侵攻開始からまもなく1年。
クローズアップ現代ではウクライナ、ロシアの市民たちの声を伝え続けてきました。これまで番組で取材した人たちは、いま何を思うのか。
現地でウクライナ、ロシアの市民たちの声にふれ、感じたことを写真とともにまとめました。
(クローズアップ現代キャスター 桑子真帆)
これまでのウクライナ情勢関連のクロ現まとめページ
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ポーランドからウクライナに入国・リビウへ
2月上旬、ポーランドとの国境を越えてウクライナに入りました。景色が大きく変わるということはないのですが、戦時下の国に入ったことで、気持ちの面で緊張感を覚えました。
はじめに訪ねたのは、ウクライナ西部の街・リビウ。街を歩いてまず感じたのが、驚くほどの“日常”です。通りには人々が行き交い、お店は通常営業。しかしよく見てみると、教会のステンドグラスや銅像には攻撃への備えが施され、お店の前には発電機が。
電力不足で夜は停電になることが多く、ろうそくなどをともし電力の消費を極力抑えながら、営業を続けているそうです。日常は日常でも、つい1年前にはなかった現実が、そこにはありました。
リビウの街の一角で突然視界に入ってきたのは、たくさんのウクライナ国旗。
元は広場だった場所が、亡くなった兵士たちを埋葬する墓地になっていました。
日を追うごとに、その数は増えているといいます。失われるはずのなかった命です。
亡くなった息子さんを2週間前に埋葬したという女性が、話を聞かせてくれました。配管工や木工職人として働いていた、自慢の息子さん。
「言葉にならない。問いかけているだけ。そっちは過ごしやすいの?もう無事なの?って・・・。あなたに話せて、悲しみが少し和らいだ気がするわ」。
クローズアップ現代では、去年4月の放送から、ウクライナ公共放送「ススピーリネ」のスタッフを取材し、お伝えしてきました。
話を聞かせてくれた、記者のオレーナさん。夫は戦場で両足を失い、弟はいまも前線にいます。
「こういう時こそ自分が頑張らないと」。
気丈さを示すかのように、私たちに手づくりの料理をふるまってくれました。故郷ヘルソンのボルシチ。野菜がたっぷり入った優しい味でした。
首都キーウへ 日常の中に感じた“戦時下”
リビウからキーウに向かう途中の売店に置かれていたのは、軍への志願を呼びかけるパンフレット。日常の至るところで、“戦時下”を感じさせられます。
キーウの街の中心部にある広場に置かれていたのは、戦場から持ってこられたロシア軍の戦車。
街の人に聞くと
「前線で戦ってくれている人たちのことを忘れないために必要だ」
「もう見慣れていて何も感じない」
と、受け止めは様々。
まるで観光地のように人々が集まり、見物したり写真を撮ったりしているこの場所は、独特な空気に包まれていました。
私がウクライナにいた4日間、ほぼ毎日のように防空警報が鳴っていました。その度に私たちは取材を中断し、不安と緊張を強いられました。
こちらの画像は、警報が鳴るとSNS(テレグラム)に来る通知の画面。
しかし驚いたのは、警報が鳴っても、道行く人々の様子が変わらないことです。
そこから感じたのは、1年間この状況にさらされ続けてきた人々の“慣れ”と“疲れ”。毎回反応していたら、心も体も休まらず、日々の暮らしも続けられない。必死に“日常”を守ろうとしているように見えました。
ウクライナ公共放送のスタッフたち
クロ現が取材を続けてきた、ウクライナの公共放送「ススピーリネ」。当事者として、「戦争」をどう伝えるのか、この1年苦悩を抱えて続けてきた記者たちの姿がありました。
戦時下での取材、現実にどのように向き合って報道を続けてきたのか。会長のミコラ・チェルノティツキーさんにインタビューを行いました。
インタビューを始めて数分後、防空警報が発令され、取材班もミコラさんとともにシェルターへ避難。防空警報はこの1年で600回を超えており、そのたびにスタッフはシェルターに移動し、そこに設けられたスタジオで放送を続けてきたといいます。
