アンフェアネス、ラベリング…作家・桐野夏生さんが物語で抗う理由【インタビュー】

NHK
2022年6月1日 午後6:37 公開

「顔に降りかかる雨」「OUT」「柔らかな頬」「グロテスク」…

時代を生き抜く女性たちとその闇を描き、数々の文学賞を受賞してきた作家の桐野夏生さん。その作品や言葉は多くの人の共感を呼び、世代を超えて支持されています。

なぜ、桐野さんの言葉は現代を生きる私たちに響くのか――2時間近くに及ぶインタビューで語られたのは、物語を通じて世の中に“抗う(あらがう)、桐野さんの姿でした。

(聞き手:桑子真帆アナウンサー)


 

関連番組

2022年6月1日(水)放送

クローズアップ現代「その“痛み”を抱きしめて〜作家・桐野夏生~」

番組概要や関連記事 放送後1週間まで見逃し配信も

 

 

世代を超えて広がる共感

桐野夏生さん(70) 作家 石川県出身

平成11年に『柔らかな頬』で直木賞を受賞 国内外で幅広く支持を集める

著書に『顔に降りかかる雨』『OUT』『柔らかな頬』『グロテスク』など

去年、日本ペンクラブの会長に女性で初めて就任

 


いま、女性誌を中心に次々と特集が組まれている桐野さん。

「書きとめておきたい言葉がいっぱい」「桐野夏生さんは味方だ」――

社会にはびこる“自己責任論”への批判や女性の生き方へのまなざしなど…桐野さんが語る言葉や姿勢には、共感する声が相次いでいます。


 

――どうしていま、桐野さんの言葉が多くの人に求められていると感じますか。

 

桐野さん:

女性誌を読む方って私の娘世代だと思うので、私の世代の声が届くのが不思議ですね。

私は物書きですから、小説という物語の中で言葉を使っていますが、生身の人間として言葉を発する時って、たいしたことをしゃべっていないんです。口下手で“てれ屋”なんで、講演会もほとんどしないんですよね。だから、そんなお話を聞くとびっくりします。

 

雑誌「SPUR」の特集

 

――読者からは、桐野さんが「自分の痛みをわかってくれていて、それを代弁してくれている」とか、「寄り添ってくれている」という声がすごく多いそうです。

 

桐野さん:

私は小説の中で、“悩む人”を書いていますが、寄り添うというよりも、その悩みの実態を知りたくて書いています。その人がどういう痛みを持って、それに対してどう考えているのか。その登場人物に寄り添っていますが、それを読者の方は代弁と思ってくださるのかもしれません。ただ、そこに何かメッセージを込めることはあまりないというか、小説ってそういう種類のものではないんです。メッセージを込めてそれを発信するのではなくて、その登場人物のいる世界全体を描いているので、「その世界の中で読むことで味わってください」と提示しています。

 

 

デビュー当時は「小説は怖いもの」


苦しみや怒り、悲しみ…その時代、その世界で生きる人たちの姿を緻密に描き上げてきた桐野さん。作家としてデビューした当時は、小説を書くことが怖かったと打ち明けました。


 

桐野さん:

デビュー当時は本当につらくて。自分の書いたものに自信はあるんだけど、自信もないというか…よくわからないんですね。「たいした作家じゃないだろうから、このまま消えていくのか」と思ったりとか、「だけどやっぱり好きだ、書こう」と思ったりとか…心が乱れて。しかも、いろいろな人にいろいろなことを言われると、また動揺するわけですね。自分だけが、裸で、他の人はみんな洋服着ているのに、荒野の中にただ1人突っ立っているような感じで。そのくらい、みんなに私の心の中を見られているような、怖いものなんですよ、小説って。

 

 

――そうとは思わなかったです。

 

桐野さん:

皆、そうだと思います。やっぱり全人格的なものなんですよね、小説というものが。全部、自分が出ていると思っているんです、どんなに隠しても。

それが怖くておびえていたんですけど、私も一線を超えたんですね。小説家として。

 

 

――それは、どこでですか?

 

桐野さん:

『OUT』あたりから、あまり怖くなくなったんですね。

 

『OUT』(1997年)この作品で桐野さんは日本推理作家協会賞を受賞

 

桐野さん:

(遺体を)バラバラにするとか・・・何かシーンを書く時にためらっていたものを思い切って出して、「もう裸でいいわい」みたいな感じになったら、急に一線を超えたんですね。

そこからちょっと平気になったというか。前は例えば性的なシーンを書くのも嫌で。みんなためらうんですよ、恥ずかしいから。残酷なシーンを書くのも嫌だし、何もかもが嫌なんですよ。

 

 

自分だけでなく登場人物も“一線を超える”

 

桐野さん:

いつもね、一線を超える人を書こうと思っているんですよね。

 

 

―― 一線を超える人?

 

桐野さん:

一線を超えることってあると思うんですよね。本当なんでもいいんですよ。「これは絶対に自分ではできない」と思っていたこととか、犯罪もそうですけど、自分の中で「これは一線を超えた」みたいな瞬間がある人を、どうしても書いていこうと思っていて、そうなるとその登場人物にとっても「一線ってなんだろう」って考えることになるじゃないですか。

 

 

――その視点をもったのはなぜなんですか?

