被爆者 坪井直さんとは 核廃絶を諦めない 人生の歩み

NHK
2021年11月10日 午後4:39 公開

10月24日、96歳で亡くなった、坪井直(つぼい・すなお)さん。

20歳の時に広島で被爆。被爆者団体の理事長として、長きにわたり核兵器廃絶運動の先頭に立ち、世界で活動してきました。2016年に広島を訪問したオバマ大統領に、原爆投下の歴史を乗り越えて「我々は未来に行かにゃいけん」と語りかけたことでも知られています。

原爆と向き合い続けた坪井直さんの生涯を、写真やインタビューと共に解説します。

 

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20歳 原爆がもたらした傷、死の影

1925年、現在の広島県呉市音戸町に生まれた坪井さんは、学生だった20歳の時、爆心地から1.2キロで被爆しました。原爆投下直後の広島を写した数少ない写真に、坪井さんの後ろ姿が写っています。画像の中央、腰を下ろし背中を向けているのが坪井さん。体は焼けただれ、地面に「坪井はここに死す」と『遺言』を記しました。

 

 

家族に見つけ出され実家に戻りますが、やけどに加え高熱、脱毛などの症状が続き、40日間生死の境をさまよいます。目覚めた時に口にした言葉は、原爆を投下したアメリカへの憎しみでした。

 

「俺を連れて行ってくれ、戦場へ。そしたら(アメリカを)やっつけるから」

 

奇跡的に生還した後も、原爆による死の影は、その後も坪井さんの身体をむしばみ続けます。

被爆から70年がたった2015年。坪井さんは、はじめてカメラの前で原爆で負った背中の傷跡を見せてくれました。

  

 

「ここが、造血機能が破壊された跡。血が作れんのです」

 

 

背中から腰のあたりには、えぐれたような傷跡がありました。大量の放射線を浴びた坪井さんは、生涯に渡って重い貧血に苦しみ、さらに大腸がん、前立腺がんなど様々な病に襲われ、10回以上入退院。危篤状態にも3度なりました。

  

原爆投下直後の坪井さんについて詳しく知る (特集 広島原爆~きのこ雲の下で何が起きていたのか~ 戦争証言アーカイブス)

 

戦後 ふりかかる被爆者差別

 

病の他にも、坪井さんの人生には原爆が立ちはだかります。被爆者に対する差別です。戦後、坪井さんの周囲でも亡くなる人が相次ぎ、「被爆者は3年で死ぬ」という風評が世の中に広がっていました。

坪井さんは、のちに妻となる榎鈴子(えのき・すずこ)さんと結婚を考えていた時、被爆者であることを理由に、周囲に猛反対されます。

坪井さんが生まれ育った町を見渡す丘の上で、ふたりは睡眠薬を飲みました。

その後しばらくして、ふたりとも息を吹き返しました。

 

「顔を見合わせて、本当に泣いたよ。俺たちはこの世では一緒になれんかった。あの世で一緒になろうと思っても、またなれん。死なんかったんじゃからな。あわれというか、こういう運命であったかと、二人は泣いたんですよ」

 

ついに結婚を認められたのは、二人が出会ってから7年半後のことでした。その後3人の子どもに恵まれました。

 

68歳 核兵器廃絶運動へ

世界各国で核兵器廃絶を訴えてきた坪井さんですが、本格的に被爆者団体での活動を始めたのは、68歳になってからです。

 

 

被爆翌年の21歳から60歳までは、教師の仕事をしていました。担当科目の数学に加えて、自らの被爆体験を語るなど平和教育にも取り組み、つけられた愛称は「ピカドン先生」。

校長として教員を定年退職して7年後、被爆者団体の役員になるよう依頼され、核兵器廃絶運動を率いていくようになりました

 

 

「ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!ノーモア・ヒバクシャ!」

日本だけでなく世界各地に足を運び、核兵器廃絶を訴えました。

 

78歳 憎しみを乗り越え、理性に訴える

 

被爆者の願いと裏腹に、世界で核兵器を持つ国は増え続けていました。世界に核兵器廃絶への思いをどのように伝えればいいのか、その転機となったできごとがありました。

2003年、78歳の坪井さんはアメリカにいました。広島に原爆を投下した爆撃機「エノラゲイ」が復元展示されると聞き、ワシントンの博物館を訪れたのです。

 

  

展示を見て、坪井さんは嗚咽(おえつ)します。

 

「(展示には)ものすごい成果を上げたことを書いている。どのくらいの人が死んでいったか、書いてない。広島中が火の海になったことも、書いていない。自分がちょっとわからないくらいになって。その義憤の涙じゃな」

 

そのとき、ひとりのアメリカ人が言葉をかけてきました。この言葉は、坪井さんが自らの怒りに向き合うきっかけになりました。

 

――戦争で傷ついたのは、アメリカ人も同じだ。

 

 

「憎しみを出しても、人に通用しなければ、分かってもらえなければ意味ないんだと。自分がなんぼ腹立ってもダメだ。そういう意味で乗り越えんと、いつまでたっても『アメリカ憎し』になる。腹の底に(その気持ちが)ないといったら、ある。あるが、それを乗り越えんとね、平和はない。幸せはない」

 

被爆者の思いをぶつけるだけでは、伝わらない。以後、坪井さんは、自分の決意を記した「しおり」を、講演の際に配るようになりました。

 

――感情による対話では戦争は避けることはできない。理性(英知)が勝った対話こそ、真の平和が約束される。

 

91歳 「オバマと会った被爆者」が伝えた思い

 

 

2016年、坪井さん91歳のとき。アメリカのオバマ大統領(当時)が、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問。坪井さんは被爆者代表として、その場に参列しました。

原爆を投下した国・アメリカの大統領に、被爆者代表は何を語るのか。謝罪を求めるのか否か。世界中のメディアが注目する中、坪井さんはオバマ大統領の手を取り、笑みを浮かべながら語りました。

 

「被爆者の坪井直と申します。被爆者としては、そのこと(原爆投下)は人類の間違ったことの一つ。それを乗り越えて、我々は未来に行かにゃいけん。オバマさんがプラハで言った、『核兵器のない世界』、私たちも行きますよ」

 

核兵器廃絶へ「ネバーギブアップ」

 

原爆によって多くの命が失われてから、76年。坪井さんは自らも度重なる病で生死の境をさまよい、アメリカへの憎しみを抱えて生きてきました。それでも、憎しみを乗り越えて理性で「核兵器廃絶」を訴え続けました。そして貧血による不整脈のため、96歳で亡くなりました。

その功績は、世界で評価されています。

 

ICAN(核兵器廃絶を訴える団体・2017年ノーベル平和賞)ベアトリス・フィン事務局長

「坪井さんは核廃絶運動における偉大なリーダーです」

 

坪井さんが願った「核兵器廃絶」への道筋は、まだ見えないままです。それでも、その遺志を受け継ぐ人たちは、世界中で活動を続けています

 

坪井さんが生前繰り返していた言葉です。

「命ある限り、ネバーギブアップ」

「核兵器がなくなるまで、ネバーギブアップ」

 

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