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過酷な環境の中で命をつなぐ花々に思いを寄せた写真家の杣田美野里。2021年秋に世を去るまでの間、礼文島を舞台に、写真集、ガイドブック、エッセイ集など12冊もの著作を遺した。病床で受けたラジオ深夜便のインタビューで語ったのは「死を意識した時に輝く現実がある」という言葉。遺作のフォト短歌集『キャンサーギフト』には、生命に対する力強いメッセージがこめられていた。時を超えて受け継がれるメッセージをたどる。
北海道での670キロに及ぶ雪山縦走の成功により、植村直己冒険賞を受賞した野村良太。「帰る場所、安心できる場所があるから、そうじゃない場所でも頑張れる」と語る。この春、新たな目標に定めたのは、ヒマラヤ未踏峰の世界初登頂だ。待っていたのは、経験したことのない高山病や、雪に隠された底知れぬクレバス。はるか日本で待つ恋人の存在に支えられながら過酷な世界に飛び込んだ野村が、その挑戦で得たものは・・・
米軍が“ありったけの地獄”と呼んだ沖縄戦。そこで、10805人もの北海道兵が戦死した。死者が1万人を超えるのは、日本の端と端、沖縄県と北海道の出身者だけである。だが、戦死公報を見ると、「誰が、どこで死んだのか」だけしか記載されていない。彼らはどのように死んだのか。死に至るまでどのように生きようとしたのか。戦後78年、消えつつある記憶の断片を、沖縄と北海道で掬い集める。
深い森の中を歩く一人の青年。ふと見つけた鹿の痕跡にそっとカメラを向ける。「自分自身が一つの生き物として、足跡を重ねて歩くことが大事なんです」―美術家・川村喜一。その写真は布に姿を変え、知床の海の上を舞い、新たな命を宿す。そんな喜一とともに知床の暮らしを楽しむ妻・芽惟。自らが射止めた鹿やさばいた鰤(ぶり)の姿を、布を縫い合わせて再現、生命の流れを描き出す。命をめぐる対話が心に迫る、新たな知床の物語
今年、市制施行100年を迎えた小樽。象徴である運河は、かつて半分埋め立てられ、道路に変わった。道路建設が経済復活の起爆剤になるとした行政と経済界、運河を残すことで新しい小樽の姿を作ろうと立ち上がった市民たち。まちづくりをめぐる論争は10年以上続き、全国の注目の的に。あれから約40年、埋め立て派も保 存派も複雑な思いを抱えて生きてきた。運河とともに埋められた知られざる記憶の物語。(2022年本放送)
あるアイヌが65年ぶりに故郷・北海道に帰ってきた。浦河町出身の宇梶静江さん。かつて差別と偏見から逃れるように東京へ出たが、胸を張って生きていきたいと団結を呼びかけその先頭に立った。その活動に挫折し身を引いたいま故郷に戻ってきたのは北海道に暮らしながら生きづらさを抱えるアイヌたちと”語り合う”ため。アイヌが誇りを持って生きられる世の中とは。89歳のアイヌ、最後の旅が始まる。
昆虫記のファーブルさながらに身近な自然を見つめ、草花や虫をテーマに120冊以上の本を作ってきた作家・奥山久(83)。息子(58)と孫(28)を連れ、北海道と沖縄の野山を行き当たりばったりに歩く旅に出た。道ばたで絵を描いたり、虫をつかまえたり、採取した草や魚を食べたり。ハプニングだらけの珍道中を繰り広げるうち、親子の会話はいかに生きるか、いかに老いや死と向き合うかというテーマに深まっていった。
日本列島の北と南。遠く離れた2つの唄が出会った!アイヌと奄美。それは古くから伝わる独自の唄文化を受け継ぐ人々。今回、互いを代表する音楽家たちがそれぞれのルーツを探る旅へ。なぜ北と南のルーツミュージックの魂は共鳴し合うのか、その理由を探っていく。世界にアイヌ音楽を発信するOKIと、奄美の伝説的な唄者・朝崎郁恵。神への祈り、差別を受けた苦難の歴史…。ルーツミュージックから浮かび上がる、幻の日本!完全版
史上初の赤潮に見舞われた厚岸。3代続く漁師・毛利哲也さん(44)はウニ漁などで妻と3人の子供を育てている。昭和30年代のニシン不漁を受けて、稚ウニからの養殖法を60年かけて確立した漁師たち。流れが速く、低水温のため、ウニ漁は60キロの重りをつけた潜水士が海底に潜って行う。毛利さんの仕事は命の危険と隣り合わせだ。宝のウニの他、サケ、コンブ、ツブ貝も壊滅的な被害を受ける中、苦闘する日々を追った。
核のごみの最終処分場を決める過程の一つ、文献調査受け入れの是非が最大の争点となった寿都町長選挙は推進派の現職、片岡春雄町長が勝利という結果になった。交付金による経済振興策への期待感が文献調査への不安を上回った形である。しかし、結果は予想以上に僅差だったのも事実だ。寿都町の文献調査応募から1年。原子力発電環境整備機構、NUMOが住民の理解を深める取組も始まっているが互いの溝は埋まったとは言いがたい。