敗戦から不屈の闘志で立ち上がった田畑は、悲願の東京オリンピック招致に突き進む。理想とする平和の祭典を開催するため、チーム田畑が奮闘する。
日本に初めてオリンピックを呼んだ男、田畑政治。水泳総監督と新聞記者の二足のわらじで大活躍。1940年大会の東京招致のために奔走する。
ストックホルムオリンピックでの激走の後も、金栗は走り続ける!駅伝の開催や女子教育に尽力する金栗だったが、関東大震災が東京の街を襲う。
日本で初めてオリンピックに参加したマラソンランナー、金栗四三。嘉納治五郎に天賦の才能を見出され、1912年ストックホルム大会に挑む。
1964年10月10日。東京五輪開会式当日。田畑(阿部サダヲ)は国立競技場のスタンドに一人、感慨無量で立っていた。そこへ足袋を履いた金栗(中村勘九郎)が現れ―
聖火リレーの準備は大詰め。岩田(松坂桃李)は、田畑(阿部サダヲ)に最終走者として原爆投下の日に広島で生まれた青年(井之脇海)を提案するが組織委員会の反対にあう。
事務総長を解任された田畑(阿部サダヲ)だったが、決して諦めることはなく、自宅に岩田(松坂桃李)や松澤(皆川猿時)ら組織委員を集めてひそかに開催準備を操り始める。
62年アジア大会。台湾とイスラエルの参加を巡り国際問題が発生。ボイコット論も出る中、田畑(阿部サダヲ)率いる日本選手団は参加を強行、猛烈なバッシングを浴びる。