キャスターの井上裕貴です。
さまざまな紆余曲折を経て、まもなく異例のオリンピックが始まりますね。
緊急事態宣言の下、1都3県などで会場は無観客、そして外部との接触を断ったバブル方式での開催。
今も開催などについて賛否ありますが、この状況下で私自身ひとつ残念に思うのは、海外との触れ合いが限られ、異国の文化の風が街に吹きにくい点です。
各地の事前合宿も中止、または厳しく管理されるところが相次ぎ、五輪ならではの交流や豊かな国際色は、ほぼ画面越しか、活字のものとなってしまいました。
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でも・・・、最近あるテーマと出会って、ふと思ったことがあります。
「お墓に入れない… 日本で最期を迎える外国人たち」 2021年7月21日放送
“画面越しに見る異文化”は、日頃から外国人とのつながりが決して多いとはいえない、いまの私たちの社会のありさまと、さして変わらないのではないかと。
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現在、日本で暮らす外国人はおよそ290万人。
バブル期に来日した多くの外国人たちが高齢者になり、国籍・文化・習慣の違いなどを理由に、お墓に入れないケースが増えているというのです。
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例えば、イスラム教は、宗教上の理由で埋葬方法は絶対に「土葬」。
しかし、いまや日本ではおよそ99.9%が「火葬」です。
土葬できる墓地をめぐり、住民の理解が得られない、土地が見つからないなど、イスラム教徒の人たちは困難に直面しています。
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仕事や経済的な理由をはじめ、日本に移住する理由はさまざまですが、これまで外国人の方々や友人たちの声を取材する中で必ず聞くのが「治安が良いから」「安全だから」でした。
日本では当たり前でも、平和な暮らしが保証されない地域の人たちにとって、故郷を離れてまで手にしたい、最もシンプルな人権の土台なのだと痛切に感じてきました。
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ご存じの方もいると思いますが、キリスト教文化圏では誰かが亡くなったとき、「R.I.P.=Rest in Peace」と悼みます。
上記の治安と安全には、ともに「安」が含まれていますが、この表現にも“安らかに眠る”とありますね。
異国から来た彼ら/彼女らが日本で誇りにしてくれていることを、最期まで大切にできないものなのか。
そして、お墓の問題に限らず、安住できる社会でのスペースを、もっと作ることはできないのか。
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多文化共生社会に向けて、人権の大切さや差別の撲滅などが記されている「オリンピック憲章」。
近くて遠い画面越しの異国を見つめながら、“開催国・日本”の近くて遠い外国人社会についても考える時間にしたいと思ったのでした。
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放送内容はこちらから
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