世界を変える方程式 ~カリコ博士 取材後記~

NHK
2021年5月28日 午後1:35 公開

やはり、忙しさは尋常ではないようです。

「毎日何百通とメールが来て、返すだけで1日経っちゃう。全く慣れないわよ」。

少しハニカミながら困り顔の女性。それもそのはず。

この方の半生は、スポットライトからはほど遠いところでの地道な研究の日々の連続でした。

新型コロナのワクチン開発の立て役者、カタリン・カリコ博士、66歳です。

世界の期待を集めている新生ワクチンの開発は、カリコ博士なしには語れません。

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(カリコ博士が全財産を詰めたというぬいぐるみ(右))

1985年、社会主義体制の母国ハンガリーからアメリカへ。

持ちうる全財産を幼い娘のクマのぬいぐるみに隠しての渡航でした。

成功の保証はなく、「RNAは将来きっと治療につながるはず」という信念だけが頼りの片道切符です。

しかし、アメリカの大学では周りからの無理解が長く続きました。研究費を減らされたりポストを降格されたりしました。途中であきらめてしまってもおかしくない要素がこれだけあるのに、彼女は屈しませんでした。

なぜ研究をあきらめずに続けてこられたのか?今回の山中伸弥さんとの対談でも、私が一番聞いてみたかったことのひとつです。

「どうにもできないことに時間を無駄にするな。できること、変えられることに集中しろと、愛読書に書いてあります。私はいつも自分が何をできるのかに立ち返りました。めげずに熱意を持ち、良い仕事を続けるしかないのです」

長かったコロナ禍のトンネルを抜けて、いま新生ワクチンが世界を大きく変えようとしています。日本でも、東京と大阪で大規模接種(65歳以上の高齢者対象)が今週から始まりましたね。

まだ予断を許さない状況ですが、RNA研究は新型コロナワクチンだけでなく、今後もさまざまなワクチンや治療につながることが期待されています。

不遇の時代を経て、カリコ博士はいま改めて何を思うのか。

クマのぬいぐるみを抱えた娘と、片道切符を握りしめた当時の自分に、どんな言葉をかけるか聞いてみるとー

「”大丈夫。落ち着いて旅を続けなさい”と。あのときもし母国に帰る切符があったなら、その道を選んでいたかもしれない。それは簡単な選択です。私の人生の最大の誇りは、ハンガリーにいた時から変わらず、どんなときも好奇心と熱意を持つ謙虚な科学者でいられたことです。そのときはわからなくても、重ねた努力は必ず何かに結びついていくのです」

暗いトンネルの中で先が見えなくても、自らの情熱の光で研究の道を照らして進み、初志を貫いたカリコ博士。温和な笑顔の奥にある断固たる信念こそが、この世界を変える方程式につながったのだと思うと、改めて敬服しました。

「人生の喜びも挫折も、すべて理由があって起きるみたいね」

少しハニカミながら、インタビューは時の科学者の非科学的なつぶやきで結ばれたのでした。

(インタビュー&ブログ執筆:クロ現プラス キャスター 井上裕貴)

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