【スーダン】国連機関職員が見た“異例ずくめ”の退避

NHK
2023年6月6日 午後0:41 公開

アフリカのスーダンで軍と準軍事組織が武力衝突を始めてから1か月あまり。首都ハルツームなどでは戦闘が続いていて、情勢は依然として不安定な状況です。

国連機関の職員として6年前からスーダンで業務にあたってきた横田雅幸さんは4月下旬に日本に退避し、現在は各地に散らばった同僚たちと連絡を取りながら支援体制の立て直しを急いでいます。緊迫した退避の実態と、支援活動の再開に向けた思いを聞きました。

(インタビューは5月15日に行いました)

・ダルフール紛争から20年

スーダンでは20年前、「世界最悪の人道危機」と言われるダルフール紛争が起き250万人が家を追われました。こうした紛争で自宅を失った人の生活の再建に取り組んできたのが、横田さんが所長を務める国連ハビタット=国連人間居住計画のスーダン事務所です。

横田さんは国内避難民の定住支援や居住環境の改善、さらに土地登記システムの整備などに尽力し、国連ハビタットが理念として掲げる「持続可能なまちづくり」を進めてきました。

<横田さんは2017年からスーダンで支援にあたってきた>

・予測困難だった戦闘の激化

ここ数年は散発的な武力衝突はあったものの治安は比較的安定していて、今回の軍と準軍事組織RSF=即応支援部隊との武力衝突を予測するのは困難だったといいます。

「いつ何が起きてもおかしくないという状況ではありましたが、それを予測できたかというと非常に難しいと思います。1つの理由としては、旧バシール政権崩壊時もそうでしたが、これまで情勢が不安定化した際は『特定の場所で特定のターゲットに対して被害が起きる』という形でした。2021年のクーデターの際も数日のあいだに沈静化しました。そうした状況下ではハルツーム空港や主要空港の利用が可能で一般の方の退避も容易でしたが、今回に関してはそうならなかったということです」

<横田さんの自宅付近でも武力衝突が発生>

・衝突始まったときの心境は

「前日まで突如内戦が始まるという予兆を感じることはありませんでした。4月15日の朝、いろいろな状況が動いてきた段階で、国軍と軍事組織が衝突した状況を把握しました。有事になったなと気持ちが切り替わりました。その時点で少なくとも短期的に終わることは難しいのではないかという個人的な感覚がありました」

武力衝突が起きたのは、横田さんの自宅付近でした。国連機関で自宅待機の指示が出たため、自宅からおよそ40人の部下全員の安否確認を急いだと言います。

「業務でもっとも大事なのは、我々職員の身の安全です。生命の安全が守られてこそ支援ができるので、いったん活動を停止して状況を把握しました。現地職員などスタッフの安否確認では、誰がどこにいるか、ホットスポットと呼ばれるような戦闘が実際に起こっているエリアや脱出できないエリアに誰がいるのか、誰が水や電気、基本的なライフラインにアクセスできない状況にあるか、そういうことを把握する作業がまず第一でした」

「国連の現地の所長レベルの会議もあって、限られた時間の中でどういうアクションを起こさなければいけないのか、話し合いながら判断をする作業をしていました」

横田さんの自宅はスーダン軍の軍事施設から徒歩数分の距離にあり、その日のうちに自宅マンションにも軍のスナイパーが出入りするようになりました。

<自宅マンションに出入りするスナイパー>

・前例のない退避の実態は

6日後の4月21日、国連が下した決断は、横田さんら職員が集合地点まで自力で移動する「自主退避」でした。翌朝9時、みずから車を運転しおよそ7キロ離れた集合地点を目指した横田さん。途中でRSFの戦闘員に車を止められるなど予想外の事態もあり、通常と比べて3倍の時間がかかったと言います。

「我々は『ソフトスキンビークル』と呼びますが、防弾車ではない普通車で避難しなければいけない状況でした。ナイル川沿いに大きなナイルストリートが走っています。集合ポイントまでその道を使えば12分もあれば行けますが、ある意味、狙撃されやすい、攻撃されやすい、目視されやすい場所なので、現地職員のアドバイスに従って、できる限り目立たない道を通って行くようにしました」

「私自身は比較的、戦闘が厳しい状況下にいました。よかったのは、基本的なライフラインがつながっていて、国連機関やスーダン政府との話し合いや現地職員の情報網を通じて情報収集も可能だったこと。例えばどの時間帯であれば戦闘が穏やかになっているかなど、情報を総合的に判断したうえで、できる限りリスクの少ない時間帯を選んで自主退避することができました」

