【開戦80年】戦後の日本へ 新史料が問いかける

NHK
2021年12月8日 午後5:47 公開

12月8日で、太平洋戦争の開戦から80年となりました。

日本の近現代史の研究を続ける吉田裕さん「戦争の総括が十分なかたちで、なされてこなかったのではないか」と指摘します。

その背景に何があるのか。多くの国民が戦争体験がない世代になった今、過去の戦争とどのように向き合っていけばいいのか。吉田さんのインタビューと共に考えます。

(クローズアップ現代+取材班)

 

関連番組

クロ現プラス「あえて出所を望まず BC級戦犯 知られざる思索」番組ページ

番組はNHKプラスで12/15まで配信


吉田裕さん (よしだ・ゆたか)

一橋大学名誉教授。

日本近現代史を研究。主な著書に「日本の戦争観」、「兵士たちの戦後史」、「日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実」など。


 

「時代の曲がり角に立っている」

 

現代に生きる私たちは、過去の戦争とどう向き合えばいいのか。吉田さんが今、感じていることを聞きました。

 

 

吉田さん: 

戦後の日本社会では、ふたつの大きな「了解事項」があったように思います。ひとつは、正当化することはできない、あるいはうしろめたい戦争を戦ったという実感を持つ人が、国民の中に非常に広く存在したこと。そうした実感が存在するからこそ、安易な形で戦争を正当化する動きは主流になりませんでした。もうひとつは、悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、戦争体験をきちんと継承していかなければいけない、ということです。

ところが半世紀以上たって、その前提が変わってきました。国民のほとんどが戦後生まれですから、戦争の直接の当事者ではないわけですね。その人々が、あの戦争は「侵略戦争」だと言われた場合、戸惑いをおぼえたり、あるいは反発を感じたりするのは、ある意味では当然のことです。

その中で、戦争の責任や継承という問題について、どうやって丁寧な議論をしていくかということが今、求められている。時代の曲がり角に今、立たされていると思います。

  

 ー 戦後の日本社会は、過去の戦争とどのように向き合ってきたのでしょうか。

 

吉田さん :

戦争の時代を生きた「普通の日本人」にとっては、「指導者に責任がある。自分たちは真実を知らないままにだまされていた」、他方で、いわゆる「BC級戦犯」のような人たちにとっては、「上官の命令に従わないという選択肢は、当時の日本の社会ではあり得なかった」という考え方が一般的でした。こうした考え方のもと、戦争中の自分の生き方を納得させてきたという、大きな流れがあります。

その中で、国家の指導者の責任はある程度、議論されてきたけれども、一般の国民の戦争への協力をどう考えるか、これまであまり議論されてきませんでした。国民自身の「戦争責任」、と言うかどうかは別にして、戦争に協力したことの責任と総括を明らかにしていくことは、次の世代に残していく歴史的な教訓として、非常に大きな意味を持つように思います。

 

 

「戦犯釈放」に向けた動きの背景

 

 無期刑・有期刑の戦犯が収監されていた「スガモプリズン」 

 

今回番組では、戦争犯罪に問われた、いわゆる「BC級戦犯」に関する史料や関係者を取材しました。のべ5700人が起訴され、7カ国で行われた裁判。有罪判決を受けた戦犯は、東京のスガモプリズンなどに収監されました。

戦後、日本では1952年の独立回復前後に、戦犯の出所を嘆願する大規模な動きが広がり、そこには国も関わっていました。

  

 戦後に行われた「戦犯釈放」のための署名運動 

 

 - 戦後、戦犯の釈放を嘆願する運動が国を挙げて急速に広がったことには、どのような時代背景があったのでしょうか。

 

吉田さん:

これは冷戦の影響が非常に大きい。冷戦への移行によって、日本に「保守的で親米的な安定した政権」が存在することを、アメリカは戦略的に重視するようになり、日本政府や日本国民の戦争責任の追及に対して、熱意を失ってしまった。日本の戦争責任をあいまいにする、あるいは先送りにすることが可能な国際情勢があったわけです。そうした背景があり、政府も協力するかたちで、「戦犯釈放運動」を行うことができたんですね。

社会全体としては、サンフランシスコ講和条約が発効して以降は、戦争の時代のことにはこだわらない、ある種の未来志向で動いていますから、苦しい時代のことは忘れて、経済成長に没頭しようという、ある種の合意ができた時代でした。

そのなかで、戦争責任を巡る議論や戦争の総括が、十分なかたちでなされてこなかったという問題があると思います。

 

 

出所を望まなかった男の葛藤

 

スガモプリズンに収監されていた、中田善秋の史料

 

いま外務省で、BC級戦犯に関する公文書の開示が進められています。国が取りまとめていた、戦犯本人たちが書いた出所のための申請書によれば、彼らのほとんどが刑務所を出たいと訴えていました。しかし研究者による分析の結果、中には申請書を出していない、つまり「あえて出所を望まない」戦犯が複数いたことがわかりました。

その一人、中田善秋(なかだ・よしあき)。25歳の時、軍人としてではなく軍属として徴用され、フィリピンで住民に日本軍への協力を呼び掛ける、「宣撫(せんぶ)活動」を任されていました。

1946年、中田は、日本軍がフィリピンで民間人700人以上を殺害したという「サンパブロ事件」に関与したとして、戦犯裁判にかけられました。裁判記録によると、中田は殺害への関与を否定。証言した住民の中にも、中田に助けてもらったと話す人もいました。一貫して無罪を主張した中田ですが、言い渡されたのは「重労働30年」の有罪判決でした。

