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“欧州最後の独裁者”に立ち向かうチハノフスカヤ氏 独占インタビュー全文(前編)

NHK
2021年6月11日 午前10:50 公開

1994年以来、27年間にわたって強権的支配体制を敷き、「欧州最後の独裁者」と呼ばれるベラルーシ共和国のルカシェンコ大統領。その"独裁者"に立ち向かった女性がいます。スベトラーナ・チハノフスカヤ氏です。それまで政治に携わった経験がありませんでしたが、ルカシェンコ大統領に政敵と見られた夫が、去年、行われた大統領選挙を前に拘束され、夫に変わって立候補。自由と民主主義の実現を訴え、旋風を巻き起こしました。

選挙後、ベラルーシから国外追放処分となり、現在は隣国リトアニアに身を置き、民主化を目指して闘い続けています。5月18日、リトアニア首都ビリニュスにてNHKの単独インタビューに応じました。

インタビュー聞き手
ポーランド在住ジャーナリスト  アグニエシュカ・スシュコ
国際番組部ディレクター     町田 啓太

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1人の決意が国を揺るがす原動力を生んだ 去年の夏

―多くの人々から注目を浴びていることについて、どう思いますか?昨日も今日もインタビューを受けていますし、こうした忙しい毎日をどう思いますか?

チハノフスカヤ氏:これは自分がやるべきこととは切り離せない部分だと認識しています。けれど私にとって、インタビューは常に大きなストレスです。一番難しいと思います。まあ、一番ではないかもしれませんが、これほどたくさんのインタビューを受けるのは、大変です。でもやらなくてはならないと自分に言い聞かせながら、引き受けています。

―政治に参加すると決め、ご自身の名前を立候補者に登録したとき、あなたは自分の人生が今のようになると思いましたか?

チハノフスカヤ氏:立候補した後に起きたことはすべて、極めて予想外のことでした。そしてもちろん自分が、今のような立場になるとは思いませんでした。ベラルーシの人たちでさえ、こんな展開になるとは思っていなかったと思います。実際のところ、私が(大統領選立候補の)書類を提出したとき、まさか自分が登録されるとは思いませんでした。当時は、これからどこに向かっていくことになるのか、全く想像できませんでした。

(大統領選挙に立ったチハノフスカヤ氏。彼女を支えたマリヤ・コレスニコワ(右)は当局によって拘束、ヴェロニカ・ツェプカロ(左)は国外へ)

選挙戦を始めた当時、壇上に上がると人々からの熱量を感じました。信じられない光景でした。私とヴェロニカ(写真)、マーシャ(マリヤの愛称:写真)の3人はいつも一緒でした。最初に演説をするのは私で、次にマーシャ、ヴェロニカの順でした。それぞれの街で壇上に立っているとき、常になるべく多くの人々の目を見るようにしていました。"大勢の群衆"として見るのではなく、一人ひとりの心に響くよう伝えるためです。私はあなたたちと一緒で、あなたたちと同じであるということを伝えてきたのです。

一方で、怖いという気持ちもありました。人前での演説が好きだったことはこれまで一度もありませんでしたから。でも毎回少しずつ成功していきました。人々からのエネルギーで活力を得ることができました。怖いけれど、壇上に出ると、人々がここに信念を持ってやって来たのだということを理解するのです。恐れることは何もありませんでした。みな同じ一つの波となることで、恐怖が消え去り、人々の統一したエネルギーがそこにはあったのです。

―そして、革命にも似た動きを沸き起こりましたね。どのように捉えていますか?

チハノフスカヤ氏:そうですね、「進化のプロセスとしての革命」だと思います。人間の頭の中でも何かが瞬間的に生じるわけではありませんよね。革命とは、何か急速に起きるもののように思いますし。人々はずっと、あの忌まわしい政府について、扉の奥や台所部屋で誰にも聞かれないように密かに話し合っていながらも、変革を求める考えを醸成していたのです。これが進化でした。この進化が加速したのは、直近2年間のことです。特に最後の一年では新型コロナウイルスが広がり、新しい人々が政治の舞台に登場したことで、動きが加速しました。その後、あの革命的な瞬間、そのとき人々は…そうですね、ベラルーシでのあの地獄の数日間のうちに、革命的な変動が起きたのです。それは忍耐という容器を溢れさせる最後の一滴であり、人々が踏み越えた最後の一線であり、そうして””革命”が始まったのです。

―もうベラルーシには戻れないとなった時のことを覚えていますか?

