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7/16放送「#カレー事件の子どもたち」 映画監督・森達也さん放送後トーク

NHK
2021年7月20日 午後6:00 公開

 7月16日(金)に放送した「#カレー事件の子どもたち」。23年前に起きた和歌山毒物カレー事件の闇に追われ続ける林眞須美死刑囚の家族の現実を独自取材し、スタジオでは、事件に関わった家族とメディア・社会のあり方について映画監督の森達也さんと考えました。放送後、井上キャスターがさらに詳しく森さんにお話を伺いました。

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井上 裕貴キャスター(以下 井上):やはり私自身も思ったのが「親と子どもは切り分けないといけない」と。(親と子どもが)ひとくくりにされる状況はどうして起きているのでしょうか?

森 達也さん(以下 森):それは、親と子に限ったことじゃないですね。人って、いろんな関係性の中で生きてます。その関係性はもちろんとても大切です。人は共同体の中に生きる生き物ですから、単独では生きていけないですよね。だから、その関係性はとても大事なんだけれど、でも、日本人の場合はその関係性をあまりに重要視するあまり、誰かが犯した罪に対して〝連帯責任〟じゃないんでしょうけれど、まあ言ってみれば戦中の〝五人組〟みたいなね、ああいったような発想をしてしまうのかな。その結果として、例えば、身内にそうした犯罪を起こした人がいたという時に、家族も、周囲からとても冷たい目線を向けられる、迫害される、そうした状況。

本来であれば、辛い状況のはずなんですよ。当たり前ですよね。であれば「サポートしよう」という声がもっと上がってもいいはずなのに、上がらない。その結果として、社会から取り残される、あるいは、追い詰められる。そうした例は数多くあるし、ほとんどの〝加害者家族〟がそういう悲惨な状況になっているんじゃないかなという気がしますね。

井上:そうですね。本当に、被害者家族にはようやく支援があるようになってきましたけれども、やはり加害者家族にとっては、ほとんど支援の手がないと言ってもいいような状況ですね。

森:そうですね。加害者の家族のほうも、メディアの前で情報を発信したいと思う人・自分の名前や顔を出したいと思う人は非常に少数派だという事情はまずあるし、メディアも積極的に報道しようとしない。その理由は、加害者、もしくは家族について、特にテレビはそうなんですね、今日のNHKの「クローズアップ現代」もそうですけれど、映像で撮るってことはやはり、ある意味で〝距離を詰める〟ってことなんですよ。観てる側からすると「加害者に肩入れしてるんじゃないか」というふうな目線で見る人がどうしても出てくるわけで、当然、批判が来る、抗議が来る。だから、メディアの側も避けてしまうと。その結果として、加害者家族が社会のブラックボックスになってしまう、ということじゃないかと思いますよね。

井上:今、触れていただいたメディアの話ですけれども。23年前にはメディアスクラムという本当に異常な状況が起きました。その時、どういったところが一番問題だったと思いますか?

森:もう皆が群がって、家の周りで。脚立で押し合いへし合いしながらカメラを撮ったりとか、ポストの中から手紙を持って行くとか、そういった事がたくさんありました。さすがに今は、もう20年以上過ぎてますね。この間にやはり、メディアスクラム的なものに対しては「もっと抑制すべきではないか」という声が上がり始めて、だいぶ状況は変わっているんじゃないかと僕は思います。

井上:そうですね。私も最近で言うと、御嶽山の噴火や川崎の事件など、いろいろな現場に取材に行きました。その時もメディアは相当来ましたけれども、自主規制はそれなりにあったと思います。とはいえ、やはり変わっていない部分も…。

森:本質は変わってないんだろうと思いますね。じゃあ、何でこんな状況が起きるのか。欧米では、こういうメディアスクラムってあり得ないんですよ。それは意味がないからだと、このような形で取材をしてもね。で、記者とかディレクターとかカメラマンは皆そう思うから、あのような動きはしません。でも日本の場合は、たぶん1人1人は、本当は、内心はね「うーん…こんな事やったって意味があるのかな」とか「いや、これ、こういう時間を使うんだったら別の時間の使い方あるんじゃないか」とか、きっといろいろ思っているはずだと思うんですよ。ところが、やはりメディアの人も「個」が薄くなっていますから、要するに〝組織の人間〟になっちゃっているんですね。命令が来るとそれに従わざるを得ない。「今日一日、張り付け」って言われたら、もう黙ってそれに従ってしまう。

