ニセコには、雪に魅せられた人たちがやってくる。
10代のころからニセコに通ってきた私(ディレクター)は、そう思っていた。しかし近年、「投資対象としてのニセコ」に魅せられた世界のマネーが、町を揺るがしている。
町を訪ねてみると、住民の間でも「雪」についての会話はめっきり減っていた。
「パウダースノー」を求めるスキー・スノーボードの愛好家たちが世界中から集まり、コロナ前には年間20万人が訪れた観光地、「ニセコ」と呼ばれる北海道倶知安町。この町におよそ1年間通い、住民たちが語る町の現実に、耳を傾けた。
(クローズアップ現代 ディレクター 髙橋隼人)
関連番組:クローズアップ現代「バーゲンジャパン 買われる日本の観光地」
パウダースノーに魅せられて
北海道で育った私にとって、ニセコは修学旅行やスキー授業などでなじみ深い町だった。NHKに就職する直前には、ひと冬パウダースノーを滑り倒そうと、ホテルに住み込み、アルバイトしたこともある。就職し、結婚してからも年に一度はニセコに通い続け、娘に初めてスキーを教えたのもニセコだった。
(右から2人目が筆者)
私がアルバイトをしていたのは2008年から2009年にかけてのシーズン。インバウンドが全国的な盛り上がりを見せる前だったが、すでにニセコは外国人客で賑わいを見せていた。ニセコのパウダースノーを“発掘”し、ブームに火をつけたオーストラリアからの客に加え、香港や中国などアジアの宿泊客も多かった。また、当時はまだ本州から修学旅行で来る中高生の姿もあり、外国人と日本人の客が入り交じっていた時代だ。現在は多くのホテルが外国人相手に商売を切り替えていることを考えれば、当時のニセコは富裕層向けのスノーリゾートに移り変わっていく「過渡期」だったように思える。
「移り変わるニセコでドキュメンタリーを撮りたい」。NHKに入局後、そのチャンスを伺うものの実現しないまま10年以上が経った去年夏、私を大きく揺さぶる出来事があった。
「長引くコロナ禍でニセコはどうなっているのか…」。気にかかり、かつてアルバイトしていたホテルのホームページにアクセスすると、なんと「営業休止」とのお知らせが出ていた。慌てて当時お世話になった支配人の奥さんに連絡をとった。まずは正式な取材ではなく「休暇」として、私はニセコに向かうことにした。
コロナ禍でも続く世界の投資
「ホテルが潰れたと思って焦ってきたの?悩んだけど、とりあえず1年休んで様子を見ることにしたの」
支配人の奥さんは、久しぶりに訪ねてきた私に、状況を説明すると、こう続けた。
「あなたたちメディアはニセコの表面しか伝えていないからね…。しっかり仕事しなさいよ」
思いもよらぬ「叱咤激励」だった。
思えば東京で生活し、全国ニュースで目にするニセコといえば、「外国人で賑わっている町」か「地価上昇率が日本一の町」。取り上げられ方はいつもこの2パターンだった。これらが、奥さんが言う「表面」だとすれば、その奥に何があるのか、東京からニセコに通い、住民に話を聞くことを始めた。
リゾートエリアの定住人口は倶知安町の全人口の1割に満たない。話を聞いていくうちに、気づいたことがあった。みな、雪とは切っても切り離せない生業のはずなのに、「あまり雪の話をしない」のだ。
私がアルバイトをしていた当時、地元の人や客との話題と言えば、どの斜面のパウダースノーが良かったか、明日の雪質はどうか。などニセコに集う皆が雪に夢中になり、山や空を眺めていた。
「○○のホテルが○億円で売れたらしい」
「1泊300万円のコンドミニアムが出来たらしい」
噂が噂を呼び、みなどこかで外国資本の投資や開発に意識がいき、ニセコの最大の魅力であるはずのパウダースノーの話がでてこない。
外国資本による投資は、ニセコにとって決して新しい話ではない。バブル崩壊後、スキーブームが終えんし客が激減したニセコを救ったのが、パウダースノーに惚れ込み投資を進めた海外資本だ。80年代に140軒ほどあったペンションのオーナーたちにとっては、まさに渡りに船。需給が一致し、ペンションを手放したオーナーたちは大金を手にして、都会に引っ越していったという。当時から変わらず営業している「昔ながら」のペンションは、今や10軒ほどだ。
こうした外国資本の広がりを、地元住民たちは実際のところ、どう感じているのか。話を聞いて回る中で出会った、ある男性の言葉が印象的だった。
