東日本大震災から12年が過ぎようとしています。生活が一変したあの日から時がたち、被災した地域の人々は、いまをどのように過ごし、どのような思いを抱えているのか。直接感じてみたいと思い、ようやく本格的な復興が始まった福島県・双葉町を訪ねました。
(クローズアップ現代キャスター 桑子真帆)
11年5か月ぶりに帰還が許された福島県・双葉町
東北の中心都市・宮城県仙台市から車で約2時間。福島県の沿岸部に位置する双葉町に入りました。これまで毎年のように被災地取材に訪れていましたが、双葉町を訪れるのは今回が初めてでした。
インターチェンジから町の中心部へとつながる一本道を走っていると、左右に次々とあらわれたのは、通行禁止のバリケードと「この先、帰還困難区域」と書かれた看板。
いま走っている道は車で通行できているのに、そのすぐそばに、12年たってもまだ立ち入れないところがこんなにもあるという現実を突きつけられました。
ㅤ
2011年3月11日に起きた東日本大震災と、追い打ちをかけるように発生した原発事故によって双葉町の姿は一変しました。
福島第一原発が町の東部に立地する双葉町は、町の面積の96%にも及ぶ土地が「帰還困難区域」に指定されました。全町民7000人が避難を余儀なくされ、人影のまったくない町へと姿を変えました。
「最も帰還が難しい町」ともいわれた双葉町。被災した自治体の中で最も遅い11年5か月が過ぎた去年の8月30日、ようやく本格的な帰還に向けて町の一部で避難指示が解除されました。
避難指示が解除されてから、およそ半年が経った3月上旬。町を歩いてみると、あちらこちらで解体工事が行われ、更地になったところも多く見られました。
ㅤ
これまで立ち入れなかった土地で、ようやく始まった解体工事。一方で、新たに建築中の建物もありました。この場所には、“破壊”と“創造”が同時に存在していました。
ㅤ
ㅤ
ふるさとの町に戻ることを選択した町民は
去年8月に一部の地域で避難指示が解除されたことで、双葉町ではようやく人々の帰還が始まりました。しかし、解除から半年ほどが経ったいま、町で暮らしているのは以前の人口の1%にあたる60人ほどです。
町を見渡してみても、通りには工事車両や作業服を着た工事関係者ばかり。住民らしき姿はほとんど見られません。
まだ商業施設や学校なども再開しておらず、生活インフラが十分整っているとはいえない状況で、ふるさとの生活よりも避難先での生活を選ぶ人が多いのが現状です。
かつての住民の多くが町に戻っていない中で、ここでの暮らしを始めた人はどのような思いで戻ってきたのか。去年10月に入居が始まった災害公営住宅で暮らす志賀隆貞さん(73歳)を訪ねました。
災害公営住宅で暮らす志賀隆貞さん
ㅤ
「やっと戻って来られたという喜びのほうが多かったね。双葉町に戻ってきたかった。自分が生まれ育ったところが、こんなありさまになって放っておけなかったですよ。
実際に戻ってくると、同級生の知人の顔が見られたりと、間接的にでも人とのつながりを感じられることもあって、生まれ育った町で暮らせることはやっぱりうれしいね」
ㅤ
今後についても聞いてみると、志賀さんは誇らしげに夢を語ってくれました。
「ここに住んでいる人、復興事業に携わる人、ふるさとに戻ってきた人など、いろんな立場の人たちが一堂に会して話したりする場所があればいいなと思っていて、居酒屋をやろうと考えていますよ。居酒屋なんて初めてやるけど、今年中にオープンさせてやろうと、酒器やら皿やら必要になるものをいろいろと集めていますよ。この夢は、双葉町でかなえないと意味がないね」
ㅤ
「変わらないベースがあって、新しいものをつくっていけばいい」
高速道路のインターチェンジと町の中心部、そして海岸を結ぶ一本の道路。「復興シンボル軸」とも呼ばれる、この道路沿いに一軒のガソリンスタンドがありました。
このガソリンスタンドを6年ほど前から経営している吉田知成さん(47歳)は、家族を東京に残し、一人暮らしをしているいわき市から通って町の復興を支えています。
ガソリンスタンドを経営する吉田知成さん
ㅤ
「国道の自由通行に向けた除染工事が始まり、燃料の供給場所が欲しいと相談を受けて、町の支えになれればと思って、先代から引き継いだガソリンスタンドの再開に向けて双葉町に戻ることに決めました。やっぱり、ふるさとを残したいと思って。
戻ってきた当初は、町自体の復興計画については具体的に決まっておらず、いつ帰還困難区域が解除されるのか見通しもたっていませんでした。従業員2人とアルバイト3人でも時間を持て余すほどで『もう掃除するところもないな』って話していましたね」
2017年以降には復興方針も固まり、中間貯蔵施設事業や廃炉事業が加速したことで収益は安定したものの、工事が落ち着いたいまではピーク時の3分の2ほどだといいます。
避難指示が解除されて住民の帰還が始まってからは、災害公営住宅や自宅を修繕して住み直す人たちから、ガスの点検などの依頼を受けることもかなり増え、微々たる変化ではあるが町に動きが見られるようになったとも話してくれました。
ㅤ
町の復興について聞いてみると、まだまだだと言いながらも「ふるさと残し」への思いを聞かせてくれました。
「避難指示が解除されて一歩前進したかもしれないけど、まだまだマイナスの状態でゼロに向かっていかないといけない段階だと思っています。
本来、双葉町は海にも山にも囲まれていて、たくさんの自然に囲まれた住みやすい町なんです。町はこうなってしまったけれど、それが変わるかって言ったら変わらないと思うし。変わらないベースがあって、新しいものをつくっていけばいいと思っています」
ㅤ
いまだ、たくさんの課題を抱える双葉町の復興。困難な状況が続く中でも、12年の年月を経たからこそ生まれた話を聞かせてくれました。
「9歳の娘が、ようやく自分の父親がいま何をしているのか理解してきたみたいです。最初は、なぜ父親が家にいないのか、どうして帰ってきてもすぐにいなくなるのかがよく分かってなかったと思います。
ある程度、双葉町への出入りが自由になってきたときに何回か連れてくるようになったんですけど、町の状況や父親がやっていることがある程度分かるようになって、最近では私の姉が双葉町でやっている飲食店で手伝いをしたいと事あるごとに言ってくれますね」
ㅤ
一度は誰もいなくなり、本格的な復興の一歩を踏み出したばかりの町に、震災を直接知らない娘が関心を持ってくれていることを照れくさそうに話す知成さんの表情がとても印象的でした。
震災から12年 双葉町の人々が向き合う「ふるさと残し」
震災から12年たって、ようやく始まった双葉町の復興。町に思いを寄せる人々は、どうやってふるさとを残そうかと懸命に奮闘していました。
「ふるさとを残す」とひとことで言っても、人によって、その意味合いや色合い、思い描く姿は異なります。まだ、その姿を思い描けない人だっています。そのどれかひとつが正解ではないし、何かを押しつけるのもまた違います。
大切なことは、それぞれの思いや願いが少しでも納得できるようなものになること。しかし、町のことを強く思う人たちの力だけでは限界があります。12年という時間がさらに困難にさせたこともある中で、「ふるさと残し」を実現させていくためには、ようやく一歩を踏み出せたいまこそ、周りの支えや後押しが求められているのではと感じました。
【関連番組】
クローズアップ現代 2023年3月6日放送 ※3月13日まで見逃し配信