その彼がなぜ、出所のための「申請書」を出さなかったのか。

中田が獄中で記した史料には、当初は戦犯裁判への怒りが繰り返されていました。しかし5年が過ぎた頃から、戦争に参加したことへの責任について、自問自答するような記述がみられるようになります。

   

  

「我々は、只出る事のために此処に入って来たのだろうか。**自らのためにも、そして隣人のためにも、もう少しは賢明になる様に、この現実を体験した筈である」

「今日午後、私はサンパブロ事件を想い出していた。そして私は、中華系住民が殺されることに、確かに肯定を心の中でしていたと、はっきり認めざるを得なかったのだ。その意味において、確かに“有罪”と云われても仕方がない。私は嘆願書を出すべきではないのだとはっきりと判って来たのだ」

 

国をあげての戦犯釈放運動が進んでいた1953年、中田さんは出所のために必要な「申請書」を書かないと決めました。

 

BC級戦犯の知られざる物語 クロ現プラスは12/15まで配信

番組の詳しい内容は、放送後こちらのページで公開

 

「内面的な葛藤の記録」の重要さ

  

戦犯とされた人の中に、自ら出所の申請を出さない人たちがいたという事実、吉田さんは、どのように受け止めましたか。

 

吉田さん:

私は初めて知りました。指導者ではない一般の兵士、一般の軍属の方が自分自身の責任について、これほど苦悶して考え続けているということ自体が驚きでした。上官の命令を拒否することはできませんから、実行者には責任がない、というのが当時の考え方です。その中で自らの責任を非常に苦慮している、内面的な葛藤を示す史料は、非常に重要なものだと思います。

 

 

   中田の残した思索の記録(一部) 

 

中田が苦悩していた様子として、次のような記述があります。

「私共が心の内にいだく余りある怒り。それは東南アジアの人々が日本軍に抱いた感情と同じ感情である。私の涙は、彼らの涙である」

 

吉田さん:

非常に重い記述です。日本人が東南アジアの民衆に対して、何をしたかを問い直す姿勢を持っている。中田さんは、いかに上官の命令であれ、非人道的な命令は拒否する義務を負っているんだ、という考え方にたどり着いているわけですね。

日本人という枠を超えて、国際法とか人道とか、そういう価値観を自分自身の生き方の根本に据えている。それは今までの日本人のあり方に対する大きな捉え直し、アンチテーゼだと思います。 

 

 

開戦80年 さらなる研究を

 

フィリピンで拘束されてから10年後、1955年に中田は巣鴨刑務所を後にしました。中田が出所を求める申請書を書かなかったにもかかわらず、戦犯釈放を進める政府がアメリカへの手続きを進めたのです。その後、中田は家族にも戦争体験をほとんど語ることなく、21年前に亡くなりました。獄中で記した段ボール6箱分の文書は、交流のあった研究者に託されていました。

中田の史料のように、現代になってようやく開示や発掘が進む史料から、日本人と戦争の関わりについて、さらなる研究の必要性を吉田さんは指摘します。

  

― 戦犯とされた人たちの葛藤を綴った一次資料に触れることができるのは、現代では本当に貴重なことだと感じます。

 

吉田さん:

日本の戦後社会では、公文書を保管して管理して公開する、という文化が十分育っていないという問題があります。例えば東京裁判の史料に関しては、1970年代以降、アメリカの史料が開き始めていましたが、日本では法務省の所蔵していた史料が閲覧できるようになるのは、大きく遅れて21世紀に入ってからのことです。そのため、まだ十分に分析されていない、これから本格的な分析の対象に据えられる史料がたくさんあるんです。

 

― まださらに発見ができる史料がたくさんあると。

 

  

吉田さん:

喜んでいいか、悲しんでいいのか微妙なところですがね。率直に言って、なぜこんなに情報・史料の公開が進まないのだ、といういらだちや諦めのようなものが、研究者の中にはある。しかし長い年月が流れて、ようやく本格的に戦争の総括ができる時代の入り口に立たされている。私はもう、あまり体力はありませんが、若い世代にはこうした史料に触れて頂きたい。そこに本格的なメスを入れていく作業が、これから始まるのではないでしょうか。

 

 

戦争とどう向き合ってきたのか という問い

 

今を生きる日本人が戦争と向き合うことの意味を、どのように考えておられますか。

 

吉田さん:

国民がどのように戦争に関わったのか。その関わった事実に対して、戦後の日本人がどう向き合ってきたのか、それとも向き合ってこなかったのか、という問いは重要だと思います。今の国際関係を知る上でも、歴史を振り返ることは非常に不可欠の営みです。「指導者の責任」ということで片付けてしまうのが、ある意味で過去を一番受け入れやすい方法なのですが、それでは戦争に協力したひとりひとりの人間の生き方を問い直すことにならない。戦争に至る過程は外交や軍事、さまざまな面で明らかになっていますが、なぜ国民が戦争を受けいれて協力していったのか、これは非常に難しく重い問いです。そこを明らかにしていくことは、大きな歴史の教訓として、これから掘り下げていかなければなりません。

 

  一橋大学名誉教授 吉田裕さん

 

吉田さん:

中田さんの史料は、戦争中にやったことよりも、やってしまったことに対する、戦後の自分自身の内面的な向き合い方を記録したものです。私たちがきちんと総括してこなかった、十分向き合ってこなかった、戦後日本の歴史を、あらためて我々に突きつけている。戦争責任とか戦争協力について考えていくうえで非常に重要な史料だと思います。歴史家としては、こうした葛藤があったことを、できるだけ多くの人に知っていただきたい、そんな気持ちになりました。 


関連番組

クロ現プラス「あえて出所を望まず BC級戦犯 知られざる思索」

番組はNHKプラスで12/15まで配信中