「外資が入ることはいい面も悪い面もある。外資に対するスタンスの違いで、日本人の中に対立構造が生じることはよくあった。かつて外資が入り始めた頃、マナーなどでちょっとした『あつれき』が生じたことがあったけど、こうした問題を解決するためにまとめ役を担っていた人も、目の前に札束を積まれて、土地と家が売れたらそそくさと町を去ることもあった。こうした積み重ねが、日本人同士の溝を深めたと思うよ」
粉雪がマネーを呼び込んだ
そして、物静かだがニセコの雪の魅力を雄弁に語る男性に出会った。
この町に世界の投資が集まるきっかけを作ったひとり、イギリス人のマイケル・ダベンポートさんだ。2006年に来日して以来、ニセコで暮らしている。
「ニセコの雪をはじめて見た時、何よりも静寂を感じたんです。雪が音を吸収する、その静けさがすごく印象的で」
ニセコの雪に魅せられ、その魅力を世界に伝えたいと考えたマイケルさんは、不動産の売却を考えていたペンション経営者を、海外の顧客に紹介する不動産仲介業を始めた。
「最初はみんながハッピーで、(自分がやるのは)人と人をつなぐ仕事でした。契約が決まるとみんなでビール飲みながら、『ありがとう!乾杯!』とやる。本当に幸せでしたね」
(マイケル・ダベンポートさん)
しかし、その幸せな仕事は長くは続かなかったという。
ニセコの不動産に、「投資対象」としての魅力を感じる投資家が次々と現れたのだ。次第に投資家の間で転売が相次ぎ、価格は高騰。マイケルさんはその仲介に忙殺されるようになった。
「中には一度もニセコに来ない顧客もいました。『投資』としてニセコを買いたい、という取引が多くを占めていた。ただのお金の動き、書類のやりとりだけです。自分の仕事で、誰もニセコの魅力を感じられていない、誰も喜ばせることができていないと、どんどん感情が無になっていきました」
ニセコの雪がもたらしたマネーゲームから、マイケルさんは離れることにした。
いまは不動産業から身を引き、雪国の暮らしや魅力を伝える本の翻訳などをして生計を立てている。彼の人生に触れ、ニセコの人たちがどんな思いで、この10数年間を過ごしてきたのか、その一端を垣間見た気がした。
取材の最後、マイケルさんは言った。
「僕は雪を見るといろいろなことを感じるんです。喜びはもちろん、悲しみも。ニセコでは、すべての感情が雪から生まれる。そう思うんですよね」
「ニセコで何が起きていたのか」もっと知りたい
ニセコの人たちが語ってくれたこの10年あまりの知られざる変化。私はNHKに入って以来持ち続けていた「移り変わるニセコでドキュメンタリーを撮りたい」という思いを一枚の企画書にまとめた。
ドキュメンタリー番組「Dearにっぽん」で採用され、冬のニセコでロケが始まった。タイトルは「魅惑の粉雪と生きる」。登場人物はニセコの雪に魅せられたスノーボーダー、脱サラして第二の人生をニセコに求めたペンションオーナーやその息子。そして、ニセコの雪への思いと葛藤を語ってくれたマイケル・ダベンポートさんだ。彼らの暮らしを通して、ニセコのいまを描くことを目指した。
その中でこだわったのが、雪のさまざまな表情を映像化することだった。マイケルさんが語った「すべての感情は雪から生まれる」という言葉が、常に頭の片隅にあったからだ。スノーボーダーの協力を得て、雪の積もった早朝、何度も山に通いボードのターンが吹き上げるシュプールを、ハイスピードカメラで撮影した。全面協力してくれたスキー場のスタッフがつぶやいた言葉がある。
「ニセコの本質を撮りたいんですね」
彼もまたニセコの雪がもたらしたマネーゲーム、そしてそれに翻弄されるニセコに違和感を抱いていると明かした。
超富裕層向けに変化するニセコ
世界の投資家たちは、どんな価値をニセコに見いだしているのか。実情を知るためにドキュメンタリー番組の制作後も取材を続けた。
初夏、すっかり雪がなくなったニセコにやってくると、町の至る所で槌音が響いていた。
コロナ禍でも続く建設ラッシュ。開発を主導しているのは、ニセコの別荘やコンドミニアムを購入した外国人投資家、そしてそれをホテルのように貸し出すビジネスを行う外国人経営者たちだ。彼らが持つビジョンは明確。客層を海外の「超富裕層」に絞り、高級リゾートとして開発しニセコのブランド力を高めることだ。
取材に応じてくれたマレーシア在住の投資家は、「ニセコはヨーロッパや北米のスノーリゾートより不動産価格が半分以下で、さらなる価値上昇が見込める」、お買い得な案件なのだと教えてくれた。貿易企業を営む一族だという彼女は、ニセコに30億円を投資し18戸のコンドミニアムを建設中だ。
