現場は時代のキーパーソンをカメラの前に押し出す-経済分野を中心に30年以上ドキュメンタリーを制作してきて感じることです。今回、中嶋 梓ディレクターとともに地域金融の現場を取材してみると、やっぱり“おもろい”金融マンがカメラの前に押し出されてきました。そのうち特に“おもろい”と感じた4人について紹介します。4人とも、地元の事業者への本業支援にまい進する金融マン(ひとりは元金融マン)です。小説やドラマで話題になったあのキャラクターとはタイプは違いますが、通じるところがあります。ひとつ、4人に同じ質問をぶつけてみました。「金融マンとして転機になった出来事は何か」、どうぞご覧ください。
(文責 片岡利文エグゼクティブ・ディレクター)
*「おもろい」とは、単に“おもしろい”という意味を超えて“独創的”、“創造的”で型破りなという意味を持つ関西の方言です(京都大学HP参照)
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少年のころから中小事業者の苦境を体感してきた男
山本 浩治(50) 巣鴨信用金庫 すがも事業創造センター次長
「髪を染めるのをやめました。ありのままの自分で活動したいと思ったので」
去年4月に50歳を迎えて、何か変えたことはありますか、という問いに、山本さんはこう答えました。
私が初めて山本さんに出会ったのは、去年12月、2年ぶりに行われた全支店長が一堂に会しての会議の席。身長185センチほどの私と同じ目線の高さにあるその大きな目は、マスクで鼻と口が覆われていることもあってか、純粋な光を放っているように感じました。すがも事業創造センター(以下、S-biz)のメンバーに山本さんについてたずねてみると「純粋な子どもが、そのまま大人になったような人」という答えが返ってきたことから、私の印象はあながち間違いではなかったようです。
各支店から寄せられる取引先の課題に対して、「お金をなるべく使わず」「いまある強みを最大限生かして」処方箋を提供するのが、S-bizの仕事です。まさに本業支援の参謀本部、山本さんはその次長を務めています。実は、S-bizは山本さんが創った組織なのです。
きっかけは、山本さんにとって転機となった出来事が大きく関係しています。2008年9月に起きたリーマンショックです。山本さんはその前年の夏にアメリカでサブプライム住宅ローン危機が起きたころから、取引先の仕事の具合に微妙な変化を感じていたそうです。そして、リーマンショックが起きた際、取引先の多くが苦境に陥りました。山本さんは2006年6月に、多くの融資を実行した優秀な営業マンとして表彰を受けていました。その融資をした取引先の中には、リーマンショックの前に工場を新設し、設備投資を行っているところもありました。そうした取引先の顔色が訪れるたびに変わっていくのを感じたと山本さんは言います。取引先の売り上げは急落、何とかしてもらえないかという経営者からの懇願に対し、山本さんにできたのは元金据え置き(毎月の返済を利息分だけにして、月々の支払い負担を一定期間減らす措置)だけだったといいます。このとき、山本さんは取引先を支援する処方箋が「融資」以外に何もないという現実を思い知らされました。
奇しくもリーマンショックの直前、巣鴨信金の田村和久理事長は、ある人物と出会っていました。中小企業支援家の小出宗昭さんです。小出さんの講演を聴き、金融機関としても融資だけでなく本業支援のノウハウを蓄積しておくべきと感じた田村理事長は、小出さんのもとに職員を修行に送り込みたいと相談、ほどなく店内で派遣職員の公募が行われました。そこに手を挙げたのが、融資以外の処方箋を渇望していた山本さんでした。小出さんからは、送り込んでくる職員に、以下のような条件をつけていました。まず、優れた営業マンであること、そして支店長にでも刃向かうような気概があること。山本さんは、その条件にかなう人材と判断されたわけです。
小出さんが運営を任されていた富士市産業支援センターに出向した山本さんは、1年2か月、小出さんの元で本業支援について学びました。具体的に何を学んだのか、山本さんにたずねたところ、「ノウハウやテクニックではなく、人としてどうあるべきか、金融マンとしてどうあるべきかという本質を教えてもらった」という答えが返ってきました。
