プロ野球界初の文化勲章を受章した長嶋茂雄氏が 豪腕・金田正一投手の前に4打席4三振という鮮烈なデビューを果たした1958年4月。日本から遠く離れたイギリス・ロンドンでひとりの男の子が生まれました。ピーター・スコットさん、現在のピーター・スコット-モーガンさんです。それから63年、その半生は“常識”への挑戦の連続でした。ピーターさんが挑んできた4つの"常識"との闘いを軸にまとめたプロフィールです。
(書き手:片岡利文エグゼクティブ・ディレクター)
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“常識”との闘い 第1章:オックス・ブリッジだけが大学ではない
ピーターさんは、7歳からロンドン郊外のウインブルドンにあるキングス・カレッジ・スクールに通いました。この学校に通うのは、いわゆるイギリス上流階級の子弟たち。卒業後の進学先としては、名門のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学を目指すのが常識とされていました。
しかし、ピーターさんが進学したのは、インペリアル・カレッジ・オブ・サイエンス・テクノロジー・アンド・メディシン。ここに決めたのは、当時イギリスで唯一コンピューターサイエンスの学位をとれる全日制のコースがあったからです。ピーターさんはここでロボット工学を修め、イギリスのロボット工学部で初めてとなる博士号を取得しました。
ロボット委員会の議長を務めるピーターさん(中央の座っている男性)
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イギリスにおけるロボット工学の先駆者となったピーターさんは、1984年、博士論文のための調査結果をまとめた『THE ROBOTICS REVOLUTION』(ロボティクス革命)を出版、この本の中で早くも「人類とAIが融合する未来」を提唱しています。この初めての著作は、イギリスで「産業界のためのトップ50」に選ばれ、当時東側の社会主義国だったソ連でもロシア語で出版されるなど、いくつかの言語で翻訳出版されました。
著書『THE ROBOTICS REVOLUTION』
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“常識”との闘い 第2章:組織の不文律を解き明かせ
ピーターさんは、テクノロジー系の経営コンサルティング会社であるアーサー・D・リトルに就職しました。企業のコンサルティングを進めるうちに、ピーターさんは組織の改革を妨げる原因として、組織の中の人々が共有している暗黙の常識、いわゆる不文律の存在に注目しました。その不文律を解き明かし、これを変えていく手法を独自に考案、欧米の大企業を中心に導入されていきます。
コンサルタントとしての講演活動
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1994年、その手法をまとめた『会社の不文律』(原題 The UNWRITTEN RULES of THE GAME)を出版、ベストセラーとなり、その年の「ビジネス書トップ30」に選ばれました。ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、中国語など、多くの言語に翻訳され、日本でも日本語版が発売されました。その後、ピーターさんはコンサルタントとして独立し、学界から実業界まで幅広く活躍してきました。
著書『会社の不文律』(日本語版)
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“常識”との闘い 第3章:性的マイノリティーとしての権利獲得
2005年、イギリスで同性のカップルの法的権利を認めるシビル・パートナーシップ制度が施行されたその日に、ピーターさんは26年間交際を続けてきたフランシスさんと結婚、新制度を利用しての登録第1号カップルとして注目を浴びました(2014年に法律が変わり、2005年にさかのぼって通常の結婚と同じであることを認められた)。
ピーターさんとフランシスさんのような同性愛は、イングランドとウェールズでは1967年まで、スコットランドでは1980年まで、そして北アイルランドでは1982年まで違法とされてきました。1979年に出会った2人は法律改正後にも残っていた社会の“常識”からの風当たりにも屈せず、同性カップルであることを公表し、互いの思いを貫いてきました。
ちなみに、スコット- モーガンという姓は、ピーターさんのスコットという姓と、フランシスさんのモーガンという姓を一つにしたものです。
2人は1979年3月25日に出会い
2005年12月21日 公式に結婚した
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“常識”との闘い 第4章:テクノロジーで難病を克服せよ
2016年冬、ピーターさんは北極圏旅行のさなか、右足に異常を感じました。翌2017年11月、診察を重ねた結果、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病・ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、余命2年と告げられました。
しかし、ロボット工学を修めた経験から「最先端のテクノロジーを肉体に導入すれば難病を克服する道を開けるのではないか」と考えたピーターさん。自らを実験台にサイボーグ化とAIとの融合を進めるという常識破りの決断をしました。そして、体が機能しなくなるのを見越して、先手を打つように次々と肉体の改造に動こうとしました。しかし、ALSの大家とされる医師に拒絶されたのをはじめ、この前代未聞の肉体改造に協力する医師を見つけるのは至難の業でした。ようやく地元デボン州の公的医療機関の協力を取り付け、サイボーグ化による難病克服というプロジェクトが始動したのです。
2018年7月、食物摂取と排泄を機械で行うための手術を完了。
2019年10月、ALSの死因のひとつがえん下障害による誤えん性肺炎であることに注目。それを防ぐために、喉頭を切除して気管と食道を切り離し、気管に空気供給装置を接続しました。
この手術を行うと声を失うことから、事前に様々な言葉やフレーズを自分の声で30時間収録。それをAIに学習させ、目の動きによって文字を入力できるシステムと連動して、本人さながらの声でAIが話すシステムを導入しました。これら全てのシステムを格納し、かつピーターさんの足となるのが、車いすロボットのチャーリーです。
車いすロボットと一体化
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さらに顔を3Dスキャンし、AIの音声に合わせて表情を変えるコンピュータグラフィクスによるアバターを制作。ALSで顔の表情が失われることにも先手を打って備えました。
一方で、自らの肉体を実験台にして得られたテクノロジーを多くの人々が利用できるようにするため、スコット- モーガン財団を設立しました。インテル、レノボ、DXCテクノロジーなど、世界の名だたるIT企業が続々と参加に名乗りを上げ、難病、障害、老化などを克服するための技術開発を進めています。
財団のリモート会議に臨む
技術開発を進める企業のメンバーたち
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こうしたピーターさんの試みは、今年2021年4月、ピーターさんの自伝『Peter2.0』(日本語版『ネオ・ヒューマン 究極の自由を得る未来』)が出版されたことで、広く知られるようになりました。サイボーグとして生きるというピーターさんの選択には、ネット上でもさまざまな意見が寄せられています。前代未聞の取り組みに投げかけられた疑問の声、批判の声に対し、ピーターさんは「常識は変わり、変えられるものだ」と番組で答えています。
いま、イギリス・トーキーの海が見える高い崖の上に、「ハイクリフ」と名付けられた新たなAI研究施設兼住居の建設計画が進んでいます。財団に参加する企業・組織がピーターさんのサイボーグ化を協力して進めるための新たな拠点となります。
ハイクリフ建設予定地
ハイクリフの図面
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以下は、ピーターさんの構想を元に番組で制作した、ピーター2.0の近未来の姿を描いたCG映像です。
ピーター2.0の近未来の姿
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腕には装着型のロボットアーム、そして胸にはアバターを表示するモニターが取り付けられています。
AIを組み込んだ仮想現実グラスは、全ての機能のコントローラーも兼ねた情報センター。インターネットを通じて様々な情報を入手できるだけでなく、仮想現実の中で世界旅行や宇宙遊泳まで楽しめるようになるとピーターさんは期待しています。
そして、ピーターさんは、自らの脳とAIを融合するという、次なる常識破りに挑もうとしています。
(書き手:片岡利文エグゼクティブ・ディレクター)
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