情けない思いをした自分を乗り越える。そこに今回の試合の意味があったと思います。
「ずっと笑顔を封印していた」
村田:
試合前に(所属する帝拳ジムの)本田(明彦)会長に「楽しんでこい」って言われたんですよ。
僕は今までプロに来て、あまり楽しくなかったんですよね。笑顔で試合やったりもしたんですけど、あれは楽しいからじゃなくて、恐怖を紛らわすため。苦しいとか緊張とかをごまかすために笑顔というものを使ってきた。
でもごまかしじゃ本当の楽しみは得られない。良いパフォーマンスも得られない。だから笑顔なんかもういらないと思って、ここ数戦、笑顔は封印していたんです。ずっと楽しむことなんか忘れていた。
村田:
(今回)リングに向かう時に「楽しんでこい」と言われて、「楽しんでいいんだ」と思って。それは世の中でいう「楽しい」じゃないわけです。ポジティブな楽しみではない。ものすごく苦しい中に、その一瞬一瞬を感じるような感じ。
「絶対勝てよ」とか「あきらめるなよ」と言われるのは、よくあるパターンじゃないですか。でもその言葉が力になるときもあるし、力にならない時もある。でも会長の「楽しんでこい」という一言に、きのう僕はすごく助けられました。
「勇気は恐怖とともにある」
― ゴロフキン選手との試合前には「相当な恐怖があるけど、その恐怖と戦うのに慣れた」とおっしゃっていました。
村田:
でも慣れないもんですよ。恐怖に慣れる、恐怖がなくなることが大事かというと、別にそうじゃない。恐怖のままでいいんだと思いました。だって怖くないわけないじゃないですか。
結局、勇気は恐怖とともにあると思うんです。だから怖くてもいい。怖いけど進むんだ。最終的には、そういう気持ちになれたので。それが悪いとは思わない、それでいいんです。
― 恐怖に立ち向かっていく時間、ゴロフキン戦までの日々は、どういうものでしたか?
村田:
こんなに「かけがえない日々」はないですよ。でも、もう1回経験しろと言われたら、嫌です(笑)。絶対、断固拒否。試合も含めて断固拒否します。
―それだけ、しんどかったということですよね。
村田:
ただ、その瞬間のかけがえのない経験は、作ろうと思って作れるものじゃない。それこそ神様が作ってくださったご縁で、本当に“ベネフィット”です。恩恵ですよね。
恐怖や緊張はないほうがいい。僕だって今言ったように避けたい。もう1回味わいのなんて嫌だ。だけど結果として、そこに立ち向かうことが、人間を作っていく。すごくありがたい機会をくれた。恐怖というものが人生において、絶対的なマイナス要因ではないということを、今すごく感じます。
あと、やっぱりゴロフキン選手じゃないとこんな気持ちにさせてくれなかった。変な話、勝てると思う相手だったら、こんな気持ちにさせてくれなかった。
だからゴロフキンに、そして試合を作ってくださったみなさまに、心の底から感謝したいです。こんな経験をできる人間なんかほとんどいない。本当にありがとうございます。
桜の下で考えた「花は試合、幹は人」
― 試合の2週間前、村田さんは桜の下でこう話していました。「花は試合だ。大事なのはそこまでのトレーニング、幹の部分なんだ。自分はここをしっかりしないといけない」と。
村田:
「試合」は、桜の花なんですよね。結局、人間はそこばっかり見るでしょう。花をパっと見て、幹の部分まで見る人は少ないと思うんです。
―そうですね。上ばかり見ていますね。
村田:
上ばかり見て、お酒飲んで、ちゃんと見ちゃいない。でもね、桜が咲くのは1週間、2週間ぐらいじゃないですか。そして儚く散るけど、根を張って幹がしっかりしているから来年も咲き誇れる。「練習」はその幹の一部。まさに幹が「人間」だと思うんです。
自分という人間がしっかり根を張って、幹がしっかりしていれば、夏を耐えて冬を耐えて、また春が来ると思える。桜の美しさはそこにある。
桜って、「はかなく散る」というイメージで使われやすいですけど、違うと思うんです。一瞬で散るけど違う。その一瞬のために幹や根がり、時期が来れば花を咲かせる。だからその幹であり根である「人としてどうしてあるか」。その部分が大事なんだと、桜の木を見て感じます。
―これからの村田さんは、その幹を更に太くしていきたいと。
村田:
でも、本当に僕は空っぽですからね。あおいだら飛んでいくような、「作り物の桜の木」みたいなもんです。たまたまボクシングというものが、僕を覆い隠してくれて、大それた人間に見せているだけです。自分がどうあるかは、これから作っていかなきゃいけない。
僕らみたいなアスリートは、若くして成功するじゃないですか。そうすると、幹がないのに先に花が咲いちゃうんですよ。順番が逆になっちゃう、そしたら、もう一度は咲かないですよね。
自分の足元、自分の立っている場所をしっかり見るという時期を、自分はこれから迎えるんだろうなと思います。すごく地味だし、今までちやほやされていたものは捨てないといけない。ちゃんとした幹があり、人の目に見えないところで、しっかり根を張って人生をこれから歩む。それが大事なんでしょうね。
「勝利以上のものをもらえた気がする」
― 村田さんが思い描いている、“最強の人間”に近付けていますか?
村田:
試合の前よりは近付いたと思います。ただもう、最強でなくてもいいかな。
中学生の頃に1コ上の先輩にからまれて、「諒太がやられたらしい」って噂が流れたんです。
「嘘ついてんじゃねえ、俺はやられてないぞ、ふざけんな」と思いましたよ。でもそいつらと争ったってきりがない。だって嘘つくから。じゃあ自分が一番強いと証明するためにどうしたいいんだろうと思って始めたのが、ボクシングだったんです。
今の僕は、ボクシングを始めた当時の自分に、「お前の思うままにしたら、嘘つかないで勝負できる大人になれるから頑張れ」と、言ってあげられると思う。
「確かにゴロフキンよりも弱かった。だから世界一じゃない、それは認める。だけどお前はちゃんと強さを追いかけたよ。いろいろな辛いことがお前の人生にはある、だけどこのまま頑張れ」と。
―最後になります。今回の試合で村田さんは何を得ましたか?
村田:
何を得たか…。パっと思いつくのは、「自分に向き合うこと」ですね。
相手に勝つことばかり追いかけるのではなく、自分に勝つこと。そして自分に負けなかったこと。うん、自分に「勝つ」じゃなくて「負けない」でいいと思います。
自分に負けないこと、自分を律すること。その上で勝利があれば最高でしたね。ただ勝てなかった。そんなに甘いものじゃないですね、プロスポーツだから。
でも自分に負けないと思えた気持ちは、やっぱり何事にも代えがたいな。今日の時点の話ですけど、その充実感は得たと思います。今までやってきた試合を終えた感覚とは、まったく違う。変な話、「勝利以上のもの」をもらえた気がします。
―ありがとうございます。これからの村田さんを、本当に楽しみにしています。
村田:
ありがとうございました。
-----
関連記事
▼2017年 最初の世界戦挑戦直後のインタビューはこちら