石井光太が語る、高校中退の現場(前編)

NHK
2021年9月22日 午後4:32 公開

石井光太

作家。1977年生まれ。国内外の貧困、災害、事件の現場を取材。著書に『こどもホスピスの奇跡』『格差と分断の社会地図』など多数。

過去のインタビュー記事はこちら

石井光太が見た、現代の少年更生の現場(前編)

石井光太が見た、現代の少年更生の現場(後編)

聞き手 山浦彬仁

聞き手 山浦彬仁

NHK制作局ディレクター。1986生まれ。クロ現+「外国人労働者の子どもたち」「虐待後を生きる」「コロナ禍の高校生」「在留資格のない子どもたち」など制作。教育や福祉現場を多く取材。

中退を防ぐには 自分の思いを“ことば”にすること

高校生イメージ

山浦D 石井さんは高校に招かれてよく講演されていますが、どんな思いで、何を高校生たちに伝えようとされていますか?    

石井 僕を講演会の講師として呼ぶ高校は、進学校か課題集中校(※1)か両極端ですね。進学校には、海外在住経験のある子や、国際協力に関心がある子がたくさんいます。そういう学校からは、僕の海外の取材をいかして、そういう子たちの目が世界に向く話をしてほしいと言われます。エリートの生徒たちが、十代のうちから世界に目を向け、羽ばたけるようにしてくれというわけです。

 他方、課題集中校には、貧困、虐待、不登校、いじめ、差別といった問題で苦しんでいる子がたくさんいます。入学後1年で1クラスぶんの生徒が中退し、夜の街、妊娠、貧困、ひきこもり、ドラッグといった問題にからめとられるケースも少なくない。課題集中校からの依頼は、こういう子たちが自己肯定感を持ってきちんと高校を卒業し、社会のレールに乗れるような意識改革をしてほしい、あるいは社会に出た後のリスクと自己防衛方法を教えてほしいといったものです。

 課題集中校の生徒と接していて多いと感じるのは、生徒本人が自分の抱えている問題をきちんと把握できていないということです。生徒たちは何か一つの問題があって困難な状況に陥っているわけではありません。

 幼い頃から親の虐待や過干渉によって意見を持つことを禁じられてきた、差別によって自分は劣っている人間だと考えるようになった、貧困によって習い事や遊びなど多くのことを諦めさせられてきた、いじめによって周囲と人間関係を築く経験を得られなかった、うつ病によって希死念慮(※2)が膨らんで自分の命さえ大切にできない……。

 イメージしやすいように少々極端な例で述べていますが、幼い頃からこういうマイナスの経験がつみかさなることで、「自分を大切にできない」「社会や人生に絶望している」「何かをやろうという意識を持てない」「うまくいかなくなると、短絡的な自己破壊行動に走る」といった特性を持ち、学校教育のレールからこぼれ落ちる子が一定数います。たくさんのマイナスの経験によって、生きること自体に後ろ向きになってしまう。

 こうなると、生徒たちは自分の置かれている状況を客観的に見つめて、将来を思い描き、それに到達するために今何をするべきかという思考ができなくなります。だから、自分を大切にできず、自暴自棄になって、人との関係を簡単に絶ったり、努力をして何かをするという気持ちを失ったりする。場合によっては、窃盗、ドラッグ、売春といった犯罪に手を染めてしまう。

 大部分の十代の子なら、将来を見越してこうしたハイリスクのことを避けますよね。それをやれば、人生の上で大きく損をしてしまうとわかるので、危機管理意識が働く。だけど、彼らはそういう思考を培うチャンスを奪われてきた。だから、一見すると短絡的と思われる行為に出てしまう。彼らは必ずしも目先の欲望に走っているのではなく、そういう成育環境で育ってきたのです。

山浦D 課題集中校は、中退がすごく多いですが、自分の背景を客観的に見ることができなかったり、自分の意思を伝えられなかったりという生徒が多いのでしょうか。

石井 高校によっても、生徒によっても、中退の原因はそれぞれです。ただ、課題集中校に限って言えば、まさに今話したようなことが要因となっているケースが少なくありません。

 十代半ばの子なら、誰しも学校が嫌になった経験があるでしょう。成績が下がったとか、友達との関係がおかしくなったとか。でも、大半の生徒は中退しません。自分の未来を考えた時、辞めた方がハイリスクだと考えるからです。人生損するくらいなら、今は嫌々でも、がんばって卒業しようと考える。

 でも、客観的に自分を見つめる余裕がない子は違います。嫌なことがあった時に、先のことを考えずに投げやりになったような形で中退してしまう。先生や同級生に「もう来るな」と言われて、「なら、辞める」となってしまう。そこには、自分の人生を大切にしようという思考がありません。

 その背景には、先に述べたような様々なマイナスの体験の積み重ねがあります。最近では、それが「自己肯定感の低さ」という言葉でひとまとめにされる傾向にありますが、たくさんの経験が彼らをそういうふうに陥らせてしまっている。将来を見通して、壁を乗り越える力が奪われているんです。中退する子の多くは「学校なんかどうでもいいし」とか「学歴なんて意味ねえし」とか「バイトして金稼いだ方がいいし」とか言いますが、まさにそのなげやりな言葉が彼らの特性を示しています。

山浦D 課題集中校の生徒たちにはどのようなことを伝えるのですか?

