1か月以上ロシア軍に占拠され、一時は「電源喪失」の危機が伝えられたチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所。内部で何が起きていたのか、技術者のアレクセイ・シェレスティさんが緊迫の実態を明かしてくれました。語ったのは「ロシア兵は自分たちがどこに来たのかも知らないまま原発をもてあそんだ」という強い憤りでした。
突然の占拠 25日間続いた過酷な勤務
ウクライナ北部、ベラルーシの国境近くにあるチョルノービリ原発は、1986年の事故の後に原子炉は停止されましたが、大量の放射性物質が残されているために今も保安作業が続けられています。
アレクセイさんは、技術者として16年に渡ってチェルノービリ原発で働いてきました。
2月24日にロシア軍による侵攻が始まった時、アレクセイさんは原発の内部で業務にあたっていました。
「24日の朝の5時頃だったと思います。技術スタッフが電話をかけてきて、何が起こっているのかと聞いてきました。私は情報がなかったので『確認する』とだけ答えました。その後上司に電話すると、すでにウクライナ領土にミサイルが飛んできているということでした。こんな風にして私たちにとっての戦争は始まったのです。1日目は何が起こっているのか全く分かりませんでした。携帯電話の電波はまだ届いていたので、家族や職員同士で電話をかけて互いの状況を聞いていました。戦争が始まったのだとは無意識に感じてはいましたが、ショックでした」
その後、原発はロシア軍によって占拠。
ロシア軍は原発を管理下に置き、幹部を呼び出しました。
アレクセイさんたち職員は原発の外に出ることを許されず、ただ業務を続けるよう指示されたといいます。
「詳しくは分かりませんが、ロシア軍は原発の所長と何か協議をしていました。所長は私たちに職場に残るよう、義務を果たすように指示しました。納得のいく説明はありませんでした。上司とも毎日電話で話しましたが、いつも『持ち場で頑張れ、できる限り努力しろ』とだけ言われました。私たちは1人ひとり良心を持っています。自分の職場を捨てることはできないとそれぞれが理解し、皆でこの試練を耐え抜こうとしたのです」
緊迫した環境で外に出ることもできないまま、アレクセイさんは25日間連続して勤務を続けることになりました。
技術者の交代ができない事態に、IAEA=国際原子力機関も繰り返し懸念を示していました。
11人いる部下の中には、精神的な不調を訴えるものも出てきたといいます。
「職場には体を休められる場所はありません。夜眠る時には机や椅子を集めて、その上に横になるしかありませんでした。私は椅子を並べた上にジャンバーを敷いて寝ていたのです。夜はそこで体を休め、日中はひじ掛け椅子でうたた寝していました。そんな状態で長時間が過ぎるとスタッフは少しずつ、うつのような状態に陥りました。自分たちは忘れ去られているのではないか、結局何もできないまま座っているだけではないかと話していました」
“電源喪失”の危機 爆撃で修理もできない
原発をめぐる戦闘はその後も散発的に続きました。
スタッフに緊張が走ったのが3月9日。
原発を稼働するための電源が突然失われ、非常用のディーゼル発電機で電力を供給せざるを得なくなったのです。
「2週間が過ぎるころ電源に問題が生じました。戦闘の影響で突如として送電線が破壊されたのです。戦闘が続き、一部のエリアにはロシア軍が侵入していたため誰も送電線を直しに行くことができませんでした。ようやく外に出て送電線を復旧しても、2時間後には再び爆撃があり電気が止まってしまったのです」
5日後、ロシア側はアレクセイさんたちにある要求を突きつけました。
ロシアと同盟関係にあり、ロシア軍の補給活動を始めたと指摘されているベラルーシから電力供給を受けるよう求めたのです。
「3月14日のことです。私たちはロシア側から、電源をウクライナの系統から切り離してベラルーシの電力供給を受けるよう迫られました。交渉は朝から12時55分まで続き、ついに上司は私にベラルーシからの電力を受け入れための準備するよう命じたのです」
原発にいることすら知らなかったロシア兵
ある日、アレクセイさんが衝撃を受けたやりとりがありました。
部下に話しかけてきたロシア兵が、まったく原発のことを理解していなかったのです。
「部下と立ち話をしていたロシア兵が、『ここはいったい何なんだ?』と聞いてきたといいます。部下は驚いて、『どこに来ているのか知らないのか』と聞き返しました。彼は『知らない』と答え、『ЧАЭС(チョルノービリ原発の略称)とはどういう意味なんだ?』と言ったのです。自分たちがどんな場所に来ているのかさえ知りませんでした。どこにいるのかも分からない人間が、武器を持って原発の敷地をウロウロしていたのです。原発の重要性をどれほど認識していたか疑問です」
1か月以上にわたって続いた、ロシア軍による占拠。
4月初めになってロシア軍は突如部隊を撤退させました。
私たちがアレクセイさんに話を聞いたのは4月3日。
ロシア軍が完全に撤退した翌日のことでした。
ロシア軍は無計画に原発を襲撃し、まるで戦争のための“おもちゃ”のように適当に扱ったとアレクセイさんは強い憤りを感じています。
「昨日(4月3日)ロシア軍は原発の敷地から立ち去りました。今はウクライナのコントロール下にあります。ロシア軍はいったい何をしにここに来たのでしょうか。何をしたかったのでしょうか。『原発を警護する』とだけ言っていましたが、何から警護するのかは分かりませんでした。ロシアは原発を『脅し』のために使っているというウクライナメディアの報道を見たとき、強い危機感を持ちました。今私が感じるのは怒りです。静かですが、強い怒りです。平和な世界を望むのであれば、こんなことはやるべきではなかったのです」
※ウクライナの首都、キエフなど、NHKは一部にロシア語に由来する地名を用いてきましたが、原則としてウクライナ語に沿った呼称に改めました。