香港の投資家が所有するコンドミニアムで、ホテル運営ビジネスを手掛けるマイケル・チェンさんは、私たちに「1泊350万円」だという、その中を見せてくれた。
(チェンさんの運営するコンドミニアム)
「ここの宿泊料金は、それほど高いとは言えませんよ」
豪華なリビングと7つのベッドルーム、抜群の眺望の露天風呂に専用サウナ、ゴルフ練習場…。さらにプライベートシェフやバーテンダー、5人の執事を常駐させるフルサービスで世界の超富裕層に貸し出しているという。
「彼らにとって、食事も宿泊もフルサービスで、一週間滞在して2000万円の出費は、決して大きな額ではないんですよ。たいていの顧客はプライベートジェットでニセコにやってきますが、例えばイギリスからだと、往復だけで5~6000万円かかりますからね」
(マイケル・チェンさん)
「1泊350万円」と聞いた時は、正直耳を疑ったが、チェンさんの説明に納得した。ニセコはスキー場が大きいとは言えず、町のキャパシティは限られている。狭いエリアで収益を上げるためには、とにかく客単価を上げることが重要だ。
チェンさんのように、超富裕層の暮らしを理解しグローバルな視野を持つビジネスマンが、この数年ニセコには増えているという。彼らがいまニセコを世界的なリゾートへと進化させようとしている。定期的に集まってつながりを深め、さらなる投資や観光客を呼び込むアイデアを日々話し合っていた。
それでも自治体は“赤字目前”のワケ
町に活気をもたらした世界からの投資で、町は潤っているのだろうか。
地元・倶知安町の財政を見てみると、海外からの投資で別荘などの建設ラッシュが起き、この5年間で町の固定資産税は6割増加した。
しかし、世界のマネーによる開発は思わぬ事態をもたらしていた。町の収支は令和6年に赤字に転じ、その後も膨れ上がる恐れがあるというのだ。リゾート開発のために必要な、道路や水道などのインフラは、自治体が税金などによって整備しなければならず、倶知安町にとって大きな負担となっている。
「世界のセレブが開発したために、私たちが水道や道路を整備していかなければならないというのは、思ってもみませんでした。私もこの町に長く住んできましたが、この先ニセコがどうなるか、なかなか見えないですね」
(倶知安町水道課 川南冬樹課長)
町の水道課の課長は、将来への不安や戸惑いを隠さない。特に頭を悩ませているのが、上水道の整備。今のまま開発が進めば、8年後には給水量が3000トン不足するというのだ。新たな井戸を掘り、水道を整備するのにかかる事業費は、総額65億円の見込み。町の税収のほぼ2年分にあたる。
「外国資本には、なかなか直接話すことができないんです。調べてみたら、開発が途中のまま私たちに黙って転売されていた、なんてケースもある。それを全て追いかけるのは難しいです。この状況をリスクコントロールしていかないと、将来の人間に町を引き継いでいけなくなってしまいます」
ニセコの森を切り開いたのは誰?
「人口減少が続くこれからの日本において、地方経済を支える上で外資の力は必要だ」
これは取材した専門家たちの共通認識だ。外国資本は積極的に活用するべきで、問題はその後をどうするか。転売目的で不動産を所有し、まち作りに責任を持たない投資は、結果的に地域に良い影響をもたらさないと、早急なルール作りが求められている。
東京に戻った私は、ニセコで出会ったある人のことを思い出していた。かつて不動産売買に明け暮れたイギリス人、マイケル・ダベンポートさんだ。取材の中で、こう言葉を強めたことがあった。
「最初にニセコの森を切り開いたのは誰か。今はそれをたまたま外国人がやっている。日本人、外国人という問題じゃない。人間の欲の問題なんですよ」
ニセコでは、今も世界から投資が集まり開発が進む。それらを動かすのは、かつてマイケルさんが世界に広めたいと願った「雪の魅力」ではなく、「人間の欲」。彼はそう伝えたかったのだと思う。
マネーゲームに消費された先に、どんな暮らしが残るのか。ニセコに関わる人々が立場や国籍を越えてまち作りのビジョンを描ければ、世界から投資が集まるこのチャンスの生かし方が見えてくるはずだ。
そして願わくは、その中心には雪があってほしいと願う。
関連番組:クローズアップ現代「バーゲンジャパン 買われる日本の観光地」