チハノフスカヤ氏:私が最終的な決断をしたのは、電話で「子供を取り上げる」と脅迫されたときです。その時、私は去る覚悟をしました。そして活動を続けようと決めたのです。何故なら私は、ただ去るだけというわけにはいきませんから。

―ベラルーシを去る決意をした時、どんな気持ちでしたか?

チハノフスカヤ氏:たしか心が軽くなったような安堵の気持ちでした。なぜならまさにその時、私はもう後に戻る道はないことを理解したからです。もっともその後、大勢の人が拘束されるようになったとき、私が活動をやめれば、このようなテロも止むのではないかという考えは生じました。実際にそうなっていたかもしれません。ですが、その時点で既に多くの人が拘束されていましたし、私を信じてくれた人々を裏切ることはできませんでした。

―大統領選挙の後、その結果に対して抗議活動が広がった時に、何を感じていたか教えてください。ベラルーシ全土で、政権打倒の機運が高まりましたが、当時どんな気持ちでいましたか。

チハノフスカヤ氏:残念ながら、私は(大統領選挙後の)抗議活動には一つも参加できませんでした。その時にはもうリトアニアのビリニュスにいましたから。そこで起きていることを注視していましたが、デモに向かう人々は怖がっているように思えました。インターネットの映像を見ると、治安特殊部隊が立ちはだかっていましたから。
ですが、後に聞いた話によると、人々はデモに向かいながら、幸せを感じていたそうです。彼らは、お互いに支え合う気持ちを感じていたのです。その気持ちを自分で感じることができなかったのはとても残念です。ですが、私はいつか近いうちに勝利のデモに参加できることを期待しています。戦いに勝ち、デモへの参加を理由に拘束や暴力を受けることがない社会が実現すれば、人々は幸せを感じられるでしょうから。その気持ちを何とか自分も感じたいものです。

"初代ベラルーシ大統領は犯罪者として名を残すだろう"

―ルカシェンコ大統領について伺います。彼が築いた体制ではなく、一人の人間としてどう見ていますか。

チハノフスカヤ氏:まず、彼のことは犯罪者だと思っています。自分の野心のために人々を殺していますから。ただもう一方で、人間として彼のことを哀れに思います。ベラルーシの初代大統領として名を残すことができたはずなのに、彼は自分のキャリアを終わらせるために必要な力を持ち合わせていません。もちろん彼は、国のために何かを成し遂げました。27年もあったのですから、当然何か成し遂げたものもあったでしょう。しかし、彼は、ベラルーシの人々の記憶や歴史書に、自分が単なる初代大統領として名を残さないであろうことを自覚しています。彼は、自国民を殲滅した犯罪者として名を残すのです。彼が男らしくこの問題に対処できなかったことを哀れに思います。彼のエゴや憎しみが人間的な要素を凌駕しているのです。私たちは、彼が本当はどんな人間なのか知りません。皆、テレビを通じて知っているだけですから。ただ、彼のことを正当化することは決してできません。

人というのは、どれだけ人々の記憶に残るかに尽きます。私たちは皆、永遠には存在できません。ちょっと想像してみたのですが、彼の記念碑がどこかに建てられるとして、その前をベラルーシの人々が通るとき、そのときベラルーシがどうなっているかはわかりませんが、その際人々は、彼に対し何を感じ、どんな言葉を投げかけるでしょうか。それこそが非常に大事なことです。

―日本やポーランドには男性政治家が多く、女性政治家は少ないです。ベラルーシではどうですか?あなたが女性であることは、今の活動の助けになっていますか?

