【ウクライナからの声⑫】 “空爆の真下で水をくんだ”

NHK
2022年4月5日 午後5:20 公開

ロシア軍による無差別的な攻撃で、マリウポリの人々は極限の生活を強いられています。ワレリア・バラバシさんの家の地下室には、最大で22人が身を寄せ合っていました。次第に食べ物が底をつき、空爆の真っ最中に命がけで水をくみに出かけていたといいます。「私が爆撃で死に傍らで娘がけがをしているという幻覚が頭から離れなかった」と恐怖を語りました。

“22人が共に暮らし、水も食料も底をついた”

人道危機が続くウクライナ東部の要衝マリウポリ。

ワレリアさんは西部リビウに避難するまで、10歳の娘と共に1か月近く攻撃にさらされていました。

住んでいた場所が街の中心部から離れていたためか、当初は比較的攻撃は少なかったといいます。

そのため多くの人が避難してきて、最大で22人が暮らしていました。

皆で助け合っていましたが、徐々に食べ物が底をつき始めました。

「最初はどれくらい食料が持つのか分からず、1日に2回食事をしていました。その後計算して、食べる量を減らして1日に1回にしました。それでも問題だったのが水でした。飲み水がなかったのです。私はある日飲み水を求めて街へ出ました。まだ水がくめる場所では、人々の長い行列ができていました。私の順番が近づいたとき、頭のすぐ上で激しい攻撃が始まりました。それでも水がくめるまではとそこに残ったのです。水をくむと、私は死にものぐるいで家へと走りました」

ロシア軍による攻撃は次第に激しさを増し、ワレリアさんたちが暮らす家にも迫ってきました。

ワレリアさんは暗い地下室の中で「明日死ぬかもしれない」という恐怖と闘っていました。

「死んでしまうかもしれないと本当に恐ろしかったです。大きな爆撃の音、飛び散るガラス片。自分のことではなく、娘のことを思うと怖かったです。私が死んだそばで娘も大けがをしている、そんなイメージが頭から離れませんでした。とても苦しかったです」

娘のベロニカさんは、マリウポリでの生活がどうだったかという私たちの問いかけに、笑みを浮かべて「大丈夫でした」と答えました。

ただ、ワレリアさんは「私がそばにいないときにはずっと泣いていました」と語り、娘の心の状態を心配しています。

“罪のないこの子が生き延びることを祈った”

食料も水も希望もない毎日で、ワレリアさんたちにとって一筋の明るい光がありました。

同じようにマリウポリで避難生活をしていた親戚が、戦火の中で男の子を出産したのです。

「3月4日に子どもが産まれました。薄暗い光の中での出産はとても大変でしたが、苦しい状況だっただけに、私たちは心から喜びました。お分かりになりますでしょうか…赤ちゃんは私たちの守護神のようなものでした。激しい攻撃があるとき私たちは地下室で祈り続けていました。この世でまだ何の罪も犯していないその子が生き延びることを祈って、大きな声で祈りの言葉を唱えたのです」

生まれてきた子どもたちは、どんな未来に暮らしていくのか。

今後への思いについてたずねると、ワレリアさんは少しの間静かに考えていました。

口にしたのは平和への切実な願いでした。

「正直に言って、今はぼう然自失の状態です。この先どう生きればいいのか全く分からないのです。もちろん家に帰りたいとは思うのですが、私たちには何も残っていません。…私は全世界が平和であることを願っています。私たちが経験したような苦難を誰も経験しないことを願っています。太陽が大地を照らすように平和が訪れることを願います。人々がいがみ合うことなく平和に暮らすことを」