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グアンタナモ収容所の実態 元収容者が告白した拷問の日々

NHK
2021年10月14日 午後2:31 公開

グアンタナモ収容所に14年間拘束されたモーリタニア人、モハメドゥ・スラヒさん。

彼の手記「グアンタナモ日記」をもとに製作された映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」は、アメリカでことし始め公開され大きな話題を呼びました。

映画はスラヒさんがグアンタナモ収容所で受けた“拷問”や釈放を勝ち取るまでの経緯を描き、アメリカ政府の責任を追及する弁護士をジョディ・フォスターさんが演じたことでも注目されました。

映画が日本でも公開されるのにあわせて、スラヒさん本人に話を聞きました。

(「国際報道2021」キャスター 油井秀樹)

同時多発テロ事件から2か月後に拘束  疑われたアルカイダとの関係

スラヒさんが母国モーリタニアで拘束されたのは、30歳だった2001年11月。

アメリカで同時多発テロ事件が起きた2か月後のことでした。

アメリカ政府はスラヒさんを国際テロ組織「アルカイダ」のメンバーと疑ったのです。

それには理由がありました。

スラヒさんは学生時代、ドイツに留学していました。その間に、アフガニスタンを訪れてアルカイダから訓練を受けていたことがあったのです。

油井:なぜアルカイダとつながりを持つようになったのですか。今も彼らの思想に共感しているのでしょうか?

スラヒさん:私がドイツにいた時、アフガニスタンにソビエトが侵攻し恐ろしい状況が報道されていました。私は現地の人たちの力になりたいと思ったのです
当時、共産主義勢力と戦っていたのがアルカイダでした。私は彼らと行動をともにしました。しかしアフガニスタンで共産主義政権が崩壊した後、イスラム戦士同士で戦い始めたのです。そこで私は嫌気が差し現地を去りました。アルカイダとの関係も終わったのです。

「私はいつも死にかけていた」”拷問”の実態

アルカイダとはもはや関係がないと語るスラヒさん。

しかしアメリカ政府は、スラヒさんの言葉を信じませんでした。

待ち受けていたのは、特殊尋問という名の”拷問”でした。

スラヒさん:兵士たちは襲いかかってきました。骨折するまで何度も殴られました。性的な暴行も3回ありました。睡眠は妨害され食事もできず祈ることやラマダンなどの宗教的な自由もありませんでした。彼らは拷問を繰り返し、私はいつも死にかけていました。
ある日、尋問者から「私の母を誘拐し、ここに収容する」と脅されました。私には母以外に失うものはありません。だから伝えたのです。「すべて話す。すべて自白する」と。尋問者たちは喜んでいました。

精根尽き果てたスラヒさんは、アメリカ政府が用意する”自白”の書面に署名しました。

油井:あなたに対する特殊尋問はどのくらい続いたのですか。それは間違いなく拷問でしたか?

スラヒさん:特殊尋問が始まったのは2003年5月。そして次第に収まっていったのが、2005年始めくらいです。本当に拷問でした。私は正気を失いかけましたが生き延びることができました。収容者の中には亡くなった人もいます。

窮地から救ってくれた弁護士との出会い

スラヒさんの支えとなったのが、映画の中でジョディ・フォスターさん演じるアメリカの弁護士ナンシー・ホランダーさんでした。

無償で代理人となりましたが、当初はスラヒさんの主張に半信半疑だったと言います。

しかし開示請求を重ねて入手した政府の機密文書を目にしてホランダーさんの気持ちに変化が生じていきます。

「スラヒさんの自白は拷問で強要させられたもので、信憑性に乏しい」と確信するようになったのです。

(スラヒさん役(左)とジョディ・フォスターさん演じる弁護士ナンシー・ホランダーさん)