だから、あの脚立にのぼってカメラ撮ってウロウロしている人たちも、内心はね、「なんだかな…」って僕は思っているはずだと思いたい。でも、それを言葉にできない、行動にできない。だって周りが皆それをやってるから。これもやっぱり非常に日本的ですよね。一極集中、付和雷同、〝みんながやるから自分もやる〟みたいな。その流れの中で、社会もですけど、結局はメディアだって同じですから、この社会の一員ですから、メディアも同じようにね、スクラム的な取材になってしまっているということじゃないかと思いますね。

井上:すべてのメディアが同じ方向に向かっていくと、ブレーキはどうしてもかかりにくいと思うのですが、それについてはどう思いますか?

森:まあ簡単なことで、皆が動いてる時に「ちょっと、この方向おかしいよ」って誰が声を上げるのかと。声を上げた瞬間に、自分が言ってみれば〝異物〟になっちゃうわけですからね。それは怖い、しかも会社に帰ったら何を言われるか分からないとか、そういう組織の論理に絡め取られてしまう。本来、僕は、ジャーナリズムは組織じゃなくて「個」=インディビジュアルの論理だと思うんですよ。自分が何を思ったか、何を感じたか、何に怒りを抱いたのか。でも、そうではなくて、これは数字が取れるのか、これは抗議が起こらないのか、これは部数が伸びるのかというね、会社の論理に全部回収されてしまう。それが、日本のメディアの、悪しき断面のひとつだと思いますね。

井上:その、まさにおっしゃった、「個」と「組織」の間で揺れたときっていうのは、そのときの自分の軸はどうもてばいいと思いますか?

森:やはり、主語の持ち方だと思うんですね。つまり、あのメディアスクラムをやっている時に、主語を「I(わたし)」にすれば、自分にすれば、「これ意味ないから僕は帰ります」という人がいてもいいと思うんですよ。でも、そういう人は現れてこない。要するに、主語が「われわれ」であったり組織であったり会社であったりということになってしまっているわけ。その時は帰れない動けないですよね。 つまり、行動も変わっちゃうんですよ。でも、主語を一人称単数にすれば、当然、述語も変わります。ということは、まあ行動も変わるわけだよね。

行動が変わるといろんなものが見えてきます、それまで見えなかったことが。「じゃあ、先に帰るね」って先にトコトコ帰っていたら、ふと、上を見上げたらね、「あぁ、こんなきれいな星空だったんだな」とか、例えばですよ。そうした視点を持つことができる…これって大きいんです。そうした視点を持つことで、どんどん自分にフィードバックする、変わっていく。これを多くの人がやれば、日本社会は少し変わるんじゃないかなと思っていますけど。

井上:そういう意味では、社会の成熟につなげていくためにも、メディアを観ている人はどういう情報を求め、報道機関はどういう情報を出していくか、その点についてはどのように考えていますか?

森:これは昔からよくね、〝卵とにわとり〟が例えに出されますけれど、メディアが先か、市場、つまり社会が先かと言うね。社会が求めるからメディアがそれに応じる、でもメディアがこうしたものを供給するから社会がこういうふうに造形されるんだっていう、これは常にずっとその議論はあるわけですけど。僕はかろうじてメディアのほうが先だと思う。つまり、メディアが変われば社会は変わりますよ。もちろん、社会が変わればメディアも変わります。どちらも言えるんだけれど、どっちが変われるかというのは、それはどちらかと言えば、やはりメディアのほうでしょうね。

でも、なかなかメディアは変わらない。自力的には変わらない。ただ、今、自力的には変われなかったけれど、ネットであったりSNSであったりとかね、ひと昔前と全然状況が違うわけですよね。かつては、メディアが情報を提供して、一般市民はそれをただ受け取るだけでした。でも今や、一般市民のほうが情報を提供できることもあるし、たぶん、意識も変わるし行動も変わるし。この状況で、もしかしたらメディアが…。まあ進化なのか退化なのかは分からないですが、変わることは可能だと思うんですよ。変わったときに社会もきっと変わるはずだし。相互作用ですよね。その結果として、もしかしたら、これまでにないメディアと社会との空間みたいなものは作れるかもしれないと。あの…希望的観測ですよ。でも、逆に言えば、そうでなければ日本はダメだとずっと思っていますけどね。

井上:そうですね。そういう意味では、今とても大事な時期にあると思います。ネットに関してはいま、何を問題視されていますか?

