W杯セルビア代表喜熨斗勝史コーチ あえて困難を選ぶことが“一流”へのカギ 後編

NHK
2022年12月15日 午後4:00 公開

FIFAの世界ランキング21位のセルビア代表。劇的な勝利で、過酷なヨーロッパ予選を勝ち抜き、ワールドカップ出場を手にしました。そのセルビア代表のコーチとしてチームを支える日本人コーチ喜熨斗勝史さん(58)(きのし・かつひと)へのインタビューの後編です。「一流選手」をどうまとめていくのか、その手法はビジネスやコミュニケーションにも通じるものがありました。

【喜熨斗さんについて(前編)】

日本式の「あうん」は通用しない世界の第一線 それを分かった上で“日本の良さ”をちりばめる

喜熨斗さんはワールドカップ直前、セルビアの首都ベオグラードの近郊にあるトレーニングセンターで、1人黙々と準備を続けていました。

リアルタイムで選手のコンディションを把握するべく、ヨーロッパ各地でプレーする選手の試合の映像を日々チェックしていたのです。

これは世界最高峰のリーグでプレーする選手たちをまとめていくために必要な信頼を勝ち取るための下準備。

その上で喜熨斗さんは彼らの要望を「吸い上げ」、適切にフィードバックすることで一流の選手たちと向き合ってきました。

角谷:「吸い上げる」というのは具体的にどういうことですか。

喜熨斗さん:まず選手たちのバックグラウンドを知らなきゃいけないと思います。だからセルビア代表のコーチになった瞬間に候補者のリストを全員分頂いて、バックグラウンドを調べました。そして顔写真を見て現在の状態も調べる。彼らと初めて会った時には、もう選手の顔と名前を一致させて「おう誰々」って声をかける。彼らの出場した試合について、この間はどうだったねとか、最近こうだねとかから入っていって、そのあと何か僕に伝えたいことがある?みたいなことを話します。最初から何を引き出していくがまずはスタートですね。コーチの仕事で一番大切なのは、対象となる選手が自分の力を100%、もしくは自分でも想像してなかったような、ポテンシャル以上のことができるということを伝えなければいけないし、やってもらわなきゃいけない。

角谷:選手とコミュニケーションを取る際に気をつけていることはありますか?

喜熨斗さん:あうんの呼吸みたいなのが日本ではよくあるじゃないですか。でも実はサッカーの世界ってそれは非常に危険で、分かるだろうと思っていても分からないっていうのが非常に多いのですね。あいまいな単語や日本語だったらこれで伝わるというものは極力避けます。日本の指導者でも、ちゃんとヨーロッパの指導者と同じようにしっかり伝えなきゃいけない。だからこそ責任の所在であったりとか自分の意図であったりを明確にするというのが必要かなと思っています。それをやると海外の選手たちも、日本人でもしっかりと筋道立ててちゃんと説明できるし、ちゃんと伝えられるっていうのを理解してもらえますね。

角谷:そういった意味でも語学力は必要ですか?

喜熨斗さん:そうですね。ポルトガル語もそうだし英語もそうだし、自分で勉強しています。今でも…セルビアに来ても日本のオンラインの英語の授業とか受けています。セルビアのコーチなどに「なんで英語喋れるのに英語の授業受けているの?」って聞かれるんですよ。僕はそのつど「サッカーできるのにサッカー練習しているでしょって。それと同じだよ」って答えています。海外でコーチをするためには英語のコミュニケーション能力というのは必須で、もう英語でコミュニケーション取れなかったらノーチャンスです。今だったら周りが全部セルビア人なので、セルビア語も必要になりますよね。試合中はどうしてもセルビア語の会話が多くて、そこに僕が入っていくのは非常に難しくて。僕も勉強してある程度は分かるとはいえ、とっさのときや細かいニュアンスとかで、もし間違いがあったら大変なことになるわけですよ。

2021年の就任以来、来日経験のあるストイコビッチ監督とともに、セルビア代表チームに“日本の良さ”を取り入れてきたと言います。

角谷さん:逆に日本人だからこそ、海外での仕事に役立っていることとかはありますか?

