作家・湊かなえさんが考える 「母性」と現代の母親の「後悔」

NHK
2022年12月13日 午後4:01 公開

「これが書けたら作家をやめてもいい」。

作家・湊かなえさんが強い覚悟で執筆に挑んだという小説『母性』。2012年に発表して以来、累計発行部数120万部を記録、この冬、この小説を原作とする映画が公開されるなど、10年の時を経てなお、大きな反響を呼んでいます。

その強い思いの裏には、『母性』にとらわれるあまりに追い詰められてしまう“母親たち”へのメッセージが込められていました。

 

(クローズアップ現代 取材班)

関連記事

関連番組

 

 小説『母性』にこめた思い

 

『母性』は、自身は愛されて育ったにも関わらず、娘を愛することができない母親、そしてその愛情を求め続ける娘の物語です。

「これが書けたら作家をやめてもいい」という思いで書いたという湊さん。この作品で“母性”とはどのようなものだとして描かれたのでしょうか。

 

湊かなえさん:

あと何作書けるかわからない中で、親子の関係を書いたものをきちんと完成させて、引退するなり続けるなり、次に進まないといけないと思って、このテーマは絶対書くぞって、『告白』を書き終わったときに決めていた作品でした。

 

今回の作品では、ずっと愛を注がれてきたからこそ“自分がされてきたことを娘にどうしていいかわからない女性”と、その“母からの愛を求めてきた娘”の関係性を中心に描こうと思いました。こういう母性を与えられない女性もいるのではないか、そこに注目してほしくて主人公をつくりました。
 

作家・湊かなえさんによる小説「母性」

 『母性』 湊かなえ 著 (新潮文庫)

母性といっても、一言ではっきりと定義づけられるものはないと思っていて、虐待事件などが起きたときに“愛されたことがないから母性がないんだ”とか、簡単に決めつけられることではなく、個人個人で違っていて、むしろ愛されることが当たり前だったから、どう愛していいかがわからない人もいるのではないか。自分が誰かを愛したり守ったりするのではなくて、永遠に守られ続けたいって願う人がいるのではないか。

 

世の中が決めてきた母親という役割をぎゅっと押しつけられて、もうこれからは愛さなければならないとか、守らなければならないという立場に置かれたときに、どう自分の心の中と折り合いをつけられるかなということを考えてみたいなと思いました。
  

名前が“消えていく”母親たち

 

小説『母性』では、全編を通じて2人のぞれぞれの視点からみた親子関係を描いているにも関わらず、終盤まで2人の名前は登場しません。「母親」や「娘」としての役割を担う中で、いつの間にか名前を失ってしまう女性たちの姿を表現したかったといいます。

  

 湊かなえさん:

特に女性は、結婚したら「誰だれさんの奥さん」と呼ばれるようになり、子どもが生まれたら「何なにさんのお母さん」と呼ばれるようになって、「自分の下の名前って何だったっけ」となることがあります。名字も変わったし下の名前も呼ばれないし、名前のないまま役割だけで日々が過ぎていくことがあります。あるときママ友と「お互いを下の名前で呼び合おう」「誰も呼んでくれないなら、せめて自分たちだけでも呼び合おう」となったときに、「そうだ、この人は何とかさんのお母さんじゃなくて何々さんだった」という気づきが生まれて、個人どうしで接している、ぐっと仲が深まったような気がしました。

 

そういう女性ってたくさんいるのではないかなと思いました。役割を押しつけられていくというか、結婚したことによって妻という役割が一つ乗り、また子どもを産んだことによって母親という役割が一つ乗り、どんどん自分個人の「個」が消えていく中で、最後、名前が出ることで「個」を取り戻すという表現の仕方があるのではないかと思いました。

 

公開中の映画「母性」原作は小説家 湊かなえさん

 

“母性”が母親を追い詰める… 子育ての中で抱いた違和感

 

湊さんは、2007年に小学生の娘の子育てと両立しながら小説家としてデビューしました。

「湊かなえ」という作家としての顔と「母親」としての顔、そして自身の母親の「娘」という複数の顔を持つ立場にあった湊さん。母親としてのあるべき姿を「母性」という言葉によって押し付けられる風潮への違和感を抱いてきたといいます。

 

「母性」について語る 作家・湊かなえさん

 

湊かなえさん:

“母親”ってただの役割であるのに、「子どものためなら命をかけないといけない」とか、「子どもの成長のために3食栄養のあるものを作って」とか、自分を犠牲にするのを美徳としているところがあって、「我慢している母親こそが真の母親である」という捉え方がされていると思います。最初から大きな壁をドンと用意して、「ここを登った者だけが母と言ってもいい」みたいな、母親というものを誰も誰が決めたかがわからないぐらい、昔からある価値観のまま、何か記念碑みたいな形で大変なものみたいに置き過ぎている。

 

(世の中が)“母性”という言葉を定義づけしすぎているのではないかという思いがありました。ちょっとずつ母親として成長していったり身についていったり、子どもの成長に合わせて感覚が変わってきたり、そういう時間をかけて自分の中でもしかしたら成長していく種はあるかもしれないのに、最初から花が咲いた完成形を生まれた瞬間に持つものだ、という神話化されたものがあるのではないかと考えました。そこに及んでなかったり欠けていたりすると、「あなたは母親としてまだまだ」とか「母親としての自覚が足りないのではないか」とか、子どもを産んでこれから育てていくのが体力的にもしんどいところに、精神的にも追い詰めるようなことを周りがしているのではないかって。

