【ウクライナからの声②】 “核爆発を覚悟した”

NHK
2022年3月14日 午後5:07 公開

ウクライナ東部にある、ヨーロッパ最大ともいわれるザポリージャ原発。攻撃を受け火災に見舞われたというニュースが入った2日後の3月6日、近くに住むマクシム・テレシチェンコさん(43)にオンラインで話を聞くことができました。チェルノブイリ原発事故の記憶も鮮明だというマクシムさん。“核爆発を覚悟した”という緊迫した心境と、子どもたちへの思いを明かしてくれました。

“祖先を裏切り逃げるわけにはいかない” マクシム・テレシチェンコさん(43)

マクシムさんは、妻と2人の子どもととともにザポリージャで暮らしてきました。SNSへの書き込みを見て私たちがコンタクトをとると、すぐに返信をくれました。

マクシムさんの一家

<マクシムさんの一家>

ふだんは音楽関係の仕事をしているといいますが、今は軍や病院への物資や食糧の供給、避難民の受け入れ準備など、ロシア軍と戦う人々の後方支援にかけずり回っています。

自宅があるのは、ザポリージャ原発からわずか30キロ。

ロシア軍が原発を攻撃したというニュースを聞いたときのことを、厳しい面持ちで話してくれました。

「正直なところ、攻撃によって核爆発が起きると覚悟しました。非常に怖かったです。子どもたちは何もわかっていませんでしたが、妻は恐怖でただ泣いていました。“私たちは原子力災害の震源地にいるのだ”と誰もが理解していました。すぐに被ばくする可能性があるのに、自分や子どもを守る方法がないことを理解していたのです。私たちはすぐにヨウ素剤を準備し始めました。なんとか子どもたちを守りたかったのですが、残念ながらヨウ素剤を除いては、他に手段はありませんでした」

その後もザポリージャの街に、ロシア軍は南から日に日に迫っていました。

「いずれ市街戦になるだろう」という悲痛な思いを抱いたマクシムさんは、話を聞いた翌日の3月7日に家族を避難させることを決断。

家族は3日間かけてポーランドに到着しました。

それでも、自らは生まれ育った故郷を最後まで守る決意だといいます。

仕事場にも支援物資を置いている

<仕事場にも支援物資を置いている>

「私たちはここに9世代にわたって住み続けています。1600~1700年代という時代から私たちはここに暮らしてきたのです。私は祖先を裏切ることはできません。私が自分の土地を去って放棄したと言うことはできません。自分の祖先に『すみません、私は逃げましたとは言えません。絶対にできないのです。ですから私たちは最後まで戦います」

マクシムさんが今気にかかっているのは2人の子どもたち。

長男のルスランさんと、下の娘イーラさんの心の傷です。

中でも11歳のイーラさんは日本のアニメが好きで、いつかアニメを理解したいと日本語を学んでいたといいます。アニメを描く練習もしていました。

娘 イーラさんが描いた絵

<娘 イーラさんが描いた絵>

しかし、ロシアの侵攻以来イーラさんは絵を描くのをやめてしまったといいます。

この戦争が子どもたちにどんな影響を与えていると思うか、マクシムさんにたずねました。

「子どもたちは怯えています。日常が乱されてとても緊張しています。以前のように生活することができず、学校にも音楽教室にもプールに行けず、外に出ることもできません。普段口にしていた食べ物を買うこともできません。そして彼らはこれが誰との戦争であるかを理解しています。これはロシアとの戦争だということです。自分たちの国がロシアによって攻撃され、罪のない人々がロシアによって殺されていることを子どもたちもわかっているのです。彼らはロシアの人々と正常にコミュニケーションをとることができなくなるでしょう。もし軍事行動が停止したとしても、この紛争は20年、30年、40年たっても解決されることはないでしょう」

“兄弟国”とも呼ばれてきたロシアとウクライナ。

プーチン大統領は去年発表した論文で「精神的、文化的結び付きは何世紀にもわたって形作られてきた」と強調していました。

しかしプーチン大統領が引き起こした軍事侵攻は、ウクライナの未来を背負う子どもたちの心に取り返しのない傷を残してしまったのだと、マクシムさんの言葉から感じました。

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