巣鴨信金に戻った山本さんはS-bizを立ち上げ、全店に本業支援のあり方を伝える伝道師としての活動を始めました。とはいえ、いきなり本業支援といっても、そのことになじみのない信金職員に伝わるはずもありません。山本さんは、まず全店舗に対し、取引先の「おもしろい」と思う点を書き出す「おもしろい登録」から始めました。寄せられた3000件に及ぶ「おもしろい登録」の中から、これはという取引先を見つけ、そこから本業支援に取り組んでいきました。何か記憶に残っている案件はとたずねたところ、最初に出てきたのが、ある金型メーカーのエピソードでした。金型の仕事が激減したので、目の不自由な人のための爪削り器を作ったがなかなか売れないという相談。現地をたずね、山本さんが出した処方箋が、ネイルに興味のある若い女性向けの商品を作ってはどうかというアイデアです。東京都の制度を利用して無料でデザインしてもらい、出来上がったのが女性向けのネイルシャープナー。取引先にとって新たな販路が広がり、それまでにない売れ行きを記録したといいます。
女性向けネイルシャープナー
金融マンとしての生き方を取引先の本業支援へと転換した山本さん。おそらく少年期の体験が、原点にあると感じました。山本さんの実家は10人ほどの従業員を使う鮮魚店を経営していました。山本少年の夢は店を継ぐこと。しかし、山本さんが小学5年生のとき、父親が他界。母親があとを継ぎましたが、父親についていた大手居酒屋チェーンなどの顧客は潮が引くように取り引きを停止、売り上げは下がる一方で、結局廃業することになりました。また、山本さんは大手スーパーができたことで、商店街の店がどんどん苦境に追い込まれていくさまも目の当たりにしてきました。小さい店でも、それを生業に家族を養っている人々がいる-そんな人々を支えたいという思いが、いまの山本さんにつながっているのだろうと、私は感じました。
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取引先から“上司”と呼ばれる男
奥山 眞司(50) 諏訪信用金庫 ビジネスサポート部次長
取引先の商品を自ら食リポでPRしている面白い信金マンがいる-その話を聞いて、興味を引かれたのが奥山さんとの出会いでした。実際にネットに上げられた映像を見てみると、地元テレビ局のアナウンサーかと思うような、にこやかな男性が、実に楽しそうに食リポを行っていました。この人は仕事を楽しんでいるな、というのが映像から受けた第一印象でした。
実際にJR上諏訪駅で私たちロケクルーを待っていた奥山さんは、タイトな紺色のスーツにピンクのネクタイを締めた、粋な金融マンでした。そこから3日間、奥山さんの仕事に同行して印象に残ったのは、会う取引先の経営者がみな奥山さんと友だちのように接していること。いや、同志という方が的確かもしれません。特に、地元諏訪では知らぬ人がいないという人気うなぎ店の経営者、小林時男さんが「奥山くんは、私の上司」と何度も話していたのが印象的でした。取引先にまるで社員のように入り込んで仕事をサポートし、ときには経営方針に悩む経営者に苦言を呈することもあるといいます。しかし、奥山さんから受ける苦言を苦々しいと感じる経営者は、おそらく少ないでしょう。それほど奥山さんの立ち位置は、取引先の側にあると感じます。
奥山さんは長野県諏訪市の出身。諏訪湖周辺の諏訪・岡谷といえば、古くは養蚕業に始まり、後に精密機械工業の集積地として栄えた地域です。奥山さんは東京の私立大学で化学を学んで、卒業後は地元の製造業に就職しようと考えていました。その奥山さんが諏訪信用金庫に就職。なぜなのかたずねてみると、白衣を着てずっと実験室にこもって仕事をするのが嫌になったのだそうです。
金融マンになった奥山さん、最初に赴任した支店の支店長が、現在理事長を務める今井 誠さんでした。入庫した際、今井さんから、ただ「お客様のお役に立ちなさい」とだけ言われたのが、奥山さんの心に響いたといいます。企業には良いときも、悪いときもお金が必要。悪いところが融資によって良くなっていくのを見るのが楽しかったそうです。
しかし、奥山さんにも転機が訪れました。やはり2008年のリーマンショックです。奥山さんがちょうど融資課長に就任したころ。これまでのように融資しても取引先の経営状態は回復しません。しかも、融資できないほど経営が落ち込んでいく事業者が相次ぎました。忘れられないのが、ある建設会社。もともとあまり経営状態は良くなかったのですが、リーマンショック後には融資しても返済できない状況に陥りました。ここで融資を止めると間違いなく経営破綻するというとき、奥山さんは融資を断りました。建設会社は不渡りを出して、倒産。当時は仕方ないと思っていました。淘汰されるべき会社は、傷が大きくならないうちに終わりにしてあげるのも親切だと自分を納得させました。しかし、時間が経つにつれ、「今だったら、あの会社を救えたのではないか」と思うようになったといいます。倒れた会社も地元の雇用を担っていました。金融機関が協力して返済猶予したり、吸収合併の相手を探したり…..やれるはずのことをやらなかったという悔いが、奥山さんのあり方を大きく変えることになります。
