韓国軍による“加害”をどう記憶するのか 映画「記憶の戦争」 監督の問いかけ

NHK
2021年12月24日 午後4:56 公開

2021年11月、韓国のドキュメンタリー映画「記憶の戦争」が日本で公開されました。取り上げたのは、ベトナム戦争の時に韓国軍によって数多くの民間人が殺されたという問題。その数は9000人にのぼるとされていますが、これまでのところ韓国政府による公式な謝罪には至っていません。この問題を知った若い韓国人のイギル・ボラ監督が、愛する人を奪われたベトナムの被害者に向き合い、5年にわたって記録。揺れる韓国社会の姿も映し出しました。たどり着いたのは「母国の"加害"を伝えることの大切さ」でした。

(政経・国際番組部ディレクター 宣英理)

祖父が従軍したベトナムでなにがあったのか知りたい 生存者を探して現地へ

1975年に終結したベトナム戦争。

韓国軍はアメリカの同盟国として参戦し、30万人以上の兵士が派遣されました。

映画を制作したのは韓国人のイギル・ボラ監督(32)です。

監督の祖父はベトナム戦争に従軍した軍人でした。

家には表彰状や勲章が飾られ、自らを戦争に従軍した「勇士」だと語っていたと言います。

韓国の学校でもベトナム戦争は韓国経済の発展に貢献したと教えられました。

その後の報道で軍による"加害"があったという話を知り、大きな衝撃を受けたと言います。

イギル・ボラ監督 「祖父はベトナム戦争に従軍し、みずからを誇らしく思っていました。でも韓国軍はそこで民間人を殺した。一体どういうことなのか。ベトナムに行かなくてはならないという思いに駆られ、カメラを持ってベトナムに向かいました」

映画「記憶の戦争」では、韓国軍によって村人や家族が殺され、その傷を抱えながら生きてきたという3人の生存者の証言を丹念に紡ぎました。

なかでも主人公として監督がカメラを向けたのが、グエン・ティ・タンさんです。

8歳のとき韓国軍によって母親と兄弟、5人の家族全員を殺され一人生き延びたと話します。

グエン・ティ・タンさん 「私はひとりぼっちで生きてきた。どこの傭兵だろうと関係ないわ。私の家族を銃で殺めた彼らが憎らしいのよ。村人を殺した男の姿が今でも記憶から消えないの。トラウマとなって髭を生やした男たちを思い出すと怖いわ」

傷跡を見せるグエン・ティ・タンさん

<傷跡を見せるグエン・ティ・タンさん>

身も心も一生消えない傷を負ったタンさん。

それにも関わらず、いわば『加害国』から来たイギル・ボラ監督を暖かく迎えてくれたと言います。

イギル・ボラ監督 「私の祖父が従軍した軍人だったと打ち明けると、彼女は何ともないという表情で、温かく抱きしめてくれて、『ご飯を食べていきなさい』と言ってくれました。タンさんのこの問題に対する姿勢を追いかけたら何か学べるのではないかと思いました。私がどのように記憶しなくてはいけないのか、その答えが見つかるのではないかと思いました」

"我々は殺人鬼ではない" 再び傷つけられる被害者

悲惨な記憶とタンさんはどのように向き合っているのか。

映画の中で韓国社会からの反応がタンさんに大きな影響を与えていきます。

韓国で証言するグエン・ティ・タンさん

<韓国で証言するグエン・ティ・タンさん>

2015年、タンさんは韓国の市民団体に招かれ初めて韓国を訪問し、被害の実態を訴えました。

グエン・ティ・タンさん 「お尻を銃で撃たれ、水辺の方へ向かった弟は、口を撃たれ息をする度にゲオボゲボと血を吐いていました」

これに対して強く反発したのがベトナム戦争に従軍した軍人たちでした。

国のために命がけの戦闘を耐え抜いたのであって、批判されるいわれはないというのです。

ベトナム戦争に従軍した韓国軍の元軍人たち

<ベトナム戦争に従軍した韓国軍の元軍人たち>

ベトナム戦争に従軍した元軍人 「我々は殺人鬼ではない。決して殺したのではない。国からの命令に従って国を救う戦争をしたんだ」

タンさんが証言する場所に集まって、妨害しようとする元軍人たち。

タンさんはこうした声に恐怖心を募らせていました。

グエン・ティ・タンさん 「本当に恐ろしかった。何も言うことが出来ませんでした。軍人らがプラカードも作ってきました。彼らが虐殺を認めないことを知らなかった」

市民との交流 ようやく口にした“謝罪してほしい”

