19歳だった愛娘は医師か看護師になるのが夢でした。「大好きだった学校の制服を着たまま亡くなりました」と、父親は今も悲しみに沈んでいます。娘が巻き込まれたのは、アフガニスタンの少数民族「ハザラ人」を狙ったテロでした。去年8月に再び権力を掌握したタリバンは「全国民の権利を守る」と約束していますが、ハザラ人は毎月のようにテロの標的にされ、タリバンの戦闘員によって強制的に移住させられるケースも起きていることがわかってきました。弱い立場に追い込まれたハザラ人は身を潜め「誰も守ってくれない」と絶望を感じています。
(政経・国際番組部ディレクター 佐藤凜太郎)
突然奪われた娘の命 “タリバンは私たちを守ってくれない”
アフガニスタンの首都カブールの西の端。
「ダシュテ・バルチ地区」というハザラ人が多く暮らす集落の外れに、数多くの国旗と写真が掲げられていました。
テロや戦闘に巻き込まれて亡くなった人たちが眠る、“殉教者の丘”と呼ばれる共同墓地です。
<ダシュテ・バルチ地区の外れにある“殉教者の丘”>
殉教者の丘の一画に、青い柵に囲まれたまだ新しい墓がありました。
案内してくれたモハマド・アリさんは、去年5月に起きたテロで長女を失いました。
「ここに娘を埋葬しました。どんどん墓が増えるので、目立つようにしっかり建てました。周りを見てください、テロや戦争で亡くなった人ばかりです。どれも最近建てられたものです」
亡くなった長女のラヒーマさんは当時19歳。
通っていた学校から下校しようと正門を出たところで、爆薬を積んだ車が爆発しました。
このテロで、下校中の女子生徒たち80人以上が犠牲となりました。
ちょうど翌日から休暇が始まることになっていて、ラヒーマさんは「最後の学校の日だ」と楽しみに登校していったといいます。
モハマド・アリさん
「学校の制服を着ている写真です。この姿で亡くなりました。とても頑張り屋で勉強に興味があり、成績はクラスで2番だったんです。人の助けになることが彼女の夢で、『卒業したら医師か看護師になりたい』と言っていました」
妻のファティマさんも悲しみに暮れ、今も娘の使っていたものを片付けることができません。
「彼女が着ていた服です。これだけを残していなくなってしまいました。刺繍や洗濯をしてくれたり、料理を作ってくれたりした時のことを思い出します。毎日どこにいても、彼女のことを考えているのです」
娘が亡くなったテロは、モハマド・アリさんたち少数民族のハザラ人をねらったものでした。
イスラム主義勢力タリバンが再び権力を握ってからもテロは相次ぎ、市場での買い物やモスクでの礼拝でも不安を感じていると訴えます。
「安全だと感じられません。自爆テロがあるため、遠くに行くことも、人が集まっているところに行くこともできません。タリバンは『安全を守る』と言いますが、テロは起き続けています。タリバンは私たちを守ってくれないのです」
「外見と宗教」の違い ねらわれるハザラ人
中国、イラン、パキスタンなどと国境を接し、「文明の十字路」と呼ばれるアフガニスタン。
ハザラ人は人口のおよそ1割、300万人あまりをしめるとされています。
見た目はモンゴル系の民族に近く、日本人にも似ているといわれるのが特徴です。
<カブール市内のハザラ人たち>
アフガニスタンに暮らすパシュトゥン人、タジク人など人口の9割はイスラム教スンニ派を信仰しているのに対し、ハザラ人はほとんどがシーア派を信仰しています。
外見や宗教の違いから、歴史上長らく差別や迫害を受けてきました。
<アブドゥル・ラフマン・ハーン国王>
とりわけ、19世紀にアフガニスタンの近代化を進めたアブドゥル・ラフマン・ハーン国王の下では多くのハザラ人が殺害され、生き残った人も奴隷として売られたり、国外で難民になったりしたとされています。
近年ハザラ人をターゲットにしたテロを繰り返してきたのが、シーア派を敵視する過激派組織IS=イスラミック・ステートです。
ダシュテ・バルチ地区で相次ぐテロの多くはISの地方組織によって犯行声明が出されています。
ISはアメリカ軍がアフガニスタンから撤退した去年8月以降さらに勢力を拡大させ、戦闘員の数は4000人に上っていると見られています。
去年10月には、北部の都市クンドゥズのシーア派モスクで自爆テロを決行。
70人を超えるハザラ人が犠牲になりました。
<自爆テロを受けたクンドゥズのシーア派モスク>
復権したタリバン「全国民の安全を守る」とアピールするが…
