“逸失利益”が問いかけるいのちの格差 裁判を闘う両親の思い

NHK
2021年12月9日 午後4:00 公開

3年前、大阪市生野区で、聴覚障害のあった井出安優香(いで・あゆか)さん(享年11)が、暴走した重機にはねられ亡くなる事故が起きました。損害賠償を求めた両親に対し、被告側は障害を理由に賠償額を低く提示し、裁判での争いが続いています。

争点となっているのが“逸失利益(いっしつりえき)”。安優香さんが将来働いたら得られたであろう収入をどう算定すべきか、議論を呼んでいます。

残された家族はどんな思いで裁判を闘っているのか。今回、番組の取材に安優香さんの両親が応じてくれました。

(ディレクター 小黒陽平)

「正直まだ気持ちがまとまっていません。でも何か力になれることがあれば・・・」

こう話してくれた両親をはじめて訪ねたのは、今年6月のことでした。

自宅に残っていたのは、安優香さんが使っていたピンク色の自転車、漢字が繰り返し練習されたドリルや家族で一緒に撮ったたくさんの写真。彼女が生きてきた足跡が確かにそこにありました。

はじめに両親が話してくれたのは、安優香さんとのささやかな思い出の数々でした。

「お母さんから作り方を教わって、休みの日にうどんを作ってくれた」

「自分が食べているおやつを、“食べる?”と言って、よくひとくち譲ってくれた」

「カラオケに行くと、学校で習った合唱曲を大声で歌って聞かせてくれた」

みんなに優しく、家族にとってムードメーカーのような存在だったという安優香さん。

ごく普通の家族が事故にあい、ある日突然に裁判に巻き込まれていった現実に気付かされました 。

受け入れがたい相手側の主張

さらに、初めての裁判で待っていたのが、賠償金の減額という相手側の思わぬ主張でした。こうした主張がされた背景には何があったのでしょうか。

裁判で争点となっているのが“逸失利益(いっしつりえき)”。逸失利益とは、将来働いたら得られたはずの収入のことです。一般的に、賠償金の内訳は、逸失利益や精神的苦痛に対する慰謝料、葬儀費用などで構成されますが、なかでも、逸失利益は高い割合を占めます。

すでに収入のある人の場合、実際の収入に基づいて計算をすることが多いのですが、収入がない子どもが亡くなった場合、計算する基準がないために、男子は男性の平均年収、女子は男女の平均年収に基づくのが一般的です。

しかし、被告側は、聴覚障害があったことを理由に、安優香さんの逸失利益は女性労働者の平均の40%にとどまるとしました。

被告側は裁判のなかで、聴覚障害者が抱える教育上の課題や、就職で直面する課題をまとめた過去の論文を引用。そのうえで、減額の理由として、「聴覚障害者は思考力・言語力・学力を獲得するのが難しく、就職自体も難しい(被告側準備書面より)」と説明しました。さらに、たとえ就職できたとしても、安優香さんの聴力では仕事上のコミュニケーションに重大な支障を来すため、選択できる職種が限られて収入は低くなるという考えも示してきました。

今、社会の中で障害者が置かれている厳しい雇用環境を理由に、安優香さんの逸失利益は 一般の水準に及ばないとしたのです。

苦しい裁判を闘い続ける理由

井出さんは裁判をはじめる前、“逸失利益”という言葉すらも知らなかったといいます。もともと民事裁判を起こした目的は、事故後まもなく実費で負担した葬儀代を被告側に請求するためでした。将来得られたであろう収入(=逸失利益)が争点になるとは、全く予想していなかったのです。

「すごい悔しいというか、2度殺された気持ち」

「ひとりの人間として認めて欲しい」

両親の言葉からは、安優香さんを平等に扱ってほしいという願いを強く感じました。

日中は両親ともに仕事もあり多忙の中、弁護士と協力しながら手探りで裁判を続けている井出さん家族。「裁判が無事に早く終わってほしい」と願いながらも、被告側からは安優香さんの労働能力の低さを指摘する主張が続いているのが現状です。

