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石井光太が語る「路地裏に立つ女性たち」

NHK
2021年10月29日 午後5:13 公開

石井光太

作家。1977年生まれ。国内外の貧困、災害、事件の現場を取材。著書に『こどもホスピスの奇跡』『格差と分断の社会地図』など多数。

聞き手 山浦彬仁

NHK制作局ディレクター。1986年生まれ。クロ現+「外国人労働者の子どもたち」「虐待後を生きる」「コロナ禍の高校生」「ルポ少年院」「さらば!高校ドロップアウト」など制作。

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山浦:石井さんは、長年歌舞伎町を取材されてきたそうですね。

石井:現在と比べると、90年代は暴力団の影響が大きかったですね。夜の街に深く食い込んで「みかじめ料」をはじめとして様々な形で利益を吸い上げていました。街娼という点でいえば、中国、コロンビア、フィリピンといった国の女性たちが深夜零時を過ぎた頃から歌舞伎町から新大久保にいたる路地裏に立っていましたね。たまに日本人女性の姿もありました。いずれも、事情があって風俗店で働けなかったり、働いていてもお客さんがつかないのでその日の食事代にも事欠いていたりといった人たちでした。言い方が適切かどうかはともかく、風俗の網の目からこぼれ落ちた人たちです。暴力団は、そういう女性からも一晩いくらというお金を取っていました。

山浦:路地裏の雰囲気が変わったなと感じたのはいつ頃ですか?

石井:2005年、当時の石原慎太郎都知事が「歌舞伎町浄化作戦」を掲げ、迷惑防止条例を改正した頃ですね。暴力団を筆頭とした反社会勢力の一掃と共に、路地裏に立つ外国人女性たちも取り締まっていったんです。その結果、外国人女性は激減したのですが、代わりに日本人が目立つようになりました。ただ、日本人といっても、以前と同様に事情がある人たちが多い印象でした。パブで働けない事情を持つトランスジェンダーの人たちだとか、風俗店でも雇ってもらえない高齢の人たちとかです。男娼もいました。家出少女は、当時流行っていた出会い系サイトなどに流れていたので路地裏にはほとんどいませんでしたね。

山浦:路地裏の女性の中には、風俗店では働かせてもらえないという人もいました。

石井:そこらへんの事情は今も昔も同じでしょう。風俗店は借金返済のために短期間だけ働くというような人もいる一方で、“最後のセーフティーネット”とも言われていて、障害のある女性、精神疾患に悩む女性、あるいはグレーゾーンの女性たちが少なからず働いています。

景気がそれなりに安定している時は、どちらの女性も風俗店で働くことができますが、コロナ禍のようなことが起これば、後者の弱い立場の人から先に切り捨てられていきます。具体的に言えば、リストカットで体が傷だらけだったり、精神疾患で出勤日の無断欠勤をくり返したり、情緒不安で同僚や客とトラブルを起こしたりする女性たちです。彼女たちはそもそも働き場所がないから風俗店にいたわけで、そこを解雇されれば路地裏に流れるしかなくなる。今、路地裏に立つ女性が急増している背景には、そうした事情もあります。

マニュアル化が進む労働現場、“見えない困難”を抱える人が排除される

山浦:路上に立つ女性たちに対して、「仕事だったらいくらでもあるじゃない」という批判もあります。なぜ、路上に立たざるを得ないという状況まで追いつめられるのでしょうか?

石井:もし彼女たちが何も問題を抱えていない健全な人たちであればそうでしょう。しかし、路地裏に立つ女性を個別に見て行けば、なかなかそう言えない面があります。

たとえば、風俗店で働く20代後半の女性がいました。一般企業でスーツを着て働いても不思議ではない感じの子です。

でも、彼女は幼い頃から両親から虐待を受けていて、小学校時代からはじめたリストカットで手首どころか太ももやお腹まで傷だらけ。対人恐怖がひどくて、5分くらいは話せるのですが、それを過ぎると限界になって嘔吐をくり返してしまう。特に女性が相手だとダメだそうです。さらに、うつ病やパニック障害もあって、決められた時間に出勤をすることができない、電車に15分以上乗っていられないといったことがありました。

