“物価の優等生”と呼ばないで…! 国民食「卵」のジレンマ

NHK
2023年7月25日 午後3:35 公開

日本人が、一人あたり年間300個以上を食べる国民食「卵」。この20年間、1パック200円台前半の安さを維持し、“物価の優等生”と呼ばれてきました。ところが今年に入って、一時300円を超える高値が続いています。

その最大の原因は、去年の秋から全国で猛威を振るった、鳥インフルエンザの感染拡大。殺処分されたニワトリなどは過去最多の1700万羽以上。全国の卵を産むニワトリの1割が失われたことで、卵の供給が不安定に。今回の価格高騰の引き金になりました。

さらに、それだけではない意外な原因が。養鶏業界への取材をしていると、ある生産者が、こんな一言を漏らしたのです。

「“物価の優等生”という表現はもう的確ではないと思います。産業として成り立たないと、卵そのものがなくなってしまう」

このままでは、価格上昇にとどまらず、「卵そのものがなくなってしまう」という衝撃の一言。私たちが、当たり前のように食べてきた「卵」の知られざる現実を追いました。“物価の優等生”への見方が変わるかもしれません。

(クローズアップ現代ディレクター 寺島工人)

【関連番組】 8月1日までNHKプラスで配信中

クローズアップ現代「卵の値段は戻るのか? “物価の優等生”に迫る危機」

“物価の優等生”を作り続けて…ある養鶏家の告白

匿名を条件に取材に応じてくれたのは、45年間、比較的小規模な養鶏場を営んできた65歳の男性です。昭和57年から使ってきたという古い鶏舎は老朽化が進み、屋根のところどころから雨漏りしていました。

廃業を決めた養鶏家

「恥ずかしいことに、直すお金がないんですよ。ギリギリまで使っていますから」。この男性が作ってきたのは、スーパーで比較的安値で売られている卵。特売の目玉として引き合いが多く、私たち消費者がイメージする、まさに“物価の優等生”です。ところが、その期待に応え続けることが、もう難しくなったと言います。

その原因は、卵の生産コストの6割を占めるというエサ代の高騰。主原料である「とうもろこし」や「大豆の搾りかす」は、その大半を海外からの輸入に頼っていますが、近年、円安やウクライナへの軍事侵攻、中国の穀物輸入量の増加などで相場が上昇しています。ただ、男性には、こうしたコストアップに耐えられるだけの経営体力が残っていませんでした。

「卵は利益率が低すぎる。丹精込めて作っても、スーパーで200円、150円、時には100円以下で安く買いたたかれるのをずっと見てきた。ここ半年は卵が高くなって一時的によくなったけど、また最近価格が下がってきたでしょう。あと5年は頑張りたかったけど、鶏舎もガタが来ているし、ここら辺が潮時」

この男性に限らず、コスト増を卵の販売価格に転嫁できず苦しむ養鶏家は、全国にあふれています。日本養鶏協会が行った最新の調査(「鶏卵生産等のアンケート調査結果について」2023年3月)では、販売価格に転嫁「できた」と答えた生産者は14%と少なく、「全くできていない」という生産者が45%に上ります。

取材の帰り際、男性は「今年秋をメドに廃業する予定だ」と打ち明けました。「後悔は全くありません。45年間、よく頑張ったと思います。自分を褒めてやりたいです」。そう語る、日焼けした男性の優しい表情が忘れられません。

空のケージ

農林水産省の畜産統計によれば、この男性のように熾烈(しれつ)な価格競争に巻き込まれ、廃業に至る卵を作る養鶏家は、後を絶ちません。この20年で、その6割が姿を消しているのです。実は、その影響は、私たちの暮らしに大きな影響を及ぼしかねません。地域の養鶏家がいなくなれば、遠くから卵を運んでくるための輸送費が増加し、卵の価格をより押し上げる要因になりかねないからです。消費者の期待に応えて安く卵を作ろうとしてきた生産者の努力が、皮肉にも安定供給を脅かす事態につながっていたのです。

卵は“物価の優等生”であり続けられるのか?