無事集合ポイントに到着した横田さん。その日の深夜、今度はポートスーダンへの移動の準備を始め、朝7時にハルツームを出発しました。横田さんは過去にリビアやイラクでも業務にあたった経験がありますが、今回はあまりに突発的に情勢が悪化したため、極めて前例のない退避となったと語ります。

「今回の内戦は本当に想定されていなかったため、国連職員や外交官、外国人のNGO職員らが家族を連れてスーダンに入っている状況でした。そのため多くの機関で非常時に対応するような装備・設備が整っていませんでした。リビアやイラクでは、基本的には有事に対応できるような環境が整っていました。スーダンでは突発的に事態が起き、かつ、家族を同伴している人が多かったため、難しい対応に迫られました」

「各々が自宅からハルツーム市内に設定された退避集合地点まで極めて厳しい自主退避を迫られたという現実があります。その一方、異例の内戦下であったことを考慮すると、出来うる限りの有効な退避であったと個人的には感じています。例えばコンボイ(護送車列)を組む車両に十分な数の防弾車はありませんでしたが、利用可能な民間バス等は早急に手配されました。また、バス会社の運転手は緊急時の経験や知識がなく、移動中に様々な問題が発生しましたが、移動しながらの様々な調整がなされ、最終的に全員がハルツームから退避できました。ポートスーダンに入ると電話・インターネット回線がパンク状態でオペレーションのためのコミュニケーションを取ることもなかなか難しい状況でしたが、その中で全員が無事安全圏に避難ができたのは、退避決定からの迅速な行動があったためだと思います」

<自主退避に用いた車は防弾車ではなかった>

・邦人ネットワークの重要性

今回の経験を振り返り、横田さんは平時のコミュニケーションの重要性を再確認したと言います。在スーダンの日本国大使館、JICA=国際協力機構のスーダン事務所、国連機関やNGO団体の日本人職員など、スーダンで暮らす日本人が日頃から情報や意見の交換をして連携をとっていたことが、邦人退避の際に役立ったと言うのです。

「特に国連が退避の決断をする前後の時点で、各機関のシニアマネジメントの日本人をSNSのグループ機能でつなぎ、情報を共有し精査する作業を続けました。例えば国連ではこのような決定がありましたという情報共有をしながら、それを活用してもらう。あるいは日本人の中でも退避方法のオプションを話し合い支援を受ける、ということを行っていました」

「電話やインターネットが断続的にしかつながらない、また国連の非常時のラジオネットワークも機能しなくなった中で、今回、結果的に有効だったのが、メッセージアプリです。ネットが一時つながったとき、会話の履歴をすべて見ることができるんですね。どういうタイムラインで何が動いているかを把握できたことが、それぞれの日本人が所属している機関の退避決定や判断に、有機的に役立ったのではないかと思っています」

・一刻も早い支援再開に向けて

その後、横田さんは日本に退避。首都ハルツームやダルフールなどにある国連ハビタット事務所のスーダン人職員およそ40人も、全員が国内の比較的安全な場所や国外への避難を余儀なくされました。

<事務所にも被害が・・・>

「ダルフールの5州のうち2州にある事務所はすでに略奪にあったり侵入されたりしている状況だという報告を受けています。オフィスや資材など、今まで培ってきたものを失うことは非常に残念ですが、一番は職員の安全です。スタッフ全員が今安全なところで業務にあたっている。それが大事なことです」

「今回失ってしまったものはいろいろあると思いますがすべて消えてしまったとは考えていませんので、ある程度状況が安定したなかで立て直すことが可能だと考えています」

いま横田さんが力を入れているのは、避難所などに逃れている現地職員の生活を支えることです。給与が現金やスマホ決済の形で確実に使えるよう、銀行などと交渉しています。

国連によると、今回の武力衝突で家を追われた人はこれまでに90万人以上。インタビューの最後、横田さんは現地での活動を一刻も早く再開させたいと語りました。

「停戦が守られない状況で国連として活動できる内容はライフセービング(命に関わる支援)などに限定されます。もう少し停戦が守られて、少しずつ現場に入っていける状況が本当に必要だと感じています。許容可能なリスクの中で活動ができる状況をつくりたい。そう思って停戦交渉を見つめています」

政経・国際番組部ディレクター 佐川豪

2006年入局 甲府局、徳島局などを経て2020年から現所属 ヨーロッパや中東でテロや難民問題を取材