『沖縄VR1972』旅のしおり④ 那覇市民会館と復帰

NHK
2022年5月11日 午後0:42 公開

1972年5月15日。沖縄の本土復帰の記念式典が行われたのが「那覇市民会館」です。“復帰の象徴”とも呼ばれた建物ですが、劣化のためいまは立ち入ることができず、取り壊しが予定されています。

50年前の記念式典の様子と、当時の沖縄の人々の複雑な思いについて振り返ります。


目次

・復帰の記念式典が行われた 那覇市民会館

・屋良朝苗知事

・復帰の日を迎えても沖縄に残ったアメリカ軍基地

・復帰式典の会場の外で行われた“抗議集会”

・地元の学生が挑む 最先端技術の保存


復帰の記念式典が行われた 那覇市民会館

(復帰記念式典)

1972年5月15日、沖縄が本土復帰したその日。那覇市民会館では政府主催の復帰記念式典が行われていました。

式典では屋良朝苗知事が式辞を読み上げました。

「沖縄復帰の日は、疑いもなくここに到来いたしました。しかし、沖縄県民のこれまでの要望と心情に照らして、復帰の内容を見ますと、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとは言えないことも事実であります」

このスピーチは沖縄の人の思いを代弁したものとして、語り継がれています。

屋良朝苗知事とは

(屋良朝苗知事)

屋良知事は明治35年生まれ。沖縄教職員会の会長に就任し、本土復帰運動の先頭に立ちました。当時沖縄では、米国民政府の下に沖縄の人による琉球政府が置かれ、トップの行政主席はアメリカ側が任命していました。

1968年11月、初めて行政主席の公選が実現すると、屋良氏は「基地の即時無条件全面返還」を訴え、当選しました。

この時の選挙は、戦前・戦後を通じて初めて沖縄の住民が自らの手で代表を決めるものでした。住民の関心は大変高く、投票率は90%に迫りました。

復帰後、屋良氏は県知事を2期務め、基地のない沖縄の実現を訴え続けましたが、広大な基地が残りました。

復帰を迎えても沖縄に残った基地

沖縄返還協定が調印された1971年6月17日の時点で、沖縄には353㎢のアメリカ軍専用施設がありました。(令和3年度防衛白書より)

これらの土地が返還されることが、多くの住民たちの願いでした。

(復帰前のアメリカ軍専用施設)

しかし翌年の本土復帰までに返還されなかったアメリカ軍専用施設は278㎢。返還されたのは山奥の訓練場や憲兵の詰め所などにとどまり、79%はそのまま残されました。

(復帰後のアメリカ軍専用施設)

式典会場の外で行われた“抗議集会”

(那覇市民会館の隣の与儀公園で行われた抗議集会)

那覇市民会館の隣にある与儀公園では、式典の最中、アメリカ軍基地を残したままの本土復帰に抗議するデモが行われ、大雨の中、およそ1万人が集まりました。

(平良亀之助さん 左:復帰当時 中:アバター 右:現在)

屋良知事の側近で、琉球政府の復帰対策室に勤め、広報担当として式典会場にいた平良亀之助さんは、与儀公園から聞こえてくる抗議の声に対し、「自分も、抗議する人たちと気持ちは同じだ」と、涙したと言います。

地元の学生が挑む 最先端技術の保存

復帰記念式典の会場となった那覇市民会館。歴史的な建造物として、保存も検討されましたが、建物の劣化により2016年から立ち入ることができなくなっています。

劣化の原因は「海砂」です。本土復帰前後の沖縄では建設ラッシュが起きていて、台風に強いコンクリートの建物が次々に建てられました。しかし、コンクリートの需要が急速に高まる中、海砂の塩分がきちんと取り除かれることなく材料に使われたのです。

“復帰の象徴”とも呼ばれた建物は、本土復帰から半世紀を経たいま、取り壊しが予定されています。

この歴史的な建物の保存に、地元の大学生が乗り出しています。

沖縄国際大学産業情報学部の学生19人で、ふだんは映像・ゲーム・CGなどのデジタルコンテンツを学んでいます。「地元の宝を後世に引き継ぎたい」とおよそ5か月かけて那覇市民会館のCGモデルを再現し、番組に登場する那覇市民会館も制作しました。

(那覇市民会館の3DCG)

CGモデルを再現するため、学生たちは那覇市の特別な許可を得て下見を行い、細部を写真で記録し、大ホールの質感を特に念入りに確認しました。学生たちが口をそろえて制作するうえで苦労したと言うのが、沖縄の伝統を生かした特徴的なデザインです。

那覇市民会館の建設には本土復帰前の沖縄の人の思いと願いが込められていました。

戦後、アメリカ様式の建物が増えた中で、失われつつある沖縄の風景を取り戻したいと、建物を構成する資材は沖縄の各地域から集め、「あまはじ」や「ヒンプン」など沖縄民家の伝統的な建築様式を取り入れました。

アメリカ式でも本土式でもない、沖縄らしいデザインを求めて作られた那覇市民会館。

制作にあたった学生たちは、建物を作った人たちの思いを受け止めながら、ひとつひとつ丁寧に確認を重ね、細部まで作り込まれた建物を正確に再現しました。

(3DCGを作成した沖縄国際大学の学生たち)

4年生の宮城あまねさんは、那覇市民会館を幼稚園の頃から何回も訪れていたと言います。今回、強い思いを持って制作に加わったそうです。

宮城あまねさん:

「合唱コンクールなどで利用した思い出の場所です。今回下見で訪れた時に、建物のコンクリートがボロボロになっている姿を見て、本当になくなってしまうんだと、さみしい気持ちになりました。那覇市民会館に込められてきた思いや、沖縄の復帰の話をうまく伝えたいなというふうに思っています」

3年生の具志鈴さんは、制作を通して建物の価値に改めて気づいたと言います。

具志鈴さん:

「那覇市民会館はアメリカ統治下にできているからこそ、この場所で復帰式典が行われたんだなとか、当時のことを色々と想像できる建物だと思いました。こういう建物があったんだよと後世に伝えられるものになればうれしいです」

沖縄国際大学の学生が制作したVR那覇市民会館は、2022年6月26日まで東京国立博物館で開催されている「琉球展」のロビーで見学することができます。

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