“100均”の真実 ~名物店長が店を畳んだワケ~

NHK
2022年4月13日 午後0:49 公開

日常生活に欠かせない「100円ショップ」が、あなたの街から消えてしまったら-?

この春、そんなちょっと困った状況に置かれたのが、大阪市北区の天神橋6丁目、通称「天六」。長年ここで営業してきた100円ショップが2月に閉店し、店の前に残された貼り紙に、常連客だったとおぼしき人たちの惜別のメッセージが、続々と書き込まれているのです。

閉店の貼り紙に書き込まれたメッセージ

「便利やったのに残念!」

「長い間、ありがとう」

「店長さん、元気とやさしさをもらえて、大好きでした。本当に悲しいヨ」(原文ママ)

これだけ必要とされながら、どうして店を畳んでしまったのか?この店のオーナーを取材すると、100円ショップが盛況の裏で抱える、苦しい事情が見えてきました。

(クローズアップ現代ディレクター 寺島工人)

100円ショップの現状 さらに詳しく知りたい方は・・・

👉クローズアップ現代「“100円均一“もう限界!?実は大ピンチのワケ」2022年4月13日放送(※4月20日まで見逃し配信)

デフレとともに始まった「100円の宝島」

取材したのは、閉店2週間前の2月初旬。店長の高田日出夫さん(63歳)が迎えてくれました。業界4位の大手100均チェーンに加盟するフランチャイズ店、高田さんはそのオーナー店長として、13年前から天六で商売をしていると言います。

100円玉を手にポーズをとる、店長の高田さん

(店長の高田さん)

高田さんがこの業界に足を踏み入れたのは22年前。それ以前は、家電量販店の販売員でした。気さくな人柄と軽妙なセールストークで、営業成績は社内でも上位。生来の接客好きから、40歳を迎える頃には「独立して何か店をやってみたい」と思うようになりました。

家電販売店時代の高田さん

(家電量販店時代の高田さん)

ちょうどその頃、全国に広まっていたのが100円ショップでした。業界最大手のダイソーがチェーン展開を進め、国内1000店舗を突破したのが1998年。日本経済は90年代半ばからデフレに突入し、人々の節約志向が追い風になっていたのです。家電を扱っていた高田さんは「チマチマした商売」と思っていましたが、ある日100円ショップに殺到する人だかりを見て、考えを改めます。「どうせやるなら、世の人々が求めている商売をやろう!」

2000年、妻の反対を押し切って脱サラし、最初の100円ショップを大阪府柏原市に構えました。「シルク」という屋号の100均チェーンに加盟し、自作のPRソングをテープに吹き込んで流していたと言います。

♪いい物いっぱい、楽しさいっぱい、笑顔もいっぱい、シルクだよ~

みんなで行こう~、探しに行こう~、100円握って宝島! ヘイ!宝島~♪

(作詞・作曲/高田日出夫)

100円で何でも買える、宝島のような店を作りたい-。そんな一途な思いが、高田さんの原点になりました。

“超”薄利多売の現実

そこから高田さんは、続けざまに4店舗を出店します。一見、順風満帆に見えますが、100円ショップの過酷な現実にも直面していました。

「頭に超が付くほどの薄利多売。何を売っても100円だから、仕入れ代を除くと利益は1個あたり数円から数十円しかない。その中から家賃や人件費も出さないといけないでしょ。だからとにかく売って売って売りまくる。集客を増やすことしか頭になかった」

お客さんとの対話が好きな高田さんでしたが、いざ100円ショップを始めてみると、そんな余裕は全くありません。レジで商品を横に流し、とにかく客数を稼ぐ日々。せめてお客さんを楽しませたいと始めたのが、黄色い画用紙にマジックで直筆する、遊び心にあふれたポップでした。

「節約上手な奥様!! いらっしゃい」

「いっぱいあるよ店内12万個 あなたはそのうち何個買う?」

「シルク親父(※高田さん)みたいなあったかい靴下です 買ってください(笑)」

店頭を飾るポップ

語り掛けるような独特の文言は、やがて店の名物になりました。しかしそれは、お客さんと対話する余裕すらないという、心苦しさの表れでもあったのです。

結局、売り上げが思ったほど上がらないなど諸事情もあって、5店中4店は数年で閉店。そして2009年、6つ目の店として始めたのが、現在の天六店でした。

コロナの影響、高額商品…100均の“本音”

天六店は“日本一長いアーケード”で知られる天神橋筋商店街に位置し、地下鉄の駅も近い好立地。そのためお客さんは多く、黒字を維持できていました。高田さん自身、去年の夏まではまだまだ店を続けるつもりでいたと言います。しかしそこに、コロナが2つの誤算をもたらします。

まず、1日あたり1000人ほど来ていたお客さんが、コロナ以降、500人に減ってしまったこと。度重なる緊急事態宣言に伴う外出自粛で人通りは途絶え、売り上げが半減してしまいました。

そこに追い打ちをかけたのが、商品の仕入れ値の高騰です。コロナ前から少しずつ上がっていましたが、この2年は原材料不足や物流網の混乱で、仕入れコストがさらにかさみました。「店を始めた頃の20年前と比べて、ものによっては20円から25円上がっている」。中には仕入れ値が99円の商品もありました。100個売っても利益は100円という厳しい現実。黒字はあっという間に消え、人件費や固定費の負担が重くのしかかりました。その結果、この2年だけで500万円もの赤字を抱え込み、店を続ける見通しが立たなくなってしまったのです。