支店長になった奥山さんは、経営状態が悪い取引先ばかりを訪ねるようになりました。取引先に入り込んで問題解決に乗り出したのです。奥山さんには、特別に本業支援のノウハウを学んだ経験はありません。武器は当事者意識、ひと事ではないという感覚です。取引先は百社百様、経営者と現場に立ちながら膝詰めで一緒に問題解決の道を探るというのが奥山さんの流儀です。入り口として財務諸表は見ますが、重視するのは経営者と現場。最新の工作機械などは2時間見ていても飽きないといいます。奥山さんの話を聞いて感じたのは、この人は取引先に入り込むことで、いろんな仕事を疑似体験する感覚を楽しんでいるのではないかということです。たずねてみると、実はそうだという返事。なぜわかったかというと、いろんな現場に入り込んで疑似体験するのは、私のようなドキュメンタリーディレクターにも共通する楽しみだからです。
さて、融資よりも本業支援を率先して行う奥山さんを静かに見守っていたのが、今井 誠理事長でした。去年4月に本業支援をサポートする部署、ビジネスサポート部を新設した際、その次長に奥山さんを抜擢しました。巣鴨信金のS-biz同様、各支店が抱える取引先の課題の解決をサポートする部署です。
いま奥山さんが抱えている案件で興味深いと感じたのが、ある鉄工所の社長からの依頼です。 重い鉄を扱う鉄工所の仕事、社員が年をとって工場では働けなくなったあとも、その雇用を確保するために、オランダ式の巨大なトマト工場を建設できないかという相談です。
トマト工場を視察する奥山さんたち
実際に、長野県安曇野にある巨大なトマト工場を鉄工所の社長とともに訪れ、工場建設用の土地探しも奥山さんが動いています。もちろん資金面も諏訪信用金庫が支えることになります。地域の高齢者雇用を生み出すと同時に、養蚕、精密機械に続く、新たな食の産業を興すきっかけになればと奥山さんは考えています。そして、このプロジェクトに関わっているもうひとりのキーパーソンが、次に紹介する“おもろい”元金融マンです。
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仕組みを創造する男
天間 幸生(49) 株式会社RCG 代表取締役 CEO
天間さんは、奥山さんの諏訪信用金庫も参加しているバンカーズチョイスの仕組みを創った元銀行マンです。地域の金融機関は地域に深く根ざしている一方で、特に信用金庫・信用組合はその営業エリアが限られています。そこで、各地の金融機関が連携することで、それぞれの金融機関が後押ししている取引先の商品の販路を相互扶助で全国に広げようというのがバンカーズチョイスの狙いです。各金融機関が推す商品をカタログにまとめて販売するのですが、知恵を絞ったなと思ったのは、個人向けの販売だけでなく、各金融機関が取引先の企業に向け、社員への福利厚生としての購入を持ちかけることで、大量一括購入につながるという点です。社員への福利厚生なら企業にとっても経費で落とせるため助かるわけです。さらに、地元で他の地域の商品の売れ行きが伸びる方が金融機関が手にする販売仲介手数料が多くなるというルールも組み込まれており、天間さんがまさに「仕組みを創造する男」であることを感じさせます。
天間さんは大学卒業後、地元青森のみちのく銀行に入行、バブル崩壊で生じた不良債権問題の対応に追われる日々でしたが、入行して10年、転機が訪れます。それは32歳のとき、ロシアのハバロフスク支店への転勤でした。天間さんがハバロフスクで感じたのは、青森市に比べてもずっと人口の少ない地方都市でありながら、ものすごい活気で希望に満ち溢れていたことです。一方、日本の地方は人口減少などで、先行きは暗く、地域金融を取り巻く環境は厳しい状況でした。天間さんは、地域経済の活性化のために自分に何ができるのかと真剣に考えはじめました。
2008年9月、天間さんは、ロシアへの展開を考えていた北海道銀行に転職しました。そして、社内ベンチャー制度を利用し、日本で初めて銀行の関係会社として地域商社を創立しました。この地域商社・北海道総合商事で、ロシアのヤクーツクに温室野菜工場を建設したり、ロシア全土で4万2000店を展開していたロシア国営郵便会社の一部で日本の産品の販売ルートを切り開いたりと、大活躍します。その活躍はプーチン大統領までが注目するところとなり、天間さんは毎年ウラジオストクで開催されている東方経済フォーラムの常連となりました。