森:僕はネットに一縷の可能性があるかのような言い方をしましたけれど、じゃあ、今の日本のネット状況はどうなのか。何と言っても一番先端にあるのはSNS、ツイッターであったりフェイスブックであったりしますけれど。日本の匿名率は、たぶん世界一高いんですよ。圧倒的です。

(総務省の調査では)日本のツイッターの匿名率は75 %ぐらいあるんですよね。つまり10 人いたら7、8 人は匿名というかね、自分の名前を出してないですよね。 じゃあ、欧米ではどうか。例えば、アメリカでは、ドイツでは、フランスでは、あるいは韓国ではどうか。全部ほとんど30~40%です。だから日本は倍以上ですよね、匿名率が。「何でみんな匿名になりたいんだろう」と。

やはり「個」が弱いからでしょうね。だから、個を出したくない。大勢の中に隠れたい。そうなると、攻撃的になるんですよね。自分の名前とか顔を出してないですから。何らかの標的がいた時にそこに石を投げることもできる。皆で石を投げることができる、ひとりじゃなくて。しかも、自分の顔と名前がバレていないから、どんどん攻撃的になる。その結果として誰かを追い詰めて、その誰かが自殺をしてしまう、そういった現象が起きていますよね。 だから、これもやはり日本特有の現象で、共通することは「個」が弱いからこそ、自分の名前を出したくない…。

欧米だったら、フェイスブックは当然ですけど、ツイッターでも7、8割の人は自分の名前を出してますから、当然、抑制しますよ。しっかり考えて投稿していますよね。

井上:自分の責任で投稿していますよね。

森:まあトランプ(前大統領)みたいな例があるかもしれないけど、基本的にはそうですよね。 でも日本の場合はやっぱり自分を出さないから、自分を埋没させてしまっているからこそ、かなり乱暴なことを書いたり言ったりできる。その結果、誰かを傷つけている。だからこれは、言ってみれば、加害者家族を追い詰めている今のこの社会の在り方とほぼ一緒ですよね。

井上:まだまだその状況が改善するとは思えないんですけど、どのように考えていけばいいと思いますか?

森:どうやったら「個」が強くなるか。まあ今日オンエアでは僕はね、「主語を一人称単数にすればいいんじゃないか」って言い方をしましたけれど。それもひとつの方策で、とにかくやはり一旦集団から離れてみること。そうすると、いろんなものが見えてくるんですよ。で、もう一回集団に帰ってきてもいいし。でも、たぶんそれは、以前とは、自分の振る舞いが変わっているはずなんですよね。

これ、僕自身の体験談なんです。僕もかつてテレビ業界にいて。で、オウム真理教を録る過程でテレビ業界から、パージ(粛清)されたんですね。オミット(切り捨て)されて。で、ひとりで録らざるを得なくなって。その過程でいろんなものが見えてきて。なんで今まで、なんでこんなに無理してたんだろうとかね。それで、改めて、もう一回いろんなものを作ったり書いたりする過程の中で、それがどんどんフィードバックしていくので。それは、別に僕が強いからとか優秀だからじゃ全然ないですよ、ごく普通の男です。でも、普通の男でもそれに気づけたわけなので、誰もが、それに気づけるんじゃないのかなぁ…。

上:そういう意味では、おっしゃっていた〝想像力〟。あとは、思考を停止しないっていうところが大事になってくるんですかね?

森:うん。煩悶(はんもん)するのはまあ確かに、しんどいですよね。辛いですよね。でも僕は、メディアは煩悶することが仕事だと思っているんですよ。ルーティーンで絶対仕事はやっちゃいけない。だって、ケースバイケース、パーソンバイパーソンで全部違いますから。ひとつひとつ考えていかなければいけない。どう取材するのか、どのようにこれを伝えるのか。この人にはどう接するべきか。方程式なんかないですよね。

でも、やはり今の社会構造の中で、それを方程式にはめたがる人が出てくる。そのほうが効率がいいからでしょうけれど。効率じゃあダメです、ジャーナリズムは。そういう意識を、やはりメディアの側がかなり忘れかけている。僕が若い頃は、結構、先輩たち、そういう人がいましたよ。頑固なじじいがね。今はだいぶそういう人が減ってるんじゃないかなぁ…。だから、もう一回その辺に立ち返ってほしいなと思います。

井上:私も胸に刻みました。ありがとうございました。

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