チハノフスカヤ氏:もちろん私が女性であること、プロの政治家ではなかったことは、何らかの役割を果たしたと思います。何よりもベラルーシの人々が私自身を受け入れてくれることの助けになったと思います。何故なら、私はベラルーシの一般の人々と同じように、政治犯の収監やベラルーシで起きていることに心を痛めました。女性は台所から社会を考え、子供たちのためによりよい未来を願うのです。
そして今、女性の権利のためにも戦っていますが、これも多くの人から支持されました。体制が、女性の権利を踏みにじってきたからです。彼らがやったことすべては、自分たちに跳ね返りました。

―彼らが女性を過小評価し、それが裏目に出たのですね?

チハノフスカヤ氏:ええ、政治をする女性に対する、体制側の不公平な発言というものも、憤りを呼び、政権への反感を呼んだと思います。

―政権から"テロリスト"と認定されたとき、どう思いましたか。何か影響がありましたか。

チハノフスカヤ氏:全くもって平常心で受け止めました。なぜならそれは何の意味もないからです。テロリスト、過激主義者というのは、ベラルーシでは勲章のようなものです。困難な状況下で「正しいことをしている」ということを意味するからです。戦っており、体制にとって危険分子だということですから。実際は、自由のために戦っているのですが。テロリストといっても、全く意味を成さないので、誰も真剣に受け止めません。

当初、ルカシェンコは女性を馬鹿にして、女性など危険にはなり得ないなどと言っていたのに、突然、私のことを"テロリストだ"と言い始めました。つまり、ここにきて戦略を変えたということです。それこそ彼の特徴です。"クーデターを起こそうとしている"とロシアを非難していたのに、その後、ロシアは友人で、ポーランド、リトアニアやアメリカが“自国を侵略しようとしている”などと言い出しました。彼はいつもコロコロと態度を変えます。

仲間とともに闘い続ける 多忙な日々

―あなたの一日はどんな感じですか?

チハノフスカヤ氏:ここ、ビリニュスにいる時は、朝、子供の身支度をして幼稚園と小学校に送り、オフィスに出てきて、たくさんの問題を解決したり、インタビューを受けたり、戦略を考えたり、ベラルーシから出てきた人に援助をしたり、コミュニティ、労働者、学生、医師たちとコミュニケートしたりしています。その後、幼稚園と小学校に子供たちを迎えに行くときもありますし、時間通りに行けない時もあります。それが毎日です。各国歴訪のときは、仕事の集中度はずっと高くなります。何故なら我々は最大に効率的なプログラムを組むからです。朝8時から夜9時まで、会合、会合、会合です。時にはトイレに行く時間もないくらいです。本当です。

―名のある方々があなたのチームに加わって、あなたを助けています。彼らのような人たちがあなたを支えてくれていることについてどう思いますか?

チハノフスカヤ氏:そうですね、私を支えてくれている人たちは、私のチームだけではありません。祖国にいるすべての人たちです。チームには、最初から私を支えてくれた人たちがいます。大統領選立候補後、合流した人たちもいます。とにかくみな、自分の仕事にプロフェッショナルで、とても忠誠心があり、いま起きていることに痛みを感じている人たちです。熱い心で働いてくれています。同時に彼らはとても辛いと思います。何故なら毎日、理不尽なことに直面していますし、毎日、祖国で助けを求めている人たちと話をしています。何かをしたいけれど、怖くて何をすればいいのか分からない人たちと毎日話をし、自分のことのように受け止めています。中には神経がやられて、救急車で運ばれた人もいます。これはどこでもそうです。
だから…なんと言ったらいいでしょうか。我々はともに仕事をしています。

―ここで働く人々の一部には顔を出せないという人もいますね。それはどういう状況を表しているのでしょうか?

チハノフスカヤ氏:ベラルーシを逃れた人々が何故自分の姿を見せないのか、ということですか?なぜなら、ベラルーシ国内に親族がいるからです。あの政府にとっては、時々…いえ時々なんてものではないですね。だれかれ構わず圧力をかけますから。あなたを捕まえるべく、KGBがあなたの年老いた両親を呼び出して子供に関する何らかの醜悪な話を聞かせたり、全く無実な両親の家宅捜査をしたり、あるいは兄弟や姉妹の所にやって来るのです。もちろん、人々はこれらの圧力手段が自分の家族に及ぶことはもちろん望んでいません。これが唯一の理由です。

―今、あなたは、ビリニュスやワルシャワ、それにミンスクなどベラルーシの人々との素晴らしいコネクションを作り上げました。それはどのように作り上げて、発展させていったのですか?国外追放にあった今、他のコミュニティとどのように交流していますか?