2020年、天間さんは北海道総合商事の社長を辞任、株式会社RCG(Regional Company Group)を創業し、いよいよ全国の地域金融機関と協力して地域に産業を興そうと動き始めます。ひとつは、奥山さんのところでも触れたオランダ式トマト工場の全国展開。天間さんによれば、ある大手コンビニチェーンのサンドイッチに使われているトマトは全て輸入品とのこと。それを、国産のトマトに変えるだけで国内の産業支援につながると考えました。異なる地域にトマト工場を建設することで、安定供給できる仕組みを創り上げ、いずれはトマトの海外輸出まで実現したいと話しています。奥山さんが鉄工所の社長に依頼を受けたトマト工場も、実現すれば、この仕組みに参加する予定です。
もうひとつの仕組みが、先ほど紹介したバンカーズチョイスですが、天間さんはこの仕組みをさらに地域に新たな産業を興すための仕組みへと進化させようとしています。その鍵となるのが「企業版ふるさと納税」です。「企業版ふるさと納税」は自治体が作成した地域再生計画に対して行われる寄付です。個人版のふるさと納税のような返礼品(経済的な見返り)は禁止されていることもあって、その寄付総額は110億円と、個人版の総額約6700億円に比べで伸び悩んでいます(令和2年度)。この「企業版ふるさと納税」の金額を伸ばせば伸ばすほど、地方の産業育成にお金が回ると考えた天間さんは、企業がふるさと納税を行いたくなるような仕組みを考案しました。ちょっとややこしいので図をご参照ください。
天間さんが考えた「企業版ふるさと納税」を利用して地域再生を進める仕組み
①まず、地域の金融機関が地元企業に、自治体の地域再生計画に「企業版ふるさと納税」を行うよう勧めます。地域再生計画にはSDGsに関わる取り組みが多く、企業は社会貢献をアピールすることができます。
②寄付をすれば最大9割の金額が法人税等から控除されますが、企業は少なくとも1割は負担しなければなりません。
③寄付した企業に対し、負担に相当する金額まで割引した値段で(最大で9割引)バンカーズチョイスのカタログから選んだ商品を社員への福利厚生として購入する権利をRCGが与えます。社員の福利厚生費は経費として落とすことができます。あくまで福利厚生として購入するので、返礼品などの経済的な見返りとは見なされないという解釈です。社員は喜び、地域の産品も売れるという三方良し。
④寄付を得た自治体は、この仕組みを運営するRCGに対し、業務委託手数料を支払います。
⑤RCGはそこからさらに企業版ふるさと納税を勧めた金融機関に対し、手数料を支払います。
いかがでしょうか。実はこの仕組みを実施する上で天間さんは内閣府から2つの注文を受けたといいます。ひとつはカタログ商品を福利厚生として安く購入できる権利を、寄付した企業だけに限らないこと。え!?と思う方もいらっしゃるでしょうが、これは経済的な見返りの禁止を徹底したいという考えからだと思われます。そこで天間さんは寄付企業に限らず、SDGsに積極的に取り組む企業にはいくばくか割引を行うことを約束しました。もうひとつは、自治体からの業務委託手数料をカタログ商品の割引原資としないこと。これについては天間さんは別会計で処理しているそうです。
実際に青森県東北町がこの仕組みへの参加を決め、天間さんのRCGと契約を結び、1月から取り組みを始める計画です。他にも仕組みへの参加を協議している自治体が複数あるとのことです。「仕組みを創造する男」こと天間幸生が一世一代の勝負をかけた地域再生を加速する仕組み、うまく機能していくのか、目が離せません。
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電話一本で融資を200億円実行した男
吉岡 正(49) 福邦銀行 営業統括部次長
「私、自分の打率が大体わかっているんです。打率4割です」
野球の話ではありません。融資の勧誘を10件行ったら、4件は実行できるという経験則です。その経験則が、電話での融資の勧誘にも当てはまると吉岡さんはいいます。しかも、地元福井から遠く離れた東京の企業への融資の勧誘です。
吉岡さんが勤める福邦銀行は、天間さんのバンカーズチョイスにも加入する福井の第2地銀です。カタログ商品の販売促進実績は、年末に向けた2か月間でぶっちぎりの第1位。しかも、バンカーズチョイスの商品の中で、いち早く海外展開を実現したのも、いぶし柿と海鮮鍋。もちろん、どちらも福邦銀行が後押ししてきた地元の商品です。