石井 僕が生徒に向けて話をするのは、まず自分が置かれている状況をきちんと見つめようということです。君たちがハイリスクの状況に身を置いているのは、かならずしも君の責任じゃない。これまでいろんな不運が重なってそうなってしまっているのだということをわかってもらう。

 でも、このまま同じ状況に身を置いていれば、将来どうなるかということを考えてもらう。そして、それが自分にとってマイナスにしかならないのだとしたら、どうやってプラスに変えていくかを一緒に話し合ってみる。

 彼らはこれまでそれを言葉にするのを避けてきた。不安なことから目をそらす傾向にあるのです。だからこそ、逆に言語化して明確にする。

 そうすると、初めて子供たちは今の自分を取り巻く環境にゾッとします。これまで見ないようにしてきたものが見えた時、今のままじゃマズイと思うようになる。そして「やっぱり、こうしよう」と考えるようになる。

 重要なのは、生徒たちに対して「それをするためには、こんなたくさんの社会資源があるし、社会とつながれる方法があるんだよ」と示すことですね。社会にある希望をきちんと説明する。

 もともと生徒たちは社会に不信感を抱いている傾向にあります。ずっと裏切られてきたということもあるでしょう。だから、これをすればうまくいく、と言われても、社会を信頼して実際の行動に移していくことが苦手なんです。

 生徒たちが進む道を見つけたら、その道程にはこれだけ君のことを思っている人がいるよ、社会資源を利用したらこんなふうにうまくいくよ、こういうところに君の先輩が待っているよ、といったことを伝えるのが必要だと思います。

 どんな生徒でも、損をしたいとは思っていません。ただ、損をしない方法を考え、希望を持って前に進んでいく術がわからないだけです。だからこそ、対話を通して一緒になって考えて、社会に希望を持って歩いて行ってもらう必要があるのです。

※1 課題集中校…小中学校時代に学業不振だったり家庭に事情があるなど様々な課題を抱えている生徒が多く通う学校。教育学の論文などで一般的に使われる用語で明確な定義はない。

※2 希死念慮…死を強くイメージすること

自分自身を大切にできない子供たち

山浦D 今回、高校を中退したい生徒の話を聞いて、自暴自棄というか自己破壊的で、本当はいろいろやりたい、青春したいということを言っていた子がいて、でも青春できなかったと。やりたいなと思っていることと真逆の行動をしてしまうと。どうしてなんだろうとすごく思いました。

石井 中退した子たちの中で、「青春をしたかった」と言う子は多いですよね。特に後から振り返ると、ほとんどの子が普通の学生生活を送りたかったという気持ちになっている。やっぱり彼らの中には損したという感情があるんです。

 でも、社会の側はそういう子供たちの胸の内をきちんと考えてきたでしょうか? こういう意見を聞いた人の大部分は「だったら、なんで高校時代にもっとがんばらなかったんだよ」と言うんじゃないですかね? なぜ彼らの「がんばれなかった」原因を考えるのではなく、「がんばらなかった」と突き放すような言い方をするのでしょうか。

 取材で知り合った、18歳のA子という女性がいました。A子は高校1年の夏に、親から「勉強しないなら学費のムダだから行くな」と言われて、「じゃあ、辞める」といって中退したそうです。その後、美容の仕事をはじめたものの、皮膚が荒れてどうにもならなくなって退職。中卒じゃ仕事が見つからないということで、夜の街に流れ着いて18歳で妊娠。妊娠中に父親である男性に逃げられ、子供を特別養子に出しました。

 A子が言っていたのが「学校辞めなきゃよかった」ってことでしたね。学校に行っていれば、美容の仕事を辞めても、自立できるだけの収入を得られる仕事が見つかったはずだ、と。何より学校の友達が懐かしいと話してました。