スラヒさん:最初、彼女は私のことを信じていませんでした。理論的には「推定無罪」と言われますが、現実は違います。警察に逮捕されれば容疑者は有罪と見られます。ホランダー弁護士は、私の拷問に関する政府の機密報告書を目にして、ようやく私の主張が真実だとわかったのだと思います。彼女はとても良い人で、宗教や哲学、彼女の生活などあらゆることを話しました。
そして数年を経て、家族のような関係になったのです。

正義の国と信じていたアメリカからの虐待 それでも「許す」

スラヒさんは釈放を求めてホランダー弁護士とともにアメリカ政府を提訴。

公判でスラヒさんはグアンタナモ収容所から証言します。

映画のハイライトともなるその証言シーンで、スラヒさんは次のように語りました。

(映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』から」)。

 「私はアメリカは正義の国だと信じていた。

まさか裁判もなく8年も拘留されるとは思わなかった。

アメリカが私を恐怖で支配するだなんて。

やってもいない罪でせめられ続けた。

だが許そうと思う。許したい。

それが私の神アラーの思し召しだから」

油井:虐待され拷問まで受けたのにも関わらず、本当にアメリカに対して怒りや憎悪はないのですか?

スラヒさん:私はアメリカを完全に許しています。
好きな言葉があるのです。それは「憎悪を抱くことは毒を飲んで誰かが死ぬのを願うようなものだ」という言葉です。
憎悪は毒です。だから私は飲みたくないし、和解と自由を求めたいのです。

油井:公判でアラビア語では「自由」と「許し」は同じ言葉だと話していましたね。

スラヒさん:そうです。アラビア語の動詞「Afa(アファー)」で、「許す」と「自由になる」という意味があります。許すことで息ができるようになる、重しが取り去られるようになるのです。相手を恨めば常に「彼らが苦しめば良いのに、誰かが虐待してくれれば良いのに」と思考してしまう。でも相手を許すことで、自分自身は解放され自由になれるのです。

あれから20年 “グアンタナモ収容所は間違い”

スラヒさんは2010年に裁判に勝利。

その後も拘束が続いたものの、2016年にようやく釈放され帰国しました。

現在は祖国モーリタニアで家族と静かに暮らしています。

油井:アメリカによるテロとの戦いが始まって20年が経ちましたが、今どんなことを感じていますか?

スラヒさん:テロとの戦いはただ憎悪を膨らますだけで、より多くの過激主義の人を生み出していきました。
それをグアンタナモで目撃しました。グアンタナモ収容所は間違っています。無実の人を長期間収容するのは民主主義国家ではなく独裁主義国家がやることです。
私はバイデン大統領が閉鎖という正しい決断をすることを願います。アメリカの歴史に刻まれた暗黒のページを閉じる日がくることを祈っています。

インタビューを終えて(取材後記)

私は同時多発テロ事件をニューヨークで取材し、その翌年からワシントン支局で勤務しテロとの戦いを取材しました。

当時のアメリカの世論は「テロへの報復攻撃は当然」「新たなテロを防ぐことが何よりも最優先」という雰囲気でした。

そしてテロとの戦いは結果的に憎悪と報復の連鎖となって20年も続いたのです。

(インタビューに答えるモハメドゥ・スラヒさん)

「アメリカを完全に許す」と語るスラヒさんの話は、この負の連鎖を断ち切る示唆に富んだものでした。

また、自由と民主主義国家の盟主だったはずのアメリカが新たなテロを防ぐことを最優先にした結果、拷問まがいの尋問や人権を踏みにじった盗聴などの監視に踏み切った責任は重いでしょう。

スラヒさんは、実はアメリカのドラマが好きで、拘束される前にはよく「LAW & ORDER」などを見ていたそうで、アメリカの民主主義に憧れていたと言います。

そのアメリカが人権よりもテロ対策を重視したことで専制主義国家と呼ばれる国では、アメリカに続けと言わんばかりに、治安を名目に監視社会を築き、人権の侵害を続けています。

テロとの戦いから20年、アメリカそして世界は今、人権と民主主義の再生に追われているのです。