喜熨斗さん:セルビアにはセルビアのやり方があるわけで、そこに僕が入っていって「日本ではこうだから」とか「日本ではこうやっているからお前らこうしろ」みたいなのは、どうしても効果が出なくなってしまいます。でもストイコビッチ監督は日本にいたので、日本的な「規則を守る」とか「時間をきっちりする」とかということは2年間かけてやって、上手くいっています。僕が求められていることでもあるのですが、洋の中に和のテイストをちょっと入れる。セルビア料理の中にちょっと醤油を入れるみたいなイメージで、その塩加減しょうゆ加減をうまく調整しながら、こんなのもあるよねっていうのを上手くやっていくのが、僕のメンタル面ではサポートの仕方ですね。

ハードワーク=“あえて困難を選択”し“失敗しても立ち上がる”といい想定外が起きる

インタビューの最中、喜熨斗さんが繰り返し語っていた言葉があります。それは「ハードワーク」です。喜熨斗さんによると、ただ単に厳しいトレーニングをするということだけでなく、あえて厳しい道を選び、人生を切り開いていく、ということでした。それは喜熨斗さんの生きざま、そのものでした。

角谷:ハードワークとは具体的には何を意味するのでしょうか?

喜熨斗さん:ハードワークっていうのは、一生懸命働くとか、サッカー選手でいうと走り回るとか、とにかくもう疲れても走るとかいうのがハードワークなんですけど、そこはもう本当にハードワークのパートでしかなくて。ハードワークっていうのは、僕がいろんなヨーロッパの仲間たちとか、ストイコビッチ監督の友達でもすごい人がいて、そういう人たちといろんな話をしてきた中で獲得してきたことなんです。ただ単に厳しくするというだけではなくて、例えば2つのチョイスがあった時にあえて厳しいほうを選ぶとか。それから苦手と得意があった時にあえて苦手なことをちょっと克服するとか、そういうことも全てハードワークの一部として捉えています。

喜熨斗:僕の将来の目標は日本に帰ってきてJ1の監督をするっていうのが目標です。J1の監督は30代とか40代の前半の人たちです。僕は58歳で、ある意味別のところでずっと色んなことを探ってきたので、監督を決める意思決定者の人たちが、面白いかもねってリスクを負ってくれれば、僕でもJ1の監督とかできるかなって思っています。

喜熨斗:ただそれも巡り合わせだから。その夢のためには自分自身がハードワークをする。普段の人生の中から自分に負けないでハードな人生をチョイスしていくとか、失敗を恐れずに向かっていくとか、心配して落ち込んでもいいと思うのですけど、そのあといかに起き上がるかっていうことを考える。ここにフォーカスをしていくと、想定外のことが起きる、しかもいい方の想定外のことが起きてくると思っています。努力していくともっといい道が開けるかもしれないっていうことを僕は経験してきたので、みんながみんなうまくいくとは限らないと思いますけど…僕自身がいいモデルケースになればいいなというふうに思います。

取材後期

あえてハードな道を選択してきたという喜熨斗さんの話しを聞き、インタビュー後になりましたが、実際に周囲の選手やコーチなどは、どのように感じているのか追加取材を進めてみると、喜熨斗さんの姿勢が多くの人に影響を与えていることがわかりました。

本文中でも紹介したガンバ大阪のフィジカルコーチ、矢野玲さんもその一人です。

名古屋グランパス時代に喜熨斗さんの薫陶を受けた矢野さんは、簡単には真似できないとしつつも、いつも喜熨斗さんの仕事のイメージを頭に描きながら、日々のトレーニングに向き合っているそうです。

また矢野さんが「喜熨斗さんは信念がある。選手からの信頼も厚かった」と語るまなざしは、尊敬の念をたたえているように見えました。

私が追加取材をする中で気がついたのは、ハードワークを支えているのは喜熨斗さんの豊富な現場経験と学び続ける姿勢ではないかということです。

寸暇を惜しんで大学院でスポーツ科学を研究したり、オンラインで複数の語学を学び続けたりと絶え間ない努力を続けてきた喜熨斗さん。

経験則も踏まえながら、現代サッカーで重視される膨大なデータを分析し、チームの戦術も考える。

英語やセルビア語でコミュニケーションを取って選手のコンディションを読み取る。

その上で、パフォーマンスを発揮してもらうための練習メニューの提示やメンタルのケアにも気を配る。

喜熨斗さんの仕事の流儀はとても一朝一夕にできるものではありませんが、一流のマネージメントを学ばせていただき、背筋が伸びる思いでした。

【喜熨斗さんについて(前編)】