総務省の小売物価統計調査(東京都区部)を調べてみると、卵1パックの価格(Lサイズ・10個入り)は直近20年間、200円台前半の安さで推移してきました。

過去20年の卵小売価格推移

しかし今年に入って、この価格が急騰。2023年6月には、1パック300円を超え、311円となりました(※放送時点で発表されている最新値)。エサ代や輸送費といった生産コストの上昇、そして鳥インフルエンザによる卵の供給不足が価格を押し上げています。

私たちは取材を通じて、こうした状況に対する生産者の方々の悲鳴をいくつも耳にしました。新潟のある大規模養鶏家は「エサ代高騰に対して手厚い国の支援が必要」と語り、鹿児島のある養鶏団体は「どんなに対策しても発生してしまう鳥インフルエンザ。もうどうしたらよいのか分からない」と嘆きました。

しかも最新の研究によると、鳥インフルエンザは、ウイルスの変異により野鳥への感染が広まりやすくなっている可能性まで指摘されています。そのため、養鶏場で飼育されるニワトリへの感染も防ぎにくくなっていると見られます。専門家によると、今年以降も、渡り鳥が日本にウイルスを持ち込む秋から卵の供給が減る可能性が高く、卵価格高騰の危機が繰り返し訪れるのではないか、というのです。

“物価の優等生”の未来は海外にあり!?

冒頭に紹介した「“物価の優等生”という表現はもう的確ではないと思います。産業として成り立たないと、卵そのものがなくなってしまう」と語ったのは、「三栄鶏卵」の市川尚宏社長(52)。愛知県岡崎市で130年以上続く、老舗の卵卸売会社を経営しています。「産業として成り立たない」という一言には、やむにやまれず「300円」に至った業界関係者の苦しい思いがにじんでいました。

市川尚宏社長

市川さんはブランド卵の自社生産も手がけています。愛知県内のスーパーを中心に販売する、こだわりの卵の価格は、6個300円前後(税込み)。高い栄養価と、美しい黄身の色合いを実現させるために、エサ代に通常の2倍近いコストをかけて生産しています。

そんな市川さんは11年前、全国でも珍しいある取り組みを始めました。それは、シンガポールへの卵の輸出。自社ブランド卵を毎週一回、中部国際空港から飛行機で運んでいます。取り組みを始めた当初は赤字続きでしたが、最近ようやく黒字化。手応えを感じ始めていると言います。

6月上旬。現地デパート「伊勢丹スコッツ店」で試食販売を行う市川さんに、同行取材させてもらいました。売り場を見せてもらうと、価格は日本円にして約1000円。空輸代がかさむため、日本の3倍の値付けです。ところが、売り場を数時間観察しただけでも、飛ぶように売れていきます。購入したあるお客さんは「この卵は臭みがなく、黄身の色がいい。卵かけご飯にして食べます」と話しました。

海外のデパートで売られている「ブランド卵」

現地の日本食品事情に詳しい、海外販路拡大アドバイザーの大塚嘉一さんに人気の要因を伺うと、「シンガポールでは卵の衛生管理が日本ほど発達しておらず、食中毒を防ぐため加熱処理して食べるのが一般的。生でも食べられる日本の卵はその品質の高さが受けている」と指摘しました。シンガポール産の卵と比較するとかなり割高ですが、日本食ブームの広まりも一助となり、徐々に市場が拡大。他の日本の生産者も、シンガポールに加えて香港やマカオなどへ卵の輸出を行い、財務省の貿易統計によれば、その輸出額は去年80億円を超え、この5年で5倍にまで伸びました。

さらに意外な展開も。シンガポールの高級飲食店が、市川さんのブランド卵を料理に採用し始めたのです。そのひとつ、フレンチレストラン「LES AMIS」のシェフ、セバスチャン・レピノアさんはその魅力をこう語ります。