 

桐野さん:

一線を超えることは怖いじゃないですか。どうしてもこえられないものってみんな持っているでしょ?倫理的にも道徳的にも、あるいは何か社会通念的に。なにかそういうものを壊していくことが、おもしろいと思っているんでしょうね、私の中で。

 

 

―― 一線を超えることでその人物がどう変化していくと考えてらっしゃいますか?

 

桐野さん:

自由になる人もいれば、重荷になる人もいる。私の場合はほとんど、それで何か解放されるということを書いています。解放ということだけど、同時に責任もあるというか。そういうきっかけみたいなものが、おもしろいんじゃないかと思って書いているんですけどね。

だから私の小説の主人公って割と一線を超える人が多いんですよね。

『燕は戻ってこない』という近作の中では、29歳の女が代理母になることを決めます。それが彼女にとっての一線を超えること。そういう主人公が一線を超えた瞬間と、超えた後にどういう変化があるかを書こうと思っているんですよね。

 

 

最新作で描きたかった「悩み」


今年3月、桐野さんは最新作『燕は戻ってこない』を発表しました。

主人公は、非正規雇用で生活が困窮している29歳の女性。副収入になると持ちかけられたのが国内では認められていない「代理母出産」でした。「代理母」となった主人公や、子どもを切望する夫婦、そして「代理母」をビジネスと捉える人――生殖医療とその当事者たちが抱える悩みや“闇”に切り込んだ作品です。


 

――私も読ませていただき、小説だからで済ませてはいけないリアルな事柄として受けとめました。「生殖医療」をテーマにしようと思ったのはなぜなんでしょうか。

 

桐野さん:

女性だったら、“期限付きの人生”っていうものを感じるじゃないですか。「卵子は劣化する」みたいなことも言われていますよね。

だから焦っている人って、たくさんいらっしゃると思うんです。30代から40代にかけてって、仕事で何かを積み上げていく時期なのに、女性は卵子が劣化すると言われれば焦るでしょうし、少し前までは女の人が直面してこなかったんじゃないかなと思って。私は小説を書くときは、今の時代に生きている人の姿を書きたいと思っているので、そういう選択肢を持つことで悩みが増えた女の人のことを書きたいなと思って書いたんです。

 

 

――私自身、まもなく35歳になるのですが、例えば卵子を提供する側とされる側どちらの気持ちも、とてもよくわかって。作品の中で『この資本主義社会の中、全てがランク付けだ』という表現があるじゃないですか。どきっとして。卵子を提供する側になると、歳とかでランクづけされたくない。何か自分自身が値踏みされているような気持ちになるし、提供してもらう側として考えたときには、お金を払っているんだから、いいものを欲しいと思ってしまう自分もいて。真逆の考えが同時にあってこれを整理できなくて…

 

桐野さん:

その整理できないところを物語にしようという発想ですね。だから、登場人物が小説の中で悩む。結論も結局出ないまま、その一線を超えるんです。小説って物語によって、言葉だけでは説明できないようなこと、何か表せないようなことを表すことができるわけですよね。

生殖医療の発達に人の心がついて行くかっていうとやっぱりついていかないわけですよね。みんな「これでいいのか」と思いながら。だけど選択肢があるわけですから。

悩む人の主体は女性ですよね。私も何がいいのかわからないし、結論は出ていないですけれども、女の人の悩みがいま多岐にわたっている状況だけは、書いておこうと思いました。

 

 

“アンフェアネス”をなくしたい

 

――今回の『燕は戻ってこない』もそうですけれど、桐野さんはこれまでずっと社会的に弱い立場の女性を描き続けていらっしゃいますね。

 

桐野さん:

社会の構造的に女性がまだ不利だと思うんですよね。まず賃金格差があるでしょ。それから、なかなか正社員になれず、非正規の方も多いですよね。そうすると景気に左右されて契約を切られてしまい、安定していないですよね。そういう意味で、女の人が本当に経済的に自立できる社会になってほしいと思います。

 

 

――それは桐野さんの訴えなんですか?

 

桐野さん:

訴えというか、私、アンフェアネス(不公平)が嫌いなんです。良くないなということですね。若い頃は「自分が未熟じゃないか」とか「自分の力が足りないのは努力が足りないからじゃないか」とか、色々悩むじゃないですか。だけど悩んで努力したことによって、完全に報われるわけじゃないですよね。よく考えてみると、社会の制度・システムから完全にはじかれる形になって、アンフェアネスで苦しんでいる人も結構いると思うんです。だけどそれが全部自分のせいになるっていうのはおかしいじゃない?って。

だから、フェアネスをすごく心がけます、常に公平であろうと思います。

 

 

――そこは男性も女性も関係ないということですね。

 

桐野さん:

悩みという意味では男女の差はないだろうと思っています。

私も女らしさって言われたら嫌だなと思うのと同じように、“男らしさ”で縛られるとか、男が泣いちゃいけないとか、つらいんじゃないですかね。男であることの制約もあると思うし、それは社会的制約ですよね。

男の人は男の人ですごく抑圧されている部分があると思います。

 

 

――人をひとくくりに“ラベリング”することが、生きづらさにつながっているのでしょうか。

 

桐野さん:

ラベリングされると楽なように見えて、枠にはめられる自分は苦しいんじゃないですかね。私もまた「女」という枠にはめられていました。特に私の時代は女の人は職につくというより、お嫁に行くみたいな感じの時代ですし。枠にはめられてはいましたけれども、抗って(あらがって)生きてきました。

「女に生まれて、こうあらねばならない」みたいなものがすごくあると思います。私からすると、それは私じゃなくなること。常に生きづらかったですね。

安易なラベリングに抗おうとは思っていますけど、そのために仕事をしていると思います。

 

 

安易なラベリングがもたらすもの

 

――過度なラベリングの先にどういう危うさがあると思いますか。

 

桐野さん:

想像力の欠如でしょうね。この裏に何があるとか、懐疑的な気持ちとかは、みんなが持たなくても済むようになっているじゃないですか。たぶん想像力が欠如して、小説を読まなくなるんじゃないかとそれだけが心配です。

「現実じゃないし、作り話でしょう」みたいな話になるかもしれないし。現実に近いものを書いていると、複雑な話になるんですけど、今は割と単純な話やシンプルな物語が好まれているかもしれませんね。もちろん本当の小説好きなんかは違うけれど、何かシンプルな物語の方が例えばドラマ化・映画化しやすいか、あとはみんなわかりやすいとか。想像力もそんなに必要とされないっていうか、そういう世界も来るかもしれないとは思います。

 

 

――わかりやすく描くことによって、その中を見なくなってしまっている、そういう危うさは感じられますか?

 

桐野さん:

おっしゃったようにラベリングすることで、この棚に入れられてしまって、その棚に興味のない人は引き出さないので、危険ですね、本当に。

 

 

――それは今、強まっている感じがしますか?

 

桐野さん:

強まっているんじゃないですかね。皆さんが分かりやすさを求めているからじゃないでしょうか。テレビのニュースだって、くくり方によっては見ないで、変えちゃったりとかね。

 

 

――われわれメディアがわかりやすく伝えようというのが働くと、「女性の貧困」とか「非正規雇用」とか、問題をくくっています。

 

桐野さん:

『燕は戻ってこない』でもやっぱり、「貧困の女の人」とか「生殖医療」とかね、わりとそうくくられることが多くて。私は結構面白い物語じゃないかと思っていたんですけど、そういうくくられ方をすると、今度その“くくり”がひとり歩きするので、「それだけじゃないんだよな」と思います

物語なので、その人がどういう人で、何を考えて、こういう人に会うとどういう反応するか、どういう食べ物が好きで、何が趣味で…とか、そういう“個”を書くことによって、「こういう人間もいるんだよ」ってことで共感を得られるかわかりませんけれども、やっぱり“個”を描かないと小説にならないんだと思います。それこそラベリングになっちゃう

「この人はこんな人」みたいな結果、適当なラベリングになっちゃうじゃないですか。だから“個”を描くことがラベリングに対する“抗い”ではありますね。

 

 

一線を超える“個”を描き、抗う

 

桐野さん:

人ってやっぱり「これをしちゃいけないんじゃないか」とか、自分の中でいろいろな線を引いていると思うんですね。自分で課している禁忌みたいなものを越えていく。禁忌だけじゃなくて、勇気がないとなかなかできないことも含めてなんですけど。

何か自分がどうしてもできないことを越えていく人が好きだし、そういう一線を超えた人がどう変化するのかを見るのも好きです。その人にとっての一線って何かを考えるのも面白いです。「こういうものだ」というラベリングに対する抗いであるし、その人自身の限界に対する抗いだと思うんですね。だから私は、抵抗する人が好きです。

 

 

――これでいいと思うのではなく、その一線から先にいく。

 

桐野さん:

その先にどんなものがあるのか、自分がどんなふうに変わるのか、そういう景色を見たいと思っていて、私自身がたぶんそういうタイプなので。私の書く主人公にも、そういう思いをしてもらいたいと思って。

例えば何か起きたら怖いと思っていることが、実際に起きて、そのことで痛めつけられるかもしれないけれども、こういうことが起きたら怖いなと思っている、おびえからは解放されますよね。

また何か起きてしまえば、もう一回乗り越えるみたいな。何度も人は解放されるし、何度も抑圧を受ける人も多いので、その連続なんじゃないですかね。止まれないし、前に行くしかないんじゃないかと思います。

ちょっと勇気が出ないとかね、こんなことしたら笑われるんじゃないかとかね、そういう一線ってあるでしょ?そこをこえるとやっぱり変わると思うし。それはひいては豊かなことにつながっていくんじゃないかなと。そうすると何か楽しくないですか。人生って。

 

 

 

 

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