チハノフスカヤ氏:まず何よりも、私たちは互いにコンタクトを取り続け、ミンスク、ベラルーシと関係を失わないようにしています。これは私たちにとって最も大事な任務です。国を出たとしても、それは国を捨て、すべて忘れたということではありません。国を出た人にとっては、戦い続けることが重要です。我々はインターネットを通じて、ベラルーシ人たちと直接、交流しています。私は、毎日、医師や労働者、学生、ボランティアの人たちと話をしています。ベラルーシで何が起きているのかを知るためです。

そして、なんと言えばいいのか…それは、エネルギーを分かち合うためでもあります。何故なら人々にとって、私と話をすることが重要ですし、私にとっては、人々と話すことは、関係を失わないために、その2倍も重要です。他の政治リーダーたちとも同様です。ワルシャワにいる人たちとも、ここにいる人たちとも。連携し、バラバラにならないためです。

(訪問先のローマでベラルーシ人コミュニティに歓迎されるチハノフスカヤ氏)

チハノフスカヤ氏:我々が"仲間割れしている"とか、"分裂した"というプロパガンダがしばしば広まります。これらはすべて目的をもって流され、「内紛が起き、何もできない」と人々に思い込ませるためです。実際は全くそのようなことはなく、我々には、一つの目標があります。今、新たに作られた調整評議会などのグループの間には何の競争もありません。みんなが同じ目的です。その目的に向かって、進み方はさまざまです。

それぞれがいろいろなイニシアティブをとっています。これはいいことです。1人の人間がすべてをやることはできません。でも我々は常に交流しています。政治犯解放を目指したプロジェクトや、各国への働きかけについては、みんな同じ方向で行動しています。最終目的は、不正選挙の取り消し、そして正しい選挙をやり直すことです。

"プロの政治家ではない" 1人の女性として 人間として

―あなたはプレッシャーがあると言っていますが、プロの政治家ではない人生から、長い道のりを経て、今のあなたになりました。新しいことを学ぶのは大変でしたか?

チハノフスカヤ氏:もちろん私は、とても短期間に多くのことを学ばなければなりませんでした。何故なら、普通は何年もかけて政治を学ぶのに、私は数か月でやらねばなりませんでしたから。難しい問題を即座に判断していかなくてはならなかったこともあります。例えば欧州安全保障協力機構や欧州評議会などの組織を理解するのは、とても難しかったです。しかも誰と誰がどういう力関係にあるのか、覚えなくてはなりませんでした。これは大変でした。

(欧州議会サハロフ賞授賞式でのチハノフスカヤ氏)

政治家たちとの交流に大きな困難はありませんでした。私は政治ゲームをするわけではないので、ただ出かけて行って、自分の痛みを分かち合うだけです。ベラルーシで起きていることにもっと注意を向けてもらいたいだけ。つまり人間的な交流です。実際、大きな相互理解がありました。
私にとって政治家とは、一人の独裁者に服従し、何も決められないベラルーシの政治家しか知りませんでしたし、政治家というのは手の届かない人間、皇帝か、神か、という存在でした。でも民主主義国家では、政治家は自国民の問題を解決しようとする人間でした。そうあるべきです。だから何の恐怖心もなかったです。
ベラルーシでは、小役人に会うのですら大変です。会えたとしても、何か不利なことを密告されるかもしれません。彼には権力があり、その前で私たちは何者でもありません。これも大きな問題の一つです。会うことはできても、その小役人について何か書けば、どのみちどこかへ送られてしまいます。そして小役人のキャリアには何の影響も与えません。何でも許されているという感じです。民主主義国家では、こうではありません。