こうなると、昼間に一般企業で働くことは難しいですよね。でも、風俗店なら受け入れてくれるんです。体調が悪くなってドタキャンしても許してくれるし、客と話すといっても源氏名をつかって嘘で塗り固めた話を5分くらいして性的なサービスに移行すればいい。それで1回当たり数千円をもらえて、客からは「きれいだ」「今度は外で会いたい」と言ってもらえる。いわゆる、社会的なコミュニケーションはほとんど必要ない。さらに身の周りの世話は男性従業員がしてくれて、住む場所も店が寮を提供してくれる。彼女からすれば「風俗なら働ける」となるのです。

ただ、彼女のような女性はやはり風俗の世界でも弱い立場にあり、何かの拍子に転がり落ちかねない。たとえば妊娠したり、精神疾患が悪化したりすれば、店から追い出されてしまいます。特にコロナ禍では、風俗店であってもそういう女性まで雇う余裕がない。だから、彼女のような「一見普通に見える女性」が路地裏に立つことになるんです。もちろん、彼女たちは自分の弱みなんて口にしないでしょうから、なんでわざわざ路地裏に立つんだ?と思われてしまう。

こういう話をすると、どうして彼女たちは福祉につながらないのかっていう声も聞こえてきそうですね。そこまで重症なら早く病院へ行け、と。でも、そんなに簡単じゃありません。

そもそも劣悪な家庭で育った子たちは、親の無理解から福祉につなげてもらえない子が多いのです。また、虐待によるゆがみや精神疾患は生活環境も相まって年齢を追うごとに悪くなっていくことがあるので、それが悪化した時はすでに不登校になっていたり、家出していたりして、社会の網の目からこぼれ落ちているということもあります。

そういう子たちが、自分の病理を把握したり、第三者に相談したりする力を持てないまま、高校に行かせてもらえず、16、7歳で家を放り出されたら、行く先は夜の街くらいしかありません。住所すらない子を、どの会社が雇ってくるというのでしょう。そうして夜の街で何年か働いていれば、心の問題はさらに深刻化するし、それ以外のところで生きていくことを考えられなくなってしまう。

実は、若いうちからきちんと福祉につながれるかどうかというのは、家庭環境の良し悪しも関係してくるのです。

山浦:福祉につながらないまま大人になり、働く場でも排除されている構造は深刻な問題です。そういった女性が社会で働ける場所は少ないのでしょうか?

石井:まったくないとはいいませんが、少ないのが現実でしょう。今はいろんな職場で業務が複雑化し、管理され、質の高いサービスが求められるようになっています。たとえば、かつて古本屋でバイトをするといえば、近所で古本屋を経営する知り合いのおじさんに雇ってもらって、レジ打ちや本の埃を払っていればよかったわけです。ところが、今チェーンの古本屋で働こうとしたら、シフトをきちんと守って、分厚いマニュアルを暗記し、本だけでなく、ゲームや服や食器まで取り扱わなければならない。外国人のお客さんに商品の場所や販売方法を聞かれて対応しなければならないこともあるでしょう。無断欠勤なんて論外です。古本屋のバイトひとつとってもこういうわけですから、社会全体で考えれば弱い立場の人たちの仕事が、時代とともにどんどん狭められていっていることが想像つくのではないでしょうか。

特に路地裏に立つ女性に話を聞いていると、彼女たちにしか見えない生きづらさというのが山ほどあるのがわかります。勤務時間を守れない、人の顔を見て話せない、同僚と関わるのが怖い、大きな音を聞くとパニックになる、集中力がつづかない、潔癖でものに触れることができない、緊張で「トイレへ行きたい」とさえ言えない……。まるでスパイ映画の赤外線ビームのように、この社会には彼女たちにしか見えない障壁が山ほどあり、前に進みたくても進めないのです。だから、その障壁が比較的少ない風俗の世界に流れていく。

そう考えてみると、社会で生きる力のある私たちが、彼女たちの生きづらさを理解せず、「なぜ路上で売春をするのか。信じられない」というのは、おごりでしかないですよね。そういう言葉や考え方が、余計に彼女たちを追いつめることにもなります。

自己否定感から不利な状況に自ら追い込み、「助けて」と声すらあげられない状況を生む

山浦:今回の路地裏に立つ女性たちも、前回石井さんに話していただいた少年院の子どもたちも、そして高校中退しそうな子どもたちも、“抱えている困難が見えにくい”という共通の問題があります。こうした中で、当時者の多くが強い自己否定感を抱いている。リストカットなど自己破壊的行動を取ったり、売春を続けたりするなど、自分にとって不利になる状況にどんどん追い込んでいる気がします。

