ニュース速報

誰を先に退避させるか…委ねられる“命の選別“  アフガニスタン人に迫る危機

NHK
2021年10月25日 午後5:01 公開

「処罰リストに自分の名前が載っている」

「もうこんな人生に疲れた」

「あなたが助けてくれなかったら私の人生は終わる」

  

かつてアフガニスタンで武装解除の仕事に携わった瀬谷ルミ子さんのもとには、アフガニスタンからSOSのメッセージが絶え間なく送られてきます。

いまアフガニスタンで何が起きているのか、日本から何ができるのか――

日本のNPOとして、24時間体制でアフガニスタン人の退避支援を行っている瀬谷さんの取り組みを取材すると、有志の手で“命の選別”を行わざるを得ない過酷な実態が見えてきました。

(社会番組部 ディレクター 酒井有華子)

 

  

関連番組

クローズアップ現代+「自衛隊アフガニスタン派遣の“深層” 残された現地協力者はいま」

番組「テキストダイジェスト」を読む

 

 

瀬谷ルミ子さん

国連PKOやNGO職員として中東やアジアの紛争地で活動を重ね、アフガニスタンでは外交官として武装解除の任務にあたった経験を持つ。

現在は理事長を務めるNPO法人「REALs」で、紛争を予防するための活動を行いながら、8月以降緊急でアフガニスタン人の退避支援に取り組む。


  

なりやまない通知音

取材に訪れた10月上旬、瀬谷ルミ子さんのパソコンとスマートフォンからは、メッセージの通知音が鳴り続けていました。アフガニスタンで命の危機と隣り合わせの暮らしを送る人たちから助けを求めるメッセージです。

 

「“処罰リスト”に自分の名前が載っている」

 

こう送ってきたのは、アフガニスタンでDJとして活躍していた20代の男性でした。

添付されていたのはタリバンがつくったと見られるリスト。処罰の対象とする者の「罪名」「職業」「名前」が記載されていました。その中に「自分の名前が記されている」と助けを求めてきたのです。

9月に送られてきた“処罰リスト”  男性の名前が記されている

 

身の安全のため公表しないことを条件に、"自分がタリバンに追われている理由”として男性が送ってきた動画を見せてもらいました。若い男性がTシャツとキャップ帽姿で軽快なリズムを刻む様子は、日本で音楽を楽しむ若者と何ら変わりありませんでした。

 

瀬谷ルミ子さん(NPO法人REALs理事長)

「タリバンは音楽全般を禁止していて、8月にもフォークソングのシンガーですら処刑されているんです。欧米系の音楽なんてなおさら認められない。

彼は物心ついたときには(旧タリバン政権崩壊後の)自由な社会で、“将来こういうことをやるんだ”という夢を持ちながら人生を歩んでいた。それがある日一夜にして、自分がやってきたことがすべて“悪”となり、自分の命を脅かされるという世界に変わったんです。

タリバン政権ではなかった20年間は、アフガニスタンでひとつの世代が育つのに十分な時間でした。彼のような20代の若者や、大学に入ってこれから人生を歩んでいこうと思っていた女性などにとっては、青天のへきれき以上の人生の大否定。これからどうやって生きていけるのかもわからない”極限状態”です」

  

「あなたが助けてくれなければ私たちの人生は終わる」

女性活動家から送られてきた音声メッセージ

 

タリバンが首都カブールを制圧した8月以降、瀬谷さんのもとにはミュージシャンや映画監督、女性活動家など、タリバンから拘束や処罰の対象とされている人たちから助けを求める声があとをたちません。その数は300人を超えていると言います。

多くは命の危機に直面している「ハイリスク」の人たちですが、どの国の政府からも正式な支援を受けられずにいました。

  

瀬谷さんに送られてきたメッセージの中に「あなたが助けてくれなければ私たちの人生は終わる」という言葉がありました。

タリバンに追われる女性から送られてきたメッセージ

  

送ってきたのはアフガニスタンで女性の地位向上を訴えてきた女性です。タリバンに追われ、子ども4人とともに潜伏生活を送っていました。

子どもたちを満足に食べさせることもできず絶望感を強めていましたが、他からの支援は断られ、瀬谷さんだけが最後の頼みの綱となっています。

 

瀬谷さん:

「日本では日本の関係者の退避についてしか議論されてきませんでしたが、それ以外の人たちのほうが圧倒的に多い。中にはずっと日本の支援に関わってきた人たちも当然いますし、女性の権利や自由のために20年間尽力してきた人たちもいます。そういう人たちが声を挙げても誰にも届かない。

『いろいろな人たちに助けを求めたけど返事をくれたのはあなただけだった』とすごく言われるんです」

 

瀬谷さんは、外交官や国連のPKO職員時代などに培ったあらゆる人脈を駆使して、「ハイリスク」の人たちを対象に退避支援を行っています。政府とかけあって、受け入れ国を探したり、退避のためのチャーター機を手配するなど奔走し、現時点で数十名の退避のめどがたっていると言います。

 

瀬谷さんの支援でチャーター機に乗り込むジャーナリストのアフガニスタン人男性(10月中旬撮影)

 

 

有志に委ねられる“命の選別” 

 

その一方で瀬谷さんは、いま支援現場は“命の選別”という過酷な現実に直面していると話します。

瀬谷さんは、かつてのアフガニスタンとの関わりから立ち上がった世界各国の有志たちと、ネットワークを構築しています。

いつどこから退避に使えるチャーター機が飛ぶのか、陸路での退避経路はどのような状況か、刻一刻と変わる退避ルートや受け入れ国の体勢など、各国の有志がキャッチした情報をやりとりしながら、よりリスクの高い人から順番に退避させています。

誰を先に退避させるか、その決定は瀬谷さんを始めとする各国の有志の手に委ねられているのです。

 

瀬谷さん:

「みんなアフガニスタンの外に出たい思いは変わらないと思うんですが、優先順位をつけなければいけない現実があります。最も命を狙われている人をまずは優先する。今すぐ捜索を受ける心配が低かったり、処罰リストに名前が載っていない人は、比較的優先度を下げて…。そうした順位づけをしないと、本当に必要な人が退避させる前に命を落としてしまうこともあります。実際に退避できた人は、希望する人の10%~20%にも満たないのが現状です。

本来は人の命は平等であるべきですが、そうした”命の選別”をしなければいけない。何の権限もない私や世界各地の有志の人たちがしなくてはいけない。こうした現実に複雑な思いを抱えています」

 

瀬谷さん:

「どうしたら混乱を招かずに、現地で外国の軍に協力してきた人や、確実に命の危険がある人たちを守れるかを含めて、退避計画を立てるべきでした。それがないまま、ある日いきなり“運が良ければ出られるかもしれない”“ツテも運もなければ残されて殺される”というような状況にみんなが放り込まれたわけです。

その状況を招いた米軍や各国の撤退と、そこに至るまでの国際社会の無計画な動きに、何よりも怒りを感じます」

 

 

退避ルートの情報は突然に…手放せないスマホ

スタジオで出演を待つ間もスマホでメッセージを確認する瀬谷さん

 

それでも1人でも多くの人の退避を実現させようと、瀬谷さんは寝る間を惜しんで支援を続けています。

**

「数時間以内に退避させたい人の必要書類を揃えることができれば、チャーター機にのせられる」**退避の情報は、このような形で突然飛び込んでくると言います。

瀬谷さんは、貴重な退避ルートの情報などを取りこぼさないよう、2児の保育園の送迎の際や自宅での家事の合間にも、スマホを片時も手放しません。

 

瀬谷さん:

「退避させたい人たちのIDや必要な書類は全部手元にもって、いつでも出せるような状況に整えています。大変なのは時差です。一度、午前3時に退避についての情報が来たのですが、朝起きてからメッセージを見て真っ青になりました。すぐに連絡しましたが返事はきませんでした。チャンスを逃したと後悔し、子供と過ごしながらも涙がとまりませんでした。

午後に先方から『1人だけなら退避を受け入れる』と連絡があり、それからもう怒とうで、真夜中まで50人の退避希望者の情報を、先方が求めるフォーマットで送り続けました」

 

 

「外野でヤジを飛ばす側に絶対まわりたくない」

アフガニスタンで撮影した写真

  

なぜ瀬谷さんは、そうまでしてアフガニスタンからのSOSに応えようとするのでしょうか。

2001年の同時多発テロを受け、アメリカ軍やNATOの部隊が“テロとの戦い”の名のもとにアフガニスタンでタリバンを掃討した後、瀬谷さんは外交官としてアフガニスタンの復興支援に携わっていました。