なぜ裁判を闘い続けるのか。

以前、両親に質問をぶつけたときの答えが今でも胸に残っています。

「お金ではない。安優香の名誉のためなんです」

もう命は戻ってこない。だからこそ、名誉だけは守りたい。裁判で被告側から発せられる「聴覚障害者だから就職は困難ではないか。健常者ほど稼ぐことはできないのではないか」といった考え。こうした相手の主張を「しかたが無い」と簡単に受け入れるのは、娘のこれまでの努力を思うと難しいというのが親としての本音でした。

幼少期から親子で頑張ってきた手話や口話、学校での演劇発表会に向け、リビングでセリフの猛練習をしていた様子、11年間の人生でコツコツと努力してきた安優香さんの姿を、両親は近くで見てきました。

毎朝、仏壇の前で手を合わせ、娘と会話している母親のさつ美さん。被告側の主張については「あんな内容は娘に申し訳なくて伝えられない」と仏前では報告をしていません。

家族の“思い出”が裁判を闘うための“証拠”に

被告側の主張に対して反論するため、具体的な証拠が必要でした。両親は、安優香さんの部屋に残っていたテストやノートを必死でかき集めました。

ようやく見つかったのは、小学4年生の頃に記していた日記。専門家に分析してもらい、障害があっても、年齢に応じた文章力があったと証明しようとしました。しかし、こうした作業を強いられることについて、やるせなさも募らせていました。

母親のさつ美さん:

「ここまでして資料やテスト結果を集めて証明しないといけない、もうなんか虚しさもありましたよね。安優香はこれだけできてた子なんだ、学力が劣るとかそんなことはないんだっていう証明を、どうしてここまでして出さないとわかってもらえないのか。なんかふっと思った時に、なんか虚しいですよね。結局テストの結果とか日記の表現の仕方とか、そういう安優香の生き様の一部だけを証拠として出すっていうことに対して、どこまでわかっていただけるのかなと思ったりもしますね。これ以上のことを安優香は頑張って生きてきてたんだっていうことを、裁判官にすごく言いたいんですけど、伝えたいんですけど、わかっていただきたいんですけど」

残された家族の思い

今年8月、被告側は、逸失利益について、従来の主張を突然撤回しました。女性労働者の平均年収の40%という算定基準ではなく、聴覚障害者の平均年収をもとに算定し直すとしたのです。金額はあがったものの、一般の基準には及びません。

しかし、逸失利益を巡る争いが長期化するなか、両親が抱える複雑な思いは膨らんでいく一方です。

父親の努さん:

「金額があがったところで娘が返ってくるわけじゃない。逸失利益というところでお金で換算され、将来はこうだって決めつけられる、それをお金で判断されるっていうのはふに落ちない。ご飯食べたりとかテレビを一緒に見たりとかそういう生活が楽しかった。幸せだった」

“逸失利益”をめぐって分かれる見解

障害の有無といった個人の属性や、収入の違いによって逸失利益の額が変わる現実。「命の価値に差をつけるのはおかしい」といった批判の声から「実際に収入が違うのであれば、賠償額が変わるのは当然」といった賛同の声まで、意見は分かれています。識者たちに話を聞きました。

▶ 専門家・嵩原安三郎(たけはら・やすさぶろう)弁護士

交通事故や損害賠償の事案において、保険会社などから依頼を受け、被告側の弁護を数多く担当している。

--逸失利益の額が異なる現実について、「いのちの価値に格差をつけているのではないか」という指摘もある。こうした指摘についてはどう考える?