「日本の卵はまさに絶品。黄身の弾力が素晴らしく、クリーミーです。他の国の卵にはない“何か”がそこにはあります。私が見てきた中で最高の卵と言えるでしょう」

ポーチドエッグ

ミシュランガイドで三つ星の評価を受ける名店のシェフが絶賛し、今ではシンガポールの30店以上のレストランが、この卵を採用するまでになりました。

それでも市川さんは、輸出はあくまで販路拡大であり、経営安定策の一つだと言います。日本でひとたび鳥インフルエンザが発生すれば輸出がストップするおそれもあり、事業の柱とはなりえないためです。ただ、日本国内では当たり前だった「安心安全」という価値が、外の眼で評価されたことが非常に嬉しかったと語る市川さん。最近では台湾へも輸出を始めました。

「養鶏業界はこのままでは先細りで、若い人たちにとって希望がありません。稼げる養鶏のビジネスモデルを、何としても構築しないといけないんです」

市川社長とシェフ

それでも「安さ」を願う消費者心理

では私たち消費者は、「卵1パック300円」という価格を容易に受け入れることができるのか。名古屋市で喫茶店「はやしや」を営み、安くてボリューム満点の卵サンドが名物だという古田みどりさんに聞きました。「無理です」と即答されました。

「うちの常連のお客さんは、年金暮らしの高齢者など生活にゆとりがない方がほとんどです。もし卵がそんな価格になったら、今のようなお得な価格では提供できなくなってしまう。お客さんも困るし、私も困ります」

実は古田さんの店でも、今年に入って卵の仕入れ値が上がり続け、半年で2割もコストアップ。比較的安い卵を業者に頼んで入れてもらっているものの、それでも卵サンドは利益がほとんどありません。今後さらに仕入れ値が上がれば、メニューの値上げも検討せざるをえないと言います。

古田さん

飲食店では値上げのタイミングで原材料を見直し、付加価値を付けることも少なくありません。古田さんにもその可能性を探ってもらうため、市川さんの1パック300円のブランド卵を使ってサンドイッチを試作していただきました。その結果がこちらです。

卵サンド

(左:通常の卵サンド 右:ブランド卵を使った卵サンド)

市川さんのブランド卵を使った右側の方は、黄色の濃さが増し、より食欲をそそる見た目に見えます。これを古田さんに試食して頂くと、「卵の弾力やふっくら感が増し、明らかにいつもより美味しい」とのことでした。卵の相場が上がってしまうのが不可避であれば、いっそのこと卵の価格ではなく、こうした付加価値に注目する選択肢はないか、古田さんに聞きました。すると返ってきた答えは・・・「ないです」。

「高級飲食店ならいざしらず、うちはごく普通の庶民の喫茶店ですから。ものには相場ってものがあると思います。卵はやはり200円台以下で、なるべく安く買いたい。そしてお手ごろな価格で卵サンドを提供することで、お客さんにも喜んでもらいたいです」

その力強い言いっぷりに、取材班も思わず、うなずいてしまいました。卵に“物価の優等生”を期待する消費者心理は、想像以上に強いものがあったのです。

スーパーの卵売り場

取材後記

“物価の優等生たるべき”という消費者の期待と、エサ代高騰や鳥インフルエンザの感染拡大など相次ぐコスト上昇要因との狭間で、先細りが続く日本の養鶏業界。そのジレンマは「安さ」だけを物差しに卵を見ていると、なかなか解消が難しい問題です。「1パック300円」は、たしかに過去の安さに比べれば高値と言わざるを得ません。

しかし少し物差しを変えて、日本の卵が本来持つ豊かな魅力に目を向けると、もしかすると消費者と生産者がウインウインの関係を築くことができる道が見えてくるのかもしれません。なにより、世界が絶賛する卵が、日本の各地で産み出されているのです。私たち日本人はこの事実にもっと誇りを持って、守っていきたいと感じました。

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