「ススピーリネにはとても勇敢なスタッフたちがいます。困難な時代に全力で情報を発信しようとしていることに誇りを感じています」。
その後、シェルター内でインタビューを続けました。
ホストメリの街に残る破壊の跡
キーウ近郊のホストメリ。侵攻直後から1か月あまりにわたってロシア軍の占領下に置かれました。通りに面した住宅は激しく焼かれた当時のまま。時が止まったかのようでした。
そんな中、ここでの暮らしを再開したという女性に出会いました。
「家の中も地域のつながりもめちゃくちゃに壊された。でも、私の住む場所はここしかない。ロシア軍が再び侵攻してくるかもしれないという恐怖はあるけれど、ウクライナ軍がきっと守ってくれると信じている」。
涙を浮かべながら語ってくれました。
今回、私がウクライナで印象に残ったことがあります。
出会った皆さんが、「勝利」という言葉を口にすることです。強い言葉です。ただ、よく話を聞くと、「勝利」が意味するものは、一人ひとり異なっていると感じました。
公共放送ススピーリネのオレーナさんにとっては、「夫や弟が生きて、ふるさとに帰れること」。
キーウ近郊の自宅を破壊された女性にとっては、「二度と攻撃にさらされないこと」でした。
墓地を訪れたとき、戦地で夫を亡くした女性に出会ったのですが、その方は「まもなく生まれてくる自分の子供が戦争を見なくてすむ未来こそが『勝利』なのだ」と話してくれました。
ウクライナの東部では、今も戦闘が激しい地域がありますが、今回私が訪れた町の多くは、人々は落ち着いて日々を送っているように見えます。
ただ、立ち止まって、目をこらして、じっくり聞かないと、見えてこない、聞こえてこないものがあります。
番組では、これからもウクライナ情勢を伝え続けていきます。そのとき、大きなくくりではとらえきれない、一人ひとりの姿を伝えることを大切にしたいと思います。
フィンランド ロシアを離れた家族の思い
フィンランドでの取材では、これまでクロ現が見つめてきた中で強く印象に残っていた、ロシア人の夫妻を訪ねました。
去年、モスクワの自宅で言葉をつまらせながら軍事侵攻に反対する意思を語っていた、スタニスラフさんとイリーナさん。その後、フィンランドに移り住んだといいます
「ロシア人の中にも、自分たちのように母国を離れざるを得ない人がいることを知ってほしい」。
侵攻する側、される側という大きなくくりでは見えてこない、静かな、でも見落としてはいけない強い訴えです。
ラトビアからクローズアップ現代を放送して
取材の最後に訪れたのはラトビア。
かつて、ソビエトに併合された歴史を持つラトビアは、去年の軍事侵攻当初からウクライナへの連帯を示し、避難する人たちを受け入れてきました。一方、ロシアからも侵攻に反対する人々が逃れてきています。
ウクライナ、ロシア双方の市民がここで暮らしています。
街でロシアから逃れてきた人たちに話を聞くことができました。
「祖国が引き起こしたことを恥じている。悲しいし、情けない」
「この代償は私たちが支払っていかなければならない」
祖国を複雑な思いで見つめていました。
20日(月)と21日(火)はラトビア、リガの広場から中継で番組を放送。
2日目は、ヨーロッパ総局の有馬嘉男副総局長とお伝えしました。
10日間、私はさまざまな地で戦時下の人々の話を聞きました。とても受け止めきれない、何と声をかけたらいいか言葉が見つからないことの連続でした。
失われるはずのなかった命や営み。
壊れるはずのなかった家族の形。
戦争がもたらす残酷さ、そして、むなしさを目の当たりにしました。
ここラトビアに来て強く感じるのは、ロシアによるウクライナ侵攻によって今起きていることは、これまでの歴史でも繰り返されてきたこと。
そして、この今の状況が未来にとっての歴史になっていくということです。負の連鎖というのは、どこかで断ち切らなければいけません。国家の理屈が優先されるほど個人の思いというのは埋もれていきます。
私たちはその思いを拾い上げてつなげていくことこそが大切なのではないかと強く感じました。
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