嵩原:

どんな損害があるのか冷静に確認して、それをどう補填(ほてん)していくのかに一番重きを置いています。違いを認めず、みんなを全く同じように扱うことを仮に“平等”というのであれば、その考えは採らず、現実に存在する違いを前提にして、それぞれの被害者が“不公平”にならないように、“公平”になるようにする、という観点で考えています。あくまで失った「損害の補填」をするという観点です。

例えば月収が30万円の人が失った損害は月30万円、月収が50万円の人が失った損害は月50万円と考えて補填すべきであり、損害額を一律とするとかえって不公平が生じる可能性があります。

具体的に、被害者が亡くなってしまった場合、(生きていた場合の)その人の人生に近いものは何かを考え、現実に失った「損害」を現状に沿って考えることが“公平”と思っています。損害額に違いが出るのは社会的におかしいじゃないかと言われるのはわかるんですけれども、現実に違いがある場合、それを前提にせざるを得ない。

逸失利益が違うことで賠償額が変わるとしても、それはあくまでその人の収入がたまたま違うため、補填する額が違うということに過ぎず、その人の価値とは全く関係がない。あくまで「損害の補填」だということを理解してほしいと思っています。被害者になった場合にそう簡単に割り切れないことも重々理解していますが、「損害賠償額」と「命の価値」とは別の問題だと思っています。

▶ 専門家・豊島英征(とよしま・ひでゆき)弁護士

かつて裁判官として東京地裁交通部に在籍。年間約150件の損害賠償請求訴訟に携わってきた。2019年に弁護士に転身。

--裁判官時代に逸失利益をめぐる裁判で判断を下していたとき、どのようなポイントを見ていた?

豊島:

逸失利益というのは、事故が無ければ本来得られたはずの収入。そうした長い期間にどれだけの収入が得られたかという所は仮定の話になってしまいますので、本当の事実は誰にも分かりません。なので、いわゆる“蓋然性”ですね、それなりに高い可能性という話になってくるとは思うんですけれども、どれだけの収入を得られる蓋然性があったか。このあたりの事実を証拠に基づいて認定をしていくということになります。

どうお答えするのが適切なのか非常に悩ましいところではあるんですけれど。裁判官として民事訴訟をやる中で、思わずこちらが感情移入してしまうような辛い思いをしている方はたくさんいらっしゃるんですよね。ただ、裁判である以上は証拠に基づいて事実を認定する枠組み自体ははずせない。その中でこうすべきじゃないかっていうような所も含めて、加味して考えていく。そういう形で「事実」と「こうすべきじゃないか」という両方を取り入れて判断をしていくことが非常に悩ましいと考えていました。少なくとも私は、裁判官として実務を行う上ではそういったせめぎ合いの中で常に逸失利益を算定していたと記憶していますね。

取材後記

今回の取材では、井出さんだけでなく、障害のある子どもを事故で亡くし、逸失利益をゼロと主張された家族や、亡くなった子が非正規雇用だったために収入が低く、逸失利益を低く見積もられたという両親らから話を聞くことができました。

しかし、裁判の記憶を思い起こすこと自体があまりにつらいという理由で、取材自体を途中で断念せざるをえないケースがほとんどでした。家族を亡くした心の傷が癒えないままに、訴訟の場で、生きていたらあり得たかもしれない将来の可能性を否定される日々。その苦しみは計り知れません。

そして彼らが苦しんできたのは、裁判を闘った相手からの主張だけではなく、裁判を闘うなかで周囲から寄せられた批判でした。知人から心ないことを言われた人も少なくなく、ネット上には裁判を闘う遺族に対する誹謗中傷もあふれかえっています。

「お金目当てではないか」

「差別ではなく区別」

「稼げないのならワガママ言うな」

「家族が死んでお金までもらえるなんてラッキー」

これはすべて、逸失利益をめぐる裁判を闘った家族が実際に浴びせられた言葉です。

しかし、こうした言葉は、一部の人たちだけが持っている特別な考えで、自分には関係ないと言えるのか。これからも考え続けていきたいです。

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クローズアップ現代プラス「いのちの格差 “逸失利益”が問いかけるもの」2021年12月9日放送 ※放送後1週間見逃し配信