住民が“心のよりどころ”としてきた教会が、長引く戦闘のあおりで次々と焼け落ちています。
「軍は私たちにつらい思いをさせるために、いちばん大切にしている教会をわざわざ燃やしているのだと思います」
2022年のクリスマス。いつもならほとんどの住民が集まるはずの教会に明かりはなく、ただ廃墟となった姿をさらしていました。戦闘を逃れた住民は散り散りになり、町と教会の再建は見通しが立たないままです。
(広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎)
・生まれてから亡くなるまで 教会とともにある暮らし
ミャンマーの北西部に位置するチン州は、キリスト教徒がほとんどを占める少数民族・チン族が暮らしています。仏教徒のビルマ族が多数派のミャンマーにあって、チン州はもっともキリスト教徒が多い地域のひとつです。
<クーデター前の教会 クリスマスを祝い 讃美歌を歌っている>
チン族の暮らしは教会とともにあります。住民は教会で洗礼を受け、コミュニティーの一員になります。子どもたちにとって教会は、チン族独自の言語や文化を学び継承していく「学校」でもあります。青年期には、教会で行われる行事を通じて人生の伴侶に出会います。クリスマスには老いも若きも教会に集って祈りを捧げ、平穏に暮らせる喜びを分かち合ってきました。
・教会が攻撃の対象に
<画面中央の教会の前庭が燃えている(2021年10月)>
軍が起こしたクーデター以後、ミャンマー全土に拡大した、軍と民主派の抵抗勢力との戦闘。2021年9月以降、チン州の町・タンタランもその影響を受け、戦闘が頻発するようになりました。その後、半年の間に1200軒の建物が焼失。その中には、地域のコミュニティーの中心となってきた20の教会と関連施設が含まれていました。
<焼失前のタンタラン・センテナリー・バプテスト教会>
焼失した教会の1つ、タンタラン・センテナリー・バプテスト教会。タンタランに最初の教会が建てられてから100年になるのを記念して2013年に完成しました。その資金は住民たちが出し合いました。しかし、2021年11月24日、跡形もなく焼け落ちたのです。
<上:中央上が焼失前の教会>
<下:教会は焼失し、跡形もなくなった>
火災発生の翌日、11月25日に撮影されたドローンの映像があることが分かりました。火災前の写真と比べると、教会は原型を留めることなく焼け落ちていることが見てとれます。 取材を進めると、教会関係者の女性に行き着きました。2021年9月以降、戦闘が激化したためタンタランから避難し、隣国インドに身を寄せたといいます。
<取材に応じたタンタラン・センテナリー・バプテスト教会の関係者>
教会関係者:(火災の翌日)携帯電話に『あなたたちの教会が燃えた』と連絡が入りました。胸が痛くなり、歯を食いしばってつらさに耐えようとしましたが、涙を抑えることができませんでした。
チン族にとって教会はどんな場所なのか。遠く日本から連絡を取った私たちに、女性は言葉を尽くして語ってくれました。
教会関係者:教会は信者たちの献金で建てられ、とても大切にされていたんです。チン族が一番大事にしている場所なのです。自分の家、親の家、夫の実家も燃やされました。それでも、自分の家が燃えたことより、教会が燃えたことの方がつらいのです。(住民たちと)一緒に礼拝した教会は、一生忘れることのできない場所です。教会が燃えてしまったことは、住民にとってこの上なくつらいことなのです。
・牧師の命までも奪った軍の攻撃
<軍に射殺されたジュン・ビャク・ホム牧師>
教会関係者:9月18日、町にある19軒の家が攻撃で燃やされたのです。(軍は)町の中まで入ってきて、銃を撃っていました。
タンタランの町で大規模な火災が発生したことを知った、教会のジュン・ビャク・ホム牧師は、火を消すために、危険を顧みず現場に向かったといいます。
教会関係者:(牧師は)消火するために、友人と一緒にバイクに乗って向かいました。その途中、町の中で待ち構えていた軍に撃たれたのです。
当時、何があったのか。女性は時折ティッシュで涙をぬぐいながら、少しずつ語ってくれました。その声は、しだいに震え始めました。
<銃撃され 道端に倒れたジュン・ビャク・ホム牧師>
そして、その翌日、牧師を埋葬したあと、女性もタンタランを去りました。
仏教徒が国民の多くを占めるミャンマーにあって、自らの信仰を守り続けてきたチン族。女性は、その信仰が危機にさらされていることに危機感を強めています。
教会関係者:軍は、私たちの民族を絶滅させたいのではないか。私たちの宗教もなくしたいのではないか。私たちにつらい思いをさせるために、いちばん大切にしている教会をわざわざ燃やしているのだと思います。キリスト教徒である私たちにとって、これまでで最も危険で、暗く、恐ろしい時代です。クーデターを起こした軍は、私たちのタンタランを、言葉では表現できないほど破壊し尽くしています。教会が燃やされ、私たちの牧師も殺され、悲しいという言葉以外、何も思い浮かびません。
・破壊されたふるさと
<タンタラン・バプテスト教会 100年を超える歴史を持つ町のシンボル>
タンタランに数ある教会の中でも、とりわけ住民にとって大切な場所がありました。タンタラン・バプテスト教会。タンタランで最初にできたこの教会は、100年を超える歴史を誇ります。教会は町の中心部にあり、住民にとってこの教会は町のシンボルとなっていました。
しかし、2022年6月。ついにタンタラン・バプテスト教会も焼け落ちます。
<画面中央 焼け落ちたタンタラン・バプテスト教会>
この教会のそばで生まれ育ち、教会とともに人生を歩んだという男性の言葉です。
教会近くに住んでいた男性:タンタランで最初に建てられた教会で、数多くある教会の中でも、親のような存在でした。教会の敷地には大きな木があり、その木の下で遊んだり、木に登ったりしてよく遊んだことを思い出します。私が家にいないと、両親はこの教会に探しに来ていたほどです。軍政時代、学校では少数民族の言葉や文化を習うことはできず、教会でチン族の言葉の読み書きを習いました。
この先、町はどうなるのかという問いかけに、男性はこう答えました。
軍と抵抗勢力の戦闘が終わったとしても、新しいタンタランの町、新しい教会を作るのは容易なことではありません。もしかしたら、無理かもしれないと思うこともあります。軍には自分たちの利益だけでなく、国民の将来や発展のことを考えてほしい。何よりも平和になってほしいのです。
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広島放送局ディレクター 佐藤凜太郎
2021年入局
政経・国際番組部を経て2022年から現所属
ミャンマーをはじめ、アフガニスタンやロシアの少数民族を取材