他の地域の金融機関を圧倒する勢いで取引先の本業支援を勧める吉岡さん。興味深いことに、いぶし柿を作る事業所とは融資関係は一切ないといいます。借りる必要がない取引先に貸そうとするから無理が生まれる。それならば、資金需要のあるところに融資して、その稼ぎを地元取引先の本業を支援する原資にすれば良いのではないか。そう考えた吉岡さんが狙いを定めたのが、建設ラッシュに沸く東京の不動産関係の会社でした。福邦銀行には東京に支店も営業所もありません。融資の勧誘はすべて電話から始まります。全く付き合いのない福井の銀行からの突然の電話営業に乗ってくるような会社はあるのか。私たちのカメラの前で、吉岡さんは時間が空いたときに必ずやっているという東京の不動産会社への電話営業をやって見せてくれました。
「ぶっちゃけストレートに申し上げますと、福邦銀行といい条件であれば取引してもいいよと いうご方針でしょうか?」これが吉岡さんの決まり文句です。最初にかけた会社は担当者不在。次の会社は、融資の必要なしという返答。その次の会社は、福邦銀行の格付けでは取り引きできないというにべもない返事。福邦銀行はリーマンショックによる経営危機を乗り切るために公的資金を受け入れ、その返済期限が2024年3月に迫っています。期限までの返済が難しいことから、去年秋、地元最大の地銀・福井銀行の子会社になったという事情があります。しかし吉岡さんは「こういう会社には、2度と電話しなくていいということがわかっただけでラッキーです」と、あくまで前向き。そこで、最初にかけた会社にもう一度かけなおすと、担当者が戻っていました。吉岡さんが決まり文句を述べたあと、どうも先方から悪くない反応が返ってきた様子。結果を述べると、ここで先方の内諾を得たあと、行内での審査にかけ、吉岡さんが東京の不動産会社まで足を運んで3億円の融資が決まったそうです。驚く私たちをさらに驚かせるデータを吉岡さんは見せてくれました。その日までの1年7か月の間に電話営業した結果の一覧表です。最終的に融資実行までいった金額を合計すると、なんと200億円を超えていました。
200億円というと、福邦銀行の32の支店が1年の間に実行する融資総額の1割に等しい金額だといいます。それを本店の吉岡さん一人が電話一本で東京から新規に獲得したというのです。にわかには信じがたい話でしたが、無理な融資で焦げ付くのではないかという私の問いに対し、吉岡さんは闇雲に不動産会社に電話しているわけではないと答えました。会社四季報に目を通しながら、以下のような条件に合う会社に営業をかけているそうです。
・東証一部上場
・配当を続けていること
・連続黒字計上
・業容拡大
・自己資本比率30%以上
・風評等調査で問題ないこと
私たちがロケをしたのは11月中旬。年末にもう一度吉岡さんに電話してみると、融資総額は220億円に増えたとのことでした。その間に、バンカーズチョイスの販売促進実績も伸ばし、海鮮鍋の海外展開も実現しているので、まさに融資と本業支援の二刀流と言えるでしょう。
吉岡さんの転機は、入行して間もないころ。新規融資開拓に成功した吉岡さんを支店長が「お前、すごいな!」と先輩行員たちの前で手放しで褒めてくれたことだそうです。それまでは飛び込み営業がとにかく苦手で、バイクで何度も相手先の社屋の前を行ったり来たりしてなかなか訪問できなかったそうですが、その出来事を機に、新規融資を開拓する快感がたまらなくなったそうです。
一方で、福邦銀行の経営が厳しい状況に陥ったことから、同期の入行者は次々と銀行を去り、吉岡さんも結婚間もない30歳のときと35歳のときに転職を考えたといいます。それでも2015年に本部の企画セクションに抜擢されたことから、福邦銀行を変えようと大胆な業務改革に乗り出します。何でも行内のリソースで行おうとしていたのをやめて、M&Aの会社やコストコンサルティングの会社など外部の専門企業130社と提携し、ビジネスの幅を広げるとともに、行内にノウハウを蓄積していきました。そして、行内に、売り上げ支援、補助金申請支援、業務効率化支援など、8つのコンサル事業を立ち上げました。吉岡さんは本業支援を無料のサービスではなく、新たな稼ぎ口として育てていきたいと考えています。
吉岡さんが好きな言葉は“言いたいヤツには言わせとけ”だそうです。地方銀行は地域の中だけでビジネスをすべきである、という常識から、吉岡さんの大胆なアクションを冷ややかに見る目もあるそうです。しかし、常識にとらわれていたからこそ、現在の苦境があるというのが吉岡さんの考え。新しいことをやった先には、必ず楽しい結果が待っていると信じて、吉岡さんは地元企業への本業支援と東京への電話営業を続けていくといいます。
ちなみに吉岡さんの長男は、eスポーツの世界大会に日本代表として2度出場したことのある高校生プロゲーマーだそうです。ひょうひょうとした風雲児である吉岡さんのご子息も、どうやら風雲児のようです。
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