 おそらく大半の大人は「それなら、簡単に中退しなきゃいいのに」と言うでしょう。でも、彼女の背景を見ると、そうなった理由がわかります。

 A子の母親は精神疾患で毎日のように幻覚や幻聴でパニックになっていたそうです。そのせいで、母親は離婚し、A子は4歳~9歳まで施設に入っていた。その後、母親が再婚して新しい家庭に呼び戻されたものの、彼女は義父との関係が悪いばかりか、義父の連れ後から暴力を受け、さらに再び母親が体調を崩した後は毎日明け方まで看病しなければならず、アルバイトで生活費を稼げとも言われていた。これに貧困やいじめといった問題も重なって、中学は不登校気味だったんですが、なんとか高校へ進学したそうです。そういうギリギリの状態だったからこそ、ある日、仲の悪い義父から一方的に「勉強しないなら辞めろ」と言われて、もう何もかも嫌になって「じゃあ、辞める」となったわけです。

 こういう現実を知ると、僕はA子を批判する人にこう問いかけたくなります。「本当に彼女はがんばらなかったんでしょうか。中退したのは、100パーセント彼女が悪いのですか」と。

中退は自己責任なのか?

山浦D 他人から大切にされることがなかなかない中で、本当はこうありたいという姿と真逆に走ってしまう。そういう中で、結構、高校中退してしまう。すると周りからは、中退してしまうことは怠けているからだとか、点数が取れないからだとか、高校に入った以上、ある一定のルールを守らないとだめなんだとされてしまう。自己責任だと思われてしまう。

石井 なぜ、先のA子の例を出したかといえば言えば、まさにその「自己責任論」に疑問を投げ掛けたかったからです。社会が問題視しなければならないのは、A子本人ではなく、彼女を取り巻く環境ではないでしょうか。もっと言えば、社会がすべきは、A子批判ではなく、A子のような子供をつくらないように社会全体をより生きやすいものにしていくことじゃないでしょうか。つまり、努力が足りないのは社会の側だと言えるのです。

 私は進学校と課題集中校とは、学校の持つ役割が違うと思っています。進学校なら高い学力を身に着け、レベルの高い大学へ進学し、より社会的地位の高い仕事に就くことが目標となるでしょう。だからこそ、授業で難しいことを教えるし、生徒たちも寝る間も惜しんで勉強する。彼らにはそうできるだけの家庭環境もあれば、能力もあるのです。

 課題集中校の生徒は違います。一流大学を目指すどころか、物心ついた頃からそういう人生を諦めさせられた子が大半です。自分の将来を考えるより、A子のように今の生活を生き抜くだけで精一杯。学校が唯一の「安全地帯」になっている子だってたくさんいます。学校に来ている間は、親の介護やきょうだいの暴力から逃れ、一日に一度だけちゃんとした食事をとれ、バイトもしなくていいという子たちがいるんです。

 もし学校が、そういう生徒たちに「校則を守れ」「テストで良い点数を取れ」「全国大会で優勝しろ」と、進学校と同じことを要求していったらどうでしょうか。生徒たちにとって、学校が「安全地帯」でなくなるのは目に見えています。居心地が悪くなり、そこからも逃げ出さざるをえなくなる。学歴もなく、社会で生き抜く術もわからず、弱い立場の若い子を利用しようとする悪い大人に取り囲まれれば、彼らの身に何が降りかかるかは明らかです。

 こうみると、進学校と課題集中校とでは、高校自体の役割が違うはずなんですよ。課題集中校は、生徒たちに進学校と同じように校則や勉強を押し付けるのではなく、彼らの安全地帯となり、場合によっては福祉的支援を行う。そして卒業するまでの3年間で自尊心を高めさせ、社会で生きる方法を身につけさせ、自分を大切にしながら生きていけるようにする。こういうことの方が重要なんです。

山浦D それまで求められていた高校の役割を変えることはできるのでしょうか。

石井 学校の役割を変えるのが簡単ではないのは当然です。特に公立高校の場合、先生たちも好き好んで課題集中校に来ているわけじゃないという現実がある。本当は進学校で教えたいのに、まったく関心のない課題集中校に飛ばされたという人もいるでしょう。

 こういう先生は生徒たちが抱える問題の背景に目を向けようとしないし、福祉的支援なんて教師の役割じゃないと考えている。とりあえず、次の学校に配属になるまでの数年間だけ問題を起こさないように淡々と授業をして乗り切ろうと思う。

 そうなれば、問題を起こす生徒に「来なくていい」と言ってしまうし、ことあるごとに「どうして努力しないんだ」と責めるような言葉ばかり投げ掛ける。これでは生徒との溝は開くばかりです。

 じゃあ、どうすればいいのか。僕としては、学校が、特に管理職がきちんと学校としての方針を決めていくべきなんじゃないのかなと思います。

後編へ続く

石井光太が語る、高校中退の現場(後編)

過去の石井光太さんのインタビュー記事

石井光太が見た、現代の少年更生の現場(前編)

石井光太が見た、現代の少年更生の現場(後編)