【ウクライナからの声⑥】 “憎しみや怒りはいらない”

NHK
2022年3月19日 午後2:49 公開

「私たちを見放さないでいてくれてありがとう。共にいてくれようとしてくれてありがとう」

女性はオンラインでつながるや否や、私たちにそう伝えて嗚咽をもらしました。激戦地のマリウポリから脱出してきたばかりのワレリア・コロソクさんです。マリウポリでは市民2400人が犠牲になったとされ、逃げだそうとしたワレリアさんの車のすぐそばで爆弾が炸裂しました。それでも、ワレリアさんが訴えたのは「子どもたちに憎しみや怒りを伝えてはならない」ということでした。

“子どもたちは泣くこともできない“

ワレリアさんはマリウポリで生まれ育ち、地元の大学で教師として働いてきました。

3週間にわたる激しい攻撃を受け街は見る影もなくなってしまったといいます。

大学で座っていたデスクの周りにも、粉々になった窓ガラスが飛び散っていました。

ワレリアさんが働いていた大学

<ワレリアさんが働いていた大学>

「マリウポリは小さいけれどもとても美しい町でした。今はゴーストタウンです。かつて学生と歩いた通り、共に勉強した場所、若者が大勢いた街並みを歩いても、人影はありません。みんな地下に隠れているか街を離れたかです。壊れた街、黒焦げになった建物が私を見下ろしています。壊れていない建物はありません。屋根は飛び、窓は割れています。通りには爆撃による穴が開き、血の跡や遺体が横たわっています。親に抱っこされている子どもは泣いてさえいません。恐ろしさのあまり泣くこともできないのです。ペットの動物たちも飼い主からはぐれたのか街中をさまよっていて、人を見ると近づいてきます。動物たちもおびえきっています」

困難な脱出 “車の脇で砲弾が炸裂した“

母親と2人の子どもとともにマリウポリで暮らしていたワレリアさん。

爆撃から逃れるため、一刻も早く避難をしたいと考え、自ら車を運転して脱出を2回試みました。

しかし、戦闘に巻き込まれ、途中で引き返さざるをえませんでした。

「通信手段が絶たれているため、避難の情報は何も入手することはできませんでした。危険を承知の上で、自ら避難するしかなかったのです。(道中では)銃撃されたどころではありません。私たちの車の脇で砲弾がさく裂したのです。恐ろしくて、引き返さざるを得ませんでした。どちらの道を選んでも私たちは死ぬ運命にありました。爆弾に当たって死ぬか、飢え死にするかのどちらかです。私は少しでもチャンスがあるほうに賭けたかったのです」

地下シェルターで14歳の娘の誕生日を祝うワレリアさん

<地下シェルターで娘の14歳の誕生日を祝う>

"憎しみと怒りが戦争を生む“

3月14日、一家は3度目の脱出を試みます。

「奇跡が起きた」というワレリアさん、今回は砲撃を受けることなく街を離れることができたのです。

丸2日間かけて300キロ以上離れたドニプルペトロフスクにたどり着き、街の避難所に身を寄せることにしました。

まもなくして、ワレリアさんの心を砕く報道が伝えられました。

ワレリアさんもよく通ったマリウポリの中心地にある劇場が破壊されたというのです。

家を破壊された人々が身を寄せ合っていて、中には幼い子どももいたといいます。

「私にとっては決定的な打撃でした。家を破壊され行き場を失った人たちが劇場で暮らし、避難できる時を待っていたのです。信じられません。(ショックで)夜中に3回目が覚めました。劇場はマリウポリのシンボルで、すべての人にとって大切な場所でした。第2次大戦でも破壊されませんでした。マリウポリの人にとって大事で親しみ深い、心のより所だったのに…」

すでに8割の住宅が破壊されたとも伝えられるマリウポリ。

故郷を破壊された今、世界の人々になにを訴えたいかをたずねました。

ワレリアさんは少し考え込んでから、絞り出すように語り出しました。

「マリウポリは私にとって自分の生まれ故郷で、両親が生まれた街、おばあさんが生まれた街です。そして一番大切なのは、子どもたちが生まれた街であるということ。孫たちにもここで生まれて欲しいです。私にとっては世界で一番素晴らしい場所なのです。破壊された街を見ると、恐怖と悲しみで胸が締め付けられます。ただ憎しみや怒りの感情は持ちたくありません。憎しみと怒りこそが戦争を生むのです。憎しみはもう消えて欲しい。憎しみこそが、殺戮や破壊につながるから。私たちは21世紀に生きています。子どもたちに伝えるべきことは、憎悪ではありません。何のために街を再建するのかといったら、世界中の子どもたちが、自分たちが住む場所が安全な場所だと思えるようにするためです。死と隣り合わせではなく、安全に生きていける場所だと感じられるようにするためなのです」