吉野ヶ里遺跡発掘/石棺墓 “×”(バツ)の意味を最新の考古学・天文学から読み解く

NHK
2023年7月4日 午後2:52 公開

弥生時代の人々は私たちと同じように星空を見つめ、思いをはせていたかもしれない―

そんなわくわくする可能性が現在、考古学の枠を超えて検証されています。

10年ぶりに再開された吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の発掘調査。

これまで手付かずだった“謎のエリア”から発見された石棺墓には、無数の「×(バツ)」が刻まれていました。

果たしてこの線刻は何を意味するのでしょうか。

最新の研究で見えてきたのは、「×」と星空の意外な関係です。

専門家の現地調査に密着しました。

(佐賀局 記者 真野 紘一 / ディレクター 保井 龍太郎)


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考古学者×天文学者 異色のコンビの見立ては「星」

先月21日。発掘された石棺墓を調査するために、吉野ヶ里遺跡を2人の専門家が訪れました。考古学を専門とする東海大学の北條芳隆教授と、国立天文台の高田裕行専門研究職員です。

(左:高田裕行さん 右:北條芳隆さん)

今回発掘された石棺墓は約1800年前、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期の墓です。

ふたの大きさは全長2.3メートル、幅は60センチほど、重さは100キロ以上もあります。過去に吉野ヶ里遺跡で見つかっているものの中で最大規模です。

そして今回2人が注目したのは、石棺墓のふたに刻まれた「×(バツ)」の線刻です。

こうした線が刻まれた弥生時代の墓は、全国でも吉野ヶ里遺跡周辺の2つの遺跡でしか見つかっていないといいます。

写真では確認できない線刻の深さや入り具合を確認した2人。カメラやタブレットで記録を取りながら、興奮した様子で線刻が「星」を見立てたものではないかと話しあっていました。

東海大学 北條 芳隆教授(考古学)

「驚きました。報道で見ている以上にかなり丁寧に線刻が施されていることが分かりました。おそらく『すり切り技法』といって、硬い石の包丁のようなものでふたの面に直接当てて左右に摩擦をしながら削っている。十文字(バツ)は均等な力加減で均整がとれたように彫られていて、星を表しているという説も検討の余地があると感じました」

吉野ヶ里遺跡と天体には深い関わりがあった?

なぜ星が刻まれていると考えるのか?

実は近年、吉野ヶ里遺跡と天体の深い関わりが次々と解明されているといいます。

例えば、遺跡中央に位置する「北内郭」(きたないかく)と呼ばれるエリア。政治や祭祀(さいし)が行われた重要な場所とされています。

その中心を貫く線を延ばすと、向かった先は北東の空。

吉野ヶ里が最盛期を迎えていた西暦200年代前半の、冬の満月の出の位置と一致したのです。

文字がまだなかった弥生時代。高度が高い冬の満月を道しるべに、稲作の作業や祭りの時期を把握しようとしていたのではないかと考えられています。

東海大学 北條 芳隆教授(考古学)

「春分を過ぎてから、夏至そして秋分になるまでの間はこまやかな手入れを行う必要があり、稲作を行う際には暦が不可欠です。弥生時代のように『無文字社会』であっても高度な時間の管理が可能なようにする工夫が吉野ヶ里遺跡では認められるのかなと考えています」

「×」が語るものとは…最新の解析技術で読み解く

石棺墓のふたに刻まれた線刻と天体にはどんな関係があるのか。

石棺墓に刻まれた複数の「×」を読み解く上で大きな役割を果たしたのが、画像データの解析技術を使った新しい研究です。

近年の考古学の調査では、発掘されたものをさまざまな角度から写真に収め、専用のソフトに取り込むことで3Dデータを作成しています。今回も調査員たちが石棺の3Dデータを作成。これをもとに専門家たちがさまざまな分析を行っています。

鹿児島国際大学の情報考古学が専門の中園聡教授です。

分析の結果、石棺墓のふたについて新たに分かったことがあるといいます。

中園さんはふたに刻まれた線刻の色や陰影の向きを変えることで、肉眼では見えにくい線刻をコンピューター上で可視化。バーチャル空間でつなぎ合わせ、ふた石の表面を改めて観察したところ、2枚のふた石にまたがった線刻や風化の痕跡が確認されたのです。

大きく3枚に分かれていたふたのうち、2枚はもともと1枚の石だった可能性が極めて高いというのです。

鹿児島国際大学 中園聡教授 (情報考古学)

「もともと一つの石ということが確実になりました。2枚の石にまたがって施された線刻もあるようですので、今後2枚がくっついた状態で全体像がどうだったのかを検討をする必要があると思います」

浮かび上がってきた“夏の夜空”

「×(バツ)」と星空の関係に注目していた北條さんと高田さん。2枚のふた石を1枚につなぎ合わせ、詳しく分析を進めました。

すると「ある天体のイメージ」が見えてきたといいます。

現れたのは、おりひめ(ベガ)とひこ星(アルタイル)で有名な「夏の大三角」。

左側が弥生時代の星空を再現したシミュレーション、右側がふたに刻まれた線刻です。ふたに刻まれた「×」を星と見立て比べてみると、夏の夜空に浮かぶ星々と次々に一致しました。

さらに、おりひめ(ベガ)とひこ星(アルタイル)を分かつように流れる銀河「天の川」も。天の川の中心を貫く帯状の暗い領域「暗黒帯」もきちんと再現されているといいます。

弥生後期の夏の夜空の天文図が、2枚の石をまたいで描かれているというのです。

(左:高田裕行さん 右:北條芳隆さん)

国立天文台 高田 裕行専門研究職員

「線刻が密になっている部分が最初に目につきました。これを天の川に見立てて実際の星図に当てはめてみると、比較的明るい1等星や2等星の配置と刻まれている×(バツ)が大きく外れることなく一致するように見えます。これが偶然とは思えません。非常に写実的で、夜空の星たちを見えるまま彫った素朴な感じがします」

東海大学 北條 芳隆教授(考古学)

「過去にこういった研究があまりないので、高田さんの仮説を最初に聞いたときは意表を突かれました。×(バツ)はもっとランダムに刻まれてもいいのに、ある部分に偏っていたり意味ありげに長い直線が入っていたりしている。そこには元となった何らかの映像(イメージ)があったと考えるのが自然だと思います」

1800年前 弥生人が見上げた星空

もしこれが夏の夜空を刻んだものだとしたら、それは何を意味しているのでしょうか?

東海大学 北條 芳隆教授(考古学)

「(天の川は)月が出ていないときに私たちの上に輝き、その端は地上と結ばれている。それを天と地を結ぶ何か懸け橋のような形で、死生観とも絡めてイメージされた可能性があるのではないかと考えます。当時の人々は現代の私たちが忘れ去った自然な感覚で素直に星空を眺め、豊かな精神生活を営んでいたということだと思います」

弥生の人々が何を考えどのような思いで死者を葬ったのか、2人はさらなる分析を重ねる予定だといいます。

吉野ヶ里遺跡の今回の発見は、邪馬台国論争に一石を投じるのではないかと注目を集めました。しかし考古学には多様な側面があります。弥生人は何を考え何をよりどころに生きていたのか。こんなことに思いをはせることができるのも学問の魅力です。


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