売れ残った在庫

高田さんの窮状は、特殊なケースではありません。たしかに100円ショップの市場自体は成長し続けており、帝国データバンクの2020年度の調査によると、大手5社の店舗数は10年で4割増えて、7959店に達しました。ところが1店舗あたりの月間売り上げ平均の推計値は、5年前を100とすると97.2で、むしろ減少しており、とにかく数を売る“超”薄利多売のビジネスモデルに陰りが見え始めているのです。

こうした事情を背景に、近年、100円より上の価格帯の商品、いわゆる“高額商品”が増えていることにお気づきの方も多いかもしれません。大手チェーンによると、品揃えを充実させる狙いがありますが、高額商品で利益を上げることで、100円商品の販売維持に還元したいという目的もあります。高田さんも数年前から、高額商品の棚を設けました。

高額商品コーナー

しかし、思ったほどの増益にはつながりませんでした。取材中、弱い雨が降り出したときのこと。300円で販売している傘に興味を示したお客さんがいましたが、「これ100円やないんやな?」と高田さんに確認し、何も買わずに店を後にしていきました。日頃からよい商品を届けてくれるメーカーやバイヤーには感謝しかないという高田さんですが、100円均一を強く求める消費者の声を聞くと、歯がゆさも感じると言います。

「正直、高額商品は置きたくない。だって100均やもん。普通に買うと500円くらいしそうなものが100円で買える喜びを追求したい。今はちょっとそういう商品が少なくなったけどな…」

急増した店舗同士が、少ない利益をさらに削り合う。100均業界は、まさに消耗戦の様相を呈していました。

「大変なときを支えてくれた…」ある客の感謝

そんな高田さんですが、表情が緩む瞬間もありました。2月3日、一組の親子連れが来店したときのことです。常連客の福岡麗さん(35歳)。幼稚園から4歳の息子を迎えた帰り道。節分のこの日、鬼のお面をがんばって作ったご褒美に、100円の恐竜のおもちゃを買ってあげていました。

高田さんの閉店がとても寂しいという福岡さん。近所でタイ料理屋を営むオーナーで、6年前から、お母さんと二人三脚で店を切り盛りしてきました。しかしコロナ禍で来客が激減し、テイクアウトとデリバリーの需要で何とか耐えていると言います。苦しいときを支えてくれたのが、高田さんの100円ショップでした。

「お店や家で必要な物をいつも切らさず置いておいてくれるので、よく買いだめしていました。なくなったら本当に困る…」

高田さんの明るい人柄にも、元気をもらっていたという福岡さん。この日は店のオーダー伝票を貼る磁石と油引き、そして息子のお弁当用のおかずカップを買って、名残惜しそうに店を去って行きました。

買い物に来た福岡さん母子

(買い物に来た福岡さん親子)

こうした常連客の存在が、何よりの励みになっていたと語る高田さん。お客さんに向けて別れを告げる長文のポップを書き上げた時も、期待に応えられなくなった無念さをにじませました。

「やれるところまでやりました。私の勝手な決断をお許し下さい」

迎えた最後の営業日、2月13日。高田さんはほぼ終日レジに立ち、淡々といつものように会計をこなしていました。最終日の売り上げは、全盛期の半分にも満たない額。うっすらと涙を浮かべながら、穏やかに店じまいをしました。

「なんか清々しい気持ちですね」

そう呟いた高田さんは、どこかほっとしているようにも見えました。

閉店直後、涙を浮かべた高田さん

閉店から1か月 次の商売も“100均”

高田さんはその後、何をしているのか。先月、改めて訪ねると、その姿は大阪府河内長野市のショッピングセンターにありました。ここに入居する100円ショップ。実はそこは、高田さんが天六店の前に始めた、自身5番目の店だったのです。スーパーの上という好立地のおかげでコロナ禍でもさほど客数が落ちず、細々ながら営業を続けられていました。

「100円ショップ経営を一切辞めて、勤め人に戻ることも考えたんです。でも22年間、皆さんの暮らしをすそ野で支えてきたプライドがある。もう少しだけ頑張ってみたい」

この店も厳しい状況であることに変わりはありませんが、嬉しいことがありました。天六店の常連客だった福岡さんの4歳の息子が最近、高田さんに憧れて「100円ショップ屋さんごっこ」をしていると聞いたのです。小さな後輩を励みに、あともう少し、「100円の宝島」の夢を追っていくと決めた高田さん。70歳まであと7年、この店を続けるのが、新たな目標になりました。

現在の高田さん

(河内長野市の店での高田さん)

コロナ禍でますます存在感を増す100円ショップは、たしかに私たち消費者の強い味方です。しかしその100円という均一価格が決まったのは、もう45年も昔であることをご存じでしょうか。業界最大手のダイソーが価格を統一したのが1977年。まだ大卒初任給が約10万円という時代でした。いまや大卒初任給はその2倍以上になっています。

ガソリンや食品など様々な物価が高騰する今、100円という価格が当たり前でなくなる未来は、そう遠くないのかもしれません。そうなったとき、私たち消費者は受け入れることができるのか。高田さんの閉店劇は、そんな究極の選択を問いかけているようにも感じました。

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