―あなたのスタイリストが、女性にとっては"どんな服を着るかが大事だ"と説明していたのを見聞きしました。女性であり政治家であるということは、なかなか難しいものです。高いプロ意識を持って常に男性と対話しなくてはなりませんし、儀礼上の決まりもあります。どんなふうにそれを習得していったのでしょうか。それともスタイリストから日々、アドバイスを求めていますか。

チハノフスカヤ氏:私がここに来た時、リトアニアに住んでいるスタイリストが連絡してきて、「手助けしたい」と言ってきてくれました。ベラルーシ人の女性です。外見について色々アドバイスしてくれたことに感謝しています。自分でも何かできたとは思いますが、実際、あんな風にプロフェッショナルにはできなかったでしょう。各国歴訪の際は、日程表を彼女に渡します。彼女は、それが大統領との会談なのか、議員との会合なのか、何かの授賞式なのかによって、1週間分の衣装を用意してくれます。普段ここにいる時は、特に連絡は取り合いません。着たいものを着るという感じです。

―何を着るかを誰かにコントロールされるのは変な気分ですか。それとも、自分で考えなくていいので楽だと感じますか。

チハノフスカヤ氏:どちらかと言えば、楽に感じます。私はそれをコントロールだとは思いません。誰も、私が着たくない服を着せることはできませんから。私は彼女がプロだということを知っています。彼女が衣装を選んでくれて、これはやめよう、これは残そうなどと言う方が、はるかに楽です。店に買いに行く暇はありませんから。とても助かっています。

―これはあなたがプロの政治家となった道のりであり、あなたが人生のこれだけ大きな変化に、非常に素早く順応した過程でもありますね。

チハノフスカヤ氏:ええ、そうですが、「プロの政治家」と言われるのも少し変な気がします。私は今も「プロの政治家」とは言えないし、そもそも政治家であるとさえ言えません。なぜなら、政治家というのは、普通、何年もかけて従事する仕事だからです。政治家とは職業です。私のように痛みを感じている人間が、政治の世界でそれを語るのは、通常の政治家が語るのとは全く違います。痛みを感じているのは"人間"ですが、政治家というのは"職業"ですから。今のところ、私は自分が政治家であるとは言えません。

―自分が政治家だとは思いたくないということですか。

チハノフスカヤ氏:繰り返しになるかもしれませんが、私にとっての政治家のイメージは、ベラルーシの政治家を見て形づくられたものです。なんというか…えっと、非文化的な人たちのことを何と言えばいいかしら…。そう、人々のためを思うのではなく、何よりもまず自分たちのことを考える人たちだというイメージがあるのです。私たちの国ではそうでした。私は未来の民主的なベラルーシの政治家にはなれるかもしれません。自分の問題ではなく、人々が抱える問題を第一に解決するような、こうあるべきだと私が思うような姿の政治家に。

ですから、「将来、政治家になるつもりはあるか」という質問に答えるとしたら、私は今後ベラルーシの人々に役に立つ存在になりたいです。人々が必要としているだけの存在になりたいです。おそらく、何か人権擁護に関するものか。でもどうなるかはわかりません。なぜなら新しい選挙には立候補しないと決めていますから。

―人を率いる立場になっている今、刺激を受けた人はいますか?

チハノフスカヤ氏:私の精神として近いのは、イギリスのダイアナ妃です。人間性に溢れた人であり、全ての政治的な局面は…彼女は政治家とみなされることもありますが、すべての政治的局面は、彼女にとって何の意味もないものでした。彼女にとって意味あるものとは、人々との交流や彼らに対する配慮でした。彼女が私のロールモデルです。もっとも、いまの状況であれば、例えば、多くを成し遂げたマーガレット・サッチャーのような強い女性を挙げるべきなのかもしれませんが、私はそのような人間ではありません。私は"蒸気機関車"というよりも、"人間"なのです。

―自分自身でリーダーとしての素質があるかなと思ったことはありますか?

チハノフスカヤ氏:私には今でもリーダーシップを取っているという感覚はありません。多くの友人を持つ人間であっただけで、今もそれに変わりはありません。

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