ハザラ人がISに狙われる中で、再びアフガニスタンの権力を握ったタリバン。
ISとは主導権や縄張りを争って対立関係にあり、幹部は「すべての国民の安全を保証する」と述べてハザラ人の安全を守る姿勢をアピールしてきました。
<タリバン暫定政権 ビラル・カリミ副報道官>
私たちはタリバン幹部に対し、「テロを繰り返すISからハザラ人をどう守るのか」と質問を送付しました。
書面と音声メッセージでの回答は「現在、市民を脅威や危険にさらすグループはない」というものでした。
アフガニスタンの全土がタリバン政権のコントロール下にあると強調。
ハザラ人に迫る危機を否定し「タリバンはアフガニスタンに住む全国民の法的権利を保護している」と主張したのです。
もともとタリバンは、過去に政権を担当していた1990年代後半には一部でハザラ人を“背教者”と宣告し、数千人が殺害されたといういわば“前科”があります。
ハザラ人たちの間では、「タリバンはまた自分たちを迫害するのではないか」という不安が高まっていました。
「タリバンに家を燃やされた」 明らかになる“強制移住”
ハザラ人たちの不安は現実のものになりました。
タリバンの復権から間もない去年9月、「タリバンに追い出された」「タリバンにこの山に住むよう言われた」とハザラ人たちが訴える動画がインターネット上に相次いで投稿されたのです。
国際的な人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、アフガニスタンの各地でタリバンによってハザラ人が強制的に移住されていると非難しました。
少なくとも数千人のハザラ人が強制移住の対象になったと見ています。
タリバンによる「強制移住」を訴えるハザラ人たち。
取材を進めると、タリバンによって強制的に移住させられた被害者の一部は、テロが多発しているカブールのダシュテ・バルチ地区にたどり着いていることが分かりました。
そのうちの1人ハシムさん(仮名)に話を聞くことができました。
去年9月、もともと暮らしていた村に突然タリバンの戦闘員がやって来たといいます。
「タリバンは『この土地は我々の土地だ』と言って住民を家から追い出し、みんなの家を燃やしました。私の家も壊され、持ち物も家畜もすべて奪われました」「タリバンは『この土地は我々の土地だ』と言って住民を家から追い出し、みんなの家を燃やしました。私の家も壊され、持ち物も家畜もすべて奪われました」
ハシムさん一家はタリバンに追い出され、着の身着のままダシュテ・バルチ地区に避難してきました。
現在、1つの部屋を家族6人で間借りしていますが、生活は厳しさを増しているといいます。
2人の息子は仕立ての手伝いなどの仕事を見つけましたが、収入は1週間でわずか数百円。
家賃を払うと手元にはほとんど残らず、食事は隣人からもらったナンとお茶だけで1日をしのいでます。
本格的な冬を迎え、気温は連日氷点下を記録。
娘たちは「村が懐かしい、帰りたい」と父に訴えてきます。
ハシムさん
「生活は大変です。ストーブも、暖かい服も、食べ物も、何にもないんです。将来どうなるのか誰も分かりません。タリバンは変わったと主張していますが、まったく変わっていないのです」
私たちの取材に対し、タリバンの幹部は「強制移住させているというのは正しくない情報、プロパガンダだ」と事実を否定しています。
ただアフガニスタンの専門家は、タリバン内部の強硬派がハザラ人の土地を「戦利品」として奪っていて、上層部は見て見ぬふりをしているのだと指摘しています。
繰り返される悲劇 “国民を守る国”になれるのか
モハマド・アリさんの長女が亡くなってからまもなく1年。
ダシュテ・バルチ地区の学校では今月もテロが起こり、9人の子どもが犠牲になりました。
下校時刻に校門付近でおきた2回の爆発。
まったく同じ悲劇が繰り返されています。
<現場には子どもたちの教科書や靴が残されていた>
長年にわたって差別や迫害を受け、今また「タリバン」と「IS」という2つの脅威にさらされるハザラ人は、アフガニスタン社会の中でもきわめて弱い立場におかれてます。
さらに今アフガニスタンでは食糧や医療不足が深刻化し、人道危機は悪化の一途をたどっています。
ハザラ人はそのしわ寄せも強く受け、さらに追い込まれていると感じます。
“タリバンのアフガニスタン”が真に“国民を守る国”になりえるのか。
私たちはハザラ人の置かれた状況に寄り添い、声を上げ続けていきたいと思います。