ところがタンさんは3年後、再び韓国を訪問する決意をします。

心を動かしたのは、なにがあったのか知りたいという韓国の市民たちの熱意でした。

市民たちが「市民平和法廷」を開き、韓国政府の責任を明らかにしようとしたのです。

参加した学生たちは「勇気を出して韓国に来てくれて本当に感謝しています」とタンさんをあたたかく迎えました。

グエン・ティ・タンさんに駆け寄る学生たち

<グエン・ティ・タンさんに駆け寄る学生たち>

「市民平和法廷」には学生や市民200人あまりが参加。

タンさんを含む2人の生存者とその代理人が『原告』となり、韓国政府の代理人が『被告』として、それぞれ意見を陳述しました。

法的拘束力はないものの「判決」も下されることになっていて、会場はものものしい空気に包まれていました。

タンさんは当時何があったのか、自ら証言することを決めました。

最後に勇気を振り絞り、40年以上胸に抱えていた思いを訴えました。

「市民平和法廷」の証言台に立つグエン・ティ・タンさん

<「市民平和法廷」の証言台に立つグエン・ティ・タンさん>

グエン・ティ・タンさん 「もしこの場にフォンニィ・フォンニャット村で虐殺に関わった軍人がいれば、ここに来て私の手を取って謝罪をお願いしたいのです」

タンさんの姿を追い続けたイギル・ボラ監督。

タンさんにとって韓国の市民と交流を重ねることが大きな力になり、韓国社会の圧力を恐れていたこれまでの姿からは想像もできない言葉を口にできたのだと感じています。

イギル・ボラ監督 「謝罪を求める言葉を口にすることは本当に難しいことでした。数人の軍人に視線を送ることさえとても難しそうにしていました。ちらっと見て、またそらして、それを何度も繰り返していました。あの発言はとても勇気のいることだったのです」

タンさんは去年、実際に韓国政府を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こしました。

求めているのはお金ではなく、なぜ民間人が殺されなければならなかったのかという真相究明。

そして韓国政府からの謝罪だといいます。

“加害を知って つらい思いをしなければならない”

日本で上映後に行われたトークイベント

<日本で上映後に行われたトークイベント>

映画「記憶の戦争」は東京・名古屋で公開されたあと、各地で公開される予定です。

自国の“加害”に向き合ったこの映画は、日本の観客の心も揺さぶっていました。

観客:外国の話じゃないという気はしながら見ていました。

観客:若い世代の子供たちが事件のことを知らなくてショックを受けたというのを聞いて、すごく自分にも重なる部分があるなと思いました。

韓国で上映後に行われたトークイベント

<韓国で上映後に行われたトークイベント>

韓国では、映画の上映後、観客同士が話し合う機会が多く持たれました。

学校で歴史を教える教員のひとりは「映画を授業で見せたいが、子供たちが傷ついてしまうかもしれない」と迷いを吐露したと言います。

監督は、それこそが重要だと伝えたと話します。

イギル・ボラ監督 「私は学生たちが十分に心を痛め、つらい思いをするように歴史教育をしなくてはいけないと伝えました。被害について教育するのと同じくらい、“加害”についても正確に教えないといけません。そうすることで、他人の痛みを自分の痛みのように感じることができるし、その痛みがどれだけ苦痛を伴うことなのかを私たちが考えることができます。それを知ったとき、私たちは同じ過ちを繰り返さないと思います」