 

今は家電とかも発達していますし、うまく時間を配分して自分の仕事と子育てを両立している人もたくさんいるのに、うまくやっているところを見て「手を抜いている」とかそういう捉え方をされてしまう。時代が進化しているのだからリニューアルしていけばいいのに、昔から母親像が変わっていなくて、昔のものを当てはめよう当てはめようとして、本当は追い詰められなくていい人まで追い詰めてしまっている言葉になっているのではないかと思います。

 

「母親」を別の言葉に置き換える

 

今回番組で取り上げた「子どものことは愛しているけれど、母という立場になったことを“後悔”している」という女性たちの声。

「母性」を執筆して10年、こうした声が上がるようになったことに時代の変化を感じるとともに、個人の問題にとどめるのではなく、社会が一緒に考えられるようにしていく必要性を感じているといいます。

 

世界で反響を呼んだ「母親になって後悔してる」オルナ・ドーナト著 

『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト著 (新潮社)

湊かなえさん:

私は「母親になって後悔してる」という言葉の大体9割は別の言葉に置き換えられるのではないかなと思いました。母親であることがしんどいなと思って「こんなはずじゃなかったのに」と思ったときに、「母親になって後悔してる」という「母親になって」っていうところは、例えば「育児に協力してくれないパートナーと結婚したこと」を後悔しているのではないかとか、「育児に関して理解のない上司の下で働いていること」「育児制度が整っていない会社に就職したこと」「保育所に入りにくい町に住んでいる」ことを後悔しているのではないか、といったようにです。

 

今直面しているしんどいことを「母親であること」ではなく別の言葉に置き換えることで、「私の努力が足りないのではなくて、社会の制度でまだ足りないところがいっぱいあるんだ」と気づくことができるのではないかなと。そうすることで、自分だけじゃなく家族や地域の人と共有できたら解決していけることもあるかもしれないし、「私のせいじゃない、努力が足りないせいじゃない」と思うだけでも気持ちも楽になると思います。

 

周りもそういう社会の制度とか会社の制度とか、家庭内での役割分業が整っていないのを全部母親に乗っけて、「個人の努力が足りない」とごまかして、自分の責任転嫁を一人の母親にさせているところがあると思うので、一度「母親」という言葉を全部取り替えて、皆さんの「何々を後悔している」というのを集めたら、問題がもっと見えてくるのではないかなと思います。

 

私自身は、子どもを産んだ後に小説家になったので、小説家になったことによって何かを失ったということはないですけれども、子どもが生まれる前に小説家になっていたら、書く時間がなくなったということを思っていたかもしれなくて。だけど、本当は母親だけがそんなことを考えなくても、仕事と育児のどちらかを犠牲にせずに両方がうまくいく方法を、周りにいる人たちみんなと考えられたらもっと子育てもしやすくなるし、子どもを持ちたいなって思った人の背中を押して勇気づけてくれるものとか、そういう環境がもっと整ってもいいのではないかなと思います。 

 

 

「多様な母性」を受け入れる 

 

母親たちの生きづらさを少しでも軽くするために、できることはあるのか。

湊さんは、周囲や母親自身が、母性とは一人ひとり異なる多様なものだということを受け入れることが大切だと考えるようになったといいます。

 

湊かなえさん:

まずは周囲の人が、自分の“母性”とか“母親像”とか、自分が母として経験したこととか、自分の母にこうしてもらったことが正解とは思わずに、母親の数だけ母親像があるということを、男性女性とか年齢とかに関係なく多くの人の共通認識になったら、もう少し子育てもしやすくなるのではないかなと思います。

 

母親たちも、誰かが決めた“母性”が自分の中にあるか問うのではなく、自分が子どもとこう向き合おうというその気持ち、自分の中から生じるものが母性であり、親となった気持ちだと思うので、ほかの人の価値観を自分の中に取り込もうとしなくていいのではないかと思います。

 

「母性」について語る作家・湊かなえさん(右)と番組ディレクター(左)

 

母親だっておしゃれがしたいのに、子どもが転びそうになったときにすぐ助けてあげられるような服を着ろとか言われますけど、今おしゃれで機能性の高い服なんてたくさんありますよね。母親なのにあんな白い服着ているとか、子どもがカレー飛ばすかもしれないのにとか、もうそんなの余計なお世話で、今の洗剤はすぐ洗ったら真っ白に戻るよ(笑)と。母親として頑張っている人が、自分1人で道を歩いていたら気づけなかったけど、子どもが道端に咲く花を見つけたから楽しい気持ちになれましたとか、そういう楽しいことを発信しやすい土壌ができたらいいなと思います。

 

それぞれの母性があって、それぞれの子どもとの接し方があって、それぞれの家族の築き方があって、自分のなりたいようになればいい。自分の意思がもっと大事にされればいいなということは思っています。

 【関連番組】

放送内容をテキストで読む