石井:彼女たちの多くは、人生を俯瞰して自分にとって何が得になるのか損になるのかなんて考えるような精神的な余裕を持っていません。親からの重圧によって自分の意見を言うどころか物事を考えることさえ許されてこなかった人たち、病気による心の荒波に1日に何度も襲われてそれを乗り切るだけで精一杯の人、希死念慮にとらわれて死なないでいるのがやっとの人……。外見は普通に見えても、内面にそういう問題を抱えている子はたくさんいるんです。

誤解を承知でたとえれば、彼女らはサバンナで障害を持って生まれて群れから捨てられた飢えた草食動物みたいなものです。今を生きるのに精いっぱいで、そこに選択肢なんてものは存在しない。猛獣にでくわした時にオモチャにされて食べられずに済むならオモチャになる。泥水を飲んで喉をうるおせるならそうする。そういう生き方のひとつが、売春なんです。5年、10年先のことなんて、生きているかどうかも含めて想像もできない。

そんな人たちに、社会で生きる力のある人たちが、「自分の体を大切にしなさい。2、30年後の将来を考えれば、今こんなことしていてもしょうがないでしょう。ちゃんと働きなさいよ」と言ったとして、彼女たちの心に届くと思いますか? 彼らの考える「生きる」と、彼女らの考える「生きる」はまるで違うものなんです。

山浦:そういう彼女たちの行動に対して「何で『助けて』って言わないんだ」っていう声も根強くあると思います。

石井:10代半ばで家から逃げだし、10年、20年と売春で生きてきたような女性もいます。先の草食動物の例でいえば、サバンナの厳しい環境で、誰からも助けてもらえず、猛獣のオモチャにされて痛めつけられながらも、「クーン、クーン」とかわいい声を出して愛想を振りまき、何とか殺されずに生き抜いてきたのです。そんな女性たちが抱くのは、国や親に見捨てられながら自分ひとりでサバンナを生き抜いてきたというプライドです。もっと言えば、それがアイデンティティーになっている。そういうところでしか自分というものを確立できない。

そんな彼女たちからすれば、今さら社会の側に向けて「助けて」というのは、矛盾していますよね。夜の街で生きてきたアイデンティティーを自己否定することになりかねない。なんで、ここまでやってきたのに、ずっと自分を見捨ててきた社会に対してSOSを発信しなければならないのか。それをするくらいなら、大変でも今の世界に留まる。そう考える人も多いのです。

もちろん、彼女たちの中には、もう売春の世界にいたくない、と思っている人もたくさんいますよ。しかし、その気持ちより、これまで10年、20年体を売って必死に生き抜いてきた自分の人生を否定されたくないという気持ちの方が強い。だから、社会に対してなかなか「助けて」とは言わないのです。

石井:路地裏に立つ女性に目を向けた時、理解できないって思うことが多々あるはずです。でも、それはあくまでも僕たちが自分のストーリーの中で築き上げてきた価値観で杓子定規的に見ているからなのです。彼女たちがたどってきたストーリーの側に立てば、理解できないことなんてひとつもない。彼女たちのストーリーの中ではどれも必然的なことなのです。少なくとも、僕は彼女たちの言うことで間違っていると思うことはまったくない。

でもだからといって、売春が正当化されるとは思っていません。そもそも社会で生きる力のない人たちを夜の街に追いやったのは私たちの側の責任でしょう。社会構造がそうさせたわけですから。さらに、彼女たちをそのままにしておけば、彼女たちが傷つくばかりでなく、それが犯罪をはじめとした様々な問題として我々に降りかかってくる。具体的にいえば、彼女たちが倒れて生活保護を受けるようになれば、私たちの税金の負担が増します。あるいは、彼女たちを利用して儲けている反社会勢力の力が大きくなれば社会に対する脅威になります。彼女たちが客に妊娠させられて子を産んで施設に入れれば、育てるのは社会の側です。つまり、個人の問題に留まる話ではないのです。だからこそ、売春とは関係ない人であっても、この問題について知り、考えなければならないのです。

求められる「ライフストーリーに寄り添う支援」

山浦:支援のために声がけをするときに、「大変だったね」とか「つらかったね」っていうその一言が、女性たちにとっては「あっ、この人私のことわかってない」と否定に感じられることが多いと聞きます。

石井:そういうこともあるでしょうね。だって、もし小学校3年でいじめが原因で不登校になり、6年生の終わりにようやく登校した時、いじめを傍観していたクラスメイトから「大変だったね」「つらかったね」と言われたらどうです? 何をいまさら、と不信感を膨らませますよね。相手の立場に立った意見じゃないんですよ。

そういう子にしてみれば、信じられないクラスメイトといるより、同じようにいじめられていた子や、不登校になっている子と一緒にいた方が信用できるし、安心していられますよね。学校のレールからこぼれ落ちた子が同じような仲間と集まるのはそのためです。

売春だって同じです。彼女たちからすれば、同じ夜の街の人たちと付き合っていた方が安心ですし、体を売ることができなくなっても、何かしら夜の街とかかわる仕事をしていた方が合っている気になる。

この感覚を理解するのは大事です。

彼女たちが大切にしたいと思っているのは、夜の街で生き抜いてきたというアイデンティティーであり、誰かにそのことを認めてほしいという欲求です。だとすれば、社会の側が歩み寄ろうとするならば、それを押さえる必要があります。

こんなことがありました。ある男性が、個人売春していてボロボロになった女性に対して、「ひとり体を売ってたなんてすごいね。ただ、体も壊しているし、これ以上は危険だと思うから、合法的な風俗店で働きなよ」とアドバイスをしました。その言い方をきっかけに、彼女は男性を信頼し、合法的な風俗店で働きだした。男性が彼女のアイデンティティーを大切にしたのが良かったのでしょう。女性はしばらく合法的な風俗店で働きましたが、やがて同じ男性のアドバイスで夜の飲食店に移り、さらにその後風俗広告を手掛ける会社でアルバイトをしました。やっぱり、どこかで自分の生きてきた世界とかかわりのある仕事をしたかったんでしょうね。男性もそれを否定しなかった。この結果がベストだったかどうかは別にしても、男性は彼女のアイデンティティーを大切にした上で、少しずつ合法で負担のない生活へ導いたといえるでしょう。少なくとも、「風俗NO」一点張りの人にはできないことだと思います。

山浦:少年院出所者の問題も同様でした「明日からは心を入れ替えて頑張れ」ということが逆に呪縛になっていく。本来なら少しずつ環境に適応するための準備から必要なのに、リハビリ期間もないのに急に社会で一人前になれと言われること自体が大きなプレッシャ-となって、支援を拒むことにもなっている。

石井:20代の子であっても、10代の子であっても、みんな必死に生き抜いてきているんです。そんな彼らの人生を、たまたまうまくいった大人の尺度で失敗だの何だのと審判を下したって何にもなりません。大切なのは、まず彼女たちの歩いてきた道のりをきちんと理解することなんです。

クロ現+の高校中退の回でもコメントしましたが、社会がしなければならないのは、彼女ら、彼らがこの先の生きていくための力をどうつけさせるのかを考えることです。彼らが歩んできた道のりや、持っている力はバラバラです。だから、個々のストーリーを見て、彼らが大切にしているものを共有した上で、スモールスタートで一歩ずつ進んでいくしかないと思うのです。

違法なことをやり続けている負い目から解放されるには?

山浦:今回取材した児童福祉の専門家の方が、路上に立つ彼女たちを追跡調査する中で、自己否定感から自殺に追い込まれる現実があることを教えてくれました。自己否定感からどうすれば解放されるのか?