しかし日本政府とともに現地で“武装解除”を進めた瀬谷さんは、その間にも治安が悪化していく現実を目の当たりにし、現地の人のニーズにこたえる支援はできていないと感じていたと言います。

そして20年が経った今、平和がもたらされるどころか、再びタリバンが権力を掌握する中で各国は撤退。多くのアフガニスタン人が命の危機にさらされることになりました。

こうした事態を招いたことに、瀬谷さん自身も、そして日本も、無関係ではないと考えていました。

 

瀬谷さん:

「日本はアメリカに次ぐ最大のドナー国としてアフガニスタンの復興支援に関わってきました。現地の警察の支払いや現地の治安部隊の取り組みに金銭的な支援をしてきましたし、米軍の軍事活動のために自衛隊が給油活動もしてきました。

私自身、過去にアフガニスタンに関わってきた人間として、今現地で起きている事態を招いた責任の一端があるのではないかという気持ちがあるんです。『私たちはこうなるとわかっていた』と、ヤジを飛ばす側には絶対に回りたくない。批評家ではなく、自分たちもそこに関わってきた、そして現地に助けたい人がいる。今できることを全力でやるという思いで活動しています。

アフガニスタンのことは日本とは関係ないと思っている人、日本の関係者にしか目を向けない人には、いま実際に退避を求めているのがどういう人たちで、それぞれどんなバックグラウンドを持っているのかを知ってもらうことが大事だと思っています」

 

 

「いつか彼女たちが戻りたいと思える国に…」

アフガニスタンの女性が「自分たちのことを伝えて欲しい」と送ってきた写真

 

取材の途中、瀬谷さんがアフガニスタン人の女性たちから送られてきた写真を見せてくれました。女性の教育を受ける権利を訴える紙を手にした女性たちは、驚くことに顔を隠すことなくカメラを見つめていました。

 

瀬谷さん:

「この写真は、あるアフガニスタンの女性が『私たちのことを多くの人に伝えて欲しい』と送ってきてくれたものです。現地の人たちは『世界からの関心がなくなっているんじゃないか』ということを何よりも恐れています。

『自分たちはなんて惨めなんだろう、女性の権利のために活動してきた人生が、自分たちの力不足を感じるだけで終わってしまう』と涙ながらに伝えてきました。

私たちが関心を失い、この人たちが孤立無援となってしまうと、世界の誰も気づかない状況になる。それは何よりも避けたいと思います。

退避を求める人たちも自分たちの国を愛しているし、できることなら自分の国で生きていきたいと強く願っているんです。

ハイリスクの人を一刻もはやく逃がすことには取り組まなくてはいけませんが、そのことでアフガニスタンに残る多くの人たちへの関心を失ってしまうことは避けなくてはいけません。

多くの人たちのアフガニスタンでの暮らしは続いています。20年間積み上げたものをどう切らさずに維持するのか。国際社会はその両面から支援することが大切だと思います」

 

10月1日から立ち上げたクラウドファンディング

 

今月、瀬谷さんは、自身が理事長を務めるNPO法人「REALs」を通してクラウドファンディングの呼びかけを始めました。

退避の手段を見つけること自体が非常に困難になっている一方で、退避のための飛行機が見つかったとしても、その費用が用意できずに退避の機会を得られない人もいると言います。あと少しのお金さえあれば退避が可能になるという人もいるのです。

(※現地情勢の変化を受け、表現を一部変更しました  10/27記)

瀬谷さん:

日本にいてアフガニスタンのためになにか行動をしたいと思ってくれる人には、退避支援を行っている団体を寄付などでサポートする方法があることも知って欲しいです。

そして寄付が集まることは、それだけ関心を寄せてくれる人がいることを意味します。現地の人に『日本の人はあなたたちのことを決して忘れていない』ということもあわせて伝えられると思っています」

 

瀬谷さんはかねてより「平和は願っているだけでは訪れない」と口にしていました。 アフガニスタンで起きている現実を前に、自分のできることは何かを冷静に考え、行動を起こす瀬谷さんの姿に、「この現実を知ったあなたは何をするのか」と問われているように思いました。

 

  

 

関連番組

クローズアップ現代+「自衛隊アフガニスタン派遣の“深層” 残された現地協力者はいま」

番組「テキストダイジェスト」を読む