石井:自己否定感と自己肯定感は表裏一体です。変に聞こえるかもしれませんが、風俗の世界でも自己肯定感を持って働いている女性は一定数います。彼女たちと話をしていて感じるのは、夜の街特有のゆがんだ自己肯定感です。たとえば、「1日で10人のお客さんを取った」とか「今日はひとりあたま5分以内でサービスを済ませた」とか「使用済みの下着を1万円で買ってもらえた」とかいったことです。一般的には否定されることが、その世界では彼女たちの自己肯定感につながっている。

難しいのは、彼女たちが体を壊したりして風俗から足を洗おうとしても、過去の栄光というか、そういうところの自己肯定感はそのままなんです。だから、辞めた後も、自分は夜の街でこれだけのことをしたんだという誇りがどこかにあったりする。

前の話と共通するのは、そういうところを否定するべきではないということです。たしかにかつては夜の街にいて、今は昼間の仕事をしているかもしれない。でも、彼女たちの人生ではどちらも一つづきのストーリーなんです。だから、友達同士や元風俗で働いていた女性同士との笑い話の中でもいいから、そういう過去を共有できる機会が必要なこともあるのです。

逆に言えば、それがないと、彼女のストーリーの中ですっぽりと夜の街での過去が否定されるべきものになってしまう。女性の中には、そちらの人生の方がはるかに長くて濃密な人だっている。それを否定されるのは、やはりつらいし、孤独ですよ。

山浦:人生のストーリーを肯定できるものとして捉えられるかって、すごく大事な視点ですね。

石井:ヤンキー自慢ってありますよね。大人になった元不良たちが「俺は昔ヤンキーだったんだぜ」って自慢話。あれだって、同じようなものです。今は真っ当な人生を歩んでいるのかもしれませんが、彼らの中ではグレてヤンチャしていた時代は自分の人生そのものであり、たとえ非難される行為だったとしても、誰かと共有したいんですよ。だから、それをわかってくれる仲間とつながるし、そういう話をしますよね。それが自己肯定感になったり、孤立感を薄めることになる。

売春だのヤンキー自慢だのというと、特殊な例に聞こえるかもしれませんが、多かれ少なかれみんな同じではないでしょうか。学歴自慢だって、高校球児だった自慢だって、企業戦士だった自慢だって、クラス1の美人に告白された自慢だって、全部同じです。それが永遠につづくわけじゃないけど、その人をその人たらしめている過去の栄光は必ずある。

ただ、売春をしてきた女性の場合は、一般社会にいる限り、その過去が全否定されがちなんです。どんなに過去のことであっても、家族や会社や仲間の中でそれを語ることができない。自分の過去の一部が完全に否定されてしまう。これじゃ、彼女たちは寂しいですし、一般社会に居場所がないように感じるのは仕方ないですよね。

大声で売春体験を語れるような社会にしろとはいいませんが、本人が必要とした時に何かしらの形で「共有」できる寛容な社会であってほしいとは思いますよね。

類型化・善悪二項対立で語ることで分断が進む

山浦:「見えない困難」も含めてセクシャリティーの問題も格差の問題も、その人それぞれが持つストーリーを尊重した上で、社会のあるべき姿を考えないと分断が深まっていくと強く感じます。人が生きることを杓子(しゃくし)定規な考え方に当てはめないことが大事なんだなっていうことが改めてわかります。

石井:相手の立場に立って考えるというのは、これまで以上に難しい時代になっています。ここまで格差や分断が進んでしまうと、異なる業種の人たちが何を思ってるかっていうことを知らないし、考えられない。私立の一貫校で小学生の頃から英語でプレゼンテーションをしてきた子が、虐待や貧困で不登校になって精神疾患を抱えて5分も他人と話せず路地裏に立って売春する子の気持ちなんてわからない可能性が高い。性別が違えばなおさらです。だから、「金目当ての売春婦」みたいな1つ2つのワードだけで相手を類型化してしまう。そんな人たちが集まって正論をかざして口にするのが自己責任論か、「よくわからんし、どうでもいい」という他人事的な態度です。

これまで見てきたように、人間ってそんな1つや2つのワードで類型化できるようなものじゃないんですよ。膨大なワードをペルシャ絨毯のように編み込んでいって、でき上ったストーリー全体を見なければ何もわかりっこない。彼女たちを理解できないということは、自分たちが生きている社会のことさえ理解できないということでもあるのではないでしょうか。

売春を語る時、売春批判や自己責任論のような個のストーリーが見えないような大きな話からスタートするべきではないと思います。

なにより、まず当事者の彼女たちがどうすれば生きやすくなるのか。安心して一日を過ごし、自分のことを大切にし、人と幸せを分かち合えるのか。周りができることとは何なのか。そういう小さなところからスタートしていくことが大切でしょう。ひとつひとつそうしたことを成しえていった先に、生